少年上忍中年中忍 第二部 G





 ガイとは演習場で別れ、その日の帰りイルカは普段のアカデミーからとは違うルートで帰路を辿っていた。
 演習場から町中に近づくかたちの道だ。アカデミー勤務の忍者たちは子供たちを守るためにいつ召集されるかわからないため、基本的に街の中心地に近い場所にアパートやら寮やらを与えられていた。
 明日は休みだ。イルカの片手にはスーパーの買い物袋が下がっていた。
 酒やら総菜やらつまみやらが入っている。くさくさする気持ちを吹き飛ばすには飲むのが一番と大量に買い込んだのだ。
 心も軽く歩いていたイルカだが、角の道を曲がったところで、たたずむカカシを見つけた。
 カカシは、イルカから見ると横顔だ。さらに言うと、頭部にはヘルメットをかぶり、手元にはなにやら紙を広げて、視線の先には、確かつい最近まで空き地だったはずの土地。
 しかし今そこは小型のブルドーザーが入り、土を掘り返していた。
 そのまま、回れ右をして帰ったほうがいいと本能がイルカを促す。ものすごく、尋常ではないくらい悪い予感がする。背筋を正体不明のなにかがはい上がる。
 基本的に厄介ごとは遠慮したいイルカだが、しかしその性質のせいで後で痛い目にあってきたことは数知れない。だからイルカは本能に逆らって、えいやとカカシに近寄った。
「イルカ先生!」
 無論、カカシは声をかける前に気づいた。ぱあっと輝く笑顔でイルカにすり寄ってくる。
「すごい偶然。イルカ先生のこと考えてたんです。あ、でも俺いっつもイルカ先生のことばーっかり考えてるんですけどね」
 気持ちをストレートに口にして、カカシは上機嫌だ。しかしイルカはカカシの手元の紙、図面を、食い入るように見ていた。
「あ、見ちゃいました?」
 カカシは慌てて図面を隠そうとするが、今更と思ったのか、イルカに差しだした。
「これ、俺とイルカ先生の愛の巣ですぅ」
 やっぱり、と思った途端にイルカは下げていた荷物を思い切り地面に落としていた。ぐしゃ、と何かがつぶれた音がするが、それどころではない。
「あああああ、愛の巣っ? 愛の巣って! な、な、ななな」
 まるで吃音になってしまったように言葉がでてこない。図面を掴む手がぶるぶると震える。
「あのね」
 カカシはほそりとした指先で図面を指し示す。
「この間イルカ先生言ってたじゃないですか。自分の時間を大事にしたいって。だから、ちゃんとイルカ先生の部屋、あります。俺はいつだってイルカ先生の見える位置にいたいから俺の部屋はいりません。だからイルカ先生の部屋以外は、居間と、台所と……」
 言葉をきったカカシは、ちら、とイルカのことを艶めいた目で見つめて、頬を押さえる。
「あとは、ベッドルームです! ベッドはイルカ先生のことぎゅっとして寝たいからシングルでもよかったけど、さすがにそれはダメかなって思ったので、セミダブルにしました」
 ばりっとその瞬間イルカは図面をまっぷたつに破いていた。
「ああ! なにするんですか!」
 破いたあとは丁寧にぐしゃぐしゃに両手で丸めた。
「カカシ先生!」
 ブルドーザーの音に負けないくらいの音量で声を上げた。
「勝手に家なんか建ててどうするつもりですか。工事始めちゃったら、キャンセルできるんですか? もう契約しちゃったってことでしょう? どうするんですかこんなことして」
 イルカは興奮してまくしたてたが、カカシは目を見開いてぱちぱちと瞬きした。
「俺の貯金の範囲で建てられる家ですから、イルカ先生はお金の心配なんてしなくていいんですよ」
 落ち着いて答えるカカシにイルカの方が熱くなる。そして子供のくせに上忍の財力にもむかつくのだ。
「そういうことじゃなくてですね、家建てたって、俺、住みませんよ」
「ええ!?」
 小憎らしいくらいに落ち着いたいたカカシがここで動揺をみせた。しかし続く言葉は勘違いだった。
「一戸建てじゃなくて、マンションのほうがよかったですか?」
 イルカはがくりと肩が落ちて、よろめいた途端に落とした荷物を蹴ってしまった。
 もう、なにから突っ込んでいいのかわからない。
 落ち着け。落ち着けイルカ! 己を鼓舞して、カカシの腕をがしっと掴んだ。
「イ、イルカ先生? 荷物、にもつは……」
 カカシの声を無視してイルカは走り出した。





