れぷりかんと   14    







 いつの間に寝てしまったのだろう。目と閉じていても感じる視線に反応して目を開けた。だが腕の中に囲って眠ったはずのイルカがいない。
「イルカ先生!」
 慌てて起きあがれば、イルカはカカシの傍ら、畳の上で背を丸めてあぐらをかいていた。
 暗がりの中でイルカは下半身はむき出しのままだった。上着のおかげで性器は見えるか見えないかの微妙な位置に隠れているが。
 眠った時はまだ夕方だったはずだ。どれくらい時間が経ったのだろう。
 表情のないイルカに視線を注がれて、カカシは昨日しでかしてしまったことをつきつけられた気がした。カカシにとっては得難い出来事なのだから昨日のことは鮮明に覚えている。
 だがイルカにとっては、と考えたところでカカシは喉がからからに渇いているのを意識した。
「ねえ、カカシ先生」
 イルカが何を言うのかと緊張する。
「はい……」
「ふしだらって言うのはカカシ先生みたいな人を言うんじゃないですか?」
 凍るような声だった。カカシをじっと見つめるイルカの目も剣呑だった。
「俺は、薬を入れて欲しいって頼んだだけなのに、カカシ先生、いろんなことしましたね。俺の乳首とか、性器を嘗め回して。しかも毒だって言うのに出したものを飲みましたよね。いつも他の方にもそうしてるんですか? 毒じゃないとしてもあんなところ舐めたり吸ったりするところじゃないですよね。やらしい人ですね。ふしだらです。変態です」
 イルカの言葉に返す声もなくカカシは縮こまる。
「それから俺にペニス握らせてずいぶんと気持ちよさそうにしてましたね」
 俯いたカカシの視線の先にはきちんと整えられていない己の下腹部がある。今更だが慌てて下着の中にしまいこんだ。そんなカカシをイルカは鼻で笑う。
「腰振って、喘いで、そんな姿ひとに見せつけて、ふしだらって言うよりかなりの変態ですね。ああそうだ、俺に握らせて一人でする前に、俺の肛門に指、いれてきましたね。あれは」
「うるさいよっ」
 思わず、カカシは叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。
 荒くなった息を整えて顔をあげれば、イルカは驚いたのか少しばかり目を見開いていた。
 ぐっとカカシは視線に力をこめてそんなイルカを見返す。
 イルカがカカシを責める気持ちはわかる。それなりのことをしてしまった自覚はある。だから黙ってイルカの棘のような言葉を受け止めた。だが、一方的に責められているうちにむくむくと腹の底に沸いてきた気持ちがあり、それがカカシの口をついて出た。
「イルカ先生、昨日のことは俺だけが悪いんですか?」
 挑戦的な言い方になってしまったかもしれない。けれど勢いのままにはき出される気持ちは止められなかった。
「俺はあなたのこと好きだって言ってます。あなたのこと、女の人を思うように好きなんです。あなたを恋人にしたいんです。抱きたいんです。その相手が下半身だして目の前に立ったら、どんな奴が理性を押さえられるっていうんですか。昨日のあなたは俺にせまってきたようなものですよ。俺の理性を試したかったんですか? あいにくと任務中じゃないんで俺はそこまで感情をコントロールする気はないんですよ」
 イルカは黙ったままでカカシの言い分を聞いている。怒っているのか、傷ついているのか、表情から感情は伺えない。その様子にますますカカシはいきり立つ。
「肛門に指入れたのは、あそこであなたとつながろう思ったからですよ。男同士はあそこを使うんです。俺のペニスをそこにいれて、中でいきたかったからですよ。それも知りませんか? ロボットだからわかりませんか? イルカ先生はロボットだからってことをいいわけにしている。慰霊碑の前で自分と向き合うって言いましたよね。本当にそうする気あるんですか? 俺の気持ちも信じるって言ったじゃないですか。それなら、それなら少しはわかろうとしてくださいよ!」
 わあっと言い切った後には、息が乱れていた。静かな暗がりの部屋がカカシの感情でいっぱいになっている。情けないが気持ちの高ぶりで目尻には少し涙がにじんだ。瞬きでそれを散らすと、もう一度真っ直ぐイルカに向き合った。
 反論でも罵倒でもいいからとイルカからの言葉を待つが、イルカはなにも言わない。伏し目のままでなにか考えているようだ。
 感情を爆発させて徐々に落ち着いてくれば、やはり言い過ぎたかとカカシの内心は青ざめる。
 自分だけが一方的に悪いとは思えないのだが、だが、イルカとしてはあくまでも治療のためだった。イルカに性的な意図はなかった。なのに、あの姿に堪えきれずに反応してしまったのはカカシだ。
 あんな姿を見せられたら仕方ないと思う。思うが、それでも、薬だけいれてあげて、すぐにその場を後にすれば、あとはイルカは一人で処理できたはずだ。そう考えれば、やはりカカシが悪いということになる。
 今度こそ本当に、イルカは許してくれないかもしれない。
 いつか気持ちが届けばいいと昨日思ったばかりだとういうのに、結局己の失敗で終わりにしてしまうのだろうか。
 本当に嫌だったならカカシのことを拒んでくれたらよかったのにと思うのは勝手な言い分だろうか。最後にはカカシの性器をイルカは温かな手で愛してもくれたのだ。
 イルカの手は、とても温かかった。
 ふと思う。イルカは本当にロボットなのだろうか。あの姿を見てどうしたらイルカがロボットだなどと思えるのだろう。
「イルカ先生は、本当にロボットなんですか?」
 沈黙が嫌でぽろりと口にした。考えてみればイルカがロボットだということをカカシは聞いただけだ。この目で見たわけではないのだ。
 イルカの触れた肌は熱くて、単純なことだが、それだけでもロボットだなどとは思えない。
「本当はロボットじゃないって可能性は、考えられないんですか?」
 静かに問いかけた。それでも顔をあげてくれないイルカは黙ったままなぜか印を結ぶ。煙とともに現れたのはきちんと中忍としての装備をしているイルカの影分身。イルカは分身に背を向けて服をまくり上げる。カカシの前で、分身のイルカは右手にチャクラを溜めて、イルカの背中の真ん中の傷あたりに指先を突き立てた。え、とカカシが思う間に、そこをぐぐっと下に切り裂いた。その時点で血がまったくでていない。目を見張るカカシの前で、分身のイルカはたわめた手になにかを掴んでゆっくりとイルカの中から引き抜いた。
 そこに握られた無数のコード、配線のようなものにカカシは息を飲む。人の体の中にはあり得ない鋼の色をした艶光りしたものが手の中にある。分身は黙々とそれをさらに引き抜こうとする。本体のイルカは表情ひとつ変えない。
「わ、わかりました! もういいです。わかりましたからやめてくださいっ」
 せっぱ詰まったカカシの声に影分身はコード類をイルカの中にしまい、開いた傷をチャクラで戻して、消えた。
 なにごともなかったような静けさだけが戻ってくる。
 カカシは歯の奥をいたいほどにかみしめた。
 イルカがロボットでもなんでもいいと思っていた。だが実際に見せつけられれば身勝手にもショックを感じる自分がいる。そんな自分が嫌だ。
 自己嫌悪に沈むカカシをおいてイルカはごろりと横になった。カカシに背を向けたまま、ほどなくして寝息が届く。
 イルカは、眠ってしまった。



