おとぎばなし 5
「簡単に考えれば、イルカ先生はすっごくイイ体ってことなんだよね」
目の前の上忍はにこにこと笑っている。
「でもね、この前も言ったけど、どんなにイイ体だって、その後の自分の人生投げ出すほどのめり込むなんてあり得ないでしょ。しかもたった一度寝ただけの相手に」
「そうですね、そう思いますよ」
「じゃあなんでだってなるわけじゃないですか。そのあたりをずっとぐるぐるしてるんですよー」
一人で酒を飲んでカカシはご機嫌だ。いろいろと言いたいことはあるが呆れて結局何も言えなくなる。
今更ながらなぜこの上忍はイルカの家に上がり込んで持参した酒を飲んでいるのだろう。この上忍の考えていることは全くわからない。わからないからなのか、すっかりペースを乱されている。あまりのしつこさに自宅に招き入れることが珍しいことではなくなってしまった。
イルカは卓袱台に肩肘をついてテレビを見ている。カカシは気にせずに一人で喋っている。興が向けば話し相手をすることもあったが、基本は常にそんな感じだった
イルカわざとらしく大きなため息をついてテレビを消した。
「人は入れ物である体の影響を強く受けるものだってことじゃないですか?」
なんとなく、口にした。カカシはイルカの言葉にグラスを置くと身を乗り出してきた。
「イルカ先生にとって体はただの入れ物? 快楽も痛みも確かに体が受けとる感覚だけど、でも、体がそう感じるのは……こころ、があるからだよね。それはどういうことになるのかな」
顔は笑っているがふざけてはいない口調に、イルカはかすかに目を見張る。
そういえばカカシは、イルカの心が欲しいなんて戯れ言を口にしていた。上忍さまは意外にもロマンチストなのかもしれない。
「また、心、ですか」
イルカは苦笑するが、カカシはイルカからのこたえを待っている。真っ直ぐな視線が煩わしくて、イルカは目を逸らした。
「俺は目の前にある事実のほうを重視します。俺の体は確かにここにある。でも俺の心は見えない。周りからは俺の心なんてわからない」
「イルカ先生自身にはわかるの? これが俺の心だって」
「わかりますよ。俺だけに俺の心がわかるんです」
「でも、自分でも自分の気持ちとか行動がわからなくなることってない? なんでこんなことしちゃったんだって後から思うことってあるよね? それでも自分の心がわかるって言えるの?」
「それは制御できないだけです。わかるわからないの問題じゃないと思います。制御できないことをわかっているのだからわかることになります」
カカシとの問答などわずらわしく思っているのについついこたえてしまう。そこがカカシを付け上がらせる一因になっているのだろう。
まるで言葉遊びだ。もうイルカにはため息しかでてこない。心についてなんて、考え出したら思考のループにはまりこむだけで、それがわかっているから賢明にも普段人が深くは考えようとしないのだろう。
「カカシ先生。もう面倒ですから、寝ましょう。そうしたらわかりますから。俺はそういう体なんですよ」
立ち上がってカカシの腕をとろうとしたイルカの手をカカシは拒んだ。
「だから、何度も言ってるじゃないですか。それじゃあ意味がないって」
「意味がなくていいんです。だって俺はあなたのこと絶対に好きになりませんから」
「絶対!? いいのそんなこと言って? 俺のこと好きになった時恥ずかしいよ?」
脳天気な返答にイルカは鼻で笑う。
「それはあり得ませんから心配ご無用です。絶対に好きになりません」
「うわー。2回も言っちゃったよ」
呆れたようなカカシの声にイルカのほうこそ呆れる。
「カカシ先生……」
「わかってますよ。そろそろ帰ります」
大儀そうに立ち上がったカカシはひとつ伸びをするとさっさと玄関に向かう。それじゃあと言って出ていくカカシを特に見送ったりはしない。
ドアが閉まり、完全に気配が遠のくと、そこでやっとイルカはひとつ息をつく。
