れぷりかんと   23 最終話    







「なかなか言うじゃないか」
 綱手は楽しそうに笑い声を立てるがカカシは綱手に詰め寄っていた。
「綱手さま! あんな言い方しなくてもいいでしょう。イルカ先生はいろいろ悩んでたんですよ。大変だったんですよ!」
「ああうるさいねえ。だいたいカカシ、あんたはイルカのなんなんだい?」
「俺はイルカ先生の恋人です」
 真剣に断固として告げれば、綱手は失礼にもカカシに向かって吹きだした。
「こ、恋人! カカシ、お前、ホモだったのか? かわいそうに、サクモの優秀な血もここで終わりだねえ」
「綱手さま!」
 カカシの剣幕に綱手はやっと笑いを収めたが、口元はひくついている。
「恋人だっていうなら、さっさとイルカを説得してこい。ぎりぎり明日までだね。それでもイルカがこなけりゃああたしは戻るよ」
「そんな」
「甘ったれるんじゃない。このままでもイルカは死ぬことはない。ただどっちつかずのままってだけだ。それを選ぶのはイルカの勝手だからね」
「死ななくても、不安定なんですよ。火影さまから聞いてないんですか? 昨日だって……」
「だから、海野が施した幻術も限界がきているからだろうな」
「だったらなおさら」
「要するに」
 カカシのすがるような声を遮るように綱手はぴしゃりと言う。
「イルカの体は人間に戻りたがっていることじゃないのかい?」
 その言葉はカカシの心の深くに落ちてきた。



