□ 愛のたまご 8





 持ち返っていた仕事が終わってイルカは伸びをする。9時を過ぎている。台所から振り返れば、カカシはいつも通り猫を膝に載せてテレビを見ていた。
「カカシー、風呂入るぞー」
 ぴくりと反応したカカシはぷるぷると首を振る。
「俺猫と入る」
「駄目だ。猫と入るといつまで経っても出てこないだろうが。俺が一緒に入ってちゃっちゃと洗ってやる」
「やーだ」
 カカシはかたくなだ。ぷうと頬を膨らませて、猫をぎゅっと抱きしめる。


 最近めっきりこんな状態だ。きっかけはわかっている。カカシに濃厚なキスをされて、情けなくも少しばかり感じてしまったあの日からだ。カカシはイルカを避けるようになった。くっついてもこないしキスもしてこない。変な声を上げてしまったイルカをかわいいなどと言って大人を馬鹿にしくさった変態妖精は、どうせ本当は気持ち悪いとでも思っているのだろう。イルカ自身気持ち悪いと思ったのだから、変態妖精とは言っても子供にとってはあれはきつかったはずだ。
 だがイルカはそんなことでいちいちめげていられない。とにかく最近カカシとのコミュニケーション不足を自覚している。カカシが猫に必要以上になつくのもそのせいではなかと思うのだ。
 口で言ってもカカシは頷きはしないだろうから、近づいて体を持ち上げた。
「なんだよ、やめろよっ」
 猫はカカシの膝から音もたてずに降りると、イルカの毛布の上で大きなあくびをして丸くなる。
 喚くカカシの服を剥いて、イルカも素早く裸になる。カカシを片腕に抱えたままかけ湯をして、狭い湯船にざんぶと入り込む。足の間にカカシをちょこんと置いた。


 一連の動作はなめらかだった。カカシはイルカの手際の良さにあっけにとられて瞳をまたたかせている。
 だがぷるぷると首を振って湯桶の中で立ち上がった。イルカを一瞬ねめつけてから顔を背けて端のほうでふちにあごを載せた。後ろ姿が明らかにすねている。
 やれやれとイルカはため息をつきたくなった。何が気にくわないのかよくわからないのだ。この間までは間違いなくナルトのことで、今度はあの時の失態かと思いきや、なにやら違う気がする。
 イルカのことが本当に気に入らないのなら今だって大人しく風呂につかってはいないだろう。ここ最近、イルカのことを避けるくせに、時たま伺っては子供らしからぬ深いため息を落としているのだ。
 考えていてもらちがあかない。そんな時は早々に諦めた方がいい。イルカは風呂からざばりと上がった。びくりと振り向いたカカシ。その視線はイルカの体をじっと見つめていた。
「なんだよ。俺の体なんてさんざん見てるだろ。お前だってすぐ大人になるんだよ。しのび卵なんだし」
 しかしこのままではいつになったら成人するのかわからない。こんな居心地の悪い状態が続くようなら本気で火影に泣きついたほうが、カカシの為にもいいのかもしれない。


 体を洗おうとしてイルカが石けんを泡立てているとかすかな声が届いた。
 顔を上げれば、カカシがしゅんと沈んだ顔で「ごめん……」と小さく呟く。イルカが首をひねると、カカシはさらに消え入りそうな声で伝えてきた。
「痒かったの、ごめん……」
「……」
 カカシが何を謝っているのか、イルカはしばし考えた。そしてそれがイルカのかき傷を見たカカシが猫の蚤騒動のことを謝っているのだと思い当たって、イルカは感動した。
 カカシが、素直に謝るなど。これは偉大なる成長だ。
「あ、ああ。いや、その、俺も、悪かった。別に猫は嫌いじゃねえんだ。でも蚤は、な!」
 焦って大げさに手を振り回してイルカななぜか顔が赤くなる。
 そんなイルカに、カカシはおずおずと手をさしのべてきた。
「俺も、洗ってくれよ……」
 おねだりするように赤くなってもじもじとしている。
 それは徹頭徹尾かわいらしい子供の仕草だった。イルカはうれしさが全身を駆けめぐって豪快に笑って大きく頷いた。
「おう! 洗ってやるからな!」
 湯船からカカシを抱き取ると泡を含ませた堅めのタオルで自分にやるように洗おうとしたが、子供の肌にこれはいかんと気づく。泡を手のひらに集めると、カカシの滑らかな体に優しく滑らせた。当たり前だが、すべてのパーツが小さく曲線を描いてかわいらしい。優しく優しくイルカは触れた。
「気持ちいいか? カカシ」
 イルカが問いかければ、カカシは赤い顔のまま、こくりと頷く。うっとりとした顔にイルカも満足だ。
 上から順に泡をたててやり、カカシの小さな急所にも優しく触れた。
「やだっ」
 途端にあがる声に顔を上げれば、カカシは沸騰しそうなほどに真っ赤な顔をしていた。熱があるのかと思うほどに赤く、目はうるりとしているではないか。
「カカシ、具合、悪いのか……?」
 泡がついた手でそのままカカシの額に触れると、カカシはびくりとおびえて体を縮こませる。カカシは口をぱくぱくさせて潤んだ目でイルカを見つめ、きゅっと抱きついてきた。
「カ、カカシ!?」
「俺、俺、苦しい。心臓が、痛いっ」
「ええええええ!?」


