少年上忍中年中忍 第二部 C





 残業をしていたイルカの元に珍しくナルトがやって来た。
 アカデミー在籍の頃から職員室はナルトにとって鬼門だ。ろくな思い出がないはずなのに、とイルカがいぶかしく思えば「イルカ先生元気ないってばよ〜」とずばり言われた。
 数日後に行う予定のテスト問題の作成をしていたが、手を止めてナルトを見る。夕日を受けて顔を赤くしたナルトは口を尖らせてどこかふて腐れたようにしてイルカをうかがう。
「カカシ先生も元気ない。喧嘩したのか?」
 ナルトにまで気遣わせてしまったかとイルカは己の至らなさに思わず乾いた笑いを漏らしてしまう。
「んー、喧嘩はしてねえんだけどなあ。ちょっとな。俺にもよくわからん」
「なんだよそれー」
 ナルトが頬を膨らませるのももっともなのだが、わからない、それがイルカの正直なところだ。
 どうしたらいいかわからない。なんとかしたかったがどうにもできなくて、結局逃げる。
「なあなあ、カカシ先生とイルカ先生って付き合ってるんだろ」
 イルカの横の椅子に腰掛けたナルトは身を乗り出してくる。付き合うことになってからカカシがさっそと周囲にばらしてしまったからもちろんナルトも知っている。だが、なんとなく気恥ずかしさを覚えてイルカは曖昧に頷いた。
「まあ、な。オトモダチの延長みたいなものだけどな」
「なんだよ照れるなよー。おっさんのくせに」
「お前ぇ、それはおっさんだろうが関係ないだろ」
 と言うよりもいい年をした大人だから20も下の子供と付き合うことが恥ずかしいのだがそのあたりの機微はナルトにはまだわからないようだ。
 なんとなく口ごもるイルカのことをじっと見ていたナルトは、なぜかしたり顔で腕を組むと頷いた。
「イルカ先生、カカシ先生照れてるんだってばよ。もっと二人で会ってデエトとかすればいいじゃんか」
「わかってるよそんなことは。俺はこれでも歩み寄ったんだよ。けどカカシ先生がありえねえくらい緊張っつーか、照れてるっつーか、ダメダメなんだよ」
 職員室にはまだ幾人かの教師が残っている。幸いイルカとは遠い席で、しかも教職歴半世紀くらいの長老たちだ。耳は遠いと思うがイルカは身をひそめてナルトと机の上で額を付き合わせた。
「なあ、ナルトのほうがカカシ先生と年も近いし、もっとカカシ先生のことわかるだろ? 今時の子供はどうなってんだよ」
「子供じゃないってばよー。俺は火影になる男だからな」
 子供といえばナルトはすかさず反論する。それが子供なのだ、とは言わずにイルカは話を進める。
「今はお前のことじゃなくてだな、カカシ先生のことなんだよ」
「カカシ先生はいっつもイチャパラ読んでたのに最近はぼーっとしてるな。この間俺が掘った落とし穴にしっかり落ちてた。でも仕掛けの竹槍はかわしてた」
 喜々と告げるナルトの頭をパカリと叩く。
「なんだよー。いたずらじゃんかー。だいたいカカシ先生はガキだけど上忍で俺達の先生なんだからあれくらいどってことないってばよ」
「ガキとはいえ上忍師のカカシ先生がお前のトラップとも言えない落とし穴に落ちるのは充分問題だろうが」
 叱りつければナルトは素直にうなだれる。しかしすぐに顔を上げるとイルカのことを睨んできた。
「なんだよ。カカシ先生が元気ないのイルカ先生のせいなんだろ。俺のせいばっかにしてさあ」
「別にお前ぇのせいにしてないだろうが」
「してるーしてるー」
「ナルトー」
 なんだか収拾がつかなくなってきた。はたと考えれば、なぜにナルトに恋愛相談しているのだとそこに思いいたる。
 子供相手に恋愛相談……。
 末期だ。やはりこれは袋小路だ。
 イルカは机の上にのめりこむように額をつけた。
「イルカ先生?」
 ナルトが慌てて立ち上がる。元気だせよーとイルカの頭を撫でてくれる。
 情けないがナルトの優しさに涙がチョチョ切れそうだ。
 だが、そんな幸せな師弟のそばに気配もなく話題の上忍が立った。
「カ、カカシせんせ、い?」
 びっくりしたなんてものじゃない。全く気配を感じなかった。カカシは無表情に師弟のことを見ていた。顔は右目の周囲くらいしかあいていないカカシだが、ひやりとするくらいの怜悧な美貌が際だっていた。
 本当に別れを決意した数日前。カカシとはあの夜に不本意な別れ方をして以来だ。
「あの、カカシ先生。今日は……」
 なんとなく機嫌をとるような薄笑いでカカシを見上げる。ぴりぴりとくる気配が剣呑で、下出にでたほうがいいと思ったのだ。
 カカシはなにも喋らない。ただじっと、イルカと、ナルトのことを見据えているのだ。
 ちらりと残っている職員を見ればやはりただならぬ気配にこちらを伺ってる。
