□ 愛のたまご 14




 イルカが呼んでも気づかない。
 カカシはすっかり猫背になった背を丸めて、熱心に忍術書を読んでいる。壁に寄りかかり、片膝たてて真剣に読み耽っている。
 猫耳つけて、しっぽも生えたままだが、体全体がひきしまり、固くなり、横顔がシャープで大人びている。
 ちゃぶ台で頬杖ついて、ふむ、とイルカはカカシを観察する。



 夏の手前の雨が多いこの季節。
 今夜も外は音もなく静かに雨が降っている。



 カカシとはめっきり交尾していない。
 なぜかカカシはイルカにせまってこなくなった。あの日、倒れて火影宅に運び込まれた日から。
 無理をしてるなら、と一度カカシに行為を促したことはあったが、カカシは大人びた笑みを浮かべて首を振った。確かに、夜中に夢遊病のようになることもなく、せっぱつまっていることもない。それならいいかということでイルカの大事な部分もすっかり回復した。
 最近は静かに静かに時が刻まれている。
 イルカは日常のアカデミーでの業務と受付をこなす。カカシは一人で修行したり、火影の手配でどこかで他の忍と訓練もしているようだ。実践にも出ているかもしれない。
 姿はなかなか変わらないが、日に日にカカシが成長していることがわかる。
 瞳が、表情が大人びて、仕草も子供ではない。イルカに甘えかかることもない。
 そのことに一抹の寂しさを覚えるのはなんとなく子供の成長を手放しに喜べない親の気持ちと似通ったもののような気がした。
 イルカがじっと見つめるからか、とうとうカカシが気づいた。
 イルカとばちりと目が合うと、柔らかく目を細めて笑う。
「なに? いい男だから見ほれた?」
 そんな、大人の男のような言葉をさらりと口にされてイルカはがくりと崩れそうになる。
「はいはい。カカシはかっこいいよ。それより、飯。冷めちまうだろ」
「ええ? もうそうな時間?」
 よほど集中していたのか、カカシは慌てて時計を見上げる。すでに9時を回っている。一時間ほど前に帰宅したイルカが声をかけた時も生返事だった。
「ごめん、俺、飯作っておこうと思ってたんだけどさ」
「いいよ、たいした労力じゃねえし」
 いただきますとカカシは手を合わせて箸をとった。
 ちゃぶ台の上には野菜炒めとみそ汁とご飯と漬け物。まあすぐに用意できるのはこんなものだろう。
 カカシはおいしいと言って機嫌よく食している。
 まだ肉球だってついているのに、箸を器用に持っている。イルカがカカシに食べさせてやることはない。
 もしかして、以前も甘えていただけで、本当は使えたのかもしれない。なんてことをぼんやり考えながら箸を動かしていたイルカのことをカカシがじっと見ていた。
「イルカ」
「ん〜?」
 横を向けと言われて素直に従えば、カカシの顔が近づいてきた。
 ぞろりと頬を舐められる。
「!」
 何が起こったかわからずにイルカが目をむけば、カカシは器用にウインクしてみせた。
「めしつぶ。ついてた」
「あ、ああ。そっか。そうだな。サンキュー!」
 頬をおさえたまま、イルカはどうしてか顔が赤くなるのを意識した。