 イルカはがばりと立ち上がった。カカシを抱えて慌てて風呂場を出る。服を着ると、目にもとまらぬ早さでカカシを拭いて、パジャマを着せて毛布にくるむ。そしてそのまま家を出ようとしたところで、カカシから待ったがかかった。
「どこ、連れて行くんだよ……」
「火影さまのところだよ。お前もしかしたら病気かもしれないだろ。俺にはしのび卵のことわからないから」
「病気じゃない。胸が、苦しいだけだ」
 腕の中で、カカシが必死に叫んだ。でも、とまだためらうイルカに手を伸ばしてきたカカシは体を伸ばしてイルカの口に触れた。


「!」
 小さな口は懸命にイルカに触れた。


 すぐに離れた唇。驚くほどに熱くて、やはり火影の元にと思ったが、カカシはかたくなに必死な顔で拒否した。


 結局そのままカカシをベッドに運び、寝かしつけることになった。さっさと寝てしまえばいいのに、傍らに添い寝して毛布の上から体を優しく撫でているイルカのことを食い入るようにじっと見ている。猫もいつの間にか近づいてカカシの足下で丸くなっていた。
 今までになかったような穏やかな空気に、哀しいかな居心地の悪さを覚えたイルカはついつっけんどんな声を出してしまった。
「なんだよー。寝ろよ。カカシが寝ないと俺も寝れないだろ」
「眠くない。お話して、イルカ」
「お話ぃ?」
 共に生活して三ヶ月くらいは経とうとしてるが、カカシがそんな普通の子供のようなことをねだったことはなかった。
 だがカカシの神妙なリクエストにイルカは考える。子供に話すようなことは特にないが、カカシは妖精だから、ここで絵本など読んでも仕方ないだろう。アカデミーの子供たちのことを話すとカカシは目を輝かせた。
「俺も、行きたいなあ」
「そうだな。火影さまに頼んでみるか?」
「あ、でも、ナルトもいるんだろ?」
「ああ。俺のクラスだからな」
「じゃあやだ」
 むっとカカシは口を尖らせる。相変わらずナルトへの敵対心は持ったままのようだ。ナルトは、いいこなのだ。確かにナルトを取り巻く環境は決して甘くなく、ナルトに責任のないことなのに誹謗中傷を受ける。大人は、凝り固まった大人は過去も引きずっているから仕方ないのかもしれないが、カカシにまでナルトを嫌って欲しくなかった。
「なあ、ナルトのことなんでそんなに敵視するんだよ。ナルトはカカシに何もしてないだろ? あいつと仲良くなれると思うけどな」
「でもイルカは俺よりナルトのことが好きだろ。だからナルトが嫌い」
「なんだ。お前ぇ、嫉妬かよ」
 小さく笑ってイルカは得心した。そして同時にすねた顔をするカカシがかわいらしくて、ぐりぐりと頭を撫でた。
「お前正直もんだな」
 イルカが顔をのぞき込むと、カカシは泣きべそをかく寸前のような顔になる。
「カカシが正直もんだから、俺も正直もんになるな」
 苦笑してふっと肩の力を抜いてイルカはカカシの髪に触れた。
「確かに、俺はナルトのことが他の生徒たちよりも少し多めに好きだな。もしかしてナルトの境遇に同情してか、と考えたこともある。でもどうやらそういうことじゃなくて、ナルトは、いいやつなんだ。意地っぱりだけど、根っこはまっすぐで何より前向きだ。だから、俺はあいつが好きなんだろうな。年も離れてるし教師と生徒って立場だけど馬が合うっていうのかなあ。えーとだから……」
 うまい言葉が見つからず考えているイルカにカカシがそっと聞いてきた。
「俺とナルトとどっちが好きなんだよ」
「あ、そりゃあナルト」


