少年上忍中年中忍 第二部 H





 カカシはずばり核心をつく問いかけをしてきた。
 ごくりとイルカの喉が鳴る。カカシはじっと暗い目でイルカを捕らえる。
 もしもイルカが恋愛に手慣れていたなら即座に適当な言葉を連ねて誤魔化したことだろう。だがイルカは筋金入りの恋愛オンチなのだ。茶の間で悲嘆にくれる年若い恋人を前に、とにかくなぐさめるような心遣いの言葉も咄嗟に出てくるはずもなく、どうしたものかと内心うろたえたのはほんの少しの間。
 それよりもこれはいい機会だと気持ちを前向きに立て直した。
「そのことなんですけど、実はですね、カカシ先生」
「俺がすることに文句ばっかり言って、賛成してくれることなんてないじゃないですか」
 イルカの機先を制するようにカカシは涙声で訴えてくる。
 賛成したくてもあまりに突飛なことばかりで賛成しようがないのだがそれは言わずにイルカはへらりと笑う。
「カカシ先生、落ち着いて。ね」
「俺はイルカ先生のこと好きで好きでたまらないのに、イルカ先生からは俺への愛情が感じられません」
 ずばりと言い切られて、イルカもさすがにかちんときた。
「そんなことないです。だいたい好きじゃなければカカシ先生がわけわからない態度とったときにこれ幸いと別れてましたよ。でもカカシ先生のこと好きだなって思ったからちゃんと関係修復したじゃないですか」
「そう、だけど、でも、それでもイルカ先生は俺のこと好きじゃない」
「好きですよ。そりゃあ、カカシ先生のように猛烈に好きじゃないかもしれないけど、付き合ってもいいって思えるくらいは好きです」
「モーレツに好きじゃないんですか!?」
 くわっとカカシの目が見開かれた。普段は眠そうな目がうるうるとしてまるでいたいけな小犬のようだ。
 カカシの勢いにイルカのほうが引いてしまう。顔を寄せてくるカカシの肩を押さえつける。なにが悲しくてくつろぎの場である自分の部屋でこんな茶番を演じなければならないのだ。普段見慣れた少し汚れた自分の部屋が他人行儀な顔をしてイルカとカカシのことを包んでいる気がした。
「だから、そこなんですよ。俺たちの好きには、かなりの温度差があるんです。まずそこを話し合わないとって思ってたんです」
 大人の余裕、大人の余裕とイルカは心の中で唱える。
「俺は、もっとゆっくり進んでいきたいと思います。カカシ先生は短距離走みたいな感じですけど、マラソンのほうが味がありますよ。一気にケリがつくわけじゃなくて、ペース配分やら駆け引きやらで頭も使いますしね。そのほうが奥深いといいますか」
 なにやらたとえがおっさんだと思わないでもないがなかなかいいたとえだなあと自画自賛する部分もあり、イルカは頷いて悦に入っていた。
 しかしイルカの手はカカシにいささか乱暴に払われた。ゆらりと立ち上がったカカシは、目元を拭って息を吸った。
「そんなの、おかしい! そんなの好きじゃないよ!」
「い、いきなり全否定?」
「だって俺たちほやほやの恋人同士なのに、なんでそんなじいさんみたいな恋愛しないといけないの? そういうのはもっと後にくるものじゃないの?」
「いや、でも、俺、じいさんじゃないけどおっさんだし……」
「イルカ先生とのお付き合いは、か、考えさせていただきます! しばらくイルカ先生とは会いません!」
 まるでヒステリーのようにどんどんと畳を踏みならしたカカシは宣言した。
 うそ、とイルカが呆然としている間にどたどたとあわただしくカカシは出て行ってしまった。