「イルカ先生」
 イルカに追いついたのはアカデミーの建物を出たところだった。
 止まろうとしないイルカの二の腕を掴めば、乱暴に払われた。
「イルカ先生!」
「俺は話すことなんてありません。帰ります」
「待ってよ。駄目だよイルカ先生」
 イルカの足は止まらない。カカシは仕方なく力いっぱいイルカの腕を握ると、引きずるようにしてちょうどそばにあったベンチのほうへ連れて行った。
「とにかく、落ち着いてください」
 無理矢理座らせればカカシのことを睨み付け、それでもカカシが抑えつけた肩に力をこめれば、口を引き結んで子供のように顔を横にそむけてしまった。
 息をついたカカシはイルカの隣に腰掛ける。
 ふと周囲を見回せば、草は枯れ、木々はそろそろ色を変える頃だ。吹き抜ける風はさわやかで、授業が始まったアカデミーは独特の静けさに満ちていた。
 イルカにちらりと目を向ければ、頑なな頬のラインが見える。
 まさかこんな話を聞かされることになるなんて、思わなかった。カカシもそれなりに動揺している。当事者であるイルカの動揺は激しいものだろう。
 けれどイルカがどう思っているのか本当のところはわからない。だからカカシは真っ直ぐに聞いてみた。
「イルカ先生。どうして、そんなに怒るんです? 綱手さまが茶化したからですか?」
「……違います」
「人間だったことが嫌なんですか? ロボットがよかった? でもイルカ先生、なんでロボットなんだろうって言ってましたよね。人間のままがよかったんですよね。イルカ先生はずっと人間だったじゃないですか。やっぱり人間だったんだから、それでいいじゃないですか」
 イルカを責めるのではなく、淡々と声にした。イルカはちらりとカカシに視線を向けて、尖った声をあげた。
「綱手のさまの話が本当だなんて、誰に言えるんです? 当時のことはもう綱手さましか知らないってことじゃないですか。嘘、ついてるかもしれないじゃないですか」
 なんのために、とは口にしなかった。そのままイルカが何か言ってくれるのをいつまでも待とうと思っていたが、イルカはすぐに話を続けた。
「さっき、駄目だって言いましたよね。何が、駄目なんですか」
 地面に向けていた顔を上げれば、イルカがカカシのことを見ていた。問いかける眼差しにカカシは笑いかけた。
「だってこのまま帰ったら、イルカ先生治療受けられないでしょ。綱手さまは容赦ないから明日になったら本当に戻ってしまいますからね」
「治療なんか受けません」
「どうして? 治療受けてすっきりしましょうよ」
 あくまでもカカシはなんでもないことのように、自然体で口にした。
「俺はロボットなんです。ロボットのままでいいんです!」
 はき出すようにイルカは大声をあげた。
 カカシは空を見上げて、しばし黙考して、イルカの顔をのぞき込んだ。
「どうしてですか? どうしてロボットのままがいいんですか?」
「どうしてどうしてってさっきからなんなんですか! 馬鹿じゃないですかカカシ先生は」
「馬鹿〜? ひどいなあ。でも俺ってほら、しつこいから。教えてよイルカ先生の気持ち。イルカ先生のことなら、なんだって知りたいんだ。イルカ先生の言うことが俺はわからないかもしれない。理解できないかもしれない。でも、それでも知りたいって思う。出来る限りわかりたいって思う。イルカ先生の言葉なら、俺は最後まで聞くことができる」
 だから、聞かせて欲しい。
 そう結べば、イルカは目をかるく見開いて、そっと、伏せた。
 降りてきた沈黙はけして嫌なものではない。カカシは己の言葉が拙いものだとは思う。だが、思いつくままの気持ちを偽ることなく、飾ることなく言葉にした。
「綱手さまが言ってましたよ。イルカ先生の体は人間に戻りたがっているんじゃないかって。なんとなく、そうかなあって俺も思います。イルカ先生が人間でいたくなかった自分の記憶を消したのだってきっと本当は人間でいたかったからなんじゃないかなあ」
 きっとそうだ。そうに違いない。だからこそロボットだと知らされたイルカは人間でなかったことを悲しみ、そのことにこだわったのではないだろうか。
「俺……」
 背を丸めてベンチの端を握りしめているイルカの手の甲がかすかに震えている。
「俺、俺こそ、馬鹿みたいじゃないですか。ロボットだって知って、わけわかんなくなって混乱して、本物のイルカの代わりかもしれないって悩んで、でも結局そういう問題じゃなかったじゃないですか。最初から俺は別人だったってだけのことで、ほんと、馬鹿ですよ」
 イルカの恥じ入るような弱々しい声に、カカシはおかしさがこみ上げる。己を恥じているイルカ。それが気持ちの落としどころかと思うと、とても人間らしい普通の反応が愛おしくて、嬉しくなった。
 その気持ちを察したわけではないだろうがイルカが顔を上げる。瞳は少しばかり潤んでいた。
「なにが、おかしいんですかカカシさん」
「うん? かわいいなあって思って」
「こんな時に、茶化さないでください! 俺、恥ずかしいんですよ。あんな治療までしてっ」
 いきりたつイルカに腕を伸ばす。
「イルカ先生」
「ちょっ……と」
 思い切り抱き寄せる。抱きしめる。
「イルカ先生」
「カカシさん!」
 手を突っぱねようとするイルカを封じてイルカの髪に顔を埋めて匂いを吸い込む。
「イルカせんせえ」
 何度でも名を呼ぶ。この先限りなく呼び続ける愛しい名前を。
「イルカ……」
 愛しい名を確かめる。胸に刻む。
 強ばっていたイルカの体から徐々に力が抜けて、カカシの腰のあたりに控えめにイルカの手が回された。静かに、ひそやかに、互いの鼓動が重なり合う。
 この音こそが、カカシにとっての幸福だ。
「俺、カカシさんにずっと前に言いましたよね。男同士なのに好きなんておかしいって」
 イルカがぽつりと語り出す。
「今でもやっぱり同性同士は普通じゃないって思うんです」
 イルカの頭部に口づけて、ゆっくりと考えている続く言葉をカカシはじっと待つ。
「もし俺が女でカカシ先生が男だったら、カカシ先生が俺のこと好きになってくれたとしても、普通じゃないですか。階級も違うし、カカシさんはかっこいいし俺は冴えないけど、ありえないことじゃないじゃないですか」
「俺のことかっこいいって言ってくれるのは嬉しいけど、イルカ先生が冴えないなんて、見る目ないね」
 かるい口調で言い返せば、イルカが腰のあたりを拳で叩く。
「もしそうだとしたら、俺は、自分が自分だって、代わりのきかないものだって、思えなかったかもしれない。男と女だからって理由に逃げ道を作ったかもしれない。でも男同士なのに、カカシさんは俺のことを好きだって言ってくれた。俺じゃなきゃ駄目だって。かけがえのないものだって。俺のことを大事なものみたいに抱きしめてくれた。俺がいいって言ってくれた」
「みたい、じゃなくて、大事なの。たいせつなの」
 すかさず訂正すれば、イルカの腕に力がこめられる。
「だから、カカシさんがいたから、俺は俺だって、思えました。誰の代わりでもなくていいんだって、思えました。カカシさんに抱きしめてもらって、すごく、安心できました」
 顔を上げたイルカは揺るぎない目をしていた。カカシがイルカの頬を両手の中にはさむと、イルカがかわいらしく顔をすり寄せてくる。
「イルカ先生。やっと俺の愛をわかってくれたんだ」
 肩を竦めてみせる。首をかしげるイルカの額に額を合わせた。
「イルカ先生が好きで〜すよ。ここにいる、イルカ先生がね」
 まぶしそうに目を細めたイルカはそのまま目を閉じる。口元が優しげで、とても幸せそうな顔をしていた。
 やっと、やっとイルカの心にたどり着けたかと、こみ上げてきたものにカカシも目を閉じた。