 するりとイルカの口から出た言葉に、瞬時にしてカカシの顔は歪む。しまった、と思った時には遅い。泣く、と思ってイルカは身構える。だがカカシの反応は予想外だった。口をぐうっと引き結んで、小鼻を膨らませる。そこでせき止められたものが宝石のようにきらめく色違いの目を潤ませる。大粒の涙が、ほろりと、こぼれた。
「カ、カカシッ?」
 慌てたのはイルカだ。口元をひくひくと震わせて、ううううとうなり声のような音をたてる。ぼろぼろとこぼれる涙は止めどなく、ひっひっと嗚咽を堪えている。こんな耐えるような泣き方は今までなかった。口を開けたら大きな声が漏れてしまうのかもしれない。鼻水をずずっとすすって訴えかけるようにカカシに見られては、イルカのほうこそいたたまれなくなる。
「ごめん、ごめんな、カカシ」
 正直になんでも言っていいわけないではないか。特に、いくら妖精とはいえカカシは子供なのに。心ない仕打ちにイルカはどう取り繕えばいいのかわからずに混乱する。こんな泣き方をされるのなら、大声で泣き叫んでもらったほうがよほどいい。
「お、れ……。俺」
 カカシがひくつく喉から声を絞り出した。目元を乱暴にすって、すがりつくようにイルカを見る。
「俺、イルカの一番になりたい。なりたいっ」
 かすれて震えた声にイルカはがんと頭を殴りつけられたようなショックを受ける。
 たまらず手を伸ばしていた。カカシをぎゅっと体の中に抱き込んだ。
「好きだぞ。カカシのことだって、好きだからな」
「一番っ。一番がいいっ」
 一番、一番、と呟いてカカシはイルカにしがみつく。心ないことを言ったとイルカは後悔の念に襲われた。
「ごめん。ごめんな、カカシ」
 心を震わせる何かに身を任せてイルカは泣きじゃくるカカシを抱きしめる手に力を込めた。




 頬に柔らかく弾力のあるものが触れる。ぶにゅ、ぶにゅ、と触れては引き、と繰り返す。
 ぼんやり開いた目にはかぶさっている影が映る。銀の色にカカシか、と思い目をこする。昨日は泣き濡れたカカシを抱きしめてそのまま眠りについた。
「早いなーカカシ。今日は午後からだからゆっくりできるぞー」
 大きなあくびをしつつ応えてごろりと寝返りをうてばまたぶにゅっと頬に触れてくる。
「猫」
「んー? 猫がなんだよ」
「飼い主、戻ってきた」
「え!?」
 完結に告げられたことにイルカは飛び起きる。
 そこにはカカシがちょこんと座っていた。
「カカシ……?」


 猫の飼い主は三ヶ月ほどの任務に出ていた中年の気さくな上忍の男だった。大げさなほど礼を言われ、また改めて挨拶にくると告げて猫に愛しそうにほおずりした。猫はあらぬほうを向いて、くあ〜とあくびをしている。けれど隠しようもなくしっぽがゆらゆらと機嫌良さげに揺れて、表情はうっとりとゆるんでいた。
 ことのついでとばかりにイルカはしのび卵の上手な育て方をこっそり聞いたのだが、亡くなった友人の飼い猫だったのがこの猫で、育てたわけではないという。がくりとイルカは肩が落ちた。
 手を振って去っていく男をアパートの2階の部屋の前の手すりにもたれて見送る。猫はカカシをまっすぐに見て、にゃーと短く鳴いた。
 カカシは穏やかな笑みを口元にしいて、猫に手を振った。




□□□




 カカシはめでたく成長した。幼児から12,3才の少年の姿になった。
 トレーナーと短パンからすらりと伸びた手足。なめらかな肌は新鮮な果実のように内側から輝きを放つかのようだ。銀の髪もきらきらとして、整った顔は完璧な美少年。笑う口元にはかわいらいいえくぼもできた。
「よかった〜。イルカのおかげで一気に成長したー」
 風呂場の鏡の前でカカシは喜んでいるが、イルカはげっそりと肩が落ちる。昨晩の泣き濡れたカカシから一転して元気いっぱいの子供に変わった。激しい変化についていけない。
「なんだよイルカー。景気悪いなあ。せっかく俺が成長したのに」
 振り向いたカカシはイルカにどすんと抱きついてきた。イルカの腹のあたりに頭がある。イルカを見上げて微笑む。
「これからも頼むな」
 無邪気に笑う顔には子供らしからぬ艶があり、泣き明かして少し赤くなった目尻が美しかった。
「成長したのは、めでたい。けどな、カカシ……」
 ぐっと手を伸ばしたイルカはカカシの頭部ににゅんとふたつ生えている耳をつまんだ。
「なんだって猫の耳はやしてんだよっ。それに、しっぽも!」
「にゃーん」
 長くて毛がふさふさのしっぽを振って、イルカの頬をくるくるとくすぐる。くわっとイルカは角をだした。
「とにかくきちんと人間に成長しろー!」





つづく。。。

にゃんこカカシ絵、募集中(笑)我こそはというかたはトップページのアドレスへ〜。件名は「ねこヒロシ」で〜