□ 愛のたまご 2




「おい。セーエキ飲ませろ」
 熟睡していたはずのイルカはぱちりと目を覚ました。



 □□□



 枕を抱えたまま、しばしの間イルカはぼんやりしまままぴくりともしない物体を見つめていた。

 何がなんだかさっぱりわからないが、あの卵がふつうでないことはよくわかった。
 ゆっくりと立ち上がると、イルカは割れた卵に近づいた。産まれた妖精もどきはうつぶせにつっぷしたまま、生きているのか死んでいるのかも判然としない。

 畳は粘着性の液体で汚れているが、だが今はそんなことよりも、この物体をどうにかしなければならない。イルカは慎重にチャクラを両腕にまといつかせた。そっと抱き上げる。生まれたての赤ん坊よりも大きい。そして目を閉じた顔の作りがしっかりとして、目を閉じていても整っていることがわかる。つるつるの肌に細く絹糸のような白銀の髪。

 不吉だ。この姿は不吉だ。
 イルカは嫌な予感を覚えつつ、窓から外に出る。これは自分の手に負えるものではない。向かうは火影の屋敷。預けて忘れてしまおう。それが一番だ。
 イルカはスピードを上げて夜の里をひた走る。妖精もどきの指先がかすかに動いて服をつかんだことに気づかぬまま、走った。



「イルカよ、おぬし珍しいものをもっておるなあ」
 夜中に押しかけたにもかかわらず、ほどなくして寝間着姿の火影が客間に現れた。寝息もたてずに腕の中にいる妖精を差し出せば、火影は目を細めた。

「これ、卵から孵ったんですよ。ちょっとやばそうなので俺の手に負えないと思いまして、お持ちしました」
 イルカの腕の中のものをじっと見ていた火影は含みのある表情でイルカのことを見た。
「その卵をどこから手に入れたのだ」
「この間火の国の大名のところに行った帰りですよ。屋台が出ていて、子供からもらいました。家においておいたんですが、暖めたのが悪かったのか、孵りました」
 まさかこんなことになるのならイルカは暖めたりしなかった。口をとがらせれば、火影は笑った。
「これはしのび卵じゃ」

「は? しのび卵? なんですかそれは」
 そこにちょうどいいタイミングで住み込みの手伝いのばあやがお茶を持ってきた。妖精を傍らに置き熱いほうじ茶をすすったイルカは一息つくことができた。
「で、しのび卵ってなんですか?」
「言葉のまま、しのびが産まれる卵じゃ」
「へええ。じゃあ人間じゃないんですか?」
「いや。人間じゃ。しかも優秀なしのびが産まれる卵じゃ」
「人間、いえ、ほ乳類といのは卵から産まれるものではないはずですが」
「卵から産まれることもある」
「へえ。そうなんですか」
 へらっと笑ったイルカは飲み干した湯飲みを勢いよく盆に置いて立ち上がった。
「じゃあそのしのびをお預けしますので、火影様が丁重に育ててください」
「待てイルカよ。何も疑問はないのか。人間が卵から産まれるのじゃぞ」
 一応立ち止まったイルカは、振り向いて、火影のことを見下ろした。
 年長者、里で一番偉い人間に対する礼儀などどこかに追いやった。罵声をはき出そうとする口にストップをかけているだけでも自分としては立派なことだ。火影はイルカからのつっこみを待っているのか、皺の多い顔の中、瞳はきらきらと若者のように輝いていた。
「まったく! これっぽっちも! 疑問なんかあ・り・ま・せ・ん。ここは忍の里であるわけですから、なーんでもありですよ。きっとすっばらしい忍になることでしょうね。あー俺も卵から産まれたかったなあ。あー残念だ」
 くるりときびすを返したイルカの足を、はっしとつかむ手がある。思いがけず強い力に立ち止まれば、妖精が、小さな手でイルカの足下の裾を握っていた。目が覚めているわけではない。きちっと閉じられたまつげの長い目元はぴくりとも動かない。しかしイルカは無情にもその手を引きはがす。すると今度はイルカの右手のひとさし指となか指をぎゅっと握る。意外に強い力ではあったが、それも容赦なくはがす。
「イルカよ、おぬし子供相手に冷たいのお」
「これは子供じゃありません。正体不明の妖精もどきです。俺はやっかいごとはいやなんです」
 妖精は眠ったままだが両手をにぎにぎとさせて、イルカをつかもうとしている。イルカはささっと距離をとる。
「それじゃあ火影様、俺は帰ります。それ、頼みましたよ。俺はもう無関係ですからね」
「待て、イルカよ……!」
 火影の呼び止める声など無視して、清々した気持ちでイルカは外に出た。
 寒い夜風の中、気持ちは晴れ晴れと自宅に向かう。早く暖かい布団に潜ってぐっすり眠るのだ。明日は久しぶりの休みだし、最近あの卵のせいで眠りが浅かった。明日は惰眠をむさぼり家の片づけをしようとイルカの心は浮き立った。
 そして、さきほどの騒動のままの畳は少しかたして、飛び起きてまくったままの毛布にくるまった。
 体温の高いイルカはすぐに布団が暖まり、にんまり笑顔で眠りについたのに。
 耳元で吹き込まれた声にぱちりと目が開いたのだ。



