□ 愛のたまご 5




 寒さが続いていた冬の合間に珍しくもきれいに晴れ渡った日があった。
 休みの日。早起きしたイルカは布団に丸まったままのカカシを叩き起こした。
「カカシ。カカシ。行くぞ。出かけるぞ」
「なんだよ〜。俺眠いから寝てるー。勝手にどこでも行けよ〜」
 カカシはぐずってますます毛布にくるまってしまうが、イルカはそれを力まかせに引っぺがした。
「散歩だよ。一緒に、散歩行こうぜ」


 喜々として告げたイルカにカカシは嫌そうに顔をしかめた。


 準備は万端だ。
 ちまたで人気の子供用のくまの着ぐるみを着せて、口にはおしゃぶりをしゃぶらせる。
 むきたての卵のようなつるりとした肌がぷっと膨れている。唇はつんと尖っている。色違いの目がイルカを不満そうに睨みつけている。
 しかしイルカは鼻息も荒くご満悦だ。
 うちゅーっと頬に吸い付いた。
「よーし。散歩に出発だー」


 カカシと和解してからそれなりにコミュニケーション、スキンシップを深めてきた。
 一緒に寝起きして、抱っこしてたまにはキスもして。そうして過ごすうちにイルカもそれなりにカカシへの愛情が芽生えてきた。なんと言ってもカカシは黙っていればかわいらしい子供だ。子供と親の身近なスキンシップといえば散歩しかないではないかとイルカはその機会を狙っていたのだ。
 ごちゃごちゃとした往来は避けて、河原を臨める土手を歩いていた。土手を滑る子供たちの声やら、何が釣れるのか、のんびり釣り糸を垂らす人々もいる。子供やら犬を連れて同じく散歩をしている人々とは気さくに挨拶を交わし、カカシのことをかわいいとほめてくれる人にはイルカもいえいえと謙遜しつつも極上の笑顔で応えた。


「いやー。いい天気だなカカシ。最高の散歩日和じゃねえか」
 ちゅっとイルカはカカシの頬にキスをしたが、カカシは顔をそらしてしまった。
「なんだよ。機嫌悪ぃな〜。大サービスだぞ。抱っこしてるし、ちゅーもしてやってるしな」
 カカシはおしゃぶりをむんずと掴むと、甲高い声で言い立てた。
「俺はこんな子供だましは嫌なんだよ。言ってるだろ。俺が手っ取り早く成長するにはイルカのセーエキが……」
「しっ!」
 イルカは破廉恥な言葉が往来の真ん中で響き渡る前にカカシの口におしゃぶりを戻した。
 むごーっとうなったカカシは怒りゆえか両手を振り回し足をばたばたとさせて暴れる。普段大人ぶっているくせに、こんな時ばかりは本当の子供のように聞き分けがない。
「こら、カカシ。いい加減にしろ」
 むずがるカカシは顔を真っ赤にして体をのけぞらせる。力まかせの暴れっぷりに、イルカの抱きかかえる手がずれる。体はよろける。
 生来短期なイルカはかっとなって手を挙げそうになった。


「こらっ」
「イルカ先生だってばよ〜」
 そこに聞こえたのはよく知った声。
 振り返れば、ナルトが笑っていた。
「何してるんだってばよ」
「な、何って」
 イルカがどう言おうかと考えているうちに。ナルトの視線はのけぞったままのカカシに向いていた。
 腕を組んだナルトは首をかしげる。
「イルカ先生の、隠し子?」
 イルカは大きくため息をついていた。
「お前ぇはなんだってそんな知識があるんだよ」
「うーそうそ。イルカ先生がもてないのは俺が保証するってばよ。だから隠し子なんているわけないってばよ」
「そんな保証されたかねえよ」
 脱力するイルカをおいて近づいてきたナルトはのけぞったままのカカシをじっと見つめる。ほとんど逆さになっていたカカシにナルトはにっと笑いかけた。
「よう。俺ナルト。お前は?」
「あああのな、ナルト。こいつは、カカシって言ってな、俺の、知り合いの子供で、最近ちょっと預かっているんだ。まだ小せぇから話せねえんだよ!」
 カカシがよけいなことを言わない前にイルカは慌てて口をはさむ。カカシのことを抱え直してなんとなくぎゅっと抱きしめナルトから隠すようにした。カカシはなぜかイルカに頭をすり寄せてぎゅっと力をこめて抱きついてきた。


