少年上忍中年中忍 第二部 I





 カカシと本当に仲直りをしてから、少しずつではあるが付き合いをしている感じにはなってきた。キス、なんかは最近では自然とできるようになってきたし、カカシはイルカに無茶苦茶な迫り方をすることもなくなり、突飛な行動もしなくなっていた。
 イルカがあまり積極的にはカカシの家に行かないため自然とカカシのほうがイルカの家に入り浸る。休みが合えば外に出かけたりもする。普通の恋人同士ではないかと、順調な展開にイルカは安堵していた。
 ゆっくりとカカシと進んでいけたならいいと余裕をもって思い始めた頃にやってきた夏。
 家には寝に帰るだけという忙しい1週間、その週末にイルカはふと気づいた。
 台所の生ゴミの異臭と、そこから発生した小さな虫。夏が始まると、実感したのだ。
 もともと今年の夏は暑いと予測されていた。その通りに、6月の下旬からぐんぐんと気温は上昇した。梅雨があったのかなかったのかよくわからないうちに夏に本格突入して、アカデミーは夏休み。イルカのようなアカデミー勤務の内勤の忍は当番制で補習を受ける子供たちを担当しつつ、任務にも赴いていた。
 夏はとにかくものは腐りやすくなるし、汗をかくし、臭う。築の古いアパートはアパート自体が臭気を放っている気さえする。それにイルカは加齢臭が気になるお年頃。
 だがイルカの家には扇風機しかない。
 このアパートに入居してはや12年。仕事に行って遊んで任務なんかもたまにこなして、と代わり映えのない日々を過ごす大人にとって月日はあっと言う間に過ぎていく。
 そんな流されまくりの月日で、毎年夏になるとうんざりする暑さをイルカは嘆いてきた。
 木の葉の里は潤沢な緑に恵まれている。それゆえというべきか、夏は湿気たっぷりにじとじとねちねちと暑い。窓を豪快に開けはなってもそよとも風は吹き込まない。家にいるよりは外で寝たほうがよほど涼しいのだ。
 そうは言っても木の葉は忍の里。忍の職についている者は里での仕事に従事している者でなければ常に任務で飛び回っておりエアコンの必要もない。忍者たる者、という精神論的な理由で持たない者もいる。体感温度の感覚をやすやすとコントロールできるから必要ない者もいる。
 イルカは特になにかできるということもなく普通に夏は暑いのだ。エアコンを買えるくらいの金はあるがなんとなく持たずにいた。
 所詮夏は一過性のもの。どれだけ暑さにうだって夏を呪ってもあっと言う間に去っていく。
 涼やかな秋の風を感じた時には懐かしく愛おしく暑さを思い出したりする。それがイルカにとっての秋の風情でもあった。
 きっとこのまま、エアコンなしで過ごしていくのだろうとなんとなしに、しかし確たることとして思っていたのだ。





 そんな夏のある晩。
 久しぶりの長期任務から帰還したのは深夜。火の国のお偉いさんの護衛という、気疲れの多い任務だったため、転がり込むように家に入り、べたついた体をなんとかしたくて風呂場に直行した。本当はゆっくりとぬるい湯にでも浸かりたかったが、さっぱりしてビールでも飲んでさっさと寝てしまいたかった。
 水に近いようなシャワーを浴びて、風呂場に備え付けの小さめのタオルで適当に体を拭って部屋に入り、電灯を付けた。
 そこにはカカシがいた。
 ばっちりと目があった。カカシは畳の上に寝ころんでいたのか、後ろに両手をついて起きあがった姿勢のまま固まり、イルカは電気の紐に手を伸ばした姿勢のまま、固まった。
 このまま互いに動かなければ朝まで固まったままでいたかもしれない。しかし、カカシの視線が、イルカの顔から、下降して体の中心で止まり、音がしそうなくらいに白い顔が真っ赤になった。
 そこでイルカの呪縛が解けた。
「ぉわあ!」
 情けないが前屈みになって急所を隠す。
「カカシさん! 人の家でなにしてるんですか」
 なにか羽織るもの、と部屋の中をきょろきょろ見つつ、干しっぱなしだった洗濯ものの中にTシャツを見つけてとりあえず素早く身につける。無理矢理裾を伸ばして足を抱えて座って股間を隠した。
 カカシはイルカの動きを見開いた目でずっと追いかけていた。
「え、あ、いや、ええと、今夜は、イルカさんが帰還する日だから、あ、会いたくて、待ってました」
「勝手に鍵開けたんですか?」
「しゅ、出発前に、いてもいいって、イルカさんから、鍵渡されてました」
 カカシは小さな声で告げる。一人空回りしている己をばかやろーと内心思いつつ、勢いにまかせてイルカは声を上げた。
「とりあえず。今夜は帰ってください」
「え、でも」
 カカシは不満げに頬を膨らませる。
「明日、明日会いに行きますから」
「明日は俺が任務です」
「じゃあ任務終わってから!」
 とにかく早く帰ってくれとばかりにイルカはカカシに背を向けた。
 同性同士の裸、とはいえお付き合い中の二人の間ではそれは大きな意味を持つ。げんにイルカは動揺しまくりで、まともな思考が働かなかった。
 聞く耳持たんとばかりに黙っていれば、諦めたのかカカシが立ちあがる。お疲れ様でした、と告げて、そっと去っていった。
 カカシの気配が完全に遠のいて、やっとイルカは腹の底から息をついた。タンスからとりだしたトランクスをはいてからからの喉を潤すために台所に戻って冷蔵庫を開ければ、中にはサラダ、刺身、酢の物などが用意されてラップされていた。
「……カカシさん」
 イルカは急降下で腹のあたりが重くなった。
 いくら動揺したとはいえ、あまりな態度だったかと反省する余裕がでてきた。
 次にカカシと会った時は優しくしよう、嫌がらずに相手をしてやろうと思ったイルカだった。