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 横向きで寝ていたイルカ。目の前には、白っぽい物体がある。よーく見れば、人の顔だ。忍の視力を活用しようとかっと目を見開いて、まじまじ見れば、両目は赤と青の色違い。真っ白の顔。白銀色の絹のような髪。

 どこかで見た。しかもついさっき見た。
「おっさん聞こえないのかよ。さっさとセーエキ飲ませろって」
 がばりとイルカは身を起こした。そしてとっさに壁際に身を引く。
 妖精もどきだ。さきほど火影の元に置いてきた妖精もどきだ。それがなぜかまっぱで家にいる。

「おおおおおおお、おまえ、なっ、なんで、なんで、こここ、ここに、いるんだよっ」
「うるせー。そんなことどうでもいいから、まずはセーエキ飲ませろ」
 ずいっと妖精もどきはイルカに詰め寄る。気配がぴりぴりとして、座った目は剣呑で、怒っているのがわかる。

「せせせ、せーえきって、何だよそれ」
「おまえの」と言ってイルカの下肢を小さな手がぎゅむと握る。「ここから出す白いねばっこいやつだよ!」
「いっ!」
「なんだよ、いい年したおっさんなんだからエッチくらいしてるんだろーが。まあチェリーだとしても夢精で出したことくらいあるだろーが。ったく、面倒だなあ」
「エッチ……チェリー……むせい……」
 呆けたイルカは単調に呟いた。

 目の前にいるのは、間違いなく、子供だ。卵から産まれた時と同じで、やっと歩き始めた一歳児くらいのたよりない体をしているのに、口から出る言葉はだいの大人も顔負けのしっかりした、そして、下品な言葉だ。

 固まってしまったイルカに舌打ちした妖精もどきは、イルカのパジャマのズボンを下着ごと下ろそうと手をかける。
「ぅわあ!」

「あばれんなよ。おら、ズリネタは用意してやったからよ、さっさとマスかけ」
 妖精もどきはイルカの目の前にエロ本をばんと開く。イルカの目の前には、ヘアー丸わかりの肉感的で挑発するようなまなざしの女がいた。続いて開かれたページには、男女の生々しいまぐわい。
「うおっ!」
 変な声をあげたイルカはのけぞる。しかしのけぞりようがない壁際だからがんと頭を壁にぶつけてしまった。ちかちかと星が飛ぶ。

「なんだよこれじゃ駄目かよ。ったく中忍風情が生意気だっつーの。これで満足してろよな〜」

 エロ本を放り投げてぼやいた妖精もどきはがりがりといらだたしげに頭をかいたあと、おもむろに印を結んだ。どろんと現れたのは、まっぱだかの、美女。ぼんきゅっぽんの理想型。桃色の乳首に目がいってしまった途端、イルカは痛む頭を抱えたまま、ぶほーっと鼻血を盛大に吹き出して、倒れた。

 遠くで、声が聞こえた。悪夢の声が。
「ああ! こら! 鼻血じゃねえよっ。セーエキだっつーの! てんめえ、起きろっ。起きやがれえ〜!」
 今はイルカは安らかな眠りに身をゆだねることにした。





つづく。。。