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 イルカの幻術を解いた綱手は、いつか男同士でも子供を作れる術でも開発してやると言い置いて、あわただしく去っていった。
 イルカは数日病院で安静を命ぜられて一通り検査を行ってからの退院となった。
 退院の日、カカシはイルカの家で卓袱台にホールケーキを載せてイルカを出迎えた。
「俺の退院祝いですか? 嬉しいけど、大袈裟だなあ」
 苦笑するイルカの手をとって正面に座らせる。
 グラスにシャンパンを注いで数本立てたロウソクに火を灯して部屋の電気を消してから、イルカに告げた。
「ハッピーバースデーイルカ先生」
 グラスを合わせれば、涼やかな音がした。
「俺の誕生日は今日じゃないですよ?」
 もっともなことを言うイルカにカカシは笑う。
「もちろん知ってますよ。でもほら、イルカ先生がちゃんと人間に戻った日ってことで、改めて」
 なんとなく照れくさくて頭をかく。
「イルカ先生。俺ね、人間は何度だって生まれ変われるんだって、今度のことで実感しました。だから」
 イルカは黙ったまま立ちあがる。その姿を目で追えば、最初にカカシがこの家に来た時に見せられた家族写真を棚から手にとって持ってきた。それをカカシに差し出す。
「じゃあ、カカシさんのもうひとつの誕生日は、兄さんと会った日ですね」
 それは思いがけない言葉だった。写真の中で、あの人は変わらぬ笑顔をそこにとどめている。そうだ。確かにカカシもあの人と出会ったことで悲しみに捕らわれた自分を脱ぎ捨てて、生まれ変わることができた。カカシは今更の事実に胸の奥が熱くなり、火が灯るような感覚を味わう。
「俺がカカシさんと会って、こ、恋人になれたのは、兄さんのおかげです」
 イルカのほうも鼻の傷のあたりを指先でかいて照れたように笑う。
「ああでも、もっとさかのぼれば、死にたかった俺がいたから、今の俺がいて、カカシさんの隣にいることができるんですよね。そう考えると、すごく遠回りしていろんなことがあったけど、無駄なことはなかったのかもしれませんねえ」
 感慨深く呟いたイルカの脳裏に絶望しきっていたという過去が蘇ることはないだろうというのが綱手の見解だ。イルカの父が完全な封印を施した可能性があると。
 だが、もしも万が一イルカに記憶が戻ったとしても今のイルカならきちんと過去を受け止めることができるだろう。
 じっと見つめる先でイルカがおおらかな顔で心にしみいるように笑った。
「この先もずっと、何度でも誕生日を祝いましょうね」

 

 

 


ありがとうございました