少年上忍中年中忍 第二部 F
「イールカせんせー」
振り向いた途端に、容赦なくぶつかられた。ぐっと踏ん張ったが結局壁にぶつかり、もっていた書類をばらまいてしまった。
ナルトか、と思いきや、カカシがイルカの腰にしがみついていた。
「な、なんですか、カカシ先生。びっくりするじゃないですか」
「ごめんなさいー。でもイルカ先生見つけたら勝手に体が動いちゃって」
カカシは悪びれずに見えないしっぽをぶんぶん振っている。
「お仕事終わったんですよね? 一緒に帰りましょう。今日は俺が夕飯作ります」
確かに、この書類を教務の主任に届ければ本日の仕事は終わりだ。だが、少しばかり残業しようと思っていたのだ。
「あのーですね、ちょっと残りの仕事があって」
「じゃあ待ちます。俺もう暇だから、ずっと待ってます」
「はあ。じゃあ、先に、俺の家に行ってますか?」
イルカとしてはいい提案をしたつもりなのに、カカシはぶんぶんと首を振った。
「一緒に帰りたいから待ちます」
「はあ……」
なんだか、一気に力が抜ける。きっとこのままカカシを待たせて残業をこなしても仕事が進まないことは目に見えていた。
「じゃあ、急ぎの仕事でもないので、帰りましょうか」
かすかに笑ってイルカが頷けば、カカシはきらきらと表情を輝かせた。まぶしさにイルカはつい目を細めたほどだ。
「校門のところで待ってます。すぐ来てくださいねっ」
カカシは風のように去ってしまった。
せめて書類拾うの手伝えよ、と言おうとして言いそびれてしまった。カカシの去った方を呆然と見つめる。窓から差し込む夏が近づいた夕日が頬に痛い。
体中でため息をついて、イルカはしゃがんだ。そのままそこに倒れ込みたいくらいだ。
つきあうというのは、果たしてこんなに疲れることであっただろうか?
カカシの一方的な同棲への持ち込みは回避した。だが敵はとにかくしつこかった。一緒には住んでいない。だが毎日毎日やってくるのだ。
ある日飲んだくれて気分よく帰ってきた0時過ぎ、玄関先に座り込んでいたカカシに腰を抜かしそうになった。約束をしていたわけではない。けれど待たされすぎて、普通ならその気持ちが顔にでても不思議ではないのに、カカシは心底嬉しそうに笑って、待ってましたと言ったのだ。ただ会いたかったから。自分が勝手にしていることだからイルカは気にする必要はないと笑顔を見せたが、はいそうですかと頷けるようなことではない。
結局、約束もなく外で待つのはやめて欲しいと言って、会いたいときは直接アカデミーに来るかなにか連絡を入れて欲しいと言ったら言ったで、毎日毎日やってくる。他の約束があるならそっちを優先してくれとカカシは言うが、カカシの健気な姿を見てしまった同僚友人はカカシに遠慮して、なるべくカカシを優先させようとするのだ。
確かにイルカとて、カカシが待っているかもしれないと思うとおちおち楽しんでいる場合でもなく、カカシと会う回数がどうしても増えてしまう。
そんな日々だが特になにをしているというわけではなく、だいたいはイルカかカカシの家で他愛もない話をして夕飯を食べる。カカシはイルカの家だと風呂に入りたがるが、入っている時間が長いことに加えて、風呂から上がった後のカカシが頬を赤く染めてうっとりしていることがなにやら嫌なのだ。一緒に入れないのならイルカの後に入りたがる。イルカの後、残り湯に固執している。なんだか怖い。
つきあい始めた頃、現実を疑って控えめだった頃のカカシが今となっては懐かしい。
土日は運がいいというか、カカシのほうに予定がたてこみ今のところ押しかけられることはないが、平日に加えてもし土日まで時間をとられるようならどうすればいいのだと今から心労が激しい。
一人の時間。以前は腐るほどあったあの時間が恋しくて仕方ない。
倒れ込みそうになる気持ちを叱咤して、イルカは書類をゆっくりと拾い集めた。
「疲れているではないかイルカ」
「わかります? やっぱりわかりますよね。そうなんです。俺疲れてます」
いくら上忍とはいえ結構年下のガイに泣きつく己が情けないとは思うが、イルカは思わず訴えかけていた。
最近気分がくさくさする、気合いをいれたいから、とガイに頼んで体術の修行をつけてもらっていたが、動きに精細を欠き、簡単な基礎の打ち込みさえかわしきれずに何度か飛ばされた。