「イルカさ〜ん」
 声と一緒に体温が背中にへばりつく。イルカは何も考えずに振り払う。しかしカカシは上忍。これまた何も考えずにするりとよけていた。
 暑苦しい六畳の畳部屋で、イルカは火照った汗ばんだ顔の座った目でカカシをねめつける。カカシは悪びれずに笑っている。
 昼から回しっぱなしの扇風機が首を振る音と、窓の向こうからの蝉の声が部屋でちょっとした二重奏を作る。とても夕方とは思えない暑さだ。イルカが座っている畳の尻のあたりは汗で濡れている。
 今年の夏は暑いだけではなかったのだ。カカシがいたことをうっかり失念していた。
 カカシがいつ何時来訪するかわからない為パンツ一丁で部屋をうろうろすることもできない。カカシが来る日はそれなりに気を遣ってあまり露出のない服を着ていたが、それも限界。今日は膝までのハーフパンツをぎりぎりまで捲って、タンクトップを着ていた。
「……カカシさん。なんっかい言ったらわかるんですか? 暑いから、あんまりくっつかないでくださいって、口がすっぱくなるくらい言いましたよね?」
「ごめんなさい。でもイルカさんのこと大好きだからつい懐きたくなるんです」
 かわいい桃色の頬をして素直に謝る。はあ、とイルカはこれみよがしのため息をついた。あの晩カカシに優しくしようと思った。嫌がらずに相手をしようと思った。だがこの暑さの前ではそんな誓いは真夏の陽射しの下の水滴のように一瞬で蒸発してなくなった。
「いいですかカカシさん。何回でも言わせてもらいますが、くそ暑いからくっつきたくないんです。それでなくても狭い家ですし。それに汗臭くて、自分が気になるから嫌なんです」
 しかしカカシはイルカの言葉などものともせずに、頬を染める。
「だから〜、前にも言ったじゃないですかあ。俺、イルカ先生の匂い好きです。ずっとかいでいたいくらいです」
 その瞬間はぞぞぞと背中に悪寒が走り一瞬ではあったが涼しくなった。しかしカカシに感謝している場合ではない。イルカは怯む心を叱咤して冷静に返した。
「カカシさんがよくても、俺が嫌なんです。俺はこう見えてもですね、デオドラントには気を遣っているんです」
「デオドラント?」
 わからない、とばかりにカカシは首をかしげる。
「俺ももういい年なんで、体臭とか、気になるんですよ!」
 羞恥を覚えつつもそこまで言って、イルカはじっとカカシを見つめた。
 ついでに鼻をうごめかす。そう言えば、カカシから体臭を感じたことはない。無臭、だ。カカシくらいの年齢ならちょうど大人への成長期に入り始めているから、加齢臭ならぬ若者臭がするはずだ。青春の汗というかなんともいえない若者独特の臭いとか。それが、しない。
「ちょっといいですかカカシさん」
 一言断りを入れて、カカシの耳の後ろのあたりに顔を持っていく。近づいてかいでも、やはりなんの体臭もしない。
「カカシさんは体臭がないですね」
 間近でカカシに目を向ければ、カカシは顔を赤くしていた。
「俺、暗部にもいましたし、今も関わっているんで、体臭はコントロールできます。本当は任務でなければそんなことしなくていいんですけど、くせというか、それが自然なことになってしまったんです。だから、しないんじゃないかな」
 カカシはとつとつと控えめに語った。
「さすが上忍は違うなあ」
 心の底から感嘆してまじまじとカカシを見ていたイルカの視界がいきなりくるりとまわる。あっという間にカカシに乗っかられていた。
「ちょっと、カカシさん?」
 イルカの両肩をぐっと押さえて見下ろしてくるカカシは目を潤ませつつもぎらりと光らせて、息が少しあがっていた。
「イルカさん、この間から誘ってるんですね」
 いきなりカカシはとんでもないことを言い出した。






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