少年上忍中年中忍 第二部 D





 目の前にはつやつやと光り輝く薄紅色の粒。電灯の下でまぶしいくらいにきらめいている。まるで思春期の輝きのように、そう、まるでカカシのつやつやのお肌のように。
 そこまで連想がおよんでイルカはがくりとうなだれた。
 本日の収穫はさくらんぼ。イルカの失態はカカシへの過度の暴言。おまけとしてナルトから受けた叱責。
 カカシが泣きながら職員室を出て行ってしまった後、イルカはナルトにさんざん叱られた。
 ひどい、鬼、見損なった、カカシ先生がかわいそうだ、などその他もろもろの罵倒を受けた。
 カカシのために必死になって目を潤ませていたナルトのことをいいこに育ったなあと感慨深く思いつつ、イルカとて内心己を恥じていた。
 カカシの態度に苛ついていた自覚はあった。自分だけが悪いとも思わない。だが、それにしても、だ。
 ものごとには言い方というものがある。しかもイルカは思慮分別のある大人、なのだ。それが20も下の子供にかっとなり吠えてしまった。上忍とはいえ日常生活的なことに関してはカカシは年よりも幼いくらいの子供っぽいところがあるのだとわかっていたはずなのに……。
 所詮は、わかっていたつもりだったと言うことだ。
 イルカはさくらんぼをつまんだ。今年初物の赤い果実は甘く口の中で弾けた。ふと、少しばかり汚れた天井を見上げる。
 結論として、カカシとの付き合いは無理だと、はっきりわかった。
 責めたイルカに対してカカシは避けてない、と言った。続いて何か言おうとしていたのに、イルカの一喝がその言葉を奪ってしまった。
 カカシは、何を言おうとしたのだろう。聞いてやるべきだったのだろうが、なにやら今更もうどうでもいいような気もする。
 とにかくカカシと別れることは決定事項なのだから。





 カカシが怪我をした、とナルトが報告に来た。
「カカシ先生、トラップ撤去しそこねて起爆札爆発させたってばよ!」
 さすがのナルトも青ざめてかすかに唇を震わせていた。たいしたことないと言い張るカカシを無理矢理アカデミーの保健室に押し込んできたという。
 昨日の今日だ。どう考えてもイルカに一因はあるだろう。夕方から受付所の仕事があるが、同僚に少し遅れる旨了承を得て、イルカは保健室に急いだ。
「カカシ先生と仲直りするってばよ!」
 ナルトは大声で元気に送り出してくれたが、イルカはその逆の決意を秘めて、足を進めた。
 それでも心のどこかになにがしかのためらいがあり、教室に備え付けの救急箱の補充をするという理由付けで、保健室の戸を叩いた。
 イルカ、と気さくに声をかけてくれた忍医は同期の懇意にしている男で、カカシの左のニの腕に薬を塗っていた。
「カカシ先生。また怪我されたんですか」
 イルカはごくりと唾を飲み込んで、内心の緊張を隠してカカシに近寄った。イスにちょこんと腰掛けていたカカシは身をすくませた。
「はあ。お恥ずかしいです。上忍なのに」
「上忍とかそんなことはいいんです。そうじゃなくて」
「ごめんなさい」
 しゅんとうち沈むカカシにそれ以上何も言えずに、イルカは顔をしかめる。友人である忍医に目配せすれば、心得たとばかりにイルカに席を譲ってくれて、そのまま一服してくると部屋を出て行った。
 気の利いた友人に感謝しつつ、イスに座る。カカシの傷は縦に10センチばかり裂かれていた。起爆札を爆破させた割には軽傷といえるだろうか。
「ナルトに聞きました。起爆札の処理、ミスったそうですね。らしくないですよ、こんな無防備な傷」
 結構深い。きっと傷ついた時は血が大量に噴き出したことだろう。
 カカシの腕に薬を浸した新しい綿を塗り込みつつちらりと表情を伺ったが、表情ひとつ変えずに俯いたままだ。
「カカシ先生。昨日は、言い過ぎました」
