おとぎばなし 9    








 三代目が亡くなったことで木の葉は揺れていた。
 忍者に名を連ねる者はすべて例外なく里のために駆り出され、アカデミーもしばらく閉鎖となることが決まり、教師たちはすべて任務につくことになった。イルカとてずいぶんと遠のいていた外まわりの任務に忙しく働いていた。
 イルカにとっては願ったりのこと。この機会に外回りの忍になるのもいいかもしれないと思う。三代目火影に守られていたから弱くなった。忍として生きる決意をあらたにしたいと思っていた。
 そんなおり、イルカが使える技能もこんな時ばかりはと、ご意見番たちからの命令がでた。
 くの一を相手にする任務ということだ。
 力を使っての任務に対する嫌悪は特にない。忍であることを選んだのは自分なのだから、里のために役立つことならいくらでもこなす気持ちはある。
 だが久しぶりなことでうまく振る舞えるかの自信が持てず、任務の少し前の夜にイルカは歓楽街へと向かうことにした。力のコントロールをしなければならない。自分に害がないように力を行使しなければならない。
 里の中心地から少し離れているめったに足を踏み入れない場所は毒々しいくらいにきらめき、道のそこここで一般人と思われる酔客が陽気に騒いでいた。里は危難の時をむかえているが、復興に向けての活気が感じられることは救いだった。忍者は今はとにかく働かなければならないが、一般の人々にまで窮屈な生活を強いることはない。楽しめる人間は楽しめばいい。それが明日を生きる力になる。
 歓楽街は里の一般客と忍者が共に楽しめるような場所であるが、忍者だけに知らされている店があり、イルカの目指す場所はそこだった。
 憂いなど微塵も感じさせず騒ぐ人々を見るともなしに目にしつつ進みながら、もしかしたらこの先、このての任務が何度もあてがわれることになるかもしれないとふと思う。
 もともとイルカは三代目がいたからこそ守られていた自覚はある。三代目の贖罪の気持ちがたゆたうことを許してくれていたのだと。
 少しぼんやりと歩いていたらすれ違いざまに急ぎ足の男と肩がぶつかった。
 よろめいて、どっちつかずの自分に苦い笑いがこぼれた。忍であることを選んで納得していながらどこかに迷いがあるのかもしれない。ナルトも巣立った。三代目はいない。イルカ自身が自分のためだけのいいわけのきかないものを選びとらなければならない時なのかもしれない。
 そんなふうに結論づけて開けた店。ひょろりと背の高い中年の店主に用件を告げれば心得ており、2階の奥の部屋に案内された。店主の妻と思われる女がちょっとした酒肴を運んでくれたがそれに手をつける気にはならず、窓際に寄って、入り込む涼しい夜風に下ろした髪を揺らせていた。
 ほどなくして、階段を上ってくる音がした。気配から、同業者だとわかる。無防備な来訪にいぶかしく顔を向ければ、戸が、開いた。障子が柱にぶつかり跳ね返るほどの勢いで。
 思わず目を見張る。そこには忍服を着たカカシが、立っていた。
「こんなところでなにしようとしてるの、イルカ先生」
「カカシ、先生」
 背には小さな荷を背負って、忍服は汚れている。明らかに任務帰りの様子だ。なぜこんな場所にカカシが、ということと、なぜイルカのいる場所にカカシがちょうどやって来るのか。疑問は浮かぶが答えはかいもく検討がつかずに、イルカはただ呆然とカカシを見つめた。
 イルカの視線を受けて、カカシは穏やかに目を細める。
 屋上以来だ。カカシのことを悪意をもって辱めた自覚がある。たいしたことをしたわけではないが、カカシにとっては少しばかり矜持を傷つけられることだったのではないか。だからカカシはあれからイルカに接触することもなく、時が時でもあり、イルカをさけて任務を忙しくこなしているのだと思っていた。
 事実、任務に忙しくしているのだろう。カカシのまとう空気が少し疲れていた。
「お酒、飲まないならもらっていい? 2週間ぶりの帰還なんですよ。ちょっと飲みたい気分でね」
 イルカの許可を得る前に、静かに戸を閉めて荷物を置いたカカシは酒肴の膳の前であぐらをかいた。手酌でぬるくなっている燗に手をつける。ぐっと飲み干して、染みこませるようにしばし目を閉じていた。
 目を逸らすことができずにじっとカカシを見ていたイルカだが、不意に目を開けたカカシに笑いかけられてどうしてか視線を逸らしてしまう。カカシの笑顔が、やけに真っ直ぐで、迷いがないように思えたからかもしれない。
 そんな動揺を隠そうと、イルカは口を開けた。
「あの、屋上で……」
 しかし続く言葉がでてこない。カカシをちらりと伺えば、あぐらの膝に肘を立てて頬杖ついてイルカの言葉を待っている。余裕な姿がどうしてかしゃくに障り、つい固い口調になっていた。
「屋上でのカカシ先生は意外でしたよ。なんか、思ってたのと違う反応でした」
「ふうん。どんな反応すると思ってたの?」
 楽しがっているカカシに突きつけるように言い切った。
「誰彼かまわず渡り歩いている感じはしませんでした。色事に、とまどっているみたいでしたよ」
 馬鹿にするように笑ってやった。だがカカシは笑みをさらに深くした。
「ああ、やっぱりわかっちゃった? そうなんだ。実は俺ね、感じないたちなんだ。里の上層部からは早く子供を作れってせっつかれてるけど、こればっかりはねえ。それがイルカ先生の手管にかかったら、あっさり反応して射精までして、もうびっくり。今まであてがわれていた女たちはなんだったんだって感じで笑っちゃうよ。あれがイルカ先生の力ってやつ?」
 笑顔で語られる内容にイルカはついていけない。だが、言葉は返していた。
「あの時、力は使ってません。でも、俺に触れるだけでも、よくないから……」
「よくないってことはないでしょ。でもまあ気持ちよかったってより、よくわからないな。変な感じがした。すっきりはしたかな。単なる生理現象だよね」
 カカシは肩を竦める。何をどう考えればいいのかと思考を整理しようとイルカはカカシを凝視した。そんなイルカに対して、カカシはかすかに首をかしげた。
「なあんて、信じる?」
 イルカはかっとなった。
「カカシ先生!」
「そんな怒んないでよ」
 笑うカカシの真意がつかめない。
「じゃあ、イルカ先生。行こうか」
 え、と思う間もなく、イルカは腕を引き立てられる。
「カカシ先生。行くって、どこに」
 まろびつつカカシに引かれて歩く。階段を下りる手前で、振り返ったカカシは不思議そうに首をかしげて口にした。
「どこって、家に帰りましょう。送りますよ」





