れぷりかんと   11    







「こりゃカカシ。聞いておるのか」
 声のしたほうにのろのろを顔を向ければ、目の前に火影の皺の多い顔がある。火影は渋面を作ってカカシのことを見ていた。
「これは思ったより重傷のようじゃな」
 ため息をついて、火影はカカシの向かいに腰を下ろす。
 ぱちぱちと瞬きを繰り返したカカシは自分がなぜ火影の執務室にいるのかをやっと思い出した。
 ナルトたちに無理矢理連れてこられたのだ。最近の腑抜けっぷりにさすがの弟子たちも放っておけないと思ったのか、サスケまでが着いてくる始末だった。
 確かに、カカシは腑抜けもここにきわまれりという始末だった。日常のルーティンワークのような生活をなんとかこなしてはいるがすぐに心ここにあらずな状態でぼんやりとどこか遠い場所に視線が泳ぐ。軽く押されただけでもぱたりと倒れそうなほど力が入らない。
 杖に両手を載せた火影はカカシのことをじっと見ていた。カカシがなにか言いだすのを待っている。そういえば、火影はイルカのことを知っているのだったとカカシは今更ながら思い至った。
「……イルカ先生に、聞きました。ロボットだって。火影さまから聞いたって言ってました」
 低く告げると火影は目を見張った。
「なんじゃおぬし。イルカがロボットであったことで腑抜けておるのか?」
「違いますよ」
 ソファにだらしなく腰掛けたまま、カカシは天井をぼんやりと眺める。
「イルカ先生がロボットだろうがなんだろうが、そんなことはどうでもいいんです」
「どうでもいいのか」
「だってイルカ先生はイルカ先生ですよ。なにも変わらないじゃないですか」
 カカシの言葉に火影は顔をほころばせる。とても、嬉しそうに。
「まあそうは言ってもそう思えない者もおるがの。おぬしは柔軟じゃな」
「そんなことより、イルカ先生と喧嘩して、嫌われちゃったかもしれないんです。謝ったんですけど、なかなか許してもらえないんです。最近は口はきいてくれるんですけど、イルカ先生はロボットである自分をちゃんと受け入れていないみたいですっごい後ろ向きなんですよ。全然、気にすることじゃないのに」
 カカシから見ればイルカは十分に人間らしい人間だと思うのに、イルカ的にはそうではないらしい。ロボットである自分に葛藤している。
「イルカ先生は、ロボットである自分が、嫌いなんですかね」
 カカシは火影に語るでもなく話しはじめた。
「自分はロボットだからってよく言うんですよ。諦めてるような口調なんです。ロボットだから仕方ないって。ロボットだから感情が希薄だって。そんなことないのに。イルカ先生は、いい人なのに。優しくて、愛情深い人なのに」
 いつかの光景を思い出す。ナルトに対して向けるイルカの愛情がにせもののわけがない。イルカが優しくなければアカデミーの生徒にあんなに慕われるわけがない。
「ロボットのトリセツとかないんですか? そしたら俺は大枚はたいて買いますよ」
 自棄になって告げれば火影は呆れたように笑った。
「煮詰まっておるな」
 火影は笑うがカカシは切実だ。イルカ欠乏症でどうにかなってしまいそうだ。任務はもちろん子供たちの指導にも熱が入らず、日常の生活はつまらなく味気ない。もっと言えば、生きている張り合いがないくらいだ。
「取り扱い説明書ではないがな」
 カカシの様子を見かねたのか、立ちあがった火影は机の後ろの封を施された棚の中から一冊のノートを取り出してきた。
「おぬしに見せるかどうか迷ったのじゃが、心底イルカのことを思っておるようじゃからな」
 そう言って差し出された分厚いノート。姿勢を正して受け取ったカカシは、色あせた表紙にまず目を奪われる。なんの変哲もないどこにでも手に入るノートだが、とても古い。ノートの端はめくれあがっている。
「これは?」
「イルカの父が残した記録じゃよ」
 カカシはいっとき息をつめた。
「イルカ先生の、お父さんが」
 火影はこくりと頷く。
「イルカにも見せた。あやつはなにも言わずに戻してきたがな。記録というより日記に近いかも知れぬな。本物のイルカとその後のロボットの研究に対することが綴られている」
 カカシの手の中のノートが途端に重みを増す。とても大切な記録が記されたノートだ。カカシが読んでしまっていいのだろうか。そんな思いでちらりと火影をうかがえば、火影は安心させるようにおおように頷いた。
「イルカはなにも言うまいよ」
 そんな火影の言葉に押されて、カカシはノートを開いた。