「え?」
 イルカの問いかけにカカシはぽかんと無防備な表情で首をかしげる。
「オレ、いい年して、大人げないこと言っちゃいましたね」
「そんなことないです」
 小さな声だったが、カカシはきっぱりと否定した。真っ直ぐに見つめられて、イルカは薬を塗布する手を思わず止めてしまう。
「俺が悪かったんです。イルカ先生に嫌な思いさせて、本当に、ごめんなさい。昨日家に帰ってから考えたんです。イルカ先生に怒鳴られて悲しかったけど、やっぱり俺が悪かったんだって」
「もうやめましょうカカシ先生」
 口調がきつくなってしまう。イルカの固い声に途端にカカシはおどおどと視線を泳がせて、目を伏せてしまう。きゅっと結ばれた口もとが痛々しくて、これ以上イルカは何も言えなくなる。
 だが、イルカは言わなければならない。
 きっとカカシはイルカとの中途半端な関係に悩んで、惑わされて、集中力に欠けるのだろう。
 照れでも緊張でもこの際なんでもいいが、その感情が悪く作用するなら付き合いなどやめた方がいい。
 ずっとためらって言えなかったことを今なら言える。
 だがその前に伝えておきたいことがあった。
 本当に今更なことだが、最後だからこそ、きちんと告げておきたかった。
 カカシのことが、好きだったと。
「……心配、なんですよ」
 ふて腐れたように告げれば、カカシは顔を上げた。片目で食い入るように見つめてくる。
 一途な光を宿して見つめてくる瞳が実はイルカは少し苦手だ。それはカカシに限らずアカデミーの子供達も皆真っ直ぐな目をして、教師たち大人を見つめてくる。イルカもそんなふうに物怖じせずに見つめることができた時があった。だがそれなりの年月を過ごすうちに恐れを知らない瞳が、少し苦手で、怖く感じるようになっていった。
 逸らしたい、でも逸らしてはダメだ。イルカはカカシを見据えた。
「いちおう! 俺達お付き合いしているわけじゃないですか。それは普通よりちょっと特別ってことで、だから特別な相手のことだから、誰よりも心配だし、他の人間に対するよりも違う態度とっちゃうと思うんです。俺もたいして恋愛経験がないからなんともいえないけど、多分そうなんです」
 怪我をしている子供相手に、イルカはムキになってまるで怒っているような声で告げていた。やはりカカシの目を見ていられなくて、さりげなく視線を逸らしながらだが。
「なんか俺たちごちゃごちゃしちゃいましたけど、きっとこのまま中途半端なままでいるとカカシ先生にとってよくないと思うんです。俺は、カカシ先生のこと好きですよ。でも好きだけどそれだけじゃどうしようもない深い溝ってものがきっとあって、おっさんと若者のジェネレーションギャップ? みたいなといいますかなんといいますか」
 口にしながらなにがなんだかわからなくなる。収集がつかなくなるとはこのことか。
 混乱したまま何も言ってこないカカシが気になってそっと視線を向ければ、カカシは目を潤ませているではないか。
「カカシ先生?」
 イルカが慌てて立ち上がればカカシもがたんと立ち上がる。なぜかぐっと睨み合う二人。
 別れましょう。
 言わなければと思うのだが、イルカは口を開けられない。みなぎる緊張感。
 こんな時はなぜか普段は気にならない時を刻む壁時計の音がやけに耳に響く。
 結局、先に口を開いたのはカカシだった。
「イルカ先生! 俺のこと、殴ってください!」
「はい!?」
「何も聞かずに殴ってくださいっ」
 ずいとカカシは身を乗り出すが、イルカは身を引く。
「殴れませんよ。意味わかりません」
 ずいずいと迫ってくるカカシから逃げるために必然的に後ろに下がれば、すぐに薬品棚にぶち当たり、イルカは追いつめられる。
 カカシはぐっと口を引き結んでイルカのことを睨み付けてくる。