さすがにガイも不審に思ったのか、一度動きを止めて息をあげて構えたイルカをじっと見て、疲れているのではと労るような声をかけてくれたのだ。
そんなガイの優しさに張っていた気持ちがイルカは一気に緩んだ。
修行をやめて、適当な切り株に並んで座った。
「カ、カカシ先生に、ストーカーされてるんです」
「なんとっ。ストーカーとはっ。それはゆゆしき事態だぞイルカ」
必死の顔で告げればガイはのけぞった。しかしのけぞった体勢を元に戻すと首をひねった。
「しかしイルカよ。お前とカカシはつきあっているのではなかったか?」
「そうですよつきあってますよ」
「つきあっている者同士でもストーカーというのは成り立つものなのか?」
この際どうでもいいような的はずれな問いを発するガイにイルカはたまらず声を大きくしていた。
「つきあっていようがなんだろうが、四六時中つきまとわれたら立派なストーカーのできあがりですよ」
「ならばカカシに言えばいいではないか。つきまとうのはやめろと」
ガイに正論をあっさりと返されて、イルカは返答に詰まる。
確かに、カカシにずばり言えばいいのだ。つきあっていますが、もう少し、互いの時間を尊重しようと。いや、やわらかくそれらしいことは言った。言ったが、カカシにこれまた正論を吐かれた。
つきあっているし、好きなのだから、できるだけ長い時間一緒にいたいと思うことはおかしいのか、と。
「おかしくないではないか」
「……やっぱり、そうですか。そうですよね」
「俺に愛する女性ができてつきあうことができたなら、カカシと同じようにできるだけ一緒にいたいと思うであろうなあ」
うっすらと頬を染めて、木々の合間から遠くの空を見つめて呟くガイはやはり若者なのだなあと思う。いやしかし、これはただ単にイルカが恋愛オンチなだけなのかもしれない。実際にイルカと同年代でも恋にときめいている奴らはいるのだから。
「なあイルカよ」
ガイにならってぼうと空を見ていたイルカにガイは詰め寄った。
「お前は本当にカカシにラブなのか?」
根本的な問いかけにイルカはしばし沈黙する。
実はイルカ自身何度も自問した。本当にカカシが好きなのか? やはりほだされただけなのか? と。
カカシとぎこちなかった頃は己のチャチなプライドのため関係修復にムキになっていただけで、好きだと思いこんでいただけなのではないかと。
普通に考えれば、多少過剰なところはあっても恋人同士で好きだ好きだと詰め寄られたなら、仕方ないなと苦笑めいた気持ちで思っても、げっそりやつれるような状態にはならないのではないか。
「好き、だとは思います。でも」
「でも?」
「なんと言いますか、どういう好きなのかがよくわからなくなっていると言うか」
「なんだ? 難しいことを言うではないか」
「まあ、その、カカシ先生は俺より20も下なわけじゃないですか。だから、俺の子供って言ってもおかしくないような年なんで、かわいいとは思います。でもそれが、恋愛のような好きなのかと言われると、それはどうよ俺って感じで」
「だがカカシは見ているほうが恥ずかしいくらいイルカにぞっっっっこん! だぞ」
「そんな力いっぱい言わないでください」
やはり好きという気持ちの方向が違っている気がする。簡単なことだが、今のところカカシと恋人同士の営みをしたいという気持ちがかけらもわかないのだから。
「カカシ先生に、話してみます」
ふうと息を吐いて立ち上がるとイルカは体を伸ばした。
「ごちゃごちゃ考えているとまた前みたいになってしまうんで、正直なところを伝えて、話し合ってみます」
「そうか。そうだな。確かにそれがいいと思うぞ。だがイルカよ」
イルカと同じく立ち上がったガイは、右手の親指をぐっとたてて、イルカの顔に近づけた。
「カカシは結構しつこいからな。別れるという選択肢はないと思ったほうがいいぞ! 俺からのアドヴァイスだっ!」
親切なガイのアドバイスにイルカは乾いた笑いを漏らした。
イルカとてそんなことはわかっている。カカシの粘着質な性質はさすがに理解している。だから別れるということは考えていない。とにかくもう少しゆっくり近づけないかと提案するつもりだった。
大人の余裕で懇々と諭そうと、いささか余裕ぶって思っていたイルカだった。
しかしその日の帰り道、そんな大人の余裕をかましている場合ではない事態に遭遇してしまった。
E。。。G