意識しているわけではいないが自分のテリトリーに他者がいることにやはりどうしても体が緊張してしまう。
卓袱台に上半身をずるずると載せて目を閉じる。
カカシは特にイルカに何かをしかけるわけではなく、時間があって気が向いた時にイルカの元を訪れては他愛もない話をしていく。
愛情をこめた言葉をイルカが嫌がることを早々に察したカカシは思いを一切口に乗せない。
面倒なことになるのはたまらないから、何度となく寝てしまうことを提案した。だがカカシは頷かない。体だけのことではないとそのたびに言う。
それが逆にカカシが真剣に挑んでいる感じがしてとても嫌だ。
イルカと寝てしまうのはよくないことだとわかっているのになぜカカシはイルカにこだわるのだろう。興味本位にしては不可解だ。もういっそのことすべてのを語ってしまうのがいいと思うのだが、イルカの気持ちだけの問題ではなくどうしたものかと結局はずるずると現状維持で進んでしまっている。
畳の上にごろりと仰向けになったイルカは、そっと目を閉じる。
どうして。
どうしてそっとしておいてくれないのだろう。現実にしっかりと足を据えて生きなくていいのに。たゆたうように生きていたいのに。
なすべきこととか。生き甲斐とか、そんなことはどうでもいい。ただ日々呼吸をして、生きていく。それだってひとつの人生だ。もうそれだけでいいと思ったのに、どうして、カカシのような面倒な存在につきまとわれてしまうのか。自分には一体どんな因果があるのだろう。何よりままならないのはこの運命だ。
流される人生に、イルカはくせになってしまったため息をまたひとつ落とした。
それから、木の葉の里は嵐に見舞われる。
中忍試験中に大蛇丸の襲撃。
三代目火影が、命を落とすことになった……。
か細くじんわりと里を濡らす雨。そんな中で執り行われた三代目の葬儀。
アカデミー教員として培われた生活の動きが滞りなく式を遂行することに役立ったが、さてどうしたものかと内心イルカは考えていた。
三代目が、亡くなった。
里の偉大な長であったが、それ以前にイルカにとっては亡くなった両親の代わりのような人だった。
その方が亡くなったのだ。
きっと三代目ももういいと思ってくれるはずだ。
そう考えて葬儀から数日後、夕暮れのアカデミーの屋上にカカシを呼び出した。
「俺に慰めて欲しいなら言ってね。好きなだけ抱きしめて甘やかしてあげるから」
茶化すような台詞を口にしつつもさすがにカカシもどこか寂しげだ。アカデミーの屋上からは歴代の火影たちの顔岩が見える。今回の襲撃で、三代目は初代、二代の火影と闘ったという。そして最後には大蛇丸に命を奪われた。
「大蛇丸なんです。それがことの発端です」
その一言で、イルカの中はすっと軽くなる。
なんだ、簡単なことだったのだと知る。カカシのことを見て語るのは気まずいだろうとさすがに思っていたが、もたれていた柵から体を起こして真っ直ぐにカカシと向き合った。なぜかとても穏やか気持ちで、カカシを見つめることができた。
「たいした秘密ではないんです。ただ、俺だけのことではなかったので」
ふ、と息をついた。
「大蛇丸が、人体実験を繰り返していたことはご存じですよね?」
確認のつもりでカカシに問いかければ、カカシは無言で頷いた。
「俺の母は子供の頃に大蛇丸の実験に使われたんです。失敗作だったそうですよ。おかげで助かることができた。その後成長した母は忍になり結婚もして、その母から生まれたのが俺なんです」
腹の底に、力をこめる。カカシが無表情なのがありがたい。気持ちが高ぶることもなく、次の言葉を告げた。
「俺の体は生まれながらの娼婦なんですよ。とびきり悪い毒をもった、媚薬のような体なんです」
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