れぷりかんと 20
イルカの精密検査の日、その日は同行しようと思っていたカカシだが、タイミングの悪いことに任務が入ってしまった。大急ぎで終わらせたというのに、イルカの家にたどり着いたのは夜もかなり更けた時間だった。
玄関先で荒い息をつくカカシにイルカは苦笑した。
イルカに促されて居間に座ったが、お茶でもと言って台所に消えたままイルカは検査のことは何も話さない。
「イルカ先生。それで、どうだったんですか!?」
お茶をひとくち含む間もあらばこそ、卓袱台に被さるように向かい側のイルカに詰め寄れば、イルカは目を瞬かせてそして吹きだした。
「カカシさん、今日は検査だったんですよ? 結果は二週間後です」
言われて、やっとカカシは当然のことに思いいたる。気恥ずかしさに意味もなく頭をかいた。
「そう、ですよね。普通、そうですよね」
はは、と乾いた声で笑う。卓袱台に所在なげに載ったままのもう片方の手にそっとイルカの手が重なった。
「検査してくれた先生、父のこと知ってる人だったんですけど、父のことすごい技術者だったって言ってました。父は元々は綱手さま配下の医術専門の忍だったそうです。でも医者よりも技術の方に専門をシフトしていったそうです。独自のロボット理論を打ちたてて、研究をしていたって言ってました」
淡々と告げるイルカの顔はどこか沈んでいた。
今までにイルカが父親のことをこんなにも暗い顔で話すことは見たことがなくて、カカシには不思議だった。
「イルカ先生?」
重ねられた手はそのまま握られて少し力がこめられる。イルカは目を上げると呟いた。
「どうして父さんは、俺のことだけこんな中途半端な状態にしたんでしょうね」
イルカの言葉にカカシはどきりと心臓が跳ねる感覚を覚えた。
確かにイルカの言うとおりだ。
イルカの父が天才的な技術者だったのなら、イルカの体をほとんど人間と変わりなく作り上げることができたはずだ。九尾の災厄で亡くなるまでに充分に時間はあった。技術が追いつかなかったわけではない。現に、あの人を含めロボットたちは存在していたのだから。
イルカのこととて最初から完全に仕上げれば良かったではないか。
けれどイルカの父はイルカのことをどっちつかずのままで放置した。イルカのことだけは最初からロボットとして存在させなかった。
本物のイルカの代わりにして、人間だと言ってオリジナルだと言って育てて、なのに結局はイルカは今更になって不測の事態でロボットであることを知ることになった。
イルカが民間の者ならそうそう不測の事態に陥ることもないだろうが、イルカは忍だ。忍はいつ何時生命の危機に瀕することになるかもしれないのに。
イルカが息子の代わりだから特別だったということか? だが特別に愛しく思っていたのなら、それこそこんなにも不安定に作るべきではなかったのではないか。
息子の代わりとして作ったのなら、せめて最初から本人にそのことを告げておけばいい。そもそもロボットという自覚があれば、悲しむ人を、誰かを救うための存在である自分を誇りに思えども嘆くことはない。喜びさえ感じるはずだ。
カカシを救ったあの人は、とても安定していた。揺るぎなく、安定していた。そして幸せそうだった。イルカの父が目指したロボットの存在理由を考えれば、最低限気持ちの安定はクリアしなければならない。そしてロボット自体が幸せを感じるようでなければならないと思う。
幸せを感じる心がなければ、誰かを幸せになんてできないはずだから。
イルカの父はイルカのことを誰より愛しく思っていたのなら、完璧な人間として作り上げるべきだったのに。
イルカだけは最初からロボットとして存在させられなかったのだから、とまどいも揺らぎも当然だ。
オリジナルで、人間だと思っていたのに、それが根底から覆された。人間であった自分からどっちつかずの自分になって揺れている。
イルカはイルカだ。たった一人の人だ、とカカシは何回も口にしてきたが、おまえは別の存在の代わりだと言われて、傷つかない、悲しくならない人間なんて、いるわけがない。簡単に納得して割り切れることではないだろう。
今更ながらイルカの直面していることの困難さに、カカシは胸の奥が重くなる。
何を言えばいいのか思いつかずに黙ったままでいるカカシにイルカは笑いかけてきた。