「また……」
「え? なんですか?」
 カカシの声は小さくて、問い返せば、カカシは急に表情をがらりと変えた。ぐっと拳を握って、吠えた。
「ばかあ!!」
「ばか!?」
 面と向かって本気で力いっぱい『ばか』などと、さすがにいい大人になれば言われない。久しぶり過ぎることにイルカは唖然となり口が開く。
「ばかばか! また、ナルトとばっかり仲良くしてひどいよ! 俺たち付き合ってるのに!」
 周囲のことなど全く気にせずカカシは喚く。
「ちょ、っと、カカシ先生、落ち着いて」
「ナルト!」
 宥めようとするイルカではなくてナルトに視線を定めたカカシははっきりと殺気をだす。上忍の本気のチャクラにさすがにナルトも無意識ではあろうがびくりと震える。
「お前、イルカ先生のとこに来てないで修行しろ。お前はまだ下忍なんだからな。こんなところでさぼってる場合じゃないだろ」
「さ、さぼってなんてないってばよ……」
 声がしぼんでしまうナルトにカカシは追い打ちをかける。
「サスケは修行してるぞ。そんなんでサスケに勝てるのか? 将来火影になれると思ってるのか!? ふざけるなよ」
 ナルトは押し黙る。ぐっと口を引き結ぶ。さすがにイルカはナルトをかばうようにカカシの前に立った。
「カカシ先生。ナルトにあたらないでください。俺に対してむかついてるんでしょう。だったら俺に言いたいこと言ってくさださいよ。卑怯ですよ」
 イルカが固い声で告げれば、一瞬でカカシの怒りのチャクラが消える。あからさまに、傷ついています、という捨てられた犬のようなすがるような目をして、イルカのことを見上げる。
「あたってなんか、いません。ナルトが、さぼっているから」
「ナルトは俺のことを気にしてわざわざ来てくれたんです。カカシ先生、あなたはナルトの上忍師でしょう。生徒を傷つけてどうするんですか」
 カカシは絶句する。口布の奥でも口元がわななくのがわかる。けれどイルカのいきりたった思考はそのまま突き進んだ。
「ナルトは俺だけじゃなくてカカシ先生も元気がないって心配してるんですよ。俺達が互いに沈んでいるって。だいたいその原因はカカシ先生じゃないですか。俺がどんなに歩みよろうとしてもカカシ先生が俺を避けるからこんなことになったんですよ」
「避けてません」
「いいえ。避けてます。人のこと馬鹿にしてるんですか? あんなに付きまとったくせに」
「だって! 俺……!」
 カカシは悲しげなかすれた声をだすが、この期におよんでいいわけめいたことを言おうとすることに腹が立つ。
「だってもくそもあるか!」
 腹の底からの一喝。水を打ったように静まりかえる職員室。
 ためにためていたものを一気に吐きだした。やはりここ最近のカカシとのことはストレスになっていたのだろう。すっと身が軽くなった気がする。ぱちぱちと瞬きをしたイルカはそこでやっと目の前のカカシを冷静に見ることができた。
 カカシは、青ざめて、かすかに震えていた。
「イルカ先生! ひどいってばよ!」
 カカシが何か言う前に後ろからナルトが腰のあたりをぽかぽかと叩く。
「ちゃんとカカシ先生の話聞いてやれよ! 怒りんぼ!」
 なぜかナルトが必死になってイルカを責め立てる。
「馬鹿、叩くな、ナルト」
 ナルトをなだめつつ、おそるおそるカカシを伺った途端、イルカは己の浅はかさを知った。
 カカシは思い切り泣いていた。きっと隠れている鼻からは鼻水がでていることだろう。
 言ってしまったことは戻すことはできない。なかったことにはできない。それでも、嘘ですよ、とでも言えばなかったことにできないだろうか? なんてことを願う。
 たった今カカシに生徒を傷つけてどうすると言ったが、イルカこそ20も下の子供を傷つけているではないか。
「あの、カカシ先生、すみません。言い過ぎました俺」
 手を伸ばそうとしたがカカシはすっとよけて、イルカの前にかごを差しだした。そこには季節のさくらんぼがこんもりと盛られていた。
「これは?」
「に、にん、にんむで……」
 ひっひっとしゃくり上げながら一言だけ口にすると、かごをイルカに押しつけてカカシは職員室から駆けて行ってしまった。
 受け取ったかごを見て、カカシの去った職員室の入り口を見て、イルカはがくりと椅子に体を沈めた。
「カカシ先生泣いてたぞ! ばか! イルカ先生ひどいってばよ! おにー!」
 ナルトがぎゃんぎゃんと叫ぶ。
 恐ろしくて顔を向けることができないが、きっと職員室のベテラン教師もイルカのことを刺すような目で見ていることだろう。
 ナルトの罵倒を甘んじて受けながら、穴があったら隠れてしまいたいイルカだった。







B。。。D