□ 愛のたまご 9




 くあ〜とカカシはあくびをする。膝を立てて、その間に両手を置いて背中は丸まっている。猫がちょこんと座るのと同じ格好だ。しっぽが右に、左に揺れる。時たまおそろしい柔軟性で器用に片足をあげると猫耳のうしろを掻いたりする。ごろごろと喉を鳴らしたかと思うと、ぱたりと体を丸めて、目を閉じてしまった。
 とろんとした空気の中、ぴく、ぴく、と耳が震える。たまに前足、ではなくて、手を握り拳にして頬のあたりをさする。
 えさ、ではなくて食事をした後のカカシは大概こんな感じだ。満腹感にうっとりとして眠ってしまう。
 一連の動作をちゃぶ台のこちら側から見ていたイルカはげっそりと肩が落ちた。
 おそるべししのび卵。どういうきりかえしをしてくるか想像つかない。いくらしのび卵仲間の猫とともに過ごしたからって、半猫になることはないではないか。
 火影に聞いても、猫の飼い主に相談しても、そういうこともあるのではないかと暢気だ。要するに、しのび卵のことは解明されていないと言うことだ。


 耳としっぽ、そして手のひらは盛り上がって、肉球のようにぷにぷにしていた。その形態だけならまだ我慢もしたが、行動が、動きが、猫なのだ。
 カカシ、と声をかければ、まずはにゃーと言う。部屋のどこかで丸くなってしょっちゅう寝ている。たまに窓越しに猫座りで外の景色を見て、耳をぴくぴくさせる。窓越しに雀が飛んでくると、ぴんと耳を立てて、うろうろとする。もちろん、四つ足で。毛など生えていないのに、たまには肌を舐めている。赤い舌を白い肌に滑らせる姿はなにやら怪しげな雰囲気で、イルカはいたたまれずに場を離れることもあった。
 爪も気持ち尖って長く、駄猫と同じように柱でばりばりと研ぐ。ごはんも背を丸めて箸を使わずに食べようとするからイルカはいちいち注意する。カカシは何が? という顔をしてはっと気づいて箸を持つ。それが肉球が邪魔なのかぎこちなくて、イルカが箸を運んでやることが多い。カカシはそんな時嬉しそうににゃーと鳴く。


 イルカはなんとなくふざけた生活に疲れを感じるがカカシは調子がいいようで、イルカがいない昼間は外に遊びにでているようだ。泥や葉っぱやらを体につけて帰宅することがある。どこで、何をしているのか気になって、ある時の朝食の際に聞いてみた。
「カカシ、その姿で外歩いて、大丈夫なのか?」
「にゃー」
「にゃーじゃなくて!」
 首をかしげるカカシはにゃーと返事をすることがナチュラル過ぎて気づいていないのだ。口にほぐしたサンマをつっこんでやると嬉しそうに目を細めてにまりと笑う。
「誰と、遊んでるんだ? あの駄猫か?」
「あいつは飼い主と任務に行ったにゃー。しのび卵猫だから上忍レベルなんだけど、飼い主のおじさんが危険なところには連れて行かないんだにゃ。今度は比較的安全らしくて、一緒に行けるって喜んでたにゃ」
「いちいち語尾ににゃをつけるな」
「にゃ?」
 今度は開いた口になすのつけものをつっこんでやった。ぷるぷると体を震わせたカカシは幸せそうに口のまわりを舐める。その舐め方が執拗で、妙に色気がある。こんなことを外でやってへんな趣味のやつに見つかったらさらわれるのではないかとイルカは親のように心配になる。
「じゃあ今はどこをうろうろしてるんだよ」
「山とか、川で、修行してる。俺、変化とかできるんだ」
「うっそ。まじで?」
「まじでー」
 カカシは得意げに胸を反らした。
「あと、火遁とか水遁も一通りできる。この間火影さまに見てもらったら中忍レベルにはなってるって」


