□ 愛のたまご 15




 カカシを連れて火影の執務室を訪れた。
 カカシには中忍以上に支給される忍服を着せて、まだ朝の早いうちに連れてきた。
 予期していたことではあるが、成長したカカシは男から見てもいい男だった。嫌みなくらいに整った顔で、物言わぬ横顔だけで女を打ち落とせそうだ。
 イルカの視線に気づいたのかカカシは顔をあげて、にこりと笑う。それがまたきれいな笑顔で、意味もなくイルカは自分の劣等感が刺激されそうだ。
「なに? 俺の顔おかしい?」
「いーや。いい男だなって思ってさ」
「ほんと? イルカにそう言ってもらうと嬉しいな」
 嫌みが通じない。カカシは本気で喜んでいる。なんとなくイルカは足を速めた。
 イルカは気恥ずかしい気まずい気持ちを抱えたままなのに、カカシはなんとも思っていないのだろうか。あんな、交わりをしてしまったというのに……。



 昨夜の交わりでカカシは一気に成長した。
 今度こそ本当にイルカの元から巣立つ時だと思い、火影の元に連れてきたのだ。



「これはまたいい男じゃのお」
「火影さまに褒められても嬉しくないですね〜」
 カカシは猫背のまま肩をすくめる。
 あくびをして窓の外の光に目を細める。こら、とイルカが肘でつつけば、ごめ〜んね、とかわいらしく小首をかしげて笑う。
「火影さま、ごらんの通り、カカシはここまで成長しました。なので、そろそろ俺もお役ご免だと思うんです」
「やだ」
 続けようとしたイルカの言葉は、カカシによってあっさりと遮られた。
 え? とイルカがカカシを振り返れば、カカシは口を尖らせてイルカのことをしめった目で見ていた。
「俺、まだ完全体じゃないよ。まだだよ」
「え。充分だろ? もう、立派に……」
「確かにあそこは立派になったと思うよ〜。イルカも身をもってわかってくれたと思うけど」
「カカシ!」
 イルカはあわあわと手を振り回すが、カカシはつーんと横を向いてしまう。イルカは仕方なく二人のやりとりを黙って見ていた火影に助けを求めた。
「火影さま、まだ、俺がカカシを育てるんですか?」
「ふむ。カカシ自身がそう言っておるしな」
「そんな。そんな理由ですか?」
 イルカは慌てて火影に詰め寄るが、火影は困ったように笑う。
「何しろ、しのび卵の実態は、まだつかめておらぬからの」
「つかめていないって! だいたいからして解明する気ないんじゃないですか」
「いやいや。そんなことはないぞ。判明しておるしのび卵生まれの忍からは情報を仕入れて研究は進んでおる」
「火影さま」
 プロフェッサーとも言われる火影に神妙に告げられて、情けなくイルカは肩を落とす。カカシは喜々として口をはさんできた。
「じゃあ俺たち帰りますね。あ、これからはもっとレベルの高い任務にも出れます。いつでも声かけてください」
 落ち込むイルカの手を引いたカカシは執務室をさっさと後にしてしまった。



 カカシの右目には炎の模様が浮き上がり、それは写輪眼といって、本来なら血継限界で現れるものだという。それは隠すようにとの火影の指示で、左目の上に額宛を装着したカカシは歴戦の忍の風格を漂わせていた。
 身長はイルカとほとんど同じだ。顔も下半分は口布で隠し、猫背で歩く姿だが、アカデミーの方へ向かう廊下ですれ違う忍が振り返る。感じ取るものがあるのだろう、男女問わずもの問いたげなまなざしを向けてきた。
 傍らでそのさまを見つつ、ついイルカはため息をついてしまう。
 昨晩の交わり。いきなりの急激な成長。子供だったはずの姿がいきなり大人になったことがやはりとても衝撃で、あまりカカシのことを直視できなかった。
「カカシ。俺これから仕事だから」
 アカデミーへと続く右側と外にでる左側のT字路の廊下の真ん中で、じゃあ、とそっけなく手を振って行こうとしたイルカの手首をカカシは掴んできた。
 じっと、開いている片方の目でイルカのことを見つめる。イルカはいたたまれなくてさりげなく目をそらす。