 待て、と言う間もなかった。
 ただ間抜けにも引き留めようと差しだした手が宙に浮いている。
 そろそろと手を戻して、正座をついていた両膝にぐっと両手を載せる。
 意識せずにかわいた笑いが漏れる。
「まあ、よかったんだよな、これで」
 そうだ。このままカカシがイルカに愛想を尽かしてしまえばなし崩しに別れることになるだろう。カカシも己の一時ののぼせのようなものに気づき、まさに若気の至りだったと、イルカとのことを苦い笑いをもって思い出すことになるだろう。
 ちょっと微妙な思い出として……。
 そこまで想像を進めてイルカは顔をあげた。
「ダメだ」
 こんな中途半端に終わらせるのは、よくない。互いの心にわだかまりを残してしまう。
 いやそれ以前にカカシは付き合いを考える、しばらく会わないと言っただけだ。それをいきなり別れるに進めてしまわなくてもいいではないか。なぜいきなりここでイルカのほうが短距離走者になってしまうのだ。
 じっくりゆっくり、攻める。ペース配分、駆け引き。それがマラソン、大人の恋愛とついさっき自分で語ったばかりではないか。
 イルカはゆらりと立ち上がった。
 カカシを追いかけなければならない。
 玄関で慌ててサンダルを引っかけて、ドアノブを掴んだまさにその瞬間、ドアは大きく開かれた。
「ぉわあ!」
 思わず本能的にドアノブをぐっと握りしめてしまう。足をまろばせつつ、つんのめった先には、カカシがいた。
「イルカせんせー!」
 自然の動きにまかせてカカシに倒れ込む。カカシはイルカのことをがっしと受け止めつつも、支えきれずにアパートの柵に背中からぶつかってしまった。
 忍者として情けないが、声もだせずにただ心臓が愕きに高ぶる。カカシに抱き留められたまま、胸のあたりでカカシがわめく。
「ごめんなさいイルカせんせー! やっぱり俺には無理です。だってイルカ先生のこと大好きなんだもん!」
 大好き、などと思い切りの声で叫ばれてイルカも我に返る。無言でカカシを引きずってとにかく玄関口に落ち着いた。玄関のかまちに腰掛けたイルカにカカシは抱きついたままだ。
「カカシ先生、なんで泣いてるんですか」
「だって、アスマが、押してダメなら引いてみろって言ったんです。だから俺、ツ、ツンデレってやつに挑戦しようと思ったんです。でも、でもでもでも、このままもしイルカ先生がわかってくれなくてずっと会えなくて別れることになったらって思ったら、耐えられません。引くなんて無理です。俺はこれからも押しまくります!」
 ツンデレ、とやらがよくわからないが、アスマの入れ知恵でカカシの先ほどの台詞が出てきたということはわかった。しかしカカシのツンデレ作戦とやらは、5分も持たずに終了した。
 イルカにぎゅうぎゅう抱きついて、わんわんと喚いている。
 ごめんなさいーごめんなさいーと必死で謝るカカシのつむじを見ていると、強ばっていた体と心がすっと軽くなる。
 柔らかな髪に触れてみたら猫っ毛だった。
「俺こそ、すみませんでした。確かにカカシ先生にがみがみ言い過ぎました。カカシ先生は、俺のためにいろいろ考えてくれたのにね」
「そんなことないです。俺が至らないから、イルカ先生は大人だから俺に注意してくれただけです」
「いやあ、そんな、立派なものではないですよ」
 改めて考えればイルカのほうこそ恥ずかしいくらいに大人げなかったことこの上ない。20も年の差がありながら、精神年齢はもしかしたらそんなに離れていないのかもしれない。
「ごめんなさいイルカ先生。俺も、マラソンします。だから、許してくれますか?」
 顔を上げたカカシは、真っ直ぐに真摯にイルカを見つめてきた。マラソンをするなんて、かわいいことを言うではないか。その訴えかける健気な瞳がとても好ましく思えて、イルカはカカシの口布をそっと下ろした。
「仲直りしましょうか、カカシさん」
 小粒な果実のような唇が、え、ととまどいにかすかに開く。あの時もキスしておけばよかったなと、以前仲直りした時のことをふと思い出す。カカシの頬を両手でそっとはさんだイルカは顔を傾けて、カカシに口づけを送った。



 うふうふ、と気持ち悪いくらいにハイテンションな吐息が頭部に落ちてくる。
「イルカさんからキスしてもらっちゃったあ。俺今日がファーストキッスってことにしようっと」
 ぎゅううとつぶれんばかりに抱きしめられる。髪にほおずりされる。玄関から動いていない。たださきほどまではカカシがイルカに抱きついていた。
 何故にこのような構図になってしまったのだろう。
 間違いなく、イルカのほうがリードするように自分からカカシにキスした。ちゅっとかるく触れるだけのかわいらしいキスをしようと思ったのだ。それがあれよあれよと言う間に形勢逆転。立ち上がったカカシにのし掛かられるような形に持って行かれ、なにかが違うと目を見開いた時には、うっとりとイルカを見つめるカカシの青い目が焦点が合わないくらいのところにあり、イルカの頬はカカシの両手にがっちりとはさまれていた。
 カカシの舌がぬるりと口の中に入り、我が物顔でイルカの口の中で暴れた。逃げまどうイルカの舌を捕らえて吸い付いて噛んで苦しくて顔を振った時には口の端から唾液がこぼれ落ちる始末。そこにまた吸い付いてきたカカシはそのまま好きなだけイルカを翻弄し、体中の力を奪われたイルカはぐったりする体をカカシに預ける始末となったのだ。
「大丈夫、イルカさん? 俺手加減したんだけど、でも嬉しくてつい調子に乗っちゃったかも。ごめんね」
 青ざめたイルカの目元にちゅっとかわいらしく吸い付いて、満面の笑顔で謝罪する。
 やっぱりイチャパラは役に立ちますね、と頬を染めたカカシが漏らした一言であの悪書からこんなキスを学んだのだと知る。
 カカシの無邪気な笑顔。しかしそれに騙されてはいけない。アクマは極端に早変わりする。そのことを今一度心に留めたイルカだったが、すでに引き返せない地点にきてしまったのかもしれないなあとひきつる心で思ったのだった。









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