おとぎばなし 4    








 黙ったまま真っ直ぐに見つめられ、イルカはさりげなく目を逸らす。
「カカシ先生。俺は、カカシ先生のことが嫌いではありません。どちらかと言えば好ましく思っていますよ」
 張りつめた緊張感を避けたのはイルカだ。無害な笑顔をみせてふっと空気を柔らかくする。
「最初は、なにも思いませんでした。俺とは別の世界の人だなあと思う程度でした。でも、ナルトの上忍師としてのカカシ先生を知ってから、それは変わりました」
 カカシという人間は、上忍師としても、一人の男としても信ずるに足るべき人物だった。上の立場を利用しての強制が全くないとは言えない忍者の世界だが、カカシはイルカに対して無理強いをするわけではなかった。忍という枷のある生の中にあっても柔軟な生き方は、時にすがすがしく感じたりもした。
 特に、嫌いになる理由は見あたらなかった。
「イルカ先生。俺、さっき嘘を言いました」
 ごめんね、とカカシがひっそりと笑う。
「実はですね、今回の任務でしっかり貞操奪われちゃいました。ていうより奪って貰ったというべきですかね? ナルトたちには絶対に言えないようなことしちゃいました」
 もちろんカカシは悪びれない。ただ少しばかり照れくさそうではあった。実はね、とそのまま続ける。
「イルカ先生に二度目の約束をとりつけた後も適当にいろんな女と寝てきました。もちろんイルカ先生が本命だから、商売女だったり、セフレとか、後を引かない関係でね。気に入ったら何回か寝たりもします。でもお互いわりきって、気持ちを求めたりはしません」
「そうですか。カカシ先生らしいです」
 だからね、と言ってカカシはそっと距離をつめる。
「一度寝ただけでどうしたら人生踏み外すほどその相手に夢中になれるっていうの? 俺にはわからない。理解不能だよ」
 カカシの右手がのびてきた。イルカの頬に触れる。手甲で覆われていない指先が、繊細に皮膚を撫でる。
「秘密はね、隠されれば隠されるほど知りたくなる。そうでしょう?」
 一歩身を引いたイルカはカカシの手から逃れる。カカシはあくまでも余裕の表情でたたずんでいる。聞き分けのない上忍に、ついため息が出てしまう。
「あなたに言われるまでもありません。そんなこと、わかっています。それでも言いたくないことがあるものなんですけどね」
 言ってしまったほうが楽になる? ならない? それは人それぞれだろう。イルカは口を閉ざすことを選んだだけだ。
「あの夜カカシ先生言ましたよね。忍にはみんな語りたくない嫌な過去があるって。そんなもの後生大事に抱えて生きたって仕方ないって」
 突っ立ったまま喋るのも嫌でイルカは再び歩を進める。
「後生大事にってわけじゃないですけど、でも率先して口にするようなことではないですよね、嫌な過去なんて」
「まあ、そうですね。なんか、自分に酔ってるみたいですもんね」
「わかっているじゃないですか。それでも俺に言わせようってどういう了見なんですか」
 呆れかえってついぞんざいな口調になってしまう。
「だいたい俺は充分話したと思うんですけど。過去にたった一度寝た男がこんな俺に夢中になる。俺と寝るのはやばいって遠回しどころか結構ストレートに言ってますよね。違いますか」
「違い、ませんねぇ」
 カカシが横に並んだ瞬間イルカはまたぴたりと歩みを止める。苛立ちを隠さず、横目でカカシを睨み付けた。
「俺と寝ますか? そうすれば手っ取り早く答えがでますよ。ただし一回しか寝ない。だってあなたとは恋人でもなんでもないんですからね」
 挑むように告げれば、カカシはイルカの勢いに気圧されたように、けれども余裕で降参とばかりに顔の横で両手をあげる。
「それで俺もイルカ先生のとりこになっちゃうのかな?」
「そうですよ。俺に夢中になって、俺なしではいられなくなって、俺の足下にはいつくばるんですよ」
 あまあみろとばかりに言い捨てると、カカシはどうしてか吹きだした。
「イルカ先生、イルカ先生って、S? 今の目、よかった。ぐっときたよ。俺Mじゃないんだけど、ぞくぞくきたな」
 馬鹿みたいに笑うカカシにイルカのほうが唖然となる。
「カカシ先生。あなたおかしいんじゃないですか?」
「そおんなことないよ。至って普通」
 イルカは目眩に似たものを感じて額宛に手をあてた。
「カカシ先生。さきほど言ったことは訂正します。やはりあなたのことはどちらかと言えば嫌いです」
「俺はだんだんイルカ先生にマジになってきたなあ」
 もう何も言えずにイルカは肩を落としたまま歩き出す。しかしその肩を強く掴まれて、バランスを崩したところを引き寄せられる。体の向きをかえられて、カカシと至近距離で視線が交わった。
 いつもは隠されているカカシの左目。知る人ぞ知る写輪眼。血のように暗い赤の中に滲む黒の文様。ああこれが、と見入っていたイルカの耳にカカシの声が届く。
「たいした秘密じゃないけど、話してくれたお礼。この目は親友になれたかもしれない奴から貰った目……」
 語尾が唇の中に消えていく。
 カカシの薄い唇が、イルカの口を塞ぐ。ためらうこともなく舌が入り込む。触れた直接の感触にぞっとした。だからそんなつもりはなかったが、咄嗟に歯をたててしまった。
「って……!」
 イルカが突き飛ばせば、カカシはしばし口もとを押さえてから、舌をほんの少し口からだして、情けなさそうに呟いた。
「血、でた。痛い……」
「あ、当たり前です! いきなりキスなんかしていいと思っているんですか!」
 憤然と声を荒げたイルカと違ってカカシの肩は落ちる。
「キスくらい、いいじゃないですか。これからしばらく禁欲するんだから」
「禁欲!?」
 カカシの口から出たとは思えない言葉にイルカの声は裏返る。
「そんなの無理に決まっているじゃないですか」
 カカシのことをたいして知っているわけではないが、性に関してかなりいい加減、節操がない。よく言えばこだわりがないと言うべきか、それは決して間違っていない判断のはずだ。
「無理かどうかはやってみなければわかりません」
 口を尖らせながらもカカシは断固として宣言する。イルカはありえないとばかりに首を振った。
「なんのために、そんなこと」
「もちろん、イルカ先生に相手してもらうためですよ」
「相手? 寝たいってことですか? いいですよもう。面倒だから寝ますよ。なんならここでしますか?」
 なげやりに言ったが、カカシが頷けば応じる気持ちはあった。だがカカシは顔をしかめた。
「でもそれって一回きりってことですよね」
「当たり前です。いやいやお相手するんですから」
「それじゃあ意味ないんだよねえ。体だけじゃなくて、心も欲しいの」
 馬鹿じゃないのか、という言葉はかろうじて飲み込んだ。べらべらといい加減で適当なことしか喋らない舌をかみきってやればよかったと凶悪な気持ちまで一瞬だが沸き上がる。
 だが言葉が通じない相手