「……」
 ぽかんとイルカの口はあく。
 カカシは嬉しそうだが、イルカは複雑だ。どんな修行をしてるのか知らないが、忍としての修行をせずともしのび卵から孵っただけで他よりぬきんでているということか。イルカとて中忍なのだ。負けてられないとイルカは食事もそうそうに立ち上がった。
「イルカ、どこ行くんだ?」
「俺も、修行してくる」
「俺も、俺も行くにゃん」
 素早く立ち上がったカカシはにこりと笑ってイルカに従った。


 道行く人はちらちらとカカシを振り返る。
 フード付きのトレーナーに、ジーンズ生地の短パン。すらりと伸びた足は長くて、ラインが美しい。腰のあたりからは長いしっぽがふりふりと動き、頭部には耳。顔の横にも耳があるのに、頭部には獣の耳。いったいなんの仮装だと思うのかもしれないが、春の日の光を弾く銀の髪と引き締まって整った少年の顔がなんでもゆるされる雰囲気をかもしだしていた。ありえないがもしイルカがそんな格好をしたら警務隊に突き出されることだろう。
 普通に四つ足歩行でついてこようとしたカカシを叱って、ちゃんと二本足で歩かせる。
 カカシがいつも修行しているという場は木の葉山の麓で、アカデミー生たちと遠足に来たこともあった。
 カカシはたっと駆けると水辺のそばによって、素早く印を結んだ。口からほどばしる火。そして印を結び直すと、水の底がごごごと渦巻き、ほとばしる水を空に向けて放った。さあっと日の光にきらめいて、虹が見える。
 あっという間のめまぐるしい動きにイルカは呆然となる。
「どうにゃー」
 胸をはるカカシは誇らしげで、イルカは思わず拍手を送っていた。
「すげえなカカシ。さっすがしのび卵生まれ」
「なんだよそれ」
 イルカの妙なほめ方にカカシはくすぐったそうに笑う。
「今の、どういう印なんだよ。俺に教えてくれよ」
 根が素直なイルカはたとえ年が下だろうがなんだろうが自分よりも優秀な存在には教授を願えることができた。イルカが近づくとカカシは丁寧に指導してくれた。
「えーと、ここで、人差し指を、こうだろ。で、小指を、曲げて……」
「そうそう。あ、ここはこうするといいにゃー」
 カカシの細い指先に包み込まれて試行錯誤しつつ印を形作る。カカシの手は、むにゅ、むにゅ、と触れてくる。細くて、どちらかというと骨張っているのに、むにゅと柔い感触がするのは、肉球のせいだ。


 マッサージのようで気持ちがいいなと思っていたらイルカはつい手を伸ばしてしまった。
「カカシの肉球、気持ちいいなあ」
 カカシの手のひらをとって、むに、むに、と指先で揉む。そういえばあの駄猫も肉球と毛並みはよかった。印を結ぶことなど忘れてすっかりカカシの肉球いじりに精を出していたイルカだが、カカシが無言になったことを不審に思って顔を上げた。
「カ、カカシ?」
 カカシは真っ赤な顔をして、口は少しだらしない感じで開いていた。
「どうした、熱、熱があるのか?」
 イルカが手を伸ばして触れると、ますますカカシの顔は真っ赤になる。
 ふるふると首を振ったカカシは呼吸も荒く、イルカにしがみついてきた。
「どうした? どうしたんだカカシ!?」
「また……」
「なんだ、どうした?」
「心臓が、痛い……」
「おおおおおおいっ」
 それからのイルカの行動は早かった。
 カカシを背負って、飛ぶようにして山を下りて、火影宅に向かった。


