□ 愛のたまご




寒い寒い冬の日。
イルカは書簡を届ける任務を言付かり火の国に来ていた。届け先の大名家からは一晩の歓待の申し出を受けたが、丁重に辞退して寒空の元マフラーに顔を埋めて歩いていた。

灰色の空からはちらほらと雪が落ちてくる。街は雪祭りの日で、街道には屋台が連なっていた。寒さをものともしない人々の歓声が耳に入る。暖かな灯に心惹かれないでもなかったが、イルカは木の葉に帰るべく歩む足を速めた。そんなイルカの目にとまったのは、屋台が連なる道の最後、少し奥まった場所にあった店だった。

四つの木の支柱が傾いて建ち厚手の幕で屋根のようにして被せている。その下に畳でいえば二畳ほどのスペースに膝を抱えた子供が一人。子供の周りには赤ん坊ほどの大きさの白い卵がぎっしりと並んでいた。大陸のほうには大きな鳥がいると聞いたことがある。だが火の国にいたとは聞いたことがない。
いったいなんの卵なのかまったくわからずにイルカは思わず足を止めてしまった。

子供が、不意に顔を上げた。小さな顔の中、目だけがやけに大きい。細い体には粗末な衣服をまとい、子供があまりいい境遇にはいないことは一目で見て取れた。子供は澄んだ大きな目でじっとイルカのことを見ている。

「おじさん忍者さん?」

「ああ。忍者だ。けどおじさんじゃねえよ。俺はまだ25だ」

「ぼくね、10歳」

「10歳か」

イルカは思わず吐息を落としていた。火の国にもまださまざまな境遇な子供がいる。けれどひとつひとつ同情していては生きていけない。

「おめえ、父ちゃんや母ちゃんはいねえのか」

「うん。死んじゃった」

へらっと歯をむきだして子供は笑った。それがアカデミーの落ちこぼれのナルトを彷彿とさせ、イルカはなんとなく気もそぞろになる。同情ではない。同情ではないが、イルカは手を伸ばした。

「この卵、いくらだ?」
「おじさん買ってくれるの?」

子供の顔が輝くからイルカは大きくうなずいた。

「ああ。面白そうだから、ひとつ買うよ」

かがみこんで卵を物色するイルカを子供は食い入るように見つめてきた。イルカが気恥ずかしさを覚えるほどにその目は一途だった。

「おじさんは、寂しいの?」

いきなりの言葉にイルカは一瞬固まってしまう。それをとりつくろうように笑ってみせた。

「いい年して嫁さんもいねえからな。そりゃあ寂しいさ」

イルカはとりつくろったつもりだが、子供は大人びた笑みで頷くと、傍らにあった卵をひとつ差し出してきた。

「これ、おじさんにあげるよ」

「ばっか、買うって言ってるだろ。そんなに貧乏じゃあねえぞっ…てそんなに高いものなのか?」

子供はふるふると首を振ってイルカに卵を押しつけてきた。

「いいからあげる。お話してくれたお礼」
ぐいぐいと押されてイルカは受け取ってしまう。手にした途端不思議なぬくもりに思わず見入る。脈打っているようなかすかな震動に、人肌のようなぬくもり。懐かしい、忘れてしまいたいあたたかさだった。

「じゃあねおじさん。ありがとう。おじさん幸せになれるよ」

はっと顔をあげれば、すでに子供の姿も屋台もなく、かき消すようになくなっていた。

残されたのはイルカと、正体不明の、卵。





不思議な邂逅で託された卵。捨てる理由もなくイルカは背中にしょって木の葉に戻った。
六畳一間と三畳ほどの台所と足を抱えて入らなければならない風呂場。そんな狭いながらも自分の城である教員住宅の居間の座布団の上に卵は鎮座した。振ってみても液体の気配はなく、いったい何なのかますます謎だ。だがイルカはなんとなしにその卵に親しみを覚えた。彩りのない独身男の部屋に卵はぬくもりを与え、眠るときには抱えて眠った。暖めることによって何かが産まれればいい。そんな思いをこめて、話しかけたりしまいには風呂に入れたりと、イルカはすっかり生きているものの世話をしている気になった。