 とんでもないと拒絶しようとしたイルカの言葉など聞かずに、カカシはどんどん進む。すぐに大通りに出てしまい、イルカは馬鹿みたいに喚いたが、ただの酔っぱらいだと思われるのがオチで、仕方なく黙り込んだ。
 イルカが大人しくなっても、カカシはイルカの右の手を掴んだままだった。
 さっきの話はどこまで本当なのだろう。機嫌よさげな横顔からは、真実ははかれない。
「カカシさん、手を離してください。あと送っていただかなくても、一人で帰ります」
「気にしないで。俺がイルカ先生と散歩したいだけだから」
 カカシは握った手を振ってみせる。その様子がとても楽しそうで、イルカは一人でいきりたっていることが馬鹿らしくなった。
 ふっと体の力が抜けて、ため息にまぎらわせて笑ってしまった。
 カカシの真意はわからないが、まるで毛を逆立てる猫のように付きまとうなと過剰反応していたことも肩の力が抜ければ馬鹿らしくなる。さきほどのカカシの発言も、嘘でも本当でもどちらでもいいではないか。
「どうしたのイルカ先生。なにがおかしいの」
「カカシ先生はすごいなって思います」
「すごいってなにがすごいの」
「さあ。なんとなくです。別に写輪眼を持ってなくても上忍でなくても、なんか、カカシ先生にはかなわないなあって思います」
 子供のような稚拙な表現になってしまう。けれど多分、それが本当の気持ちだ。
 カカシのことを憎く思えずにつかず離れず付き合い続けていたのは、カカシを作り上げているしなやかさが羨ましく、それでいて己が持てないその強さに対する憧れを認めることができずに、ひがみのような心で苛立ち、板挟みとなって、それでも離れがたく思っていたからなのかもしれなかった。
 そんな欺瞞に満ちた心。すべてをはぎとってまっさらな部分をさらしたなら、どうだろう。どうなるのだろう。
「本当はこのまま朝まで飲みたい気分なんだけど明日も早くから任務でね」
 残念、とカカシはいたずらめいた表情を見せる。
「忙しいんですね。今度は短いんですか?」
「んー? 七日、いや、十日くらいかな」
「そうですか。お気を付けて行ってらしてください。俺も、久しぶりに外回りの任務をこなしてましてね、数日後には」
「その任務なんだけどね、イルカ先生」
 ちょうど、イルカの家とカカシの家への分岐点だった。にぎやかな通りからそう遠くない場所は単身者のアパートやら、遅くまで営業している店がいくつか点在して明るかった。
 はっきり目に映ったカカシは、手を伸ばしてきて、下ろされたイルカの髪が珍しいのかさらりとなでつけた。
「きれいな髪だねイルカ先生。髪を下ろすと雰囲気変わる」
 戯れのように呟いたカカシは、かすかに笑って、イルカと少し距離をとった。
「ご意見番から命じられた任務は、なし。これからも色を使った任務にイルカ先生が赴くことはない」
 断言されてイルカは目を見張る。
「どういうことですかカカシ先生」
「びっくりしたよ。任務から戻った途端で疲れてたけど、大慌てでイルカ先生のこと迎えに行っちゃった」
「カカシ先生。聞いていることに答えてください」
「こんな場所で大声ださないで」
 詰め寄ってくるイルカから自然と距離をとって、カカシは穏やかな顔で頷いた。
「イルカ先生は俺にとって特別な人だから」
 だからだよ、と言って、カカシは去って行ってしまった。






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