カカシを無理矢理術で眠らせて火影の元に運んだ。
暖かなカカシの体を引き渡した時、すとんと心の中に落ちてきたのは名状しがたい空虚な何かだった。
たまごをイルカに託した子供は寂しいのかと聞いてきた。
あの不思議な少年には何かが見えていたのかもしれない。
イルカはずっと寂しさを抱えて生きてきた。
あの時からずっと。
10日の間。
イルカはナガレと離されて術と薬でもうろうとなったまま地下牢で昼夜の別がつかない眠りについていた。記憶は脈絡なく幼い頃に戻ったかと思えば急に成長し、かと思うと未来の自分かと思われるように幾分年老いた姿がいたりした。
そんな中まるで光のように鮮明にイルカの脳裏をしめたのはカカシ。いろんな姿をしたカカシがイルカに笑いかけていた。
ぱちぱちと火のはぜる音がする見張り当番の夜。
その日は草隠れとのつながりが結ばれた祝宴が小規模ながらも催されていた。下っ端の二人は寝ずの見張りを命ぜられたが、里は浮き立った気分になっていた。
目の前で火は熱く燃えているが、大気は冷えて、イルカは小さなくしゃみをした。季節は冬。そういえば、カカシを、いやたまごをもらったのは寒い雪の日だった。
「イルカ」
またカカシへと意識が向かいそうになったところで向かい側にいるナガレが声をかけてきた。橙色の火にあてられてどこかぼんやりと、年相応な顔に見せていた。
「言っておくが風邪じゃあないからな。鍛錬は怠っていない」
イルカが鼻の傷をかきながら告げればナガレは苦笑した。
「ばか。誰もそんなこと言ってないだろ」
そうじゃなくて、とナガレは思いがけないことを口にした。
「火影様に聞いた。しのび卵を育ててるって」
「たまごのこと、知ってるのか?」
驚いてイルカが目を見張ると、ナガレは少しは、と頷く。
「これでも諜報活動が専門だからな、まあ、裏事情というか、そんなたいそうなものじゃないけど、聞いたことはある」
「あれは、たまごは何なんだ。カカシは、あ、俺のたまごはカカシって言うんだけどさ、そいつが……」
イルカはの表情は自然にゆるむ。
「いきなりたまごから孵ったらさ、セーエキ飲ませろとか言って、で、そんなもん飲ませられるわけないだろ。なのにいつも喚いてさ、そうかと思うといきなり成長したり猫耳とか生やしてほんと、わけわかんねーって感じで」
声を大きくして語るイルカをナガレはじっと見ていた。その静かな表情に彼女の面影を見て、イルカは急に黙り込む。
「なんだよ、続けろよ。で、その後どうなったんだ」
「いや、別に。一度成長したけど、またたまご戻ったりとかで、出発の直前にまた、孵って」
言いよどむイルカにナガレは笑った。
「なんだそれ。そんなしのび卵聞いたことない。普通はあれはくの一の元で生育するってことだけどな。で、ひと月くらいで順当に成長して、巣立っていく。皆優秀なしのびになるから暗部に所属したり、人知れず任務をこなすって言うけどな」
「例外だあいつは。だいたいしのび卵生まれの猫だっているんだからな」
「へ〜。それはじゃあ口寄せとかで使うのか? それとも忍としての地位を与えられるのか?」
「いーや。ただのペットだったなあれは」
なんとなく背中がむずむずとしてイルカは背筋を伸ばす。イルカをずいぶんと手こずらせてくれた猫だったが、里に戻ってくれていればいいと今は思う。そうしたらカカシの相手をしてくれることだろう。
ここにきてから不意の物思いはいつもカカシだ。
聞いた話だけどな、と前置きしてナガレは話し出した。
「しのび卵は、過去の亡霊だって話がある」
イルカの知るたまごからはほど遠い言葉。イルカは口の中でぼうれいと言ってみる。なんだか別の世界の言葉のようだ。
「力があってもしのびなんてあっけなく死んじまう。そのしのびたちの遺体の使えそうなものを禁術によって寄せ集めてたまごにしたんじゃないかってさ」
気味の悪い話をナガレはさらりと口にしてくれる。ぶるっと震えたイルカだがナガレは淡々と続けた。
「けど俺は思う。しのび卵を作った奴らってのは、大切な人間を失ったんじゃねえかってな。たとえかけらでも生きていて欲しいって思って、作ったんじゃねえかって。たまごが愛情に反応して孵って育つのがその証拠だと思う。
それに、しのび卵生まれの奴は情が濃いって言うしな。すっげえ愛されていたから、情も深くなるんだろ」
ナガレの言葉には明らかに姉に対する思いがあった。なんとなくイルカはごろりと横になって、目を細めて星の瞬きをとらえようとする。煙に視界が邪魔されて見えたものではなかったが。
「かけらになってもか……」
里に帰還した彼女はまさに肉といってもいいような様相を呈していた。彼女だと判断できたのは脛にあった少し大きめの痣のおかげ。忍でなければ、いや忍でも、顔を背けたくなるような遺体だった。
ナガレと二人で向かい合った時、悔しくて、彼女が哀れでかわいそうで涙が溢れたが、嫌悪なんてものは全くわかなかった。あんな姿をひょっとしたら彼女はさらしたくなかったかもしれない。だがイルカたちにとっては、戻ってきてくれたことに、ありがとうと言いたかった。
たとえ、肉片でも。
それが愛する者なら。
イルカは腹の底から息を吐きだした。なにやらよけいなところにはいっていた力が抜けていくようだ。
「俺も、ナガレの意見に賛成だな。カカシの奴さ……」
言葉を続けようとしたが、イルカはひっそりと笑った。興に乗って話しだしたらあらぬことまで口にしてしまいそうだった。
「なんだよ。カカシって奴がどうしたんだよ」
「なんでもねえよ」
あんなにも好きだと言ってくれたカカシ。それはとても勇気のあることだったのだなと思う。まあカカシは何も考えていなかったかもしれないが。
「ああーカカシに会いてぇなあ」
「かけらになってもか?」
「まさか」
イルカはカカシの笑顔を思い出して、笑う。
「俺はちゃんと生きてあいつに会いに行ってやるんだよ」
つづく。。。