涯は鎮む (ハテ番外)












 暗がりの中で、灯る火。
 夜遅く任務から戻ったカカシは、部屋の中に電灯がついてなく、しかもイルカが居間の窓際で煙草を吸っていたことに目を見張った。
「イルカ先生? どうしたんです、煙草なんて」
 驚きをカカシが素直に声にのせれば、窓から目を転じたイルカは微笑んだ。
「今日は特別です。今日は、俺が呪いと出会って、約束を交わした日なんですよ」
 イルカはカカシを手招いた。カカシは素直にイルカの横に立つとじっとイルカを見つめた。
「ちゃんと覚えているわけではないんですけどね。ただ、この日だってことは、わかります。それは、呪いが残してくれた記憶なんですよ。3年前の今日」
 あの日。
 あの場所で呪いに出会った日。








□□□□








 イルカがそこに辿り着いたのはただの偶然だった。
 久しぶりの単独任務を請け負った帰路に事件は起きた。倒した敵に幻術をかけられたことに気づいたのはいつまでたっても抜けられない同じ景色に焦りを覚えた時だ。ぐるぐると同じ場所を周り、そのうちに体のほうにも変調をきたした。枝を蹴った時にくらりと視界が歪み、落下していた。したたかに背中を打った。息が詰まる。目に映る景色に光はなく、遠く暗い空だけだ映った。ふっと気がぬけた。まあいい。とりあえず目を閉じてしまえ、と半ばなげやりな気持ちでそのまま意識を手放した。





 温かな気配に体が覚醒を促された。
 重い目蓋を震わせてやっと目を開ければ、光が飛び込んできた。空は遠いまま。けれど光がある。だからイルカはなんとか体を起こしたのだ。
 後ろでについた両手は震える。それをなんとか耐えて上半身を起こせば、なんとまあ、イルカはぐるりを野生の獣たちに囲まれていた。イルカを中心にして半径2メートルほどの円だ。獣たちの唸り声、牙からしたたり落ちる唾液。それは明らかにイルカの血肉を求めている。数頭の獣がゆったりと、ときに威嚇するように回っている。起きあがったイルカに、唾液をしたたらせた牙と赤黒い歯茎をむき出しにして吠えた獣がいた。長く鋭い牙がもしイルカの首筋にでも噛みついたなら、よくて即死。運が悪ければ痛みにのたうち、その間に肉を食い破られるだろう。
 こんな状況で、よく暢気に気絶していられたものだと、我がごとながらイルカが一番腑に落ちない。
 とりあえず今獣たちはイルカに飛びかかってこれないようだ。その事実を見極め、イルカは周囲を見渡した。
 イルカを中に据えて綺麗に円が描かれるのだから、これは一種の結界だ。だがイルカは気絶する前に結界など張る余裕はなかった。仲間がいるわけでなし。
 ただ、感じる気配が温かい。いや温かいというよりは、ぬるい。生、ぬるい。イルカは正座の姿勢をとると、大きく息をついて、静かに印を結んだ。ゆっくりと、自分を守るような気配を探る。研ぎ澄まされていく意識。まずは自らの体を検分。幻術の作用は抜けている。だが落下する原因になったのは足をひねったからだ。捻挫。そして打ちつけた背中。左の肩胛骨のあたりが腫れている。筋を痛めたかもしれない。あとは敵とやり合った時にいくつかの擦り傷。まあ軽傷だ。
 澄んだ意識の中、瞑った目の闇の中に、薄布のような微妙なチャクラがイルカのことを包んでいるのが見える。そのチャクラは、イルカの中から放出されているが、イルカのチャクラではない。
 目を開けたイルカはみぞおちのあたりに手をあてた。
 何かが、この体の中に入っている。そして中から、放出されるチャクラが、獣たちを寄せ付けずに、結果、イルカのことを守っているようだ。
 イルカはよろめく足を叱咤して立ち上がる。途端、獣たちが前傾姿勢になって、一斉に唸り声を発する。今にも飛びかからんばかりの姿勢だが、あくまでも威嚇だけだ。意を決してイルカは歩を進めた。一歩、二歩、三歩……。イルカの動きに合わせて、獣の黒い円も移動する。
 間違いない。どうやらイルカの中に入り込んでいるものに獣は怯えているようだ。
 まるで九尾を宿しているナルトみたいだ。
 その確信を得ると、いささか緊張していたイルカの面持ちが崩れる。にんまりと口の端を吊り上げると、軽い足取りで乾いた喉を潤そうと水辺に向かった。





