□ 愛のたまご 18





 カカシを無理矢理術で眠らせて火影の元に運んだ。
 暖かなカカシの体を引き渡した時、すとんと心の中に落ちてきたのは名状しがたい空虚な何かだった。
 たまごをイルカに託した子供は寂しいのかと聞いてきた。
 あの不思議な少年には何かが見えていたのかもしれない。
 イルカはずっと寂しさを抱えて生きてきた。
 あの時からずっと。




 マンセルを組んだ当初は、年下のくせに実力が上の彼女を疎ましく思い、容姿に対してコンプレックスを抱く彼女のことをからかったりもした。
 それがいつからか、共に任務をこなし過ごす時間が増えるにつれて彼女の人となりを知り、惹かれている自分に気づいた。もともと疎ましさの中には裏返せば羨ましさがあったのだ。
 彼女も同じ気持ちになっていてくれた。互いの気持ちをはっきりと口にすることはなかったが、なんとなく心と体が寄り添って、このまま将来は共に生きていくのだろうと漠然と思っていた。
 アカデミーへと自分の道を選んだイルカと違って、彼女は順当にキャリアを重ねて、上忍になった。上忍になって初めての任務に旅立つ前に、彼女が訪ねてきた。互いの仕事が忙しく久しぶりの逢瀬だった。
 ゆるやかに体を重ねて眠りについた夜明け。出立する彼女を見送りにでたイルカに、戻ってきたら結婚しようと、彼女から言われた。
 朝日の中で照れくさそうに笑った顔。イルカはあっけにとられて間抜けにも口をしまりなく開けたまま口づけを受けた。
 約束。誓いの約束。
 逆光の向こうに去っていく彼女がまぶしくて、イルカは目を細めた。目尻からはなぜか一筋涙が落ちた。
 それが、あっけない結末。
 彼女は共に任務に赴いた上忍の裏切りにあい、適地で最後を遂げた。死体はかろうじて戻ってきたが、損傷が激しく無惨なものだった。



 彼女の死骸を、イルカはあえて見た。目に焼き付けた。
 抜け忍となった上忍は行方知れずとなったが、何年かかっても、生きているのなら、必ず殺す。それがイルカの生きる目標になった。
 その日から、イルカは寂しさを抱えて生きてきた。







 火影に特別に許しを得たイルカと、彼女の弟との任務。
 彼女の弟は諜報部隊に籍を置いていることを利用して裏切り者の上忍の行方をずっと追っていた。見つけた時には必ず共に出向いて男を殺すと、彼女の死骸の前で誓ったのだ。
 街道から獣道に入ると二人は走り出した。
 まっすぐに敵の元へと向かう。
 イルカの脳裏には少し薄れてきてしまった彼女の笑顔と、そして鮮明な、カカシの泣き顔が残った。