 無言の背中は早くこの場を去れと言っているのだろうが、カカシはそこから動けずにいた。30分はそのままでいただろうか。静かに眠ったままのイルカが心配になってそっと近づけば、ぐっすりと眠っていた。よほど疲れていたのだろうがあまりに無防備で忍として大丈夫かと思う反面、心を許してくれているからだろうかと思ったりもする。
 まずは安堵して服装を整えて部屋を出ようとして、ふと振り返った。
 そこにはイルカの背中がある。なにを考えているのかまったくわからないつれない背中が。
 このまま家を出て行くことは簡単だ。
 だが、そうすると次からどうなってしまうのだろう。こんな、しこりをのこしたまま帰っていいのだろうか。そんなことをしたら、今度こそこのままイルカと終わってしまうのではないか?
 そう考えたらぞくりとした。イルカと話せなくなって気づけば完全な他人となる。道ですれ違っても儀礼的なものでしか返されない会釈。心からの笑顔なんて向けられることもなく……。
「駄目だ、そんなの……」
 カカシは呆然と呟いていた。
 駄目だ、そんなの、嫌だ。絶対に嫌だ。
 引いて見守ること、相手の意を汲んででしゃばらないこと。けれど愛し方はそれが全てじゃない。そんな愛し方ばかりがいいわけではないない。
 特にイルカのようにこちらが引いたらそのまま一顧だにしないであろうつれない人に対しては。
「……イルカ先生」
 ふらふらとイルカに近づいた。膝をついて、イルカの髪にそっと触れる。そっと、唇で触れる。
「イルカせんせえ」
 乞うように、イルカの名を呼んだ。

 

 

 

→15