□ 愛のたまご 6




「カカシ。飯だぞ」
 少し砂糖味のきいたオムレツ。表面にはケチャップでかかしの絵を描いている。ミニハンバーグ。ナスの漬け物、みそ汁。
 毎日でもそのメニューでいいくらいカカシのお気に入りをそろえたのに、見向きもしない。部屋の隅で寝転がったまま、巻物を読んでいる。
「おい。食べないのか」
「食べない」
 その応えにイルカは切れた。


「いい加減にしろカカシ。もう三日もまともに食べてないだろうが。倒れたら……」
「倒れるわけねーじゃん。俺人間じゃないもん。しのび卵から産まれた妖精だもん」
「それは、そうだけどな、でも」
「普通のガキなら三日も何も食べずにいられるわけねーじゃん。ばっかじゃねえの」
 カカシのいつにも増した憎まれ口にイルカはぶわっと髪を逆立てた。
 しかし怒鳴りつけようとした矢先に、その機先を制するようにカカシはくるりと振り向いた。
「ばぶー」
「は?」
「ぶっぶー。あぶぶー」


 イルカを睨み付けたまま、意味不明の幼児言葉。どう応対すればいいのかわからないまま、おたまを持ったイルカはそのままじっとカカシと睨み合う。
 散歩に出た日以来カカシの機嫌は傾いたままで、イルカに近づいてこないし、一緒に寝てもいない。食事も摂らない。昨日などは仕事から戻ってくるとカカシはいなかった。どこを探せばいいのか検討もつかずにやきもきとして家で待っていれば、夜中にふらりと戻ってぱたりと倒れ込むように眠ってしまった。さすがにイルカも心配になるというものだ。今日は午後勤務にしてもらい朝からカカシの面倒を見ているというのに。
 一体何がそんなにカカシの機嫌を損ねたのかイルカにはわからない。ひとつ考えられるのは、散歩した時にナルトと遭遇したことだ。だが、三日間も怒るようなこととは思えないから、イルカはカカシの不機嫌の理由がわからず互いがかもしだす険悪な空気が部屋には充満していた。


「おい。何いきなり幼児言葉になってんだよ。しゃべれるんだから理由を言え。何が気に入らないんだ」
「ぶーぶぶー。うだー」
 口を尖らせて、小さな握り拳をばたばたさせてカカシは首を振る。もしかしたらかわいい仕草なのかもしれないが、この三日間のフラストレーションで苛立つイルカにとっては全くかわいく映らない。
「理由を言・え! 言わなきゃわかんねえからな」
 カカシは舌を出した。あかんべーだ。
 イルカは満面の笑顔になる。こめかみに青筋をたてたまま。
 のしのしとカカシに近づき、無理矢理抱き上げた。片手で抱いて、あいた手で丸い頬をぐにっと引っ張った。


「いい加減にしろよ〜。お前ぇ、もしかしてナルトが気にいらないのか〜?」
 イルカの言葉に、カカシの目がかすかに揺れる。もしかしなくてもそうだったのかと、不機嫌の理由はわかったが、だがなぜ不機嫌になるかはわからない。
「ナルトは何もしてねえだろうが。あいつ子供好きだから、カカシとも仲良くなれるぞ」
 頬をつまんでいた手を離して、指の甲でさすってやる。カカシの口元はへの字になって、何も言わず、けれど何か言いたそうに、イルカを見つめる。
「なーんだよ? 気に入らないことあるなら言ってみろ」
 いなすように抱きしめて背中を叩けば、耳元でぼそりと呟く声が届いた。
「・・・セーエキ」
 その瞬間イルカはカカシを頭上高く抱えて、そのまま床にたたき落としそうになった。しかし理性の声がその衝動を押しとどめる。
 カカシが寝ころんでいた布団の上に嫌みなくらいに丁寧に置いて毛布を掛けてやる。ひきつる口元でにっこり笑って、カカシに背を向けた。
「勝手にしろ」
 そのままイルカは部屋をあとにした。





 イルカの直談判に火影はあらぬほうを向いたまま煙管を吹かしていた。
「もうどうにかしてくださいよ。俺は、ちゃんと育てようって気はあるんですよ。なのにカカシが全然その気がなくて反抗的なんです。全然成長しませんよ」
「ふむ。おぬしに預けてすでにひとつき。普通のしのび卵ならば早い者は成人しておるな」
「だからそれはあいつのせいで」
「手っ取り早くおぬしのセーエキを飲ませればよかろう」
「ほほほ火影さま! 里の長がなんてことを言うんですかっ。破廉恥なっ」
 息を乱して肩をいからせる。そんなイルカに火影はやれやれと冷静に応対した。
「イルカよ。おぬしカカシが成長しない理由が本当に自分にないと言い切れるのか? セーエキはなしでじゃ。充分な愛情を注いでおるのか?」
「充分な愛情ってなんですか。俺は俺なりに、かわいがってますよ。そりゃあちょっと、スパルタで、猫かわいがりはしてませんけど……」
 イルカの声は気持ち小さめになる。普通の親のようにはかわいがっていない自覚はある。写真を持ち歩いて、鼻の下がでろでろにのびている同僚を見ると、とてもまねできないと思う。
 けれどそれが悪いとは思わない。できないことはできないのだ。ひたすらにかわいがるだけが愛情だとも思わない。