 今となっては悔やんでも仕方ないが、それでもイルカは悔やむ。
 カカシにもっともっと優しくしてやればよかった。
 それが、唯一の心残り。






 木の葉から西に向かって走った。
 草隠れやら雨隠れの里を超えた先に、未だ道の里、まだ名もない里ができていた。
 他里から抜けた忍たちを核とした裏切り者たちの里。それゆえか、寒空の下、彼女の弟、ナガレと見下ろす里は、地域的にあまり潤わない土地であることを差し引いてもどこか寒々として、嫌な気配がたちこめていた。重い空からは今にも雪が落ちてきそうだった。
「ここに、いるのか?」
「ああ。ここで、結構な地位にいる。統率力もそれなりにあるってさ」
 ナガレは淡々と事実を告げた。ちらりと伺う顔に表情はなく、里を見下ろしていた。
 彼女を通して知り合った当初はたった一人の身内である姉になつくかわいらしい少年だった。それが姉の敵を討つために諜報部に所属して、きっとこれまでの間に薄暗い任務も多くこなしてきてのだろう。イルカも裏切り者を探すために諜報部への転属を願い出たのだが、ナガレはそれを固持して、俺が探すと言い切った。確かに姉と同じように優秀だったナガレは諜報に向いていたのだろう。だが優秀であるということは過酷な任務も割り当てられる。それがナガレを損ねてしまっていないだろうか。もしそうならそれは悲しい。イルカは日常で生き、そのおかげで変わらずに居られたから。
 彼女といい、その弟といい、つくづくイルカはかばわれていたのだなと思った。
「なんだよ、何見てる」
「いや。あの男を殺したら、ナガレはどうするんだ?」
「別に。今までと何も変わらないさ」
「諜報部を、引くことはできないのか?」
「さあ。俺は別にどうでもいい」
「どうでもよくないさ。俺は、ナガレに幸せになってほしい」
 ぽつりとこぼしたイルカに、ナガレは振り向いた。
 イルカより六つくらい下だったはずだ。一瞬すさんだ雰囲気が薄れ、小さく笑った。笑うと無事な側の頬にえくぼがでる。彼女と同じだ。
「俺は、充分幸せだ。あの男を見つけて、殺すことができるんだからさ」
 口にすることは物騒でもナガレは穏やかに笑う。そのままの顔でイルカに問いかけてきた。
「イルカは、どうなんだ。この後、どうするんだ。もう結婚してもいいぜ。女とかいるんだろ」
「いねえよそんな人」
 肩をすくめて、脳裏をよぎったのはカカシ。
 戻ったら、何はともあれカカシに会いに行こう。会いに行って、一番だ、と告げてやろう。









 その里は常に抜け忍を募っていた。
 イルカとナガレも抜け忍としてその集団に所属すること ができた。ターゲットの男は集団の中で上層部の地位にいるためイルカたちと接することもなく、二人は下っ端として地道に言われるまま仕事をこなしていた。
 もちろん二人が最初から信じてもらえるわけもなく、最初の十日ほどは地下牢に入れられて、術をもっての自白を強要されていた。
 だが、二人とも火影てずからの強力な対抗催眠をすでに施してもらっていた為、哀れで無害な抜け忍として受け入れられた。


 10日の間。
 イルカはナガレと離されて術と薬でもうろうとなったまま地下牢で昼夜の別がつかない眠りについていた。記憶は脈絡なく幼い頃に戻ったかと思えば急に成長し、かと思うと未来の自分かと思われるように幾分年老いた姿がいたりした。
 そんな中まるで光のように鮮明にイルカの脳裏をしめたのはカカシ。いろんな姿をしたカカシがイルカに笑いかけていた。







 ぱちぱちと火のはぜる音がする見張り当番の夜。
 その日は草隠れとのつながりが結ばれた祝宴が小規模ながらも催されていた。下っ端の二人は寝ずの見張りを命ぜられたが、里は浮き立った気分になっていた。
 目の前で火は熱く燃えているが、大気は冷えて、イルカは小さなくしゃみをした。季節は冬。そういえば、カカシを、いやたまごをもらったのは寒い雪の日だった。
「イルカ」
 またカカシへと意識が向かいそうになったところで向かい側にいるナガレが声をかけてきた。橙色の火にあてられてどこかぼんやりと、年相応な顔に見せていた。
「言っておくが風邪じゃあないからな。鍛錬は怠っていない」
 イルカが鼻の傷をかきながら告げればナガレは苦笑した。
「ばか。誰もそんなこと言ってないだろ」
 そうじゃなくて、とナガレは思いがけないことを口にした。
「火影様に聞いた。しのび卵を育ててるって」
「たまごのこと、知ってるのか?」
 驚いてイルカが目を見張ると、ナガレは少しは、と頷く。
「これでも諜報活動が専門だからな、まあ、裏事情というか、そんなたいそうなものじゃないけど、聞いたことはある」
「あれは、たまごは何なんだ。カカシは、あ、俺のたまごはカカシって言うんだけどさ、そいつが……」
 イルカはの表情は自然にゆるむ。
「いきなりたまごから孵ったらさ、セーエキ飲ませろとか言って、で、そんなもん飲ませられるわけないだろ。なのにいつも喚いてさ、そうかと思うといきなり成長したり猫耳とか生やしてほんと、わけわかんねーって感じで」
 声を大きくして語るイルカをナガレはじっと見ていた。その静かな表情に彼女の面影を見て、イルカは急に黙り込む。
「なんだよ、続けろよ。で、その後どうなったんだ」
「いや、別に。一度成長したけど、またたまご戻ったりとかで、出発の直前にまた、孵って」
 言いよどむイルカにナガレは笑った。
「なんだそれ。そんなしのび卵聞いたことない。普通はあれはくの一の元で生育するってことだけどな。で、ひと月くらいで順当に成長して、巣立っていく。皆優秀なしのびになるから暗部に所属したり、人知れず任務をこなすって言うけどな」
「例外だあいつは。だいたいしのび卵生まれの猫だっているんだからな」
「へ〜。それはじゃあ口寄せとかで使うのか? それとも忍としての地位を与えられるのか?」
「いーや。ただのペットだったなあれは」
 なんとなく背中がむずむずとしてイルカは背筋を伸ばす。イルカをずいぶんと手こずらせてくれた猫だったが、里に戻ってくれていればいいと今は思う。そうしたらカカシの相手をしてくれることだろう。
 ここにきてから不意の物思いはいつもカカシだ。
 聞いた話だけどな、と前置きしてナガレは話し出した。
「しのび卵は、過去の亡霊だって話がある」