 オリジナルのイルカが入院したところから日記の記述は始まった。
 まだたった六歳のイルカ。不治の病に冒されて、余命半年もないと事実を冷徹に述べているが、字は乱れていた。前年に妻を亡くし、そして一人息子のイルカまでが病に冒されるなど、イルカの父の心情はいかばかりだったろう。それでも気丈に記録は続く。
 イルカの闘病の記録が淡々と綴られていく。イルカの父は己の嘆きを交えずに、ただ、イルカの様子を記録していた。愛情深く、その一挙手一投足までも逃さず記録にとどめようと。
 病を得ても健気に生きようとしているイルカの姿がそこからは読み取れた。父のことを思い、必死で辛い治療に耐えていたようだ。きっとイルカは父を残していくことを知っていたのだろう。それでも一分一秒でも長く生きようとする様子が読み取れた。
 半年の余命が少し延びて、イルカは十ヶ月ほどの闘病ののちに、亡くなった。
 イルカが亡くなった日の記録はただひとことその事実だけが書かれていた。字は、滲んでいた。そのページは水に濡れたあとのように紙はごわごわと起伏があり、よれて、かすれて、薄くなっていた。
 そこまで読んでカカシは息をつく。
 イルカの父のイルカに対する深い思いが、この記録から十分に伺えた。
 その後数ページは白紙が続き、続いて始まるのは、ロボットの研究。カカシには理解できない数式が何ページにも渡って並んでいた。いくつかの数式は書いた後に塗りつぶされて消され、時に訂正され、あるページはぐちゃぐちゃに握りつぶされて、そしてまた白紙が続く。
 時が、どれくらいか流れているのだろう。いきなりでてきた記述は“イルカが戻ってきた”とあった。
 そこから記録は少しばかりおもむきを変える。
 どちらかと言えば記録と言えた記述が、気持ちのほうへシフトした。
“体はほとんど問題ない。ただ気持ちがついていかない”
“焦るな。焦ったらイルカはロボットになってしまう”
“イルカには気持ちを分かち合える存在がいる”
“なんでもいい。イルカが望む存在を”
 イルカイルカイルカ。断片的な感情のほとばしり。イルカの父はひたすらにイルカのことだけを思っていた。あの人を始めイルカの兄弟姉妹たちはイルカのためのもの。
 まるで。
 まるでカカシは自分の気持ちをみせられた気がした。イルカイルカ。カカシもイルカのことばかり考えている。それはきれいなばかりの思いではない。息苦しくなるくらいのどろりとしたものも含む思いだ。イルカの父とてそうだったろう。何者にも代え難い存在の代わりを求めたのだから。
 悩みながら、研究の思考錯誤を繰り返しながら、イルカの成長の記録が綴られていく。楽しいばかりではないが、喜びに満ちた日々。イルカに改良を加える途上でイルカをオリジナルとしたロボット以外に何体か別のロボットができあがる。それらは必要とされる人々の元へとおもむいたようだ。サクモのことも、あの人がカカシの元に行ったことも書かれていた。
 どんなイルカでも、イルカの父にとってかけがえのない存在だった。
 読み終わり、顔を上げれば部屋からいつの間にか火影の姿が消えていた。
 腹の底から息を吐き出したカカシは、そのまま、目を閉じた。



 最後のページには、イルカは人間になれただろうか、と記述されていた。

 

 

 

→12