少年上忍中年中忍 第二部 O
「そりゃあゆゆしき事態でやつじゃないのか」
タギはもっともなことを言った。
「まったくなあ。まだまだ枯れるには早いと思うけどさ。まあ、昔から淡泊だったし。六十七十になっても子供作るひとたちには脱帽だな」
わはは、とイルカは笑った。演習の片づけが昼の時間帯までかかってしまい、二人は少し遅めの昼食を食堂でとっていた。
「で、カカシ少年はそれからどんな攻撃にでてるんだ?」
ずるずるとラーメンをすすりながらタギが聞いてくる。みそ汁の腕を持ったまま動きを止めたイルカは、腕を置いて、ふうと息を落とす。
「それがさ」
と言葉に詰まる。
イルカの予測では、まずはカカシはイルカに精を付けるために滋養強壮系の飲食物をせっせと運んでくるとふんでいたのだ。その後はあやしい薬など調達して毎晩せまってきたり、それでもイルカが拒めば強硬手段にでるのでは、と、内心で卑猥なビデオ並のくだらないがやばい想像をして、恐怖におののき、負けるものかと気合いを入れていた。
「イルカ。発想がまるでおっさん。いや、もしくは青臭いガキ」
タギにも寒い目で見られる。
「うるせえ。どうせ俺の発想は貧困だっつーの」
しかし、違ったのだ。
翌日、なにごともなかったようにイルカの家にやって来たカカシは、いつものようにたわいのない話をして夕食を共にしてくつろいで、突飛な行動をしかけてきた最近のなかではとても平和な夜を過ごしたのだ。
いい加減夜が更けた頃にはイルカが帰りを促す前に自分から帰宅する旨を申し出てきた。
なんとなく調子が狂うなあと思いながらも玄関で見送るためにカカシが靴を履き終わるのを待った。
「じゃあ、帰りますね」
「はあ。気を付けて」
間の抜けたやりとりのあと、真っ直ぐに立ったカカシがふと真面目な顔を向けてきた。その角度が以前よりも急ではない。背が伸びたのではないかとぼんやり思っていたイルカに、カカシは告げた。
「好きですイルカさん」
まるで不意打ちのような言い方だった。
なにも返せずに、イルカはただカカシの視線を受け止めた。
「大好きです」
そう言ってにこりと笑顔を見せる。
こういう時、仮にも付き合いをしている二人なら、俺も好きです、と返すべきなのだろう。そう思いつつも口にすることができずにイルカは黙ったままカカシを見ていた。
「さよなら。また明日来ますね」
はにかむように口にして、カカシは帰っていった。
玄関でしばし立ったままでいたイルカだがなにやら頭はからっぽで、何も考えられずにそのまま部屋の中に戻ったのだった。
それだけで終わったのならなんてことのないいつものカカシの突飛な行動のひとつに数えて終わりだったのだが、ところが、だ。
それから毎日イルカと会うたびにカカシは好きだと告げてくる。真っ直ぐと逸らすことを許さない目をして、単純な、それでいてとても深い愛の言葉を口にするのだ。
好き。大好き。だーい好き。きれいで優しげでまっさらな笑顔と共に何度も何度も繰り返す。
「ねえイルカさん、ぎゅっとしていいですか?」
「ぎゅっ!?」
「そうです。ぎゅーってしたいんです」
と言って目の前に迫ってくるカカシはいたって真面目な顔をしている。
自宅の畳の上で。時にはカカシの家のフローリングの床で。いちいちうかがわれてイルカはついきょろきょろと周囲を見てから、わかっているのに誰もいないことを馬鹿みたいに確認して、どうぞと頷く。するとカカシは満面の笑みでぎゅうっとイルカに抱きついてくる。
「好きですよー。大好きー」
優しい声とはうらはらに、息が苦しくなるくらいに抱きしめる手は力強かった。
「まーったく調子が狂うんだよな」
思わずぼやいて茶をすする。どんぶりを置いたタギは笑う。
