少年上忍中年中忍 第二部 @






 カカシ先生、と声をかけようとしたが、ふと口をつぐんでしまう。
 戸の開いていた上忍控え室。ガラス張りの円形の部屋の窓際の一画にカカシがいた。通りがかりにふと目についた姿に、声をかけようとした。したのだが。
 頬杖ついた顔にはどことなく憂いと言っていいような表情が浮かんでいた。はあとため息までついている。その姿に声をかける気も失せ、イルカはその場を後にした。
 カカシのため息がうつったわけではないが、イルカもうーんとつい唸ってしまう。
 やはり、早く決着をつけてやるべきなのだろう。
 わかっている、わかってはいるのだが――。




        □□□






 なんとなくというか流れに任せてしまったというかでカカシとお付き合いを始めることになった。
 付き合う前の経緯から考えて、きっとカカシは強引なくらいにいろいろとせまってくるに違いないと思い、イルカなりに構えていた。イルカはいい大人だが、恋というものに対してストイックな気持ちを持っている。恋にはステップアップがつきもの。いきなり大ジャンプをかましてはダメなのだ。誰がなんといってもイルカ的にはダメなのだ。だからカカシが猛烈にせまってきてもかわす、と固く心に誓っていた。
 ところが、だ。
 案に相違して、カカシは借りてきた猫よろしく大人しくなった。まるで知り合った当初のように、恥ずかしがり屋なカカシ。火影を通して受付所の仕事(邪魔)をしていたがそれもあっさり身を引いて、真面目に上忍師と上忍としての任務をこなしている。特に何かが変わったことはないが、カカシが大人しくなったというのが変わったことか。
 以前と同じようにイルカのもとを訪れ、時間があえば一緒に帰宅してイルカの家で夕食を一緒にしても、一休みするとイルカが言うまでもなく帰っていく。
 以前よりもカカシのアプローチは薄れた。セクハラめいた行為をしかけたりきわどい事を言うこともなく、逆に付き合う前よりも関係はよそよそしいというか他人行儀な感じがする。
 普通にしていればカカシはとてもいい子だ。付き合いなんて単語はすっぽりと抜け落ちてまるで生徒に対するようにカカシと接していたイルカだが、なんだかおかしいなと感じ始めたのは、ここ最近のことだ。
 カカシは徐々に口数が減り、イルカと一緒にいてもため息をつくことが増え、本人はため息をついている自覚もない。
 何かおかしい。何がおかしい?
 直接カカシに、元気がないですねと言ってみたが、そんなことはないと思いきり否定された。
 アカデミーの子供のことならだいたいの気持ちは察することができる。だがやはり15ともなればいろいろと複雑なことがある。入り組んだ感情を読み取るのは簡単なことではない。
 時間があればイルカをたずねてくるカカシ。けれど伏し目がちな目で気弱げにイルカを見つめる眼差しに、さすがにイルカも口数が減る。どうしたものかと真剣に考え始めたそんなある日、カカシが任務で怪我をして木の葉病院に運ばれた。



