れぷりかんと   22    







 至急、イルカも呼び出された。
 火影は定位置に座り、肘をたてて組んだ両手に顎を載せて黙っている。
 その前のソファにカカシとイルカは並んで綱手の向かいに座る。綱手は大きく伸びをして足を組むと、テーブルの上に数冊のノートをぞんざいに置いた。
 カカシがイルカをちらりと見れば、表情もなく、視線を下に向けて口を引き結んでいる。
 部屋に入る前に、イルカと話す時間が少しだけあった。その時に、イルカは人間だ、と綱手が言っていると、それだけは伝えた。イルカは聞いた瞬間目を見開いて、そして口もとをゆるめた。
「そんなわけ、ないじゃないですか。なに言ってるんですかね、綱手さまは。カカシ先生も見ましたよね? 俺の体はロボットだったじゃないですか。俺はロボットです」
 まるで己に言い聞かすような頑なな声音だった。それ以上カカシは何も言わずに、二人執務室に足を踏み入れたのだ。
 部屋に入った途端に、綱手はイルカの前に立った。何も言わずにイルカを検分するように見てから、不意に印を組み、指先から沸き上がったチャクラを通してイルカをしばし見つめ、ほっと肩の力を抜いた。
 そしてそのままソファに腰掛けたのだ。
「これはイルカの父親、海野の奴の記録だよ。あたし専用の書庫にしまいこんでいたのを思い出したよ。お前にやるよ。海野の形見みたいなものだからね。まあ後でゆっくり読めばいいさ。今は時間がない。そこに載っていることを先に話すよ」
 テンポよく言い募る綱手はそこでひとつ息を吐いた。
「まずは、イルカ。おまえは間違いなく人間だ。天地神明に誓えるよ」
 ずばりと断言され、カカシは思わずイルカを伺うが、イルカは落ち着いた表情で、にこりと笑った。
「俺はロボットです」
 簡潔に、それだけをイルカは告げた。
 綱手はじっとイルカを見つめて、肩を竦めた。
「まあ確かに、おまえの体の一部は機械化されている。その部分をとってロボットだっていうならロボットだろうね」
 いつか見たイルカの背中の配線。イルカは綱手の言葉に反応した。
「一部ではないです。担当医の方も、俺はロボットだって仰ってました」
「そりゃあそうだ。海野の奴はそういうふうにお前に術を施したからね」
「じゅつ……」
 治療、ではなくて、術。その言葉にイルカの目に明確な意志が灯る。
 イルカは綱手の挑むような視線を真っ直ぐに受け止めていた。
「話してください。最後まで、聞きます」
 静かな声。綱手はふと表情を緩めた。
「イルカ。お前は人間をやめたかった人間なんだよ」