 木の葉の里が所属する火の国を囲む国境の山岳地帯の端のほうだ。
 任務であったとしてもあまり訪れることがない地域。イルカとて今回の任務でこのあたりを突き抜けることになったがそれは初めてのことだった。
 イルカの移動にあわせて獣たちは最初着いて歩いていた。明らかに飢えた血走った目で、隙あらばイルカの血肉を食らおうと唸っていた。だがおそらくイルカの意識がない間に何度か飛びかかってはいたのだろう。何度挑んでもイルカに食いつけないことにいい加減諦めてはいたのか、一頭二頭、と徐々に去っていき、木の根から湧きでる清水に辿り着いた時にはイルカは一人だった。
 膝をついて夢中で乾きを満たし、木に寄りかかった時には腹の底からの息を吐き出していた。
 ああ生きている。
 運がいいのか悪いのか。しがない、うだつのあがらない中忍である自分がよく生き残っているものだ。いや逆にたいした能力もないからこそ生き残ってこれたのかもしれないか。
「ああ、煙草吸いてえ……」
 ここ数年たしなむようになった嗜好品。吸うようになったきっかけはなんだったのか。などと得にもならないことを考えていたら、いきなり、体の中から空気のかたまりが押し出されるような気配がして、イルカはむせた。咳き込めば出てくる空気は馴染みの煙。
 イルカは吸ってもいない煙草の煙を吐き出していた。
 さすがにわけがわからず、それでも止まらない煙に涙目になれば、いきなり声がした。
(うまいのかそれ?)
「!」
 それは間違いなく体の中から響いてくる声。
 驚きながらもイルカはひたすらに咳き込んで、それでもやめろという意思表示をこめて片手を大きく振り続けた。
 するとしばらくして体の中からせり上がってきた煙がおさまる。苦しさの余韻でそれでも少しの間イルカは体中で息をしていた。
(なんだよ……。うまくないのかよやっぱり)
(そうみたーい。というよりまずそうよ)
(ばっかでー)
 煙はおさまったが声は体の中から聞こえる。イルカは思わず腹をおさえて辺りを見回した。
 今度は声ではなくで、振動のような音……笑いが響いてきた。
(違うって。あんたの中)
(さっき確認してたじゃないですか)
 さっきから。
 さまざまな気配がイルカに代わる代わる話しかける。
 声としか言いようがないが、耳に聞こえる声というわけではない。だが、大人、子供、男、女と明らかに一つの存在ではないものがイルカの中にいる。
 深呼吸をして、イルカは手を当てたみぞおちのあたりを向いて声をかけた。
「あんたたち、さっきから、なんなんだよ……。勝手に人の中に入って、勝手に喋りかけて」
 途端、非難がおこる。
(サイテー! あたしたちが守ってやってたんじゃない)
(俺たちがいなかったらおまえなんてとっくに獣に食われてたからな)
(そうだそうだ)
(ばーかばーか)
 一度に叫ばれ、イルカはなんとなく腹の中がぐるぐると唸っているような気がして口元がひきつる。げっぷが出そうだ。
(おまえたち、この方に失礼じゃないか。いい加減にしなさい)
(失礼なのはこいつだろー)
「こら!」
 イルカは堪えきれずに自分の腹に向かって怒鳴っていた。
「初対面の人間に向かっておまえよばわりとはなんだ!」
 途端、腹の中の気配が静まる。不意の沈黙は次に何が起こるのか予想もつかず、イルカはなんとなく身構える。次に起こったのは腹の中がよじれるようなうねりだった。
(そう言うあんただって随分な態度じゃないのよ)
(助けてもらった礼もなしか?)
 ぎゃーぎゃーという擬音がぴったりだ。せり上がってくる吐き気のようなものに耐えきれずにイルカは腹を抱えてえづいていた。
 その合間になんとか声を絞り出す。
「わかった……。俺が、悪かった。なんか、わかんねえけど、助かった。ありが、とう」
 苦しい息の下からなんとかそれだけは告げた。急におさまる気持ち悪さ。すると今度はじんわりとしみこむような気配が広がる。
(最初から素直にそう言ってりゃあいいんだよ)
(そうそう)
 どうやらイルカの中にいるものは機嫌を直したようだ。ほっとしてイルカも体を起こすが、そこに一番の衝撃が襲った。
(お前達はさっきから! こちらの方に失礼にもほどがある! 調子に乗るんじゃないっ)
 ぎゅうと、胃のあたりがねじられるような、気が遠くなりそうな傷みに、疲労もあってイルカはあっさりと気絶した。








