少年上忍中年中忍 第二部 R





「カカシさーん。待ってくださいよー」
 飲み屋からの最短の道を通ってカカシの家を目指せば、猫背の背中でとぼとぼと歩くカカシに追いついた。酔客もすれ違うことなく、昼間はにぎわう商店街も今は静まりかえっていた。秋の夜風にぷるりと身を震わせる。
 イルカの声に足を止めないカカシだが、かと言って足を早めることもない。横に並んで、イルカはポケットに入っているカカシの手を引っ張り出してお金を押しつけた。
「いりませんよ。子供が変な気回さないでくださいよ」
 いきなりカカシは足を止めた。俯いたままでなぜか近くの店のシャッターに向かって歩き、イルカには背を向けてしまう。
「カカシさん?」
 カカシはなにも言わない。背中がイルカのことを拒んでいる。だがこのままイルカが去ったらそれは嫌だと小さな背はそう言っている。それくらいにはカカシのことがわかるようなった。だが、面倒だと思う自分もいる。
 そう、恋愛は面倒なのだ。自分の心でさえ思うままにならないというのに、別の人間の気持ちを忖度して、気を遣って。もともと無精者の自分にはきっと恋愛は向いてない。だが、それでも今更カカシとのことをなかったことにはできないが。
「カカシさん、これからでもカカシさんちに行っていいですか? 明日早いなら帰りますけど」
 そんなことより、タギに言われたように謝らなければと思うのだが、それもわざとらしいような気もして、妥協案としてカカシの家に行くことを提案した。
 カカシはそれでも返事をせずに、しばしの間。
イルカがそっとため息を落とすと同時に背中をすっと伸ばしたカカシがくるりと振り向いた。
「カカシさん……」
 真っ直ぐに見つめてくるカカシの見えている方の目は、少し潤んでいた。
「俺、20の年の差なんてたいしたことないってずっと思ってました」
「は?」
 カカシは思いがけないことを言い出した。それがイルカにとっては突飛なことで、思わず吹きだした。
「いや〜、二十は、さすがにたいしたことある年の差ですよ。だってカカシさんが生まれた時に俺はすでに立派ではないですけど大人で、任務だってこなして」
 茶化すようなイルカの声は、だんだんとしぼんでしまう。カカシが、固い表情を崩さずにこちらを見つめているから。
「いや、まあ、その」
 イルカは頭に手をやってどこかに転がっていそうな適当な言葉を探す。だがイルカがなにか言う前にカカシが呟いた。
「なんで俺、まだ15なんだろう」
「まだって、そんな」
 思い詰めたようなカカシの強ばった顔にイルカは明るく声を張り上げた。
「そんな、ねえ、ほら、若いっていいじゃないですか。若いってだけで価値があるように言われるじゃないですか。俺だって若い頃に戻りたいなあって思いますよ。いやあ、若いって羨ましいですよ」
「うそだ」
 イルカの声を遮るカカシの声は苦渋に満ちていた。カカシの目から、ぽろりと涙が落ちた。
「俺、さっきずっとイルカさんたちの話に入りたかったけど、俺にはわからない話が多くて、入れなかった」
「それは、仕方ないですよ。昔の話だし」
「ずるいよ。俺が生まれた時にはイルカさんはもう生まれていて、俺が絶対に追いつけない二十年があるなんて、そんなのずるいっ」
 子供じみた癇癪で、カカシは必死に言い募る。だがその姿をイルカは嗤うことはできなかった。
 カカシはどうしようもなく埋められない、年月というものを嘆いている。
 目元を乱暴に拭ったカカシは己を落ち着かせる為か、大きく息をついた。
「若くていいことなんてなんにもない。俺、イルカさんと同じ頃に生まれたかったよ」
 かみしめるような声。イルカは打ち抜かれたように息をつめる。カカシはぺこりと頭を下げると、イルカを置いて行ってしまった。
 いってらっしゃいも、気を付けても言えないままにカカシに去られてしまった後、イルカはその場で膝をおってしゃがみこんだ。
 心臓が、馬鹿みたいに音をかき鳴らす。腹におさめた大量の酒が逆流しそうなくらいだ。口もとをおさえる。何故かとても苦しい。
 カカシの涙。若さを嘆く姿が、イルカのなにかをかき乱す。頬が熱い、胸が苦しい。苦しいが、そこには甘いなにかもある。
 これは。
 これは……。
 こういうことが、恋、なのだろうか?