つきあいの悪くなったイルカに同僚は女でもできたかとからかってきたが、卵は確かにそのような存在になっていった。

「なあ先生。いいものってなんだよ」

そんなある日、一楽をともにしたあとナルトに声をかけた。翌日は休みでもあり、泊まりにこないかと誘えばナルトは二つ返事でやってきた。風呂に入れ、居間で牛乳とビールで向き合いひといきついたあと、イルカは姿勢を正してこほんと咳払いした。

「これから見せてやるから目をつぶれ」

もったいぶるなよといいながらもナルトは素直に目をつむる。にやけた顔から期待が丸見えだった。そっと押入をあけて卵を取り出したイルカはいつもの暖かな感触にほっとする。それを持ってナルトの前に座る。

「よーしナルト、目を開けていいぞ」

イルカの声でナルトがぱちりと目を開ける。

「うっわー。なんだよイルカ先生。卵じゃん! でけえ」

「だろう? ほら、さわってみろ」

喜々としたイルカが差し出すと、ナルトは両手を伸ばしてきた。卵を受け取ろうと触れた途端、ばちりと飛び散る火花。
「いてっ」

ばちばちと尾を引くように部屋に光がはねる。イルカはあわてて卵をナルトから遠ざけるように抱え込めば、火花は急に収束してイルカの手の中には変わらぬ手触りとぬくみがあった。

戻る静寂のなかでナルトがかすかにやけどでもおったのか両手をに息を吹きかけていた。

「なんだってばよ〜その卵感じ悪いってばよ〜」

口をとがらせてナルトはぼやく。そんなナルトをなだめつつイルカも困惑していた。ナルトに対して敵意のようなものを見せた卵。イルカの腕の中ではおとなしく収まっている。今まではただ不思議な卵だと思っていたが、初めていいようのない不安を覚えた。





それからしばらくして、イルカが帰宅するたびに卵はその位置を変えるようになった。座布団の上にいたはずが窓際にいたり、イルカのベッドの上にいたり玄関で迎えたりと。ある晩はイルカがうたた寝をしているとまるで起きろというように腹の上にどすんと乗ってきた。どくどくと脈打つ卵。イルカがしかりつけるようにぱちんとたたくと、ざわざわととげとげしいような感覚でイルカの皮膚を刺す。優しく撫でてやったり抱きしめてやればまるでなつくようにすり寄って、じんわりとしみこむような暖かさをくれる。

正体不明の卵。さすがにこのままでいいのかと思っていた頃だった。

卵が孵化したのは……。





なんとなく怖いような気持ちもあって、最近は眠るとき卵は押入に入れていた。それが夜中にガタガタと動き出してイルカは飛び起きた。

慌てて押し入れを開ければ、卵は飛び出してきた。

「うおっ」

イルカは体当たりを食らわされて畳にひっくり返る。そんなイルカをよそに卵は安普請の住宅を上に下に縦に横にと暴れ回る。

「こらっ。やめろ、夜中だぞ!」

イルカは卵をなんとかキャッチしようとするが動きは素早く、逆に吹っ飛ばされる始末だった。そのうちに隣からはうるせえぞと怒鳴り声が響く。

イルカは決死の覚悟で卵に飛びついた。

宙で捕まえて、ベッドの上に倒れ込む。その時に、バリンと音がした。亀裂からはかっと光が走る。目を開ければ卵からにゅっとのびた手があった。

「うわあ! わわわ!」

ついイルカは卵を放り投げてしまった。ぐしゃっと致命的な音がした。どろりとした液体が溢れる。枕にひしとしがみついたイルカはどきどきと卵を見守る。
つぶれた卵の奥からゆっくりとはい出てきた手足。透明なゼリー状の皮膜に包まれた白い体。生まれたての赤ん坊のような大きさのもの。にしては仕草はしっかりとして自らの手で体を覆う膜を取り除いている。輝かんばかりの白い体に白銀の髪。ひとではなく、物語で知った妖精のように見えた。

四つんばいのまま咳き込んで透明な液体をはき出した妖精は、枕を抱えて凝視したままのイルカを不意に仰ぎ見た。
深い青の右目と血のような赤の左目。妖精よりもまがまがしさを覚える。手を伸ばせばいいのか声をかければいいのかわからないままに固まったままのイルカの前で、妖精はぱたりと倒れてしまった。





つづく。。。