 満足できる仕事もあって気のおけない仲間もいて、たまには彼女もいた。休みには趣味の温泉巡りをしたり、プライベートも充実。心配だった生徒もとっくに卒業して、まっすぐに忍としての道を歩んでいる。教師はやりがいのある仕事だ。だが忍としての勘を忘れないためにも志願して少しレベルの高い任務にたまについたりもする。遅ればせながら、上忍を目指すのもいいかもしれない。
 九尾のいくさで両親を亡くし孤児になった割には、結構幸せな人生を歩んでいるではないか。
 なのに。
 こんな人生クソ食らえと思いはじめたのはいつだろう。
 大蛇丸の襲撃からの打撃からほぼ立ち直り、とりあえず里は平和だ。暁との水面下の闘いはまだ行われているとはいえ、それはイルカからは少し遠い話だ。イルカのすべきことは違うことだから。
 いつからか心に虫食いのような穴が空いた。そこには虚しさがみっしりと住み着き、イルカのことをぼんやりさせる。
 一体何が不満なのだろう。気にくわないのだろう。望んで忍になった。木の葉の里を大切に思う。里の為に働けることが誇りだと、ずっと、思ってきたのに、クソ食らえ、だ。
 三代目の葬儀でナルトに言った言葉に嘘はない。
 けれどイルカには……。
 結局イルカには、守りたいものも守るべきものが本当にはないのだから。
 庇護するべき存在だと思っていたナルトは強い。イルカの手なんて必要としない。
 アカデミーの子供たちはもちろん守るべき存在で、イルカは子供たちの為に懸命に力を尽くすが、皆巣立っていく。
 イルカだけがとどまり続ける。置いて行かれるようなみじめな気持ちを生徒たちを見送るたびに味わうのだ。
 古い友人にぽつりとこぼしたことがある。虚しい、と。
 彼は知ったかぶったような説教はせずに、疲れているんだと、イルカの肩を叩いてくれた。きっとこれは自分で、自分の力だけで解決するしかない問題だとわかっていたのだろう。俺もそんな時があったと、彼は言っていた。
 イルカの心は変わらず虫食いが進んでも、日々はとどこおりなく過ぎていく。
 いっそいくさ場で死んでしまえばいいのかもしれないと、少し自棄な気持ちで思うが、刃を向けられればもちろん生きる為に闘うのだ。
 死を回避しようとするのは人として自然な気持ちであるはずだが、己の汚い矛盾点にまた嫌悪を覚えて、イルカの内心はかなり煮詰まっていたのだろう。
(だからさきほどの落下で、命を手放そうとしたのですか?)
 柔らかな労るような、声。
 イルカの腹部からのもの。さっきの出来事は夢のなかではなかったらしい。体を起こしたイルカは体の中にいるはずの気配に視線を向けた。
「多分、そうです。最近は自分の心が一番わからないんですが、きっと、死んでしまえば楽かなと思ったんでしょうね」
 苦笑する。イルカの腹にいるものが何かわからないが、落ち着いた気配に年長者の貫禄があり、イルカも自然とへりくだる気持ちになった。
「生きるってなんだろうって、思うんですよ。このまま忍として生きて、この先俺はどうするんだろうって、思うんです」
 状況の不可思議さがイルカの心を素直に開いているのかもしれない。自分の言葉で拙い悩みをとつとつと語れば、ざわめくものがある。
(でもさ、それってさ……)
(うん)
 話し合いでもしているのだろうか。腹部の異物感にももう慣れた。
(少し、ずるいことを言ってもいいですか?)
「どうぞ、なんなりと」
(わたしたちは、生きている者ではありません。とうの昔に亡くなっています。わたしたちからすれば、あなたの悩みは生きていられる者の贅沢な悩みにも思えます。わたしたちはもっと生きたかったから)
「そうですね。きっと死人と話せば皆もっと生きたかったと言うでしょうね。でも今の俺は死んでも清々したと思うかもしれません」
(じゃあ殺してやろうか!?)
 イルカの胃がまたきゅうと絞られる。
 喧嘩っぱやいというか、直情型の奴がいるらしい。
(やめなさい。いい加減にしないと、許しませんよ?)
 おそらくリーダー格の存在に制せられて、イルカの腹の中はおさまる。
 息をつきながらイルカも訊いてみた。
「あなたは、生きていたら何をしたかったですか? 夢とか、目標とか、ありましたか?」