 カカシが任務に去ってから、イルカは日々ぼんやりと過ごしていた。
 腑抜け役立たずと親しい友人からは罵倒され、ナルトにまで心配をされるくらいに力なくすごしていた。
 きちんと仕事をしよう、しゃきっとしようともちろん心がけている。中堅どころのベテラン教師として、後輩教師の模範とならなければ、と。しかしそう思うそばから脳裏を占めるのはカカシのこと。別れた夜のカカシ、それ以前の共に過ごしたカカシが唐突に浮かんで乱舞する。たくさんのカカシが浮かんで、出会ってからそんなに月日が経ったわけではないが、意外と過ごした時間は多かったのだと改めて思う。
 カカシは今頃どうしているだろうかと、不意の思考にすべてカカシがいる。
「イルカせんせー、ラーメン伸びちゃうってばよ」
 と言いながらナルトはちゃっかりとイルカのチャーシューを持っていくところだった。普段ならあっさりとそれを許すイルカではないのだが、今はチャーシューを取り戻す気力はなかった。替え玉を頼んだナルトはイルカのことを横からのぞき込んできた。
「イルカ先生はカカシ先生が任務に行って寂しいんだってばよ」
 ずばり言われて、それが間違いなく事実だからイルカはしおらしく箸を置く。
「なっさけねえってばよイルカ先生」
 腕を組んだナルトはふん、と鼻を鳴らす。
「今までずーっとカカシ先生につれない態度とっていたからこんな目にあうんだってばよ」
 ナルトの言葉がぷすりと胸に刺さる。イルカに懐いているナルトだがカカシにも懐いている。今ではカカシと過ごす時間のほうが長いし、カカシとのほうが年が近い。より親近感が沸くことだろう。イルカの今までのカカシへの対応を知っているだけにナルトはここぞとばかりにイルカを責めるのだ。
「俺だって、反省している。カカシさんに冷たい態度をとっていたと、思う」
「思うじゃなくてとっていたってばよ」
 ううう、とイルカはますます顔をうつむける。とっくに食事をする気は失せて、半分ほど残ったラーメンをナルトにお願いする。頬杖ついて深いため息をつけば一楽の親父さん、テウチがにやりと笑う。
「恋煩いかい、イルカ先生」
 言われた途端にイルカの肘はがくりと落ちる。
「こ、こここ、こっこ……!」
「イルカ先生にわとりみてえ」
「こいわずらいっ!」
 かっと目を見開いていた。
「そうだろ。とうとうあの坊主に惚れちまったってわけだ」
 テウチは鷹揚に頷く。するとナルトまで同じように頷くではないか。
「俺にもわかるってばよ。俺もサクラちゃんのこと考えると今のイルカ先生みたいにダメダメになっちまう時あるかんな」
「なんだ。ナルトのほうがよほどわかってるじゃねえか、イルカ先生よ、あんた大人だけど中身はてんでガキだからな」
 テウチにまで駄目だしされてイルカは頭を抱えて突っ伏した。
 俺って誰からもそんな認識なのかと我が事ながら呆れかえる。
 今更だが、カカシはイルカに対してそざかし歯痒い思いをしてきたのだろう。普通なら二十も年が上ならイルカのほうがいろいろとリードしてしかるべきところだ。それをいつまでもはっきりとせずにいつだって受け身の体勢だった。
 仕方ない、たいして恋なんてしたことない、そんなものなくたって生きていけるし。それは間違いではないだろう。だがカカシと恋を始めた時からそれはただのいいわけだ。
 恋が苦手でもなんでも、向き合わなければならなかった。
 そのことが、あの晩あんなふうにカカシに泣かれて初めて気づいた。逃げてばかりいた自分の心を見つめれば、そこにはちゃんとカカシがいた。
 あれからずっと。
 寝ても覚めてもカカシを思って、カカシが今どうしているかを考えて、ため息がでる。胸のあたりがきゅうと絞られたようになる。
 毎晩カカシのことを夢に見る。カカシのことを考えて眠りが浅くなる。
 カカシに早く会いたい。会って、たくさん話がしたい。これから、ちゃんと始めたい。
 確かにこれは、カカシに恋しているのだろう。心ここにあらずで、自分ことよりカカシのことばかり考えているのだから。
 ナルトと別れた一楽の帰り、ふと見上げた空にきらめく星々に、カカシに早く会いたいと無意識に願ってしまったところで、本気で諦めた。
 カカシが好きだ。とてもとても好きだ。



 カカシと今度こそ恋人同士になろう。
 そう誓った。






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