 イルカにせまることはなくなったカカシだが、たまに、共に寝たがる。純粋に、同じ布団で寝たがるのだ。いい加減蒸し暑い夜が多くなってきたからイルカとしてはお断りしたい。だがカカシはそんな時だけ見かけ通りの子供の態度で上目遣いにおねだりするのだ。
 仕方なく、イルカは頷く。カカシは喜々としてせまいベッドなのにイルカの横に滑り込み、ぎゅうっと抱きついてくる。はじめは向かい合って寝ていたが、カカシはきらきらとした目でイルカのことをじっと見ているのだ。目をつむっていてもその視線はわかる。イルカは鬱陶しくて背を向ける。すると今度は背中にぺったりと張り付き、頬をすり寄せてくる。
 やれやれ、とイルカは内心ため息をつく。
 何が最近の悩みかって? イルカとて薄い方だが健全な成人男子なのだ。カカシに無理矢理つっこまれている頃はそんな場合ではなかったが、今はちょっとした欲求がおこっている。たとえカカシといえどもこんな間近でくっつかれていると、なにやらもやもやしたものがわき起こる。欲求不満かもしれない。
 カカシはイルカのそんな気配には無頓着で、そのうちに規則正しい寝息を立て始める。
「マイッタ……」
 ふうとイルカは今夜もため息を落とした。








 一週間ほどだが急に里への任務依頼がたてこんだ。常には任務にでないアカデミー職員までもかり出されて、イルカは居残り組だがその代わり授業に受付にとフル稼働になってしまい、家に帰れない日が続いていた。
 イルカにとっては仕事の忙しさはあれど、気持ち的には息が抜ける。カカシと毎日顔を合わせるのも最近気詰まりで、カカシは気にしなくてもいたたまれない時があった。
 火影にカカシのことを育てると宣言したが、イルカは特に何かしているわけではない。カカシには修行を通じて外とのパイプもできあがりつつあり、今度こそ本当に独り立ちの時ではないかと思いもするのだ。
 深夜の受付。人出が足りない現状、一人しか配置されない。用を足すこともあり、律儀に座っている必要もないのだが、イルカは照明をしぼった部屋の中でぼんやりと雨の音を聞いていた。
 窓を叩く雨は時たま激しく打ち付けて不意に収まる。そういえば今夜は激しい雷も、と予報で言っていた気がする、と思った途端に外がかっと光って、ぴしゃりと音がした。
 ふっと落ちる電灯。真っ暗になった。
 まばたきを繰り返したイルカの眼前にぽたり、ぽたりと水滴が落ちる。ひやりとした気配。
 カカシが、立っていた。





「カカシ……」
 いきなりの登場にイルカは忍にあるまじきことだががたんと椅子を蹴って立ち上がっていた。
 カカシは濡れそぼっていた。部屋着のままで、猫耳もしっぽもしおれて、うなだれてイルカの前に立っていた。
「カカシ、何かあったのか?」
 会うのは、五日ぶりくらいだったか。しばらく戻れないことはもちろん伝えてある。すっかり大人になっているカカシは何の問題もなくわかったと言って、見送ってくれたのだ。
 なのに、今のカカシのまとう空気は危うげで、頼りなげで、最近つけていなかった首輪まで装着している。
「カカシ、黙ってないで……」
 イルカが受付の机越しに手を伸ばせば、その手をそのまま引かれて、抱きしめられていた。カカシの頭が顎のすぐ下にある。こんなに成長してたのかとこの場面での感慨にはいささか不釣り合いなことを考えた。
 カカシは震えている。何があったかわからないが、傘もささずに、こんな夜中に、家を飛び出してきたのだろう。イルカはカカシのことをぎゅっと抱きしめかえしてやった。



「どうした? 寂しかったのか? まだまだガキだなお前ぇも」
 わざと軽い口調で言えば、カカシの腕には力が入った。
「俺、大丈夫だって思ったんだ。でも、やっぱり、イルカがいないと、寂しくて、辛くて、苦しくて、だから、こんな、首輪までして、そしたらちょっとはいいかなって思って。でももっと寂しくなった」
 カカシは顔を上げた。暗がりにまたかっと雷が鳴る。光って浮き上がったカカシのとんでもない美しさに、イルカは目を奪われた。色違いの目。赤の目には黒い炎がいつの間にか刻まれていた。異国の人形のような白く硬質ななめらかな肌。血管が浮き出て見えるくらいの透明な質感。
 イルカはカカシの頬に触れた。
「カカシは、どうしたいんだ?」
「ごめん、イルカ、ごめん」
「何が? 何謝るんだよ」
「だって、俺、今すごく、イルカとしたいから。もうあんなことしちゃいけないって、しなくてもよかったのに、どうしても、イルカとしたい。怖くて、不安で、俺、どうにかなっちゃいそうだよ」
 ごめんごめんと繰り返してカカシはイルカにすがりつく。
 濡れそぼって、震えるカカシ。外からは更に激しさをいやました雨の音。こんな悪天候の中を駆けてくるしかないような衝動。きっとカカシ自身もてあましている衝動。
「わかった」
 イルカが頷くと、カカシのふるえは止まった。