「海野の奴はイルカを亡くしてからすぐにいくさ場に志願した。正直、生きていくことが辛かったんだろう。けどあいつはそこで生きていく気持ちを取り戻したんだ。命が簡単にやりとりされる場だからこそそう思えたんだろうね」
 そんないくさ場でイルカの父はひとつの命を見つけた。
 協定も結ばれ終戦が近づいた頃、互いの国が仕掛けた起爆札の撤去中に地形が変わるほどの大きな爆発が起きた。敵味方関係なく救助作業に当たっている時に、イルカの父は見つけたのだ。
 敵国の忍の少年。少年は瀕死の姿をイルカの父の前にさらし、死を選ぼうとしていた。
「そのガキはさ、もう生きていたくないって言ったんだよ。もうたくさんだって。生きている意味がわからないって。体も爆発に巻き込まれてひどい状態だった。ほうっておけば間違いなく死んだろうね。そのガキが、イルカ、お前だよ」
 綱手の強い視線がイルカにぴたりと据えられた。
「おまえの体はそれまでにも大きなケガをして何度も治療を受けてたようでぼろぼろだったよ。けどねえ、もう充分生きたから死んでもいいなんて、十歳かそこらのガキに言われたら大人は立つ瀬がないよ。だから海野は提案したんだ」
「ロボットに、ならないかって……?」
 綱手の言葉を引き取って、イルカがぼそりと口にした。
「それで父は、俺を治療したんですか」
 確認するように目を向けたイルカに、綱手は頷いた。
「説得する時に息子を亡くしたばかりだということは話したけど、死んでしまった者の代わりにするつもりはなかったと思う。ただ、おまえに生きてほしかったんだよ。生きるってことを知って欲しかったんだ。だからおまえはもう一人のイルカってことだ。海野イルカはこの世に二人ってことさ」
「俺は、なにも覚えていません。父に頼んで、記憶も消してもらったってことですか?」
「いや。そこまではしていない。ただ木の葉で手術が終わった後に、お前はすべてを忘れていた。目覚めたとき海野のことを見て、父さんと自ら口にしたんだよ」
 そう呼ばれた時のイルカの父の歓喜は察してあまりある。
 きっとその瞬間にイルカの父は決めたのだろう。イルカのことを人間にするのだと。
 暗記するほどに読み返した記録にあったほとばしるイルカへの思いの意味はここにあった。
「海野はおまえのことを生かしたいと思ったから、まずはロボットとして生かすことにした。必要な部分は機械化して、あとは普通に治療した。その上に幻術でコーティングを施した。治療に当たった人間がお前のことを機械の体だと思うように。お前自身が体に傷を負った時に、ロボットだと思うように。おまえの記憶にも少しばかり干渉することになった」
 綱手はさらりと言ってくれるが、それは並大抵の技術ではないだろう。しかもその幻術がいまだ継続しているのだ。
 イルカの顔からは完全に表情が消えていたが、憑かれたような目をして身を乗り出した。
「俺が人間だっていうなら、どうして……。俺、おれ……具合が悪くなった時に、注射で薬を尻の穴に入れて、ペニスを……」
「イルカ先生!」
 興奮してまくしたてるイルカをカカシは思わず遮っていた。
 物事にあまり動揺しないはずの綱手も火影も、さすがに驚いたのか目を見開いてイルカを凝視している。カカシはイルカを庇うようにわざとらしく明るい声をだした。
「あ、あのですね、綱手さま。火影さまに聞いてますよね。イルカ先生背中を痛めまして、それでロボットだってことがわかったというか。それで、その時に治療法を試行錯誤した結果、さっきイルカ先生が言ったように、あの、だから……」
 あの行為はあくまでも治療なのだからずばりと言ってしまったほうがいいのだろうが、それにしても声を大にして言うには引け目を感じる。尻すぼみになっていくカカシの声を引き取って、綱手がかすかに笑った。
「イルカがその治療法に落ち着いた理由はね、ガキの頃に読んでいた本のせいだよ」
 そう言って綱手はテーブルの上に置いたノートの一冊を捲る。何ページ目かで手を止めて、そこをイルカに指し示した。
「ほら、書いてあるだろ。イルカの愛読書『ロボット戦記』。本がすり切れるくらい読んでたらしいね。イルカ、お前は教師なんだ。子供らのベストセラーの本の内容くらい知っているだろ」
 綱手が示した本は、カカシとて知っている。きっと木の葉の子供たちならみんな知っている児童書だ。だがそれが一体なんだというのか。だがイルカを見れば、口元に手をあてて呆然としていた。綱手はわかっていると言うようにゆったりと頷いた。
「この話の中で主人公のロボットの子供は尻からエネルギーを補充されるだろ。お前の頭の中にこの話の記憶があったってことだとあたしは思うけどねえ」
 まあ、ペニスうんぬんっていうのは知らないけどね、と綱手は舌を出す。
 イルカはかすかに震える手でノートを手に取る。綱手が開いた箇所を食い入るように見る。
「海野はずっとお前の治療を続けていた。その過程でさまざまなロボットができがっていったことはそのままの事実だ。けどあいつが死んじまったから、お前のことは中途半端なままになってしまったんだよ。あたしは海野に協力はしたが直接の治療には関わってなくてね。ただお前を助けたいくさ場はあたしの指揮下だったから海野からずっと報告を受けていた。九尾の事件の後は里中が混乱して関係者もほとんど死んだ。だからまあ、正直、イルカ、お前のことはそのまま放っておくことになったんだよ」
 ゆっくりと顔をあげたイルカは、肩を竦めた綱手ではなく、火影に問いかけた。
「火影さまは、俺が人間だってご存じだったんですか?」
 ずっと黙ったままでいた火影だが、急にイルカに聞かれても表情を変えなかった。じっとイルカを見つめていたが、深いため息を落とした。
「知っておったならもっと違う手だてを考えておった」
 愚痴めいた火影の口調に綱手は笑った。
「悪いね猿飛先生。これはあたしと海野二人しか知らないことなんだよ。これでも伝えようと思ったことはあったよ。けど、四代目が亡くなってさ、先生火影に返り咲いて忙しくしてたしね」
「少しくらい耳にいれておいてもよかったのではないか。わしまで騙すとは不届き千万じゃ」
「騙すなんて人聞きが悪いねえ。寝る間も惜しんで動いている先生に負担をかけたくなかったんだよ」
 火影の責めるような声にも綱手は動じない。
 イルカはノートを掴んだ手に力を込める。何も言わないイルカの横顔をカカシは見つめた。
 イルカはずっと自分のことを疑うべくもなく人間だと思っていて、それがロボットだと言われ、そしてまた覆った。忘れてしまった本来の自分。知らない自分。
 そんなことを急に言われてもどうしたらいいのだろう。どうしろというのだろう。
「綱手さま」
 イルカはノートを閉じると同時に立ちあがった。
「綱手さまは俺の治療をされるのですか?」
「治療もなにも、おまえのことを本来の姿に戻すだけだ。お前の体には幻術が施されている。さっき見たところ、調子が悪くなったのは体が幻術の不可に耐えられなくなったからだ。だからその術を解くだけさ。若干特殊な術でね、海野から聞いているあたしにしか解けない。それだけのことさ」
 それだけのこと、と結んだ綱手にそれはあまりな言い方ではないかとカカシは思わず声を荒げそうになるが、イルカがいきなり手にしていたノートを床にたたきつけた。
 しんとなる室内。火影などはぽかんと口が開いている。綱手は面白そうにイルカを見上げた。
「どうした。治療するのが不満かい?」
 からかうような綱手の口調にイルカはすがすがしく笑った。
「治療は必要ありません。ご足労いただき申し訳ないのですが、どうぞこのままお帰りください」
 上の者に対する礼儀を欠いた、らしくないものいいのイルカにカカシは目を見張る。そのままイルカは部屋を出て行ってしまった。

 

 

 

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