れぷりかんと 1
父が自殺し果てた時、世界から色が消えた。
ただの自殺ではない。里のために働き続けてきたというのに、最後には里に裏切られての自殺だ。優しい父は里を恨むことができず己を責め、愛する里には絶望した。そしてその絶望ゆえに生きる望みを失い、自らの命を絶つ道を選んだのだろう。
死ぬ少し前の父は穏やかだった。寝込むことが多くなっていたが、体調がいい日にはカカシのことを縁側に呼び寄せて膝の上に載せて、とりとめのない話を聞かせてくれた。
その時間がずっと続けばいいと願いながらも、それはかなわぬことだろうと心のどこかで知っていた。だから任務から戻って、居間で喉を掻ききって死んでいる父を目にした時、ああ、やはり、と思う部分があった。大量の血の海の中で、父の死に顔は穏やかだった。きっともう、これでいいと思って死んでいったのだろう。
膝をついたカカシはその上に父の頭を載せて、カカシより少しばかり白みががっている銀の髪を何度も何度も撫でた。その日の任務のことを話した。
父は何も応えない。けれどカカシの心には相づちを打つ父の姿、声が、紛れもなく見えていた。
もしも誰も来なければきっといつまでもいつまでもそうしていたことだろう。
どれくらい経ったかはわからない。肩にかけられた手。のろのろと振り返れば、そこにはスリーマンセルの上忍師である先生がいた。その後ろには三代目、そして木の葉の医療班と思われる人たち。
先生は痛ましく目を細めて、ごめん、と小さく呟いて、カカシのことを抱きしめてくれた。先生は震えていた。先生は、泣いていたのかもしれない。
里にはまだ父の死を悲しんでくれる人がいる。そのことが嬉しかった。ふっと気が抜けたカカシは先生の腕の中で意識を失った。
次に目覚めたのはベッドの上。鼻につく匂いから、病院の中だとわかる。視線を動かせば、先生がいた。だがどうしたことだろう、先生は、色を失っていた。きらきらと輝くお日様のような金の髪が灰色にしか見えない。きょろきょろと視線を動かせばまるでモノクロの写真のように世界は味気ないものにかたちを変えていた。
カカシの様子がおかしいことに先生はいち早く気づき、すぐに医師を呼んだ。
検査の上で判明したのは、目に異常をきたしたわけではなく、心因性によるもの。時が解決してくれるのを待つしかないということ。
時が経つという言葉にカカシは内心首をかしげていた。
父がいないというのに、それでも時が過ぎるというのだろうか。そのことが信じられなくて、カカシはぼんやりと医師の説明を聞いていた。
その後カカシにはひと月の休暇が与えられた。先生は一緒に暮らそうと言ってくれたが、しばらくの間は父と暮らした家を離れる気になれず、畳をきれいにはりかえた居間で、日がないちにちぼんやりと過ごすことが多かった。
単調な毎日。色をなくした世界は無味乾燥で、別に父のあとを追いたいわけではないのだが、食事の欲求はおきず、特に何かをしたいということもなく、そのままでいればカカシはいづれ父の元に行くことになったかもしれなかった。
その日も起きているのか寝ているのかわかりかねるような半覚醒の状態でうとうとしながら居間に大の字で寝ころんでいた。
だがさすがに人の気配には気づく。しかもそれが今までに知らない気配なら、忍者の習性として起きあがざるを得ない。
力が入らない体に苦笑さえおきない。もしも敵であれば、闘うことができずに殺られるだろう。
上半身を起こして、せめて印くらい結べるように強ばった手をほぐすように指を組んで動かす。
何度かおとないをいれる声から敵ではないのだとは思う。カカシからのいらえを待たないままにからりと開いた戸。居間で座り込んだまま身構えていれば、障子が開いた。
そこには初めて見る大人が立っていた。
特に特徴めいたもののない凡庸な顔立ち。忍服を着ていないし、チャクラも忍者のようではない。しかしそうすると何故里の民間人がカカシの元に来るのかとまた違った疑問がわく。