「俺のこと、避けてない?」
「避けるなんて。そんなわけないだろ」
「なんで避けるの」
「だから、避けてなんて……」
 大きく手を振りつつ、イルカはこれじゃあ逆に避けてますと言ってるもんだと気づく。そう気づくと取り繕っても仕方ないと思い直した。
「悪ぃ。正直、とまどってる。いきなり、大人になったからさ」
「まだ、大人なんかじゃない」
「何言ってる。こんななりして」
 イルカはカカシの二の腕を横からとんと叩いた。固い筋肉にあたる。もう子供の頃のような柔らかさはない。
「カカシが、まだ完全体じゃないってんなら、俺は最後まで付き合う。それは約束するから、ちょっと、整理つくまで不審な態度とっちまっても勘弁してくれ」
「なんで? 俺は俺だよ。何も変わってない」
「変わっただろ?」
「イルカ!」
 聞き分けのない子供のようにカカシは声を荒げる。
 イルカはきゅっと口を引き締める。声を荒げて、何か、何でもいい、叫びたいのはこっちだと言うのに。
「イッルカせんせー。おっはよーってばよー!」
「ナルト!」
 いきなり横から抱きつかれた。バランスを崩しつつもしっかりと受け止めて、腰に抱きつくナルトの柔らかな髪を撫でる。
「おはよう。早いな。修行してきたのか」
「あったぼーよ。俺ってば未来の火影だかんな!」
「そっか。そうだな」
 無邪気なナルトの笑顔が心にしみる。ほっとする。こみ上げてくるものの正体がわからずにイルカは飲み下す。
「あれ? このにーちゃんって、あれ〜?」
 ナルトがいきなりカカシに近寄った。しまった、とイルカは思ったが、カカシは膝をおって笑った。
「さ〜て俺は誰でしょう?」
「えーと、もしかして、カカシの、兄ちゃん?」
「ぶぶー。ただの親戚。ナルトのことはカカシから聞いてるよ〜」
「そっかー。じゃあちょうどいいや。イルカ先生に聞こうと思ってたんだけど、最近カカシ遊びに来ないけど元気なのか?」
 イルカはどきりとした。ナルトが知っているカカシはもういないのだから。だがカカシは落ち着いてにこりと笑った。
「カカシはな、任務で他の里に行ったんだ。特に危険なことはない任務だけど、長期間他の里で生活しなきゃあならない。ナルトに会いに行きたがってたけど、急なことで時間がなくてな。寂しいって言ってた」
 如才ない対応だった。ナルトがもっと大人だったならおかしな部分を感じたかもしれないが、カカシの誠意を感じる言葉と声音に、ナルトは素直に頷いた。
「そっかー。でもでも、いつか会えるよな?」
「もちろん。カカシは里の人間だからな。必ず帰ってくる」
「なら、ばいばいじゃないもんな。またなってことだってばよ」
 まっすぐに、突き抜けるように笑ったナルトが、イルカにはまぶしかった。
「あんなもんでいいよね、イルカ先生」
 ナルトが去ると、カカシはイルカに聞いてきた。それはまるで褒められるのを待つ生徒のようで、イルカはなぜだか腹立たしくなり、そのままカカシにぶつけてしまった。
「なんだよ、今の。もしもナルトが本当のこと知ったら、悲しむだろ」
「本当のことって?」
「だから、カカシには、もう会えないだろ?」
 カカシは驚きゆえが瞬きを繰り返した。
「だって、俺が、カカシだし、でももうあの姿じゃないから……」
「そうだよ。あのカカシはもう……」
 イルカは口元をおさえた。
 馬鹿なことを言っている。これ以上ここにいたらまた馬鹿なことを口にしそうで慌てて背を向けた。
「ごめんカカシ。俺、仕事に行くから」
 急いで背を向けた。足早にそこから、逃げた。





 まだ何か言いたそうなカカシを仕事だからと無理矢理別れて、その日イルカは遅くまで残業した。帰りの遅いイルカをカカシは気にするだろうが、なんとなく、帰りづらかった。
 日付が変わりそうな時間に宿直の職員を残してやっとイルカは門を出た。むっとする空気が肌にまといつく。空には夏の星があり、しみじみと季節を感じた。
「イルカ」
 空から顔を戻せば、門の脇にカカシがもたれていた。
「お疲れさまイルカ。遅いから迎えに来た」
 朝のことなど何もなかったようにカカシは笑いかけてくる。忍服を脱いで、Tシャツとだぼついた涼しげなパンツに着替えると昨日までの日常の続きに思える。でも耳としっぽがない。そんなことを考えてしまい、落ち込む自分にイルカは嫌になる。
「迎えになんて来なくていいのに」
「うん。でも俺が来たかったから」
 カカシを置いて歩きだすイルカにカカシはまとわりつく。
 今日はどんな修行をしたかを細かに伝えてくる。それに対して生返事しか返さないイルカにじれることもなく話続けていたカカシだが、不意にイルカの手に触れてきた。びくりと大げさにイルカは反応してしまった。
「な、なんだよ」
「手、つないでいい?」
 少し逡巡したカカシが頼りない目をして、小さな声で伺ってくる。
 断るにしろ、許すにしろ、たいして考えるようなことではない。なのにイルカはどうすればいいのかわからずに棒立ちになる。
「ね、いい?」
 首をかしげたカカシは指を絡めてくる。長い指が、指と指の間にするりと入り込む感触に、イルカはつい邪険に手を振り払ってしまった。
「お、男同士で、手なんてつなぐのは、おかしいだろ」
 カカシの表情が一瞬だが泣きそうに見えて、イルカは笑顔を見せたが、ひきつってしまったかもしれない。カカシはうつむいてしまい、それから家までは気まずいまま歩いた。





