れぷりかんと   6    







 一睡もできなかった。
 眠ろうとしてベッドに入ったが、目をつむるとイルカの痴態が頭に浮かび、目を開けたら開けたでそこでもイルカが悩ましい顔を見せるのだ。
 なにか他のことをと思うと懐かしいあの人の顔が浮かび、すると自然の流れでイルカにつながり、結局は普段の見知った清廉なイルカと今夜の淫らなイルカが浮かび、ますます頭は混乱して混乱したまま朝を迎えていた。
 もやもやした脳裏をクリアにするために冷たいシャワーを浴びた。ぶるりと震えた体。俯いたまま壁に頭を押しつけ深く息をつく。目を閉じる。
 単調なシャワーの音が体中に満ちてくる。
 そのリズムに結局はぼんやりする思考でついつい逃避的なことを考えてしまう。昨晩目にした光景は本当のことだったのだろうか、と。
「……」
 口が自嘲気味に歪む。自分の目で見たのだ。間違いなくイルカが深夜の教室で自慰している姿を。
 だが改めて考えてみるまでもなくイルカだとて男なのだから、生理現象と言えばそれまでのことだ。どうしてもたまってしまい、ついあんな場所で慰めてしまったとしてもカカシがこんなにも動揺することはないのだ。
 そう。わかっている。理屈でわかっていても感情は別だ。
 カカシは、あんなイルカの姿を見たくなかった。
 勝手だとは重々承知でも、裏切られたような気さえする。あの人の神聖な面影を壊されてしまったような気持ちがする。
 いったいこの先イルカにどんな顔をして会えばいいのかと鬱々とした気持ちのまま本日の集合場所へ向かっている背中に一番会いたくない人物からの声がかかった。
「カカシ先生、おはようございます」
 よく知っているさわやかなイルカの声。だがそれがとても嘘くさいものに感じられて、カカシは振り返ることができにない。
「カカシ先生?」
 近づくイルカの気配。カカシはたまらず駆けだしていた。
 それから、ひたすらにイルカを避ける日々が始まった。
 生徒たちを持っている手前どうしてアカデミーに行く用事は多くなる。
 イルカはカカシの姿をみとめると必ず合図を送ってくるのだが、あからさまに目を逸らし背を向けてしまう。
 話をしなくてはと思うのだが、反射的にあの夜のイルカの痴態がよみがえり、心臓はばくばくとなり、落ち着いて話などできる状況にならないことがわかるのだ。
 ひたすらに避け続ければだんだんとイルカの表情が険しいものになっていく。このままでは駄目だとカカシとて思うのだが、どうしても二の足を踏んでしまう。そしてイルカはどうやらものごとをなあなあにすませることは好まないらしい。油断していた。
 上忍待機所でぼうっとしていた一人の昼下がり、気づいた時にはイルカが入ってくるところだった。
 久しぶりに真っ正面から見るイルカの顔は強ばり、カカシのことを射抜くように見ていた。
 目の前から見下ろされ、ごくりとカカシの喉は鳴る。
 固い表情のイルカは少しばかり怖かった。それなのに、カカシの頬はかあっと熱くなる。あの夜の艶めいたイルカがよみがえるから。
「カカシ先生。俺、なにかしましたか? 俺がなにかしたなら言ってください。いきなり避けられたら気になりますし、感じ、悪いですよ。いい大人なんですから、ちゃんと対応していただきたいのですが」
 真面目な顔をしてイルカはまっとうなことを口にする。
 カカシはかあっと脳が焼けた。
 いい大人、だなんてイルカに言われたくない。いい大人のくせに深夜の教室で自慰に耽っていたイルカになんて。
 あんなに乱れていたくせに。しかも誰かとの行為ではなく、一人で。それが背徳感に拍車をかける。
 生真面目なイルカ、淫らな本性を隠したイルカ。子供達の前で笑ったり怒ったり。そしてあの人のオリジナルのイルカ。さまざまなイルカ。だが今のカカシの中では淫らなイルカが大きく場所を占めてしまってる。
 どうしようもない感情のループにはまり、立ちあがったカカシはたまらず叫んでいた。
「イ、イルカ先生はふしだらな人です!」
 息があがる。イルカはカカシの勢いに一歩距離をとる。目を見開く。
「……ふし、だら?」
 勢いづいたまま体の中から溢れた言葉を並べ立てた。
「俺、この間の夜、偶然見たんです。イルカ先生、教室で、お、おもちゃを使って、自分のこと、慰めてましたよね!? 教室であんなことしたらダメじゃないですか。最低です。どうしても我慢できなかったのかもしれませんけど、それでも、教師なんですよ? 大人なんですよ!? 子供たちに顔向けできるんですか?」
 大きく息をついたカカシはぐっとイルカを睨み据えた。
「俺、あんなイルカ先生は最低だと思います。軽蔑します」
 言い切った時には体が熱くなり、息が上がっていた。よほどの敵にあたらなければあがることのない息がこんなことで目の前がちかちかするほどに苦しい。
 イルカは、何も言い返してこない。カカシのほうを見てはいるが青ざめた顔で焦点が定まらずに、なにやら口の中でぶつぶつと言っている。
 一時の激高が去ると、急にイルカの様子が心配になる。茫然自失と言うのか、心ここにあらずと言うのか、こんなにもショックを与えるほどのことを言ってしまったのかと、にわかに罪悪感に苛まれる。
「あの、イルカ先生……?」
 そっと声をかければ、イルカはびくりと肩を揺らす。
「あ……」
 感情の読めない顔をしたまま、イルカは背を向ける。そのままふらふらと歩き出す。
「イルカ先生」
 入り口で戸に肩をぶつけて、よろめいたままイルカは去ってしまった。
 残されたカカシもそのまま力なくソファに体を戻す。
 イルカを、傷つけてしまった。糾弾するつもりはなかったし、そんな権利カカシにあるわけがないというのに、思わず口をついてでた。制御できなかった。
 すべて言い切ってしまった今となってやっと冷静な思考が戻る。
 確かにアカデミーの教室で、というのは賛成できる場所ではないが、けれどあれくらいのこと、ただの生理現象だと笑いとばすくらいの男気があってもいいではないか。
 第一、あんな場面見られたくなかったはずだ。そっとしておくのが優しさではないか。なのにカカシはすべてを告げて、しかも糾弾までしてしまったのだ。
 勝手な言い分で、イルカを傷つけてしまった……。
 慌ててカカシは立ちあがる。そのままイルカを追いかけようと思った。だが、たった今言ったことを翻しても、なんの説得力もない。
 それに、カカシがイルカのことをふしだらだと思ってしまったことは事実だ。
「俺の、バカ……」
 両手の中に顔を伏せ、そのまま背中を丸めて髪をかきむしる。
 不意に、ロボットは繊細だと言ったイルカの言葉が思い出される。ロボットだって人間だって、繊細だ。不用意な言葉でイルカのことを傷つけてしまったと、恐ろしいくらいの後悔にカカシはその場でうめいた。

 

 

 

→7