「とにかく、あいつがこれ以上ハンスト続ける気なら、どうしようもないですよ。どうしたらいいんですか俺は」
 イルカの叫びに火影は腕を組んでしばし黙考。よし、と煙管を盆に打ち付けた。
「やはり手っ取り早いのはセーエキじゃ。それを料理のエキスに使う。これでどうじゃ!」
 びしっと指をさしてきた火影はこれはいい案じゃとご満悦だが、イルカはぞぞっと総毛だった。
「へ、へんたーい!」
「冗談じゃ冗談。そんな愛情のないものでは駄目じゃ」
「冗談でもやめてくださいよ〜」
 イルカはどっと疲れて応接用のソファに座り込んだ。
 火影に宣言してはいないが、イルカなりに考えたのだ。カカシにセーエキを与えるのではなく、きちんと育てたいと。だが頑固なカカシに気持ちがしぼむのも確かだ。
「この間、散歩の途中でナルトに会ったんですよ。なんかそれからずっと機嫌悪くて」
「なんじゃ。理由がわかっておるならなんとかせい」
「ですから、なんでナルトと会うと機嫌が悪くなるんですか。わけわかりませんよ」
「ナルトをかわいがっていたのが気にいらんのではないか」
「かわいがるって、俺はカカシのことだってそれなりにかわいがってますよ」
「それなりにというのが気に入らんということじゃ。子供は聡いものじゃ」
 知ったような火影の言いように反論しようとしたイルカだが、火影のほうが早かった。
「アカデミーで幼年クラスを担当したこともあるはずじゃな。その時のことを思い出してみるがよい。子供らは大人の愛情の向きを敏感に感じとるものじゃ」





 火影の言葉に全面的に同意したわけではないが、夕刻の帰りの道すがらイルカはつらつらと考えた。
 確かに、子供たちは大人の愛情を少しでも多く自分に向けたくて、必死な時があった。
 イルカが手のかかる子の面倒を見ていると贔屓だなんだと騒ぎたて、そんな子たちも自分に注意が向いてくるとそこをすかさず愛情を独り占めしようとべったりとなる。
 カカシは見かけは子供だが、一丁前に大人の口をきくからイルカは手を抜いていたかもしれない。ナルトのことを贔屓している自覚もある。そんなイルカのことをカカシは敏感に感じ取って、不機嫌だというのか。
 かといってナルトを邪険にする理由もなく、こうなったらカカシが成長するまではナルトとは一楽のラーメンも行かずに耐えるかと、イルカなりに気持ちを固めて家のドアを開けた。


「ただいまー。カカシー、帰ったぞー」
 必要以上に明るい声を出して部屋をのぞいた。
 電気がついていたからてっきりカカシがいると思ったが、もぬけのから。舌打ちしたい気持ちを堪えて、探しに行こうときびすを返したイルカの前に、顔を汚したカカシがちんまりと立っていた。
 両手いっぱいつかって、カカシの体躯とほぼ同じくらいの大きな猫を抱いて。
 カカシにぶら下がるようにして、緊張感なく腹をさらして抱きしめられた猫は短い毛並みだがほわほわしている。灰色の毛は、それが汚れなのか天然の色なのか微妙な色合いだった。
 とりあえずしゃがんでカカシと視線を合わせたイルカは、おかえりと優しく笑いかけた。
「この猫、どうしたんだ。捨て猫か? でもここは教員住宅だから飼えないんだ。ごめんな」
 カカシは口を尖らせたままだ。ぎゅっと猫を抱きしめる。猫はうなーと暢気な声で応える。
「カカシ、今朝は悪かったな。ごめん」
 カカシの顔の汚れを拭ってやる。きゅっとカカシは口を結ぶ。丸い柔らかな頬に、精一杯の虚勢に、不意にわき上がる愛しさ。イルカはなんとなく背中がこそばゆいような感覚を覚えた。
「俺さ、ほら、独身男だから、子供にどうやって接したらいいかよくわかんねんだよな。アカデミーで教師してるけど、やっぱ子供って……、むず、むず……――」


「むずむずするっ」


 ぴょーんと黒いものが飛ぶ
 ぎゃーとイルカも飛び上がった。
「猫! その猫! 蚤だ! 絶対蚤だ!」
 イルカは玄関でのたうつ。
「カカシ! こら! その猫どっかやれ!」
 イルカは狂ったように体をかきながら叫ぶ。
 そんなイルカを見つめていたカカシは久しぶりに見る満面の笑顔で猫を抱えたままとことこと部屋に入る。
「ああっ! 待てっ! やめろ!」
「にゃんにゃん。にゃんにゃん。かわいいねー」
 毛並みにすりよるカカシ。ごろごろと喉を鳴らす猫。カカシはなんともないのか猫と布団の上で戯れている。イルカが眠る布団の上で。
「カーカーシー! 痒いー!!!」
 脳裏にはカカシを罵倒する声が飛び交っているが、それを言葉にできないほどの痒みに悶えてイルカは撃沈した。





つづく。。。