「なんだよ。好きだなんてずっとカカシ少年言ってただろ。今更調子狂うのかよ」
「そりゃそうだけどさ、めちゃくちゃな行動とるほうに慣れちまったんだよ。好きだ好きだ連呼されてもぴんとこないというか……どうしたらいいっつーんだ俺はっ、てなとこなんだよ」
「どうもこうもねえだろ。普通に恋人同士でいいんじゃねえか?」
「普通ねえ」
20も年の差がある時点であまり普通ではない気がするし、恋人同士でいながらもよおさないのも普通でない気がする。これではただの友人と同じだが友人と呼ぶにはそれもしっくりとこない。
こうして最近のイルカはカカシとの関係が、己の立ち位置がわからずにもやもやとしていた。
「俺、明後日から二ヶ月ほど単独任務に出向きます」
わいわいと騒がしい焼き肉屋の店内。奥まった席でカカシもくつろいで口布をとって久しぶりの外食を二人共が楽しんでいた。
イルカの肉を返していた手が止まる。向かい側のカカシは野菜を返していた。
「二ヶ月は結構長いですね」
思ったことをそのまま口にすれば、カカシが手を止めて色違いの目をきらきらさせてイルカのことを伺う。
「寂しい? 俺がいないと寂しい?」
ストレートに問われてイルカは返したばかりの肉を再び返す。
「えーと、そうですねえ。そりゃあ、まあ、ねえ」
「煮え切らない返事だなあ、もう」
ぷうと頬を膨らませたカカシだが、口の端をきれいにつり上げて小首をかしげた。
「俺は寂しいよ。大大大好きなイルカさんと二ヶ月も会えないなんて、頭おかしくなりそうだよ。寂しくて死んじゃいそう」
「なっ、なに不吉なこと言うんですか、もう」
「う〜そ。冗談だ〜よ」
くすくすと余裕めいた笑いでまとめてカカシは焼けた肉やら野菜やらをさっさと口に運ぶ。
イルカは少しぬるくなったビールを一気に飲み干してすぐにお代わりを頼む。カカシは機嫌よさげに食事を楽しんでいる。カカシがいない間はアスマと紅とガイが順番でカカシ班をみるのだと言う。個人的な特訓プランもちゃんと作ってから任務に行くのだとカカシは意気揚々だ。
そんなカカシの話を聞きながら、なんだか急にカカシが大人びてきたなと思うイルカだ。
ちょっと前まで予測不能の行動でイルカの目を白黒させていたというのに。きっかけはやはりカカシに対して肉欲を感じないと言った時からかもしれない。
自分が治してみせると言ったカカシだが特になにかをするわけではなく穏やかに時を過ごし、まるで付き合って何年も経つ恋人同士のような時間を過ごしていた。
新鮮味はないかもしれないが安心感がある、居心地のいい空間を作っていた。
それはそれでイルカとしてはまあいいかと思うのだが、若いカカシはどのように思っているのだろう。聞けばやぶ蛇になりそうな気がしてイルカは卑怯にも現状維持を選ぶ。仕方ないではないか。どうしたって年を重ねると臆病になるのだから。
満腹になった腹を抱えて適当なところで切り上げる。たまの外食くらいイルカが奢ってもいいと思うのだが、カカシは基本的に割り勘、もしくは稼ぎがいいという理由で自分のほうが多く払うと言う。だがイルカはさすがに年上の沽券に関わるといつも会計の時にもめるのも常で、結局無難に割り勘で店を後にする。
最近日常になったやりとりで外に出れば秋の風がさっと吹いていく。大きく伸びをして並んで歩きだすと、ほどなくしてカカシがおずおずと尋ねてきた。
「イルカさん、手、つなぎたい。つないでいい?」
かすかに頬を染めて控えめにねだられて、咄嗟にイルカは言葉がでない。
なんというか、本当に、調子が狂う。
ちょっと前のカカシならいちいちこんなふうに伺ったりせずにもっと無邪気に手をつないできたはずだから。
