れぷりかんと   12    







 その日は子供たちとの任務を午後の早いうちには終わらせた。受付所にはイルカはいなかった。イルカの同僚らしき中忍に尋ねれば、今日は半日勤務でとうに帰宅しはずだ、とのこと。
 そのままカカシはイルカの家に向かったがイルカは帰宅していなかった。それから馬鹿みたいに里を走り回ってイルカを探した。なにかにせかされるように。おいたてられるように。
 思い当たるところを散々探して、夕刻、辿り着いた慰霊碑の前でやっと、そこに佇むイルカを見つけた。
「イルカ先生」
 息を切らしてイルカの元にやって来た。イルカの顔を見た瞬間ほっとして力が抜けた。
「よかった。やっと会えた」
 最近のイルカは少しばかり冷たい態度でカカシのことをあしらうのだが、カカシの様子になにかを感じたのか、黙ったまま、カカシの息が整うのを待ってくれていた。
「あれ、イルカ先生。手、どうしたの?」
 両膝に手をついて中腰で深く息をつけば、視界に飛び込んだイルカの右手には包帯が巻かれていた。
「これは……」
 俯いて、イルカはかすかに口もとを歪ませた。
「ちょっと、実戦の授業で、失敗したんです」
 さりげなく後ろに隠されたイルカの右手。きっといろいろと煮つまって、日常の生活に身が入らずにぼんやりとしてしまうことがあるのだろう。顔色も悪いようだ。
「イルカ先生」
 もう一度、名を呼んだ。それは少し固い声になってしまった。だが続く言葉がでてこない。イルカは困ったような表情でカカシのことを見ている。
 なにかを言おうと決めてきたわけではない。だがなにかを言いたいと思った。
 イルカの父の日記を読んだのは昨日のことだ。読み終わってすぐはなんとも言えない、言葉にできない感情が溢れた。一晩経ってもまだそれが明確な言葉になっているわけではない。それでも、イルカに会わなければ、と思った。
「俺になにかご用ですか」
 焦れたのか、イルカのほうが先に問いかけてきた。
「俺、イルカ先生のお父さんの記録を読みました」
 思い切って口にした。ごくりと喉を鳴らして、唇を舐める。どうやら緊張しているようだ。イルカはカカシの言葉にわずかにぴくりと体を揺らした。
「イルカ先生は、お父さんにとても愛されてました」
 叫ぶような声になった。そこからは思うままにまかせて言葉を連ねた。
「イルカ先生のお父さんにとってイルカ先生が一番だけど、でも、あの人も、他の兄弟姉妹たちも、それ以外のロボットたちも、みんな、愛されてたんです。愛されてたんですよ? それだけで充分じゃないですか。イルカ先生はイルカ先生でしかないんです。イルカ先生はロボットである自分を認めなきゃ駄目ですよ。認めないなんて、駄目です。あの人だって他の兄弟たちだって、それじゃあ、報われない」
 カカシの拙い言葉はどれだけイルカに届くのだろう。わからないままに、カカシはイルカに詰め寄って、両肩をぐっと掴んだ。
「俺は、イルカ先生が、好きです。大好きなんです。俺はイルカ先生の存在を認めてます。イルカ先生はこの世にたった一人の人です。かけがえのない人です」
 ただ喋っただけなのに息が切れる。汗が滲む。そんなカカシをじっと見ていたイルカだったが、そっと肩にあるカカシの手をはずした。
「カカシ先生」
 静かな声になにを言われるのかと緊張したカカシだが、イルカは小さく微笑んだ。
「カカシ先生って、もてるでしょう」
「え?」
 いきなりなことを言われて、カカシは言葉に詰まってしまう。
「以前二人で飲んだ時も女性をくどくようなことを臆面もなく言ったりしたじゃないですか」
「別に、それは、正直な気持ちというか、ただの事実というか」
「そうですよね。カカシ先生は計算でそんなこと言ったりしない。ただ、思ったままを素直に言ってるだけなんですよね」
 一体イルカは何が言いたいのだろう。先を促したい気持ちはあるがなにか考えているようなイルカをせかすこともできずにじっと言葉を待った。
「カカシ先生がストーカーだって言われてるって前に言いましたけど、あれは嘘です」
 イルカは楽しそうに笑った。
「それどころか、カカシ先生と喧嘩したのかって心配されて、仲直りしたら一緒に飲みに連れて行って欲しいって同僚の女性たちから言われましたよ。カカシ先生人気あるんですね」
「イルカ先生、そんなことより」
 真っ直ぐに見据えられて、カカシは黙る。
「大人になると、誰かに好きなんてそう簡単に言えないですよね。恥ずかしいじゃないですか。でもカカシ先生は真っ直ぐに、向きあうんですね」