「カカシ先生はいつも一人で突っ走り過ぎです。どうして俺に一言相談するとかしてくれないんですか」
 頭ごなしに叱ってはダメだと理性の部分では思うのだが、堰を切ってしまった気持ちはとどまるところを知らず、ついつい小言を連ねてしまう。
 まずはイルカの自宅に連れてきた。
 卓袱台をはさんで向かい合ったカカシは正座したまま、とりあえずは神妙にイルカの言葉を受け止めているようだが、俯いたその口もとが気持ち尖っている気がするのだ。
「なんですか。言いたいことあるならばしっと言ってくださいね」
「まだ家は買ってません」
 カカシはいきなり思いもよらないことを言い出した。
 ぐっと顔を上げると、見えている片目を座らせて、イルカのことをねめつけた。
「まだ、買ってません。あそこがいいかと思って見に行っただけです。そしたら工事のおじさんが危険だからってヘルメット貸してくれたんです」
「え? でも、工事は」
「土地をならしているだけだって言ってました。詳しいことは知りませんよ」
 ぷん、とカカシは顔を背けた。
「だいたいそんなにすぐに土地買って工事始めるなんてできるわけないじゃないですか。いろんな手続きがあるし、どんなに早くても三ヶ月くらいはかかりますよね。イルカ先生事務方なのにそんなことも知らないんですか」
 意外や意外、かるく嫌みまで交えてカカシは言い返してきた。しかも言われたことも至極まともで、カカシのことをまじまじと凝視した。
「そう、ですか。それは、すみません」
 とりあえず謝ってみたが、なぜ謝ったのか自分で理由がよくわからない。
「どうして一緒に住むのダメなんですか」
「え?」
 カカシは卓袱台に身を乗り出して、必死に、真っ直ぐ訴えてきた。
「ちゃんとイルカ先生の部屋もあります。一人になりたい時は部屋にいればいいじゃないですか。俺邪魔しません。なにも問題ないじゃないですか」
「いや、問題というか、なんというか、そんないろいろ大急ぎでやらなくても」
 カカシの言っていることは特に間違ってはいない、だろう。多分……。
 だが、間違っていなければそれでいいかというとそういうものでもない。
 好き同士の二人が、一緒に住む。互いのプライベートも大事にしたい。それならそれぞれの部屋を持とう。共同でできることは一緒にしよう。なんて理想的な、素敵な生活。お互いを尊重しつつ、和を保つ。
 しかしそういうことではないのだ。さまざまないいわけをはぎとって正直なところを突き詰めれば、別にイルカは誰とも住みたくないのだ。一人でも人生は充実してるし、普通に寂しさを感じることはあるが、それは誰だって感じる程度のもので、誰かといなければ寂しくて寂しくて仕方ないなんてことはこれっぽっちもない。
 やはりこうなると、カカシと付き合ったのは間違いだったという結論に至ってしまう。カカシのことは好きだ。好きだが、二人が見ている方向があまりに違いすぎる。カカシが右ならイルカは思い切り左を向いている。
「俺、一人暮らしが好きなんです。たまに誰かを泊めたりするのは好きだし旅行も好きですし友人と騒ぐのも好きです。でも、基本的に一人の生活が快適なんですよね」
 さらりと本音を口にしてしまえば、カカシは少し大袈裟なくらいにのけぞって、がくりと畳に両手をついた。
「カカシ先生? 大丈夫ですか?」
 カカシがあまりに落胆しているから、イルカもさすがに心配になる。背中に手を置こうとしたイルカだが、くぐもったカカシの声に手を止める。
 ゆらりと顔をあげたカカシは、恨めしげな眼差しでイルカを捕らえた。
「イルカ先生は、俺のこと、本当に好きなんですか?」









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