 カカシの手を引いて、暗がりの廊下を進む。トイレしかないだろう。
 忍服のベストに傷薬は入っている。そういえばいつだったか火影に渡されたあのオイル。行き場がなく、あれもベストにいれっぱなしだ。
 なんていいタイミング。これはもうするしかないということなのか? イルカは少し自虐的に笑ってカカシをトイレの個室に導き蓋を閉じて座らせた。狭い中、不安げに瞳を揺らせてイルカのことを見上げるカカシの普段着の下肢はしっかりと布を押し上げていた。
 外は激しい雷が立て続けに鳴っている。
「カカシ、ゴムはあるか?」
「……ごめん」
「ああ、いいって。ちょっと聞いただけだからさ」
 イルカは強いてリラックスしようと思うのだが、カカシから溢れるがちがちの緊張感が伝播する。イルカはあそこをほぐしたほうがいいかとぼんやり考えたが、やめた。痛みのままでいい。
 イルカは無言で忍服の下だけを脱いだ。無言のままカカシのほうにも脱ぐように促す。
 覚悟を決めてイルカはカカシをまたいだ。



 久しぶりの感覚だった。
 ゆっくりと苦労しておさめたカカシは気のせいかもしれないが以前の時より容量を増した気がする。カカシが体内にいる。受け入れているそこはぎちぎちで、はっきり、苦しかった。
 この後仕事に戻らなければならない。だから少しでも早く終わらせたい。カカシをぎゅっと片手で抱き込んで、開いている手は自らの性器に絡める。以前してしまった時カカシのことを締め付けたようだ。きっとこれなら早く果ててくれるだろう。
 だが、予想と違った。



「イルカ……」
 息を荒げて、ゆるゆると腰をうがっていたカカシが、不意に動きを止めた。
 イルカも、下肢を高めようとしていたがなかなかうまくいかずに逆に中途半端なことになって苦しくて、冷や汗がこめかみを伝っていた。
 狭い個室で、互いの息づかいと、匂いが溢れる。
「ど、した、カカシ」
「俺、気持ちが、悪い……」
「な、に?」
 カカシのあまりな言葉にイルカはひくりと口元がひきつる。
 どうしてもイルカとしたいと言って雨の里を駆けてきて、突っ込んで、その言いぐさはないだろう。イルカのほうが数倍気分が悪い。
「だったら、抜けよっ」
「違う、イルカ。そうじゃない」
「何が、違うだ。ざけんなっ」
 イルカはカカシの肩に手を置いて自ら抜こうとしたが、カカシはそれを許さない。必死で、かきいただくようにイルカの背に手を回す。
「怒らないでイルカ。イルカが気持ち悪いんじゃない。違う。ちが、う……」
 イルカの背に回されたカカシの手が、爪をたてる。一瞬かたまったカカシが、ガラス玉のような無機質は光をたたえた目でイルカを見た。
 さすがにイルカも異変に気づく。
「カカシ?」
「あ、あ! ああああああ!」
 カカシが顔をのけぞらせる。きらきらと光が舞う。カカシから発光している。
 イルカの、眼前で、カカシは変貌した。
 空間が歪むようにカカシの体がぶれる。イルカは嘘のような光景にまばたきを繰り返すが、何より、体の中にある感触でカカシの変化をダイレクトに感じた。
「なっ、ちょっ、カカシ!」
 イルカの中で、カカシがぐうっと容積を増す。つながったところが脈打ち、それはイルカの中のどこかをかすめてしまった。
「……!」
 びりっと背筋を走ったものの正体がわからぬままイルカはカカシにしがみついた。
「ふっ……。う、んっ!」
「イルカ、イルカ。あ、んん」
 カカシが、下から下肢を打ち付けてくる。耳の穴にざらりとした舌をつっこまれて脳の奥にカカシの濡れた声が響く。カカシが中をすってそこからの快楽がイルカの性器にも力をみなぎらせる。触れていないのに、恥ずかしいくらいに溢れるものがある。
 奔流のような感覚に翻弄されて、イルカは高い声をあげて、果てた。