 カカシは何も変わっていない。今までと変わらずにイルカイルカとまとわりつくだけで、おかしいのは自分のほうだと、イルカにもそれくらいはわかる。
 カカシは前のようにわがままはまず言わなくなった。日々修行に任務に励み、家のこともイルカが手の回らないことまで気がついて、前よりイルカにとって楽なはずなのに、居心地の悪さは続いていた。
 男二人には手狭な家。二人でいる時は夏のせいばかりでなく、暑苦しくて仕方ない。なのにカカシはイルカに近づきたがる。
 寝苦しい夜、イルカはベッドの上でタオルケットをかぶってうつらうつらとしていた。
 夢かもしれない。うつつかもしれない。ためらいがちに、気配が触れてくる。イルカ、イルカ、と耳の奥底に響く優しい声音。ついばむような、愛しむような唇が、頬に、まぶたに、おとされる。くすぐったさにイルカがにまりと笑えば気配は首のあたりにすり寄る。
 これは、きっと夢だ。
 夢の中で、猫だった頃のカカシがイルカの元にやってきたのだろう。今更だが、半猫の頃のカカシはめちゃくちゃだったがかわいかったなあと思って、イルカは深い眠りについた。
 いつだったか、半猫のカカシの手をとって歩いた月夜の晩を、夢に見た。







 そんなある日のことだ。
 イルカが仕事から帰ると、家の中にカカシはいなかった。今の姿のカカシは。
 部屋の中、ちょこんと座ってテレビを見ていたのは、子供の、カカシだった。


「おかえりイルカー」
 振り返って無邪気に笑うカカシは5,6才くらいの姿だ。まだまだ手を焼いて、わがままが多かった頃だ。けれど今となってはとても懐かしい姿。
 イルカは呆然と玄関に立ちつくす。
 カカシはイルカのそばに来ると、しばし視線をさまよわせたが、意を決したように顔を上げた。
「俺さ、イルカの前では、子供とか半猫の姿にでいようかなって思って。そのほうが、俺も楽だし、なんか、いきなり大人の姿も照れくさいというか」
 イルカは表情もなく、ただ、歯をかみしめる。
 カカシが必死に言いつのる姿が、いたたまれなく、それでいて憤りに胸が焼ける。カカシにこんな無理をさせたのはイルカだ。だがそんなイルカのとまどいを察して、先回りして、改善しようとする大人のような対応が、イルカへの気遣いが、腹立たしいのだ。
「……やめろ」
 絞り出した声はひしゃげていた。喉の奥が不快感でねばつく。
「なんで。イルカ。この姿のほうが、いいんだよね?」
「そんなこと、言ってない」
「でも……」
「いいから。早く戻れ。戻らないなら、出て行ってくれ」
「イルカ……」
 カカシの悲しい声。
 続いて煙りがあがると、目の前には大人のカカシがいた。うなだれるカカシの横をすり抜けて、イルカは部屋に入る。
 ため息とともに腰を下ろすイルカの背に「ごめん」とカカシのか細い声が届いた。
 何も悪くない、悪いのは俺だと、のど元まで出かかっている。だがイルカはその言葉をはき出せずに、うつむいた。