「イルカさん、駄目?」
「駄目じゃあ、ないですよ。別に。つなぎましょうよ」
ぐっとイルカから手をとればなぜかカカシは手を放す。そして手甲をはずすと、改めてイルカの手をとった。少ししめった柔らかくすべらかな手になぜかイルカはどきりと心臓がはねる。
「イルカさん、好き。好きです」
きゅっと手に力をこめて、イルカに微笑みかける。
そして振り上げた手を口元に持っていき、イルカの手の甲にちゅっと音をたててキスをした。
「! なっ、なななな、なにー!?」
「なにって、キスしましたあ」
えへへと笑ってイルカを見つめる目はうっとりとして、夢を見ているようだ。こんな公衆の場で、とか文句を言いたいのだが嬉しそうなカカシを見ているとちょうどいい言葉がでずに、あわあわとしたままイルカは乱暴に歩き出す。どうしてか心臓がうるさく音をたてる。
「ねえイルカさん、俺んちに少し寄りませんか? この間紅からおいしいお茶もらったんですよ」
「や、ちょっと、仕事が」
「少しだけ。お願い」
カカシが顔をのぞきこんでくるからイルカは思わずのけぞって手を離していた。
「イルカさん?」
「い、いいですよ。ちょっとなら大丈夫です。お茶しましょう!」
その途端カカシの顔が輝く。
「ほんと? やったあ。大好きイルカさん」
わーいと飛び上がってカカシはイルカに抱きつく。思わず周囲を見回してしまうイルカだが、酔客が多く通る繁華街ではたいして珍しいことでもないのか特に振り返る者はいない。
それでも小心者のイルカは早足でその場を去った。
「はいどうぞ」
カカシが出してくれたお茶はかすかに花の香がするまろやかな緑茶だった。じんわりと胃に染みこむような落ち着くうまさがあり、イルカは深く息をついた。
「このクッキーはサクラの手作りで〜す。結構うまいですよ〜」
本当はサスケだけにあげたかったみたいですけどね、とカカシは言い添えた。
「サクラ一生懸命なんだけど、サスケはナルトのほうを気にしてますからね」
イルカの隣にカカシが座るとソファが少しばかり沈む。ぴたりと寄り添うカカシはクッキーをかじり、お茶を飲んで、イルカに笑いかける。
「幸せだなあ俺。イルカさんといられて世界一幸せですよ」
なんてことを恥ずかしげもなく口にされ、イルカは「ひっ」と喉の奥で引きつれたような声を上げ、背筋はぞわぞわと粟立つ。
カカシはイルカの引きつった顔を見て口を尖らせた。
「失礼だなあ。どん引きですか」
「だ、だって、カカシさん、よくもまあそんなくさい言葉を、ぬけぬけと」
「くさくていいですよ〜だ。愛の言葉なんてくさくてなんぼですから」
カカシは偉そうに胸を張る。はあ、と脱力したイルカは改めてカカシの若さを思った。イルカにはどう逆立ちしたって言えそうにない。だが十代の頃のイルカなら、そんな言葉をためらうことなく告げることができたのだろうか。
「……」
個人差のような気がする。しかし脱力しつつも高まる心臓の鼓動を抑えることができずに、イルカはつい目を逸らしてカップを手に取る。するとすかさずカカシが身をすりつけてくる。
「好き好きイルカさん」
いつになく緊張して胸の音がおさまらない自分をイルカ自身がもてあます。カカシと二人でいて、嘗てこんなにも緊張することがあっただろうか。身構えるような緊張感とは違う。体全部が脈打つような緊張。焦り。
カカシが突飛な行動をやめてから、いつしか、ずっと。愛の言葉がイルカの中でこだまする。
「カカシさん」
「なんですか〜」
ごくりとお茶を飲みきったイルカは、このままではいかんとよくわからない焦燥に駆られ、現状維持を投げ捨てて最近のカカシの変わりようの理由を聞くことにした。
N。。。P