(まずは子供たちを立派に育てること。人としてきちんと成長するか見届けること。その先は、わかりません。忙しさに紛れていましたからね……)
「そう、ですか。日々、虚しいとか感じる暇もなかったってことですか?」
 イルカの声は少し皮肉めいていたが、それを気にかけることなく、いらえがかえる。
(あなたは、連れそう方を見つけて、子をなそうとは思わないのですか? その場しのぎでも、一番手っ取り早くいいわけのきく、目標の持てる生き方ではないですか? しばらくはそれで虚しさなんか感じませんよ)
 その言葉にイルカは気持ちがすっと下がるのがわかった。
 馬鹿らしい。どうしてここで、銀色の髪を持つ男が浮かぶのだろう。
 1年にも満たない期間だった。遊びに慣れた上忍に引き擦られるような形で付き合った。イルカはカカシのことが好きだった。彼の真意がはかれなくとも、それでも伸ばされる手、抱きしめられる腕に喜びを感じた。里の状況がぬきさしならないことになり、気付けば自然消滅のような形で彼は傍らからいなくなったが。
 そうか。煙草。カカシがたまに吸っていた。
 一番くつろげる人の傍でしか吸いません、と目尻を下げて笑った。イルカは照れ隠しに、煙草は体に悪いです、と呟いた。そこに降ってきた口づけ。煙草の香りでむせた。
(……好きな方が、いるんですね)
「どうやらそうみたいです。ずっと忘れていたんですけどね。忘れてると思ってるだけでした。俺と同じ男だから、子供は無理ですね。別に、いらないですし」
(子供なら、いるじゃないですか)
 思いがけない声にイルカは瞬きを繰り返す。
(ナルト。あなたの子供ではないのですか?)
「違い、ますよ。なに、言ってるんですか……」
 イルカの心臓はどきどきと脈打つ。
 すでに上忍となり、今は他国で任務にあたっている子供。イルカにとってはいつまでもいたずら小僧の面影のまま、この胸にある。
「あいつは、俺の、生徒です。俺にとって一番の、自慢の、教え子です。あいつは将来、火影になるんですから」
 ナルトに思いをはせれば温かく心を潤すもの。
 ナルトが生徒であった頃は虚しさなんて感じることはなかった。ナルトがイルカにとっての生きる目標になっていたのなら、確かにナルトはイルカの子供のようなものなのだろう。
(イルカ、わたしたちと賭けをしませんか?)
 ナルトを思い口元がほころんでいたイルカに唐突なもちかけ。
「賭け、ですか?」
(そう。わたしたちは、元々この国に住んでいた、先住民です。木の葉の初代火影に退治されたんです。まあ退治される理由はあったのですが、だからって死にたくはなかった。そんな恨みが、成仏できずにここで呪いとして巣くうことになりました。わざとではないのですが、火影に祟ってます。恨みの気持ちが無意識に祟ってしまうようです。だから木の葉の歴代火影は寿命をまっとうできないんですよ)
 まるで天気の話でもするように明るく、なんでもないことのように告げられた。
 そこに存在が見えるわけでもないが、イルカはまじまじと己の腹部を見つめた。
「はじめて聞きました……」
(木の葉の上層部は知ってるようですよ。この場所に来たこともあります。でもそれをなんとかするような時間はないようですね)
 当たり前のようにさらりと告げられてイルカは黙り込む。本当か嘘かなど考える必要はない。きっとこの人外のものたちがそう言うならそうなのだろう。それよりも、賭けとは一体。
(いい加減成仏したいんだよね〜)
(そうそう。もうこんなところ嫌なの)
(だいたい恨みったって、俺ガキだったし、よくわかんないうちに死んでたんだよな。恨むも何もさ)
(ということです)
 すとん、と何かが落ち着いた。
「殺されたのに、怨みたくないんですか?」
(というよりどうでもいいってかんじかな)
 きっと目の前に姿が見えたなら、肩を竦める仕草が見えたことだろう。そんな、自らを客観的に小馬鹿にするような雰囲気が感じられる。その軽さが、イルカの心もふわりと持ち上げる。
「いいですよ。俺は、どうしたらいいんですか?」
 どんなことだっていい。久しぶりにイルカの心に高揚をもたらせてくれたことがイルカには楽しみだった。