 ふ、とイルカは吐息を落とす。
「なんで俺を作ったんだろうって、考えてました。父さんに訊いてました」
 イルカのしのび笑うような声が届く。
「言うまでもないことですけど、俺は、本物のイルカの代わりなんです」
 代わり、と言われて、その悲しい響きにカカシは言葉を封じされそうになる。だがすぐに首を振る。
「代わりでもいいじゃないですか。本物とか代わりとかどうでもいいじゃないですか。イルカ先生のお父さんは、イルカ先生たちのこと、本当に、大事に思ってたんですよ。それだけでいいでしょう? イルカ先生だってあの記録読んだならわかりますよね」
 必死になりすぎて言っていることがめちゃくちゃな気がする。けれどこんな時にカッコつけた言葉なんて言えない。馬鹿みたいでも心からの言葉を伝えたい。
 イルカはカカシの剣幕に目を瞬いたが、とても優しい笑顔をみせてくれた。
「わかりますよそれは。父にとってイルカは全てでしたね」
 慰霊碑を見たイルカはその前にまっすぐに立つ。吹いてきた風に髪がなびく。
「正直父の記録は、俺には重かった。父さんは、本当にイルカが死んだことを嘆いて、あの記録は息苦しいくらいにイルカのことばかりでした」
「それだけ、イルカ先生のことを思ってたんですよ」
「そうですね。そう思います。嘘を言わないカカシ先生がそう言ってくれるなら、俺もそう信じたいと思います。逃げないで、自分に向き合いたいと思います」
 そう言って、静かに微笑むイルカを見て、カカシは呆けてしまう。
 それは、思いがけない言葉だった。カカシが言うから信じたいだなどと、好きな人間にそんなふうに言われて、カカシはどうしようもなく胸が高鳴るのを覚えた。
「カカシ先生?」
 呆然となったカカシをイルカは不思議そうに見つめてくる。イルカの黒い瞳を見据えて、カカシはひとつ呼吸を整えた。
「じゃあ。じゃあイルカ先生、俺の言葉を信じてくれるっていうなら、好きだって言ったことも、信じてくれますよね」
 図々しいことを言っている。そうは思ったが、止められなかった。
「俺は本当にイルカ先生のことが好きなんです。その気持ちを最初から否定されるのは悲しいです。あの人の代わりなんかじゃなくて、イルカ先生だから、好きなんです。男でも、なんでも、イルカ先生だから」
 意図したわけではないが、訴えかけるような声は少ししんみりと響いてしまったかもしれない。イルカはせわしなく目線を彷徨わせて結局カカシに横顔を向けたが、頬が心なし赤くなっていた。
「ほんとに、カカシ先生は、恥ずかしげもなく、よくもまあ面と向かってそんなこと言えますね」
「全然、恥ずかしくなんてないです。だってイルカ先生のこと大好きなんです。俺いくらだって言えますよ。みんなの前でも言えます」
「わかりました」
 カカシを遮るイルカの声は叫ぶようだった。口もとを押さえた赤い顔のままで、カカシのことを尖った目で見つめてきた。
「わかりました。信じます。信じますから、みんなの前でとか、絶対にやめてくださいよ」
「信じてくれるんですね?」
 念を押せば、イルカは諦めたようにため息を落とした。
「信じます」
 宣言するように言ったあとで不意にイルカが笑う。
「なんですか?」
「いえ。カカシ先生ってあっさりしていそうに見えて、意外と粘着質というか、しつこいんですね」
「それを言うなら、イルカ先生だって熱血っぽく見えて意外とクールですよね」
 負けずにカカシが言い返せば、そうかもしれないとイルカは屈託なく笑う。久しぶりに見るかげりのない笑顔にカカシの肩の力が抜けた。
「よかったイルカ先生」
「よかったって、なんですか?」
「うん。笑ってくれて、よかったなって」
「なんですかそれ、まったく……。本当に恥ずかしい人ですねカカシ先生は」
 怒ったように唇を尖らせるイルカ。だが目は笑っている。仲違いする前に戻ったみたいだ。イルカがロボットでもなんでも、やはりなにも変わらないではないか。
 ただひとつ、イルカへの気持ちだけが、成長し続けている。変わっていっている。
 すぐに、なんて贅沢なことは言わない。いつか、いつかこの気持ちが届いたなら。届けることができたなら。
「なににやにや笑ってるんですか、カカシせん、せ……」
 途切れる言葉。強ばるイルカの顔。
 次の瞬間、イルカはその場にくずおれていた。
「イルカ先生!」

 

 

 

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