「アスマ先生。カカシ先生の容態は」
 アカデミーの帰りがけに火影に知らされて、イルカは大急ぎで病院に駆けつけた。
 施術中のカカシの部屋の前の廊下のイスにはアスマがだらしなく腰掛けて、タバコをくわえていた。火をつけたいのをなんとか我慢しているのか、機嫌の悪そうな顔でイルカを振り返った。
「おう。たいしこたあねえぜ。手裏剣がかすっただけなんだが毒塗ってやがってよ。解毒に時間がかかってるだけだ」
 たいしたことないとアスマは口にしたが、一滴の毒で人は死ぬ。カカシらしからぬというか、上忍らしからぬ不注意に、イルカは眉根を寄せた。
「カカシ先生、どうかしたんですか? 最近元気ないんですよ」
 アスマの横に腰を下ろして力無く問いかければ、アスマはなぜかくわえていたタバコを吹き出した。
 そのまま口もとを押さえて少しばかり笑う。
「なにがおかしいんですかアスマ先生。俺はカカシ先生のこと心配してるんですよ」
「ああ、悪ぃ悪ぃ。けどな、心配ねえぜ」
「心配ですよ。最近のカカシ先生ときたら、ぼーっとしまくりですよ。いつも心ここにあらずで受け答えもふにゃふにゃしてますし。病気じゃないかと心配してるんですよ」
「病気ねえ。まあ、病気には間違いねえだろうなあ」
 アスマはなんでもないことのように口にしたが、イルカは愕きに目を見張る。
「病気? じゃあすぐにでも入院というか治療というか、なんとかしないと。ちょうどいいから看てもらいましょうよ」
「まあ慌てるな。そのうち治るたぐいの病気だからほっとけや」
「ほっとけないですよ。カカシ先生は確かに上忍ですけど、まだ15の子供でもあるんですよ? 任務だって高度なものばかりなんですから、しっかり治さないと」
 イルカが必死に訴えればまたしてもアスマは収めていた笑いを復活させる。肩を震わせて、笑う。その姿にさすがにイルカもはらわたがぐっと煮えてくる。怒鳴りつけようとしたところで、タイミングよく病室の戸が開いた。
「イルカ先生」
 カカシが、ぱあっと顔を輝かせて近づいてきた。ぱっと見、怪我をしている箇所は伺えない。見えないところを怪我したということか。
「カカシ先生、大丈夫ですか」
「平気です。ちょっとした怪我ですから」
「でも、毒だって聞きましたよ」
「平気です」
 笑うカカシの頬はつやつやで、確かに大丈夫そうなのだが無理をして笑っているような気もして、イルカは腑に落ちない。なんとなくだが手をあげて、熱でもないかと少しでも素肌が見えている右の目のあたりに手をもっていこうとすれば、びくりと身を震わせてカカシは一歩引いた。
「カカシ先生?」
「お、俺、事後処理とかあるので、失礼します。ありがとうございました」
 真っ赤な顔になり、たーっと駆けていってしまう。
 まるで、逃げるように……。
「じゃあなイルカ。カカシのことは本当に心配ねえからな」
 大儀そうに立ち上がったアスマの二の腕をイルカはすかさず掴んでいた。
「今、逃げましたよカカシ先生。なんなんですかあれは。やっぱりおかしいですよ」
「まあ、おかしいことは確かだな」
「俺、連れ戻して来ます。検査してもらいましょう」
 しかしアスマはにやけた顔のままで、首を振る。
「いいから。大丈夫だって言ってるだろうが。医者には治せねえよ。あれは、ほら、イルカ、お前ぇのせいだからよ」
「俺のせい!? なにがですか? どういうことですか?」
 ますますくってかかるイルカにアスマは横を向いて深く息を吐いた。
「カカシもさすがに気の毒だな」
「え? ええー? だから、何が」
「俺も事後処理があるから行かねえとな。ま、カカシのビョーキはそのうちおさまるだろうぜ」
 アスカはそれ以上にイルカに何も応えてくれずに、ひらひらと手を振って去ってしまった。残されたイルカはそのままソファにまた腰掛ける。
「俺のせい?」
 口にしてみても答えは見つからなかった。



 その後も変わらずカカシはイルカのもとを訪れてきたが、やはりどこかぎこちない。
 一体なんなんだと考えに考えたあげく、答えがでたのはちょっとしたことだった。
 ある帰り道の夕焼けの時間、イルカとカカシの前からカカシと同じ年くらいの少年と少女が肩を並べて歩いてきた。親密な空気が漏れでる二人はそれこそ付き合っているのだろう。
 その二人のことを、カカシは目で追っていた。通り過ぎでも振り返って、二人の姿をずっと追っていた。
 そこでイルカは閃いたのだ。
 カカシは、イルカと付き合いだしたことを後悔していると。
 そういうことならアスマがイルカのせいだと言ったことに合点がいく。
 自分と同じくらいの年の女の子がいいと今更だが思っているに違いない!
 それはそうだろうとイルカはあっさり納得した。こちとら35の中年。カカシはぴちぴちの15。イルカがカカシの立場でもかわいい若い女の子をとる。それが普通だ。カカシがおっさんで男のイルカのことを好きだと言ったのは一時の気の迷いだったのだろう。
 それならそれで、イルカから引導を渡してやるのがいい。カカシは結構気遣いの人間だから、自分から猛烈にアタックしておきながら自分から付き合いをやめるなと言い出しづらいに違いない。大人の貫禄でここはずばっと付き合いをやめようと言ってやろう。
「あ〜、カカシ先生」
「はい?」
 イルカの声に振り向いたカカシに、赤い日があたる。銀の髪が光りの加減で赤くきらめき、カカシの整った容貌を輝かせた。そんなきれいな顔でカカシが満面の笑顔をみせるから、イルカはつい口をつぐんでしまう。
「イルカ先生?」
「……いえ。今日は、何が食べたいですか」
「今日は久しぶりに一楽に行きませんか」
 いいですねと、頷きつつ、なにかが胸の奥に引っかかった。
 なんだろうと思いつつも深く考えずにイルカはその場は何も言わずにすませてしまった。



 それから何回か、言おうとした。だがカカシの顔を見るとどうしてか口が重たくなり、ずるずると過ごすうちにまた日が過ぎていった。









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