 虚しさに取り憑かれ、心のどこかで死んでもいいと思っているイルカ。
 死んではいるが死にきれずにいる、成仏したいと思っている呪いたち。
 不思議な契約は幻術の空間の中、黒々とした大木の前で、イルカと現火影のツナデとともに行われた。
(ここがわたしたちの住処なんです。今年の木の葉の慰霊祭の日に燃やされた煙がここに辿り着きます。ここで人々の祈りを熟成させて、わたしたちの為の祈りにしましょう)
「俺は、何を?」
(イルカの中に、わたしが取り憑きます。1年間、そこで時を待ちます。あとイルカに差しだしてもらいたのは、あなたの、愛しい存在です)
「愛しい存在?」
 声に出して、考えるまでもなく、浮かんだのはカカシ。そしてナルト。
(ああ、ナルトは駄目です。だってナルトはイルカの子供です。子は親を慕うものです。そこに理屈はありません。それは一種の呪いでもありますからね。だから)
 カカシが、選ばれた。
 カカシとイルカとの思い出。それを1年間の糧にすると。
(カカシがイルカの名を思い出したら、わたしたちの勝ちです。だから浄化されます。もしも思い出せなければ、イルカは死にます。わたしたちは、この先も火影を呪い続けるでしょう。本当は何年かかってもいいから思い出して欲しいと言いたいのですが、イルカの体がもちません。1年が限度です。どちらに有利かわからない賭けだけれど、受けますか?)
 呪いの言葉はイルカとツナデに向かって語られた。イルカは今更何もためらう事はないが、ツナデを伺う。ツナデは難しい顔をして木を睨み付けていたが、息をついて肩から力を抜いた。
「あたしはねえ、勝ちそうか負けそうかなんてことは賭けの前に考えやしないよ。いつも勝つと信じて疑ってないからね」
 ツナデは勝ち気な顔で笑った。
 これで賭けは成立。慰霊祭の日がイルカがカカシとの思い出を思い出すことができる最後の日。その翌日には二人は他人。出会って、術は発動。あとはイルカは待つしかないのだ。カカシが思い出してくれることを。
 里へ戻る道すがら、機嫌のいいイルカにツナデは聞いてきた。
「イルカ、お前は、カカシとの思い出を失うことは、怖くないのか? 死ぬかもしれないんだぞ?」
 イルカは一瞬目を見張る。まさかツナデがそんな気弱なことを聞いてくるとは思わなかった。だが、愛しい者から遅れて生き残っているツナデにとっては、思い出は何ものにも代え難い大切なものなのだろう。
 イルカはツナデの不安を取り除くように晴れ晴れとした笑顔を見せた。
「何も。何も怖くありません。だって俺はナルトを呪いのせいで失いたくないんです。その為に差しだすのがカカシ先生との思い出でも、思い出は思い出です。なくしたら、また作ればいいんです」
 ツナデには言わないが、イルカは賭けに失敗して、死んでしまってもいいと、心のどこかでは思っている。ナルトの中の九尾は呪いになど負けないかもしれないのだ。
 もしもカカシが思い出してくれて、イルカが目覚めることができたならきっと。
 この空洞は、虚しさは一緒に葬られることだろう。
 遠く、涯に。








□□□□








 目が覚めた。
 夜明けにはまだ早い。だが部屋の中にはほのかな朝の気配がある。
 カカシの腕から抜け出たイルカは、窓を開けた。
 少し冷たい風が吹き込んで、イルカの髪を揺らす。
 アカデミーで子供達を相手にして働き、里の未来を作る。毎日が充実している。大切な人がそばにいる。互いを思い合っている。
 これでいい。きっとこれが生きていくことだ。





 そしてまた、一日が始まる。





 

 




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