 ついさきほどまでの機嫌の悪さはどうしたのか。
 カカシは笑顔でイルカにすりすりとしている。よくわからないが機嫌が直ったのならいいかと思い、イルカもカカシのふわふわの髪を撫でてやった。するとさらにカカシの笑顔は輝いた。
「イルカ先生〜。俺も抱っこ〜」
「はあ?」
 ナルトが、イルカの上衣の端をくいくいっと引っ張る。口を尖らせたナルトがじっとイルカのことを見ている。
「な〜に言ってんだよ。ナルトは、もう、10才……」
 はたとイルカは気がついた。


 ナルトは、もう、10才ではない。まだ、10才なのだということを。
 イルカがナルトを担任するようになってからまだ2年も経っていない。最初の頃のナルトはずいぶんとすさんだ感じの、まるで大人のような冷めた目をしていた。九尾の器として、心ない大人たちからの仕打ちを受けた結果、ナルトはそんな目をした子供になってしまったのだろう。愛情をたくさんもらって育ててもらったわけではない。そんなナルトが、イルカには心を開いてくれている。イルカもナルトがかわいい。
 抱っこくらい、とイルカが思っているうちにせっかちなナルトは飛びついてきた。
「こらっ……、ナルト」
「そいつを抱っこしてるから俺はおんぶでいいってばよ!」
 イルカの背に無理矢理しがみついてナルトは楽しそうに笑っている。無邪気な笑顔に苦笑したイルカはカカシを抱き留めていた手の片方をナルトを支える為に背に回してやった。
「お前ぇ、重いぞ。ちゃんと鍛錬してるのか?」
「してる。毎日びっちり。なんてったって俺の夢は火影だかんな」
「よっく言うぜ」
 ナルトもイルカの背に頭をすり寄せてくる。イルカの顔も自然とゆるむ。


「おまえなんかが火影になれるわけねえよ」


 降ってわいたような声に仲良く笑っていた師弟はそのまま固まった。
 イルカが後ろに向いていた顔を前に戻せば、剣呑な顔をしたカカシがおしゃぶりを斜にくわえていた。
「イルカ先生、今のは……」
「いいい、今のはだな! 今のは!」
 この子供、カカシが言ったんだぞ、と言っていいのか悪いのか、火影に箝口令を敷かれているような気もするがそうでなかったような気もして、咄嗟の判断ができずにイルカの思考はぐるぐる周り、意味のない愛想笑いをナルトに向けた。


「やってられっかよ」
 べっと何かを吐き捨てる音がした。
 再びイルカが顔を前に向ければ、カカシはおしゃぶりを地面に吐きだしていた。そのままイルカの腹を蹴って着地する。
 おしゃぶりを憎々しげに小さな足で踏みつける。両手を着ぐるみのポケットに突っ込んで、けっ、と唾を吐いた。
「あー胸くそ悪ぃ。何なんだよお前ぇらよ。おいイルカ、お前、そのガキにだったらセーエキ飲ませそうだよな。この変態教師。ばーかばーか」
 反応できずにいるイルカの足をカカシは蹴った。そしてイルカの背にへばりついたまま同じく固まっているナルトのことをじーっと陰湿な目つきでしばし見つめて「死ね……」と陰にこもった声で呟いた。
「じゃあな。この変態師弟」
 カカシはやくざな男が歩くような大股でどすどすと去って行った。




 いい天気だといっても、季節は冬。
 太陽が隠れて日が落ちればやはり冷える。薄着で立ち続けていれば風邪を引くかもしれない。
 そんなことはわかっているが、イルカとナルトは意識を飛ばしていた。二人そろって盛大なくしゃみをした時になってやっと呪縛が解けた。
「イルカ先生、俺、なんか、すごいもん、見た気がする。なんだったんだってばよ……」
「俺、変態に、変態って、言われちまった……」
 独り言のような二人のつぶやきを風がさらっていった。





つづく。。。