「カカシ先生、ちょっと、落ち着いて……」
「落ち着いてます。落ち着いているから殴って欲しいんです。殴ってもらって痛くないと、俺、もう、もう! 信じられません!」
 わっと叫んだカカシはイルカの胸に顔を伏せた。
「俺、イルカ先生とお付き合いさせて貰えるようになったけど、でも夢みたいで信じられなくて、どうしたらいいかわからなくて!」
 顔を上げたカカシは泣いていた。きれいな顔で鼻水を垂らしている。
 不釣り合いな姿に思わず小さく吹き出したイルカだが、カカシに胸ぐらをぐっとつかまれて口もとを引き結ぶ。
「これは夢じゃないかって思ってしまうんです。実は俺の妄想があふれ出してイルカ先生とお付き合いしているのかって、夢じゃないかって思うんです。本当に、俺イルカ先生と付き合ってるんですか!? 夢じゃないんですか?」
「妄想って、なんですかそりゃあ」
 カカシは鬼気迫る形相でイルカに詰め寄る。胸元を掴む手にも力が入っている。
 なりふり構わない必死な姿に、イルカはみとれた。
 みとれて、決して麗しい姿ではないのに、きれいだなと思う。
「夢かもしれないって思ったら気が気じゃなくなって、イルカ先生といっぱいお話したいのにどうしたらいいかわからなくて、だから変な態度とってごめんなさい。俺サイテーって思ってたけど、どうしようもなくて……!」
 うわーんとカカシは手放しで泣き出してしまった。イルカの背に精一杯両手を回して、子供のように、泣いている。まあ、まだ15だ。たとえ上忍でもまだ甘えることが許される子供なのだ。
 ゆっくりと優しく柔らかな銀髪を撫でてやりながら、イルカも気持ちを落ち着けた。
「カカシ先生」
 泣きやんだ頃を見計らって声をかければ、カカシはおずおずと顔を上げてきた。泣きはらした目も、鼻も頬も赤くて、イルカはかすかに笑ってしまった。
「いい男が台無しですよ」
 ひたと見つめてくるカカシの頬をそっと両手で包む。
「そんなに俺が付き合うって言ったの信用できなかったんですか?」
「信用できないっていうか、信じたいけど、でも、俺の妄想かなって……」
「そりゃあカカシ先生ほどのレベルだったら俺のこと幻術にかけるのも可能でしょうけど、俺ね、結構幻術にはかかりにくい体質なんですよ」
「幻術なんてそんな」
「はいはい。もう黙って。目、つむってください」
 優しく告げれば、カカシは目尻を染めて、それでもなにかを期待するような表情で、そっと、目をつむった。
 一見人形のように無機質に見えて、そのくせとても熱いものを体の中に秘めているきれいな少年。今もイルカからしかけられる行為を待って、なにやらときめいているようだ。
 かわいいやつだなあと思う。こんなおっさんのどこがいいのかと今更ながらの問いを発したくなるが、まあ、恋とやらはきっとそんなものなのだろう。理屈も道理も通らない不思議で怖い世界。イルカはどちらかといえば敬遠していたその世界に足を踏み入れ始めてしまったのかもしれない。
 顔を傾けて、カカシの唇の熱さが空気を通して感じられる近さでふと止まる。
 このまま、キスでもしてやろうと思っていたのだが、それはなんとなく腑に落ちないものを感じて、結局イルカはカカシの頬を両側からつまんで引っ張っていた。
 大人げないと言われようと、イルカとて、カカシにずいぶん惑わされ悩んだのだ。これくらいの意趣返しは許されるだろう。
 大人と子供だが、なんといってもお付き合いをしているのだ。対等なのだ。
 愕きに目を開けたカカシに座った目で告げてやった。
「今度わけわからない理由で変な態度とったら、許さねえからな〜」
 ドスのきいた声を響かせれば、カカシは若干怯えて、こくこくと素直に頷いたのだった。









B。。。D