□ 愛のたまご 4
「イルカーイルカー腹へったー」
寝坊した。あと一分で家を出なければならないのにカカシはイルカの足下にまとわりつく。
「時間がないんだよ。昼休みに戻ってきてやるから」
「そしたら俺死んじゃってるかも……」
カカシはぽつりと口にする。
玄関で脚絆をはいていたイルカはぴたりと動きを止めて振り向いた。
目の前に立ついたいけな子供。幼児体型でおなかが丸くつきでてちんまりとした子供は大きな目をうるりとさせてイルカをひたと見つめる。
時間がないのに一瞬にしてイルカの脳裏には過日の出来事がよみがえった。
カカシとの生活が始まってすぐの頃、どうしても最初はとまどいがあり、邪険な態度をとってしまっていた。カカシは懲りずにまとわりついていたがイルカはあっさりと無視していた。
日々カカシは力をなくしていったが、たいして気にもとめていなかった。なんといっても妖精なのだから死にゃあしないだろうと高をくくっていたら、本当に死にそうになった。
ある朝、起きあがってこなかったカカシがさすがに心配になって、昼休みに戻ってくれば、カカシは布団の中で冷たくなっていたのだ。
その時の衝撃といったらなかった。
精の付くものを、と両手にいっぱい買い込んできたスーパーの買い物袋は手からすべり落ち、イルカはがんと頭部を殴られたような衝撃を受けた。目の前がくらくらとなって息ができなくなる。喘いで、胸が苦しくて膝をつく。
見た目は一才児の子供が、布団の中で丸く冷たくなっているなど許されるわけがない。まるで幼児虐待で子供を死なせる馬鹿親ではないか。カカシは変態妖精だからつい冷たくしてしまっていたが、元来子供好きなイルカに耐えられることではなかった。
「カカシー……」
いざりよって、布団の中のカカシを抱き上げる。小さな、冷たい体。
イルカの視界はぶわあっと溢れた涙で見えなくなった。
「カカシー、俺が悪かったー。ごめん、ごめん……! 俺、おまえに優しくすればよかった。許してくれよお……」
号泣するイルカの耳に、か細い声が届く。
「……はん、せい、してる、なら、ちゅ、ちゅう、して、くれ」
「ああ。ちゅうくらいいくらでもしてやる」
空耳に導かれてイルカはかき抱いたカカシの口を塞いだ。
その途端。
命を失ったはずのカカシの手が上がる。精一杯のばされてイルカの頭部をがっちりと押さえた。
あせったのはイルカだ。
死んだとばかり思っていた妖精はちゃっかり舌をつっこんで、じゅーじゅーとイルカの唾液をむさぼり出す。しびれるくらいに吸われて、たこのように唇をひっぱられ、きゅぽんと音を立てて引きはがした時には、カカシは満足げに頷いていた。
「ごっそーさん。あー生き返った」
ぺろりと口を舐めたカカシは元気いっぱいにイルカの腕から床に着地した。
「おーれちょっと遊んでくるー」
無邪気にカカシは走って行った。
イルカはその場でへなへなとくずおれる。
おのれ変態妖精め、と歯ぎしりしても後の祭りだった。
それ以来イルカは今まで以上に警戒して、だまされるものかと気を張っていたが、それでもイルカが何かを与えないことにはカカシが力を失うのは確かで、警戒しつつも、手ずから食べ物を与え、たまにはキスしてやっていた。
「ねーイルカー。俺ずっと我慢してたんだぞ。ちょっとだけちゅうしてくれよ。そしたら多分大丈夫だから」
一才児が、両手を広げて、だっこのポーズをとる。とびきり見た目はかわいい一才児が。
警戒しつつも、イルカはそろそろと手を伸ばす。
「えへへ」
つやつやの頬を桃色に染めて、カカシは口をすぼめる。
かわいらしく、ちゅっとするだけだ、とイルカも口をとがらせる。
そしてまたやられた。
目にもとまらぬ早さで動いたカカシのもみじの手は、イルカの口の端をがっちりと押さえて引っ張った。間抜けにも平たく開いたイルカの口の中にカカシの舌が進入する。
そこからはいつものごとく、さんざん唾液を吸い取られ、イルカは息も絶え絶えにぱったりと倒れた。