「でもね、カカシさん。俺、前まではなんで俺を作ったんだって思ってたけど、今はそうは思わないんです。どんな理由でも作ってもらってよかったって、思います」
一旦言葉をきったイルカはカカシの背に手を回してきた。
「カカシさんのおかげです。カカシさんと出会えたことで、俺は俺だって、少しずつでも思えるようになりました」
はにかむようにイルカが笑う。嘘偽りのない言葉、笑顔に、不覚にもカカシは鼻の奥がつんとなる。
それを見られたくなくて今度は自分からイルカを抱き寄せた。
温かなイルカの体。イルカの父の日記にあった“人間になれただろうか”という記述は、イルカは今は人間ではない、けれど未来には人間になってほしいとも読み取れる。
充分、人間ではないか。泣いて、笑って、葛藤して。
こんなにも温かいイルカは、誰より人間らしい人間だ。
「俺も……俺も、イルカ先生と出会えて、子供の頃に見失ったものを取り戻せたって、思います」
背に回るイルカの手にも力がこめられて、二人溶け合うくらいにきつく抱きあった。
精密検査でもイルカの体調の悪さの理由が見つからず、結局は綱手の行方が判明するのを待つことになった。
精神的な気持ちの負担を少しでも軽減するようにと処方された薬を気休めのようにイルカは飲んでいたが、それでなにかが変わるということはなかった。
かと言って、元気がない、というわけではなく、イルカは前と変わらないくらいに笑うし、仕事もきちんとこなしていた。
表面上穏やかな時間が過ぎていたそんな折り、イルカが倒れたと聞いたのは単独の任務の報告書を提出にいった夜のことだった。
ちょうど火影が座っていて、耳打ちされた。
「ナルトたちは昼間見舞いに行ったようじゃ。面会時間は過ぎているが顔くらいみたいじゃろう。おぬしのことは通すように言っておいた」
火影の気遣いに感謝するのもそこそこにカカシは病院に飛んだ。
授業中に、いきなりイルカは倒れたという。その姿を目の前で見た子供たち曰く、まるでロボットみたいにぱたりと倒れたと。
夜間の受付では係の者がすぐに部屋を教えてくれた。ただ、眠っているはずだからくれぐれも起こさないようにとはいわれた。
差し込む月明かりに、イルカは青白い顔を布団に横たえていた。ひそとも寝息が届かない。心配で、カカシはそっとイルカの呼気を確かめるように口元に耳を寄せる。そこでやっと間違いなくイルカの呼吸を感じて、安堵してパイプ椅子に腰掛けた。
教室で倒れた後、病院に運ばれたイルカは目を覚ますこともなくそのまま検査を受けたという。特に異常はなかったが、大事をとって一晩泊まることになった。
何を調べても異常はない。もう何度その言葉を聞かされたことだろう。そうなると結局思い当たることはひとつだ。
イルカの体には問題はなにもない。問題があるのは……。
「イルカ先生……」
そっと、呼びかけた。
イルカの助けになる方法はないかと、カカシはイルカの父の記録に何度も何度も目を通した。暗記するくらいに読み返した。
けれどそこから読み取れるのはイルカへの思い。研究の記録。それ以上の目新しいことはカカシにはわからなかった。
ひたすらに綱手の行方を待つ焦燥に、やるせない気持ちでイルカの額に落ちる前髪をそっとかきあげたその瞬間、イルカの目が不意に開いた。
どきりとするくらいの唐突さで、カカシは一瞬だが身じろぎする。何をそんなに驚く? 己に問いかけてすぐに答えに辿り着く。
イルカがまるで機械仕掛けのように目を開けたからだ。
ギギ、と音がしそうな仕草で顔を横に向けてきたイルカの目は、夜目でもきらめていた。
「イルカ先生?」
こちらを見ているがなにも映していないようなイルカの瞳。それでもじっと見つめていれば、徐々にその目に感情が表れて、ふっと微笑んで、またイルカは目を閉じた。
ほんのひとときのことだった。けれど敵と対峙したかのような緊張を覚えて、大きく息をついていた。
イルカは見えないところで間違いなく変調を来しているではないか。暢気に日常を過ごしている場合ではないとカカシは今更ながらの焦燥を覚えた。
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