おとぎばなし 6
イルカは端的に核心を口にしたが、カカシは何も返さない。残照の色を髪にのせ、ただ、目を逸らすことなく見つめてくる。
「母は失敗作でしたが、実験の成果は皮肉にも俺に現れました」
親の因果が子に報い、なんてそんな言葉はさすがに母に申し訳ないと思う。思うがそんなふうな発想がでてくるのは心のどこかで恨んでいるからなのだろう。どうして子供なんかを、俺のことを生んだのかと。
「はじまりは、まだ歩けもしない赤ん坊の頃でした」
動揺せずに話せるだろうか、そんな不安は少しばかりあった。だがそれは杞憂に終わった。滑らかに言葉はでてきた。
大丈夫だとイルカは内心ほっとする。
「両親がともに忍であった子供たちが預けられる施設でのことです」
二人の任務が重なる時、イルカはその施設に預けられた。イルカと同じ境遇の子供達が一同に集められる施設でのこと。
赤子のイルカになにかしているという意識はもちろんなかった。
ただある時、施設の職員から両親に話がいった。
イルカの世話をした職員が、明確に表せないがなにかおかしいと訴えてくると。
イルカに触れるとなんともいえない気持ちになり、イルカのために、イルカが望むことならなんだってかなえてやりたくなるという。
イルカが泣けば、他の子を放ってもイルカの元に向かう。イルカを最優先に考える。
「男も女も関係なく、俺に触れると、俺に見つめられて笑顔を向けられたりすると、俺のいいなりになる。逆らうことは耐え難い苦痛だと言ってきたそうですよ」
ふ、と息をついてイルカは空を見上げた。
「でも何がおかしいのか確かなことがわからなくて、そのままでいたんです。職員だって人間ですから、多少度は過ぎてもかわいい子供とそうでない子供が感情の部分ででてきても仕方ないってことで。だから俺が特別なのも俺のことをかわいいと思う感情からきているって解釈がされたんです。まあ母だけは、心配していたそうですけどね。多少なんてレベルではなかったみたいですから」
それから数年、そのままにされていた。
自我が徐々にできあがってくれば、子供同士争いが起こることも多くなる。そんな時、イルカと他の子供が争えば、イルカが悪くてもイルカの味方をしたくなる。まるでイルカに操られているようだと。だが操られることが決して苦痛ではないと。
カカシをちらりと見れば、話の続きを促すようにかるく頷いた。イルカの話す内容に特に感情らしいものを顕さない様子が、本当に知りたいのかそうでないのかはかりかねた。
だが話し始めたことをやめることもできない。むしろカカシの無表情なままなのは話を続けやすい。イルカはそのまま落ち着いて言葉を続けた。
「5才になるくらいの頃ですが、とうとう事件が起きてしまったんです。俺は覚えてないんですけど、職員に乱暴されたそうですよ。まあ最後まではやられなかったらしいんですが、施設のトップの人間が、俺が誘ったって言ったそうです。5才の子供を強姦しようとしてそれはないですよね。真面目で信頼もある人物だったことが幸いして、徹底的に調べられた。そうしたら俺に問題があったってことがわかったんです」
イルカの眼差しが、体の動きひとつひとつが媚態と映る。
誘われているとしか思えない。こい、と命じられる錯覚。抗いがたい衝動。
訓練でそういう技を身につけるくの一もいるが、イルカの場合は実験から作られたもの。先天的なものは時に絶対的な力となる。
イルカの毒にあてられると一度ではすまない。イルカに触れたい。触れさせてほしい。そのために跪く。中毒になる。
「それが俺が隠していたことです。それだけのことです」
最後は小さく口にした。カカシの視線を感じるが見つめ返すことができずに、目を伏せる。
イルカとしてはこれでけりがつくと思っていたのだが、何も反応しないカカシに焦れて顔を上げれば、カカシは少し目を見開いて、驚きましたとおざなりな態度で、口の端を意味ありげにつり上げた。
「それがすべて?」
暗にそうではないでしょうと口調が言っている。
つくづくやっかいだ。
カカシのことを真っ直ぐに見たまま、イルカは笑った。冷たく笑った。
「あなたは一体なにが知りたいんです。これ以上俺に何を語らせたいんですか」
イルカの笑顔が強ばっていることがさすがにわかったのだろう。カカシも表情を改めた。
「イルカ先生のこと、からかったりとか、ふざけた気持ちではないんです。でも俺の態度がイルカ先生のこと傷つけてるっぽいようなんで、ごめんなさい。反省します」
頭を下げられて、イルカのほうが慌てる。
「別に、傷ついてなんかいません。ただ、苛ついているだけで」
口にした途端、失言だと気づく。しかし言ってしまったことは取り戻せない。カカシは吹きだした。
「あ、やっぱり苛ついてたんだ。まあ、うん、そうですよね」
一人で頷いてカカシは楽しそうだがイルカは楽しくない。カカシに背を向けて、柵の上に組んだ両腕をべたりとつけて、そこに顎を載せて三代目の顔岩を睨み付ける。
かわいがっていた大蛇丸が人体実験を繰り返していたと知った時、三代目はどれほどの絶望を味わったことだろう。見えていたものを見ようとしなかった己をどれほど罵倒して、悔いたことだろう。いつも三代目はイルカたち実験の犠牲者に対して優しかった。償いたかったのだろう。
なんとなく感傷的な気持ちで三代目を見つめていれば、頬に触れられて横を向く。
差し込む残照にカカシがまぶしそうに目を細めていた。
「こんなこと言ったら笑われそうだけど、すべてを捨て去るほどの感情に、憧れます。自分の中のすべてを奪い去られるような、激情って言うんですかね。それに身を任すことができたら、生きていくことはもっと輝かしいことになると思うんです」
カカシは照れくさいのか空いている手でしきりに頭をかくが、イルカの頬に触れる指先はそのままそこに止まっていた。
カカシも空虚な何かを抱えているのだなとふと気づく。
考えるまでもないことだが、上忍ならくぐり抜けてきた修羅場は数知れない。しかもカカシは暗部にも所属していたのだから、己が危うくなることが多くあっただろう。
それに耐えてここにいるカカシは強い人間だ。
ふっとイルカの中で力が抜けた。
「それまで垂れ流されていた俺の能力は規制されることになりました。特別に訓練を受けることになったんです。もちろん忍者になるなら、持ってしまった能力を使わないわけにはいかない。両親は反対しました。でも俺にはことの重大さがよくわからなかったし、とにかく忍者になりたかった。それなりに物事が判断できる年齢になった時に、俺には選択権が与えられました。俺は、忍者になることを決めました。俺だって、里の役にたちたかったから」
「うん。そうだね……。わかるよ」
カカシの低い声には心からの気持ちを感じた。忍者の親を持って、里の現状を知れば、忍者を目指さないわけがない。それはイルカだけの特別な感情ではないはずだ。
「でもねカカシ先生。俺が、この力を使って任務を行ったのは、カカシ先生が捕らえた裏切り者の男に対してだけです。持っている力は使ったほうがいい。それでも使うことを禁じられた。使えなかった。使えない理由があるからです」
今から口にする、これこそが話をややこしくしたのだなと、改めて思う。せめて生まれながらの娼婦の体だけであったなら、もう少し生きることは楽だったはずだ。
「俺にとって他者と交わることは毒なんです」
カカシから距離をとって指先の届かないところで真っ直ぐに立つ。
「俺の体は他人を誘惑する。無意識に誘う。なのに他者と交わることは俺にとって快楽でもなんでもない。劇薬、なんです」
行為に苦痛しか、見いだせない。
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