「おーい中忍。急がないと遅刻するぞー」
ぺしぺしとカカシの手がイルカの頭部を叩くが、己の馬鹿さ加減がさすがに嫌になったイルカはそのまま玄関を涙で濡らした。
日々カカシとの攻防の生活はいったいいつになったら終わりを迎えるのか、イルカはある夜、膝の上に抱えたカカシにスプーンで麻婆どんぶりを食べさせてやっていた時に問いかけてみた。
「お前ぇ、いったいいつになったら成長するんだよ」
イルカの適当な料理をカカシはうまそうに食す。イルカの手から食べさせてもらうからだという。
適当な料理でも、うまいと言ってくれる者がいるのならそれなりに張り切るものだ。イルカのレパートリーは地味にではあるが増えつつあった。
んくんくと牛乳を飲んだカカシはこれがイルカのセーエキだったらとふざけたことを呟くから一発殴っておくことは忘れなかった。
「だってさあ、イルカがたいした栄養くれないから、俺いつまでたっても成長できるわけないじゃん」
カカシは唇を不満そうにとがらせる。
「栄養って、セーエキのことか……?」
「そうそう。セーエキセーエキ」
「セーエキかあ」
イルカはため息をつく。カカシからセーエキセーエキと連呼されているせいで、それは何かおいしい栄養たっぷりなもので、飲ませることなどなんでもないことのように思えてきたから不思議だ。
飲ませちまおうか、ちちらりと思ってしまったことにぶるぶると首を振る。
「今ちょっと飲ませていいかもと思っただろ」
カカシににんまりと図星を指されてイルカの顔は固まる。ごほんとわざとらしい咳払いをして誤魔化した。
「セーエキは駄目だ。それ以外のことなら善処する。何かないのか?」
「かーんたんだよ。俺と密接なコミュニケーションとればいいんだよ。密接な、念入りな、懇ろな、いちゃパラな……」
「い、いちゃパラ!?」
カカシはイルカにすり寄って上目遣いに視線を流してくる。色違いの目、作り物めいた顔。
体内からしみ出してくるような色気にイルカはぞーっと身を引く。子供の姿でこれなのだから、大人だったならと空恐ろしい。カカシの頬をつまんで引っ張った。
「子供がそんな顔をするんじゃない! なんだその破廉恥きわまりない顔は!」
「いへっ! いへーよイウカ!!」
子供はじたばたと暴れる。ムキになって、顔を赤くして、イルカの手の中で暴れている。
すべすべの頬が、小さな顔が、柔らかな髪がイルカの顔を微笑ませた。ぎゅーっと抱きしめた。
「カカシ、お前ぇもっとそんな風に子供らしくしてろよ。そしたら俺だってかわいがってやれるんだからな」
「なんだよいきなり。イルカのほっぺたざらざらしてるぞ! ひげ剃れよ!」
「ばかめ。これが大人の男ってもんなんだよ」
カカシが嫌がるから、イルカは面白くてすりすりとすべらかな頬になつき続ける。
最初は嫌がってたカカシもそのうち大人しくなり、イルカの胸の中で目を閉じた。
「イルカ、あったけえな」
目を閉じたまま小さく呟くカカシはただの子供で、人外の者だとはとても思えなかった。その暖かなぬくもりに、イルカは不意に思い出す。
カカシが産まれる前。ただの卵だった頃。イルカは卵をとてもかわいがっていた。まるで生きているもののように、語りかけて、慈しんだ。
それが、いきなり孵ってセーエキだと喚かれてしのび卵だと言われてイルカはカカシを邪険に突っぱねた。
カカシは、何も悪くないのに。
イルカは、カカシを強く抱きしめた。
「わかった、カカシ。俺、協力する。お前ぇとめいっぱいコミュニケーションとってやるからな」
「ホントか?」
がばりと顔を上げたカカシは満面の笑顔で無邪気に笑う。そう、まるで、天使のように。
「じゃあ……」
天使はイルカのアンダーの裾を思い切りまくり上げた。
「おっぱーい」
ちゅうっとおっぱいに吸い付いた。吸い付いたまま、石になったイルカを魔性の目線で見上げてぽつりと呟いた。
「乳首毛生えてるぞ」
つづく。。。