 カカシが任務で数日留守にすることになった。
 カカシが何をもって完全体じゃないと言うのかわからないが、息苦しくて仕方なかったイルカは、離れたくないとしぶるカカシを喜々として送り出した。。
 久しぶりにくつろげたイルカは、鬼のいぬまの洗濯とばかりに友人と飲み歩き、ある晩泥酔して帰宅した。気分よく鼻歌なぞ歌いながら風呂につかっていたが、そのうちに眠ってしまった。
 イルカイルカと遠くから聞こえてきた声に、重いまぶたをなんとか開ける。
 風呂桶のふちに両腕を置いてそこに顔を載せてうとうとしたらしい。まだ半分くらい閉じたままの視界に、銀色が映る。
「イルカ、風邪引く。上がりなよ」
「んー……。わかってるよー……」
 そのままイルカはまた顔を伏せてしまう。ぬるい湯がちょうどよく、酒のおかげで気分もふわふわとして、そのまま眠ってしまいたかった。
 カカシが何かわめいているが、イルカはそのまま夢の世界に戻ろうとした。
「イルカ!」
「……るさいなー。いいからあっち行けよー」
 いきなり、顔を両手ではさまれた。
 ぐっと持ち上げられる。薄く開けた視界に赤と青と銀が踊る。カカシ、と言おうとした口をふさがれる。
「!」
 咄嗟に口を閉じようとしたが遅かった。ぬるりとした感触に犯される。口内に感じる異物にぎゅっと目を閉じる。腕を突っ張って逃れようとするが、泥酔した体では力が入らない。本意ではないが、イルカは仕方なく、口内のカカシの舌に歯をたてた。広がる血の味に、カカシが身を離した。
 風呂の壁に張り付いたカカシは手の甲で口を覆う。イルカは唾液を吐くと、血の混じったそれが排水溝に流れていった。
「っきなり、何するんだよ!」
 イルカが涙目で睨み付けても、カカシは呆然と見つめている。
 あんな激しいキスをしかけておきながら人ごとのように呆然とするカカシに腹が立つ。
「それ以上成長するのに、まだ俺とやる必要があるのか? なんだよ、だったら最初からそう言えよ」
 イルカは風呂からあがると、濡れた体のままカカシの手を引いてベッドの上に連れて行った。布団の上にカカシを抱えたまま裸のまま倒れ込む。
「ほら、さっさとやりゃあいいだろ。突っ込んだら成長するなんて楽っちゃあ楽だよな。これで完全体になれたらもう本当に」
「やめてよイルカ!」
 鋭く叫んだカカシはイルカから飛び退くようにして離れた。のろのろと起きあがったイルカはカカシの顔を見て、一気に酔いが冷めるのを感じた。



 カカシは、泣いていた。
 ぼろぼろと子供のように泣いていた。
 ざあっとイルカは血の気が引く。ものすごくカカシを傷つけた。
「ごめ、ごめんな、カカシ。俺、どうかしていた」
「イルカは!」
 手のひらで乱暴に顔を拭ったカカシは声を荒げた。
「イルカは、俺が成長したのか気に入らないんだよね。俺が、子供のままのほうがよかったんだよね」
「そんなことない」
「そんなことある!」
 強い口調で言い切られてイルカには反駁できなくなる。カカシの言っていることが本当だから。
 カカシの視線が動く。その先に、ちゃぶ台の上に置かれたカカシが半猫だった頃の耳としっぽが置いてあるのを見て、カカシは顔を歪める。イルカはしまったと思ったが遅い。あの夜カカシの頭と尾てい骨から落ちた耳としっぽをイルカは後生大事に持っていた。時たまなつかしく思い、思い出に浸って触れていた。
 あんなもの、とくぐもったカカシの声がする。
「俺だって、ずっと子供のままでイルカとずっとずっと一緒にいたかったよ。でも俺は、しのび卵から孵ったから、忍になる為に生まれてきたから、あのままじゃいられないんだ」
「わかってる。ごめん、本当に俺が悪かった。俺、まだカカシの成長の早さについて行けなくて。ごめん。傷つけてごめん……」
 おろおろとイルカはカカシに近づこうとしたが、カカシはびくりと身を震わせる。
「……そんな姿で近づくな」
 絞り出すように言われて、イルカもどうすればいいのかわからなくなる。下肢をシーツで覆う。
 互いに口を閉ざしてしまい、いたたまれない沈黙が部屋を支配する。カカシが鼻をすする音が何回か繰り返されたあと、ぽつりとカカシは口にした。
「……イルカは、デリカシーがない」
「悪かった」
 でも、とカカシは言葉を続けた。
「でも、デリカシーがなくても、なんでも、俺は、イルカのそばにいたい。だから」
 イルカが顔を上げれば、カカシは印を結んでいた。何を? と思っているうちに、カカシは泣き濡れたまま、優しい顔を見せた。
「俺、戻るよ。もう一度、呼んで」
「カカシ!?」
 煙があがる。煙の中から現れたのは、たまごだった。







つづく。。。