「発情じゃ」
「はつじょう?」
 うむ、と火影は重々しく頷いた。
 イルカの傍らにいるカカシはぐったりとして体を丸めて震えている。はあはあと息が荒い。ぴくぴくと震える耳。思わず手を伸ばして触れると、びくりとカカシは体を震わせる。
 そしてふと顔を上げると、とろんとした目でイルカのことをうるうると見つめるのだ。
 不穏な空気にぎゃーと内心叫んでイルカは火影のうしろに隠れた。
「ほほほ、火影さま、発情って、ようするに、このカカシ猫は」
「成長の過程じゃな。おぬしとて思春期にはいろいろと悩まされたじゃろう。ま、わしもそういう時代があっわたい」
 火影は青春じゃ、と一人得心して頷いている。
「それはわかりましたけど、それでそれでどうしろと言うんですか?」
「どうもこうも、一人でどうやるかを教えてやればよい。おぬしは教育者じゃ」
「冗談じゃありませんよっ。俺は清らかな幼年クラスとか、まだはな垂れのガキどもが許容範囲なんですよ! なんでマスかくやり方を教えなければならないんですか。火影さまこそまだこっそりやっていそうだから教えてやればいいでしょうが」
「わしはもう枯れておる」
 言いつつ、火影はにやりと笑う。火影には茶飲み友達の女性が何人かいるのは知っている。まあその女性たちのなにかあるわけではないだろうが、枯れているというのは嘘だ。
「普通、猫が発情期になったら、さっさとやってもらってすっきりさせるのが得策じゃが、カカシの場合もそうもいかぬからな。やはりイルカ、おぬしが責任をとらねば」
「だからどうして俺が!」
「カカシを発情させたのはおぬしであろうが」


「俺は何もしてませんっ」
「普通雄猫は雌猫の発情に促されて発情すると書物で読んだことがある。もともと雄猫は発情期というものはないらしいが」
「だからそれがなんだってんですか」
「イルカが発情したからカカシが反応したのではないか?」
 けろりと何でもないことのように口にした火影にイルカの血管は切れそうになる。
「なんで俺が猫に反応しなけりゃならないんだー! それに俺は人間だし雌猫じゃないっ」
 イルカは唾を飛ばさんばかりの勢いで火影に詰め寄った。
「うるさいのお。とにかく、おぬしが何かしたのであろうが」
「だ・か・ら! してませんっ」
 ムキになって叫んだイルカに、細い声が届く。
「……した。イルカ、俺の、ニクキュー、むにむにしたにゃー」
 熱く息をつきながら、カカシが言いつのった。
「に、肉球!?」
「そうにゃー。肉球が弱いにゃー。肉球感じるにゃー。知ってるくせにやったにゃー」
「はあ? 知るかよそんなことっ!」
 確かに、カカシの肉球を執拗に、むにむにっと揉んでしまったが、それがいわゆるスイッチを押したといわれても知ったことではない。
 カカシは頭をもたげて、せつなげにイルカをじっと見た。
「イルカ、俺、苦しいにゃー……。助けてにゃー」
 すがるような目が反則だ。潤んだ目の端からつるりと涙が滑って、ことりと頭が畳に落ちてしまう。そのままカカシは目を閉じてしまった。
 もちろん、イルカとてこんな苦しげなカカシを見たいわけではない。けれど、どうしろと言うのだ。
 おそるおそるカカシをうかがうイルカに火影はあっさりと告げてくれた。
「おぬしがなんとかしてやれ。有り体に言えば、解消してやればいいのじゃ」
「だからっ、どうやって!」
「せっくすじゃ」






 セックス。
 火影はさも当たり前のように言ったが。
 イルカは本気でぶるりと震えた。目眩がした。恐ろしいことをのたまった火影に叫んでいた。
「他に手段あるじゃないですか!」
 イルカは自らのひらめきに顔を輝かせた。


「去勢すればいいんですよ!」


 イルカの大声にカカシの耳はぴくりと反応した。火影の手から煙管が落ちた。


 次の瞬間、火影のチャクラは凶暴なほどに膨れあがり、イルカは思わず頭を抱えて畳に体を伏せた。
「お、お、お、おぬしは、なんということをっ。血も涙もないのかー! 去勢など、断じて許さーん!」
「いやにゃー!」
 カカシも起きあがって、拳を振り上げる。
「しのび卵から孵った者の子種を殺すなど、犯罪じゃ! おぬしは犯罪者じゃ! そのようなことをしたら、おぬしは成敗じゃ! 成敗してくれる!」
「うにゃー!」
 火影には悪人呼ばわりされ、カカシからは丸めた拳で背中をどこどこと打たれて、イルカはへこへこと謝り通した。






つづく。。。