 イルカの知るたまごからはほど遠い言葉。イルカは口の中でぼうれいと言ってみる。なんだか別の世界の言葉のようだ。
「力があってもしのびなんてあっけなく死んじまう。そのしのびたちの遺体の使えそうなものを禁術によって寄せ集めてたまごにしたんじゃないかってさ」
 気味の悪い話をナガレはさらりと口にしてくれる。ぶるっと震えたイルカだがナガレは淡々と続けた。
「けど俺は思う。しのび卵を作った奴らってのは、大切な人間を失ったんじゃねえかってな。たとえかけらでも生きていて欲しいって思って、作ったんじゃねえかって。たまごが愛情に反応して孵って育つのがその証拠だと思う。
 それに、しのび卵生まれの奴は情が濃いって言うしな。すっげえ愛されていたから、情も深くなるんだろ」
 ナガレの言葉には明らかに姉に対する思いがあった。なんとなくイルカはごろりと横になって、目を細めて星の瞬きをとらえようとする。煙に視界が邪魔されて見えたものではなかったが。
「かけらになってもか……」
 里に帰還した彼女はまさに肉といってもいいような様相を呈していた。彼女だと判断できたのは脛にあった少し大きめの痣のおかげ。忍でなければ、いや忍でも、顔を背けたくなるような遺体だった。
 ナガレと二人で向かい合った時、悔しくて、彼女が哀れでかわいそうで涙が溢れたが、嫌悪なんてものは全くわかなかった。あんな姿をひょっとしたら彼女はさらしたくなかったかもしれない。だがイルカたちにとっては、戻ってきてくれたことに、ありがとうと言いたかった。
 たとえ、肉片でも。
 それが愛する者なら。
 イルカは腹の底から息を吐きだした。なにやらよけいなところにはいっていた力が抜けていくようだ。
「俺も、ナガレの意見に賛成だな。カカシの奴さ……」
 言葉を続けようとしたが、イルカはひっそりと笑った。興に乗って話しだしたらあらぬことまで口にしてしまいそうだった。
「なんだよ。カカシって奴がどうしたんだよ」
「なんでもねえよ」
 あんなにも好きだと言ってくれたカカシ。それはとても勇気のあることだったのだなと思う。まあカカシは何も考えていなかったかもしれないが。
「ああーカカシに会いてぇなあ」
「かけらになってもか?」
「まさか」
 イルカはカカシの笑顔を思い出して、笑う。
「俺はちゃんと生きてあいつに会いに行ってやるんだよ」








つづく。。。