 互いの荒い息づかいだけが、個室を満たしていた。
 快楽が去って、うつむいた目に濡れそぼった性器が映る。今のは、交尾ではなかったな、と思い至ってイルカはずんと落ち込む。カカシにまわしたままだった手を引っ込めようとして、頭をかすめたら、何かが二人の間にぽとりと落ちた。え? と思ってとりあえず拾ってみれば、猫の耳だった。
「カ、カカシ!? これ」
 驚いて顔を上げれば、カカシは、青ざめて、首を押さえていた。見れば、首輪にきゅっと締められている。いきなり成長したからそりゃあきついだろう。イルカが慌ててはずしてやると、はあ、とイルカは大きく深呼吸した。
「……やばかった。死ぬかと思った」
 ぜえぜえと息をつくカカシに、イルカの力も抜ける。体が弛緩すると、中に入ったままのカカシを意識してしまう。
「カカシ、抜いてくれ……」
「ん〜? もう少し、こうしていようよ」
 カカシは、蒸気したままの顔で首をかしげてイルカの髪に触れてくる。
 ずれてしまった額宛をはずして、乱れた髪のひもを解き、イルカの髪の感触を楽しむようにかき回す。
 ことの最中に、いきなりの成長。
 年でいうなら二十歳くらいか。もうイルカと大差ない。骨格ができあがっている。筋肉がもう少しつけば立派な大人だ。
「イルカの髪って、適当な割にきれいだよね」
 髪の一房を引っ張って、口づける。
 まるで、恋人同士のようなたわむれに、イルカはいたたまれない。そうだ、と気をそらす意味もこめて手の中の猫耳をさしだした。
「これ、とれたな。よかったよかった」
「え? あれ?」
 カカシが頭に手をもっていくと、片方残っていた耳を掴む。ちょっとひっぱっただけで飾りのように耳はとれた。ついでとばかりに背後に手をやると、しっぽもとれたようだ。
 イルカの手にはひとつの耳。カカシの手に耳としっぽ。
 互いの間で、見つめて、顔を合わせると、どちらからともなく吹きだした。



「長かったな〜。猫だったの」
「ホント。このまま生やしっぱなしかなあって実はちょっと思ってたんだ。そしたら任務の時どうしようって」
 ひとしきり笑ったあと、イルカは本当にいい加減に抜けとカカシのことをぽかりと殴った。
 だがその手をカカシにとられてしまう。
 暗いのに、カカシの瞳がよく見える。イルカのことを熱く見つめる目。イルカをその視線で縫いつけたまま、カカシは瞳をそらさずにイルカの手の甲にひとつ口づけを落とした。
「ありがと、イルカ」
 動けないイルカをぐっと引き寄せて、カカシはキスをしかけてきた。熱い舌が絡む、キスを。
 それを受けながら、イルカはきつく目を閉じた。



 そうしないと、泣いてしまいそうだった。
 脳裏をめぐるのはカカシ。たまごから孵って、成長してきた何人かのカカシがイルカの中にいる。それはもう思い出の姿だ。
 あの頃のカカシにもう少し優しくしてやればよかったなんて、思った。






つづく。。。