カカシは男から視線を逸らさずに考えていたが、不意に、男の表情がふわりと軟らかくなる。目尻に皺が寄って大きめの口が開かれる。見る者をほっとさせ、警戒心を解くような笑顔だった。
「よかった」
そう言って、その男はカカシに抱きついてきた。はっとする間もなかった。カカシは男に抱きしめられていた。男が何をしたいのかわからない。けれど抵抗する気もおきなくて、体の力が抜ける。さきほどの一瞬の笑顔にやられてしまったのかもしれない。
男はカカシの頭を何度も何度も優しい手つきで撫でてくれる。しつこいくらいに、慰撫するように撫でられて、カカシは胸の中が温かくなっていくのを感じた。と同時にせり上がってくるものに押されて、堪えきれずに涙が出た。それはもう止めようもなく、あとからあとから溢れて、カカシは男の胸の中で声をあげて思う存分泣いた。
父が亡くなってから初めて泣いた。
泣いてしまえば父が本当に帰らぬ人になったのだと認めてしまうことになるから泣けずにいた。
けれどどんなに待ったって父は帰ってこない。そのことを認めなければならない。
男の手は優しい。
もっともっとと、思う。いつまでもそうして撫でていて欲しかった。
かなりの時間、男はそうしてくれていた。
カカシが泣きやんだ頃に身を離した男は、カカシの頬にこびりついた涙のあとを大きな手で拭ってくれながら、笑ってくれた。
「かわいそうに。よく、頑張ったね。もう大丈夫。俺がいるから。君のそばに、いるから」
その言葉が、凍り付いていたカカシの時間に振動を与え、カカシの世界には色が戻ってきた。
それから男と過ごしたのは1週間に過ぎなかった。
男は黒い髪と目をしていた。カカシのことをまるで父のように慈愛のこもった目で見てくれた。男は自分のことは何も語らなかった。カカシはそれでよかった。ただ男がいてくれたなら、それでよかった。男はカカシのどんなわがままも子供じみた癇癪も受け入れて、時には優しく諭し、ずっと、カカシに優しかった。
男と過ごす日々に里からの介入はなにもなく、さすがにカカシは、きっと男は里の上層部からなにがしかの含みをもって遣わされた者なのだろうと悟った。だが、それでもよかった。
父がいた頃にも感じたことのない穏やかさで、カカシは満たされた。
永遠に続くわけがないとわかっていても、そう願わずにはいられない日々だった。
だが、幸せな刻は唐突に終わりを告げる。
いつもなら朝食の用意をしてカカシを起こしにくる男がずっと隣で寝たままだった。先に起きたのはカカシだ。傍らの布団で眠る男の肩に手をかければ、男は、安らかに、眠るように、息絶えていた。
父の時と同じように、こんな結果になることは予測していた。それでも、ずっと続けばいいと願っていただけだ。カカシは、男のそばに身を横たえ、胸に顔を埋めて、目を閉じた。
里からの使者がくるまで、ずっと、そうしていた……。
それからカカシは見事に立ち直った。どうしてか男のおもかげは徐々に薄れていき、愛おしいくらいの優しいイメージだけが残った。それはカカシを満たしてくれた。
大切な友の死、四代目となった先生の死を乗り越え経験を積み、ひとかどの上忍になり、暗部にも所属してずっと外回りの忍として生きてきたが、九尾を宿したうずまきナルトやうちはの生き残りのうちはサスケがアカデミーを卒業するに至り、上忍師として里で過ごすことになった。
無事カカシの試験に合格したナルトに引き合わされたのは、アカデミー時代にナルトを担当していたという中忍の教師、うみのイルカ。
任務受付所で、受付の席から顔を上げたイルカを見た瞬間、カカシはぽかんと口が開いた。
うみのイルカは、とても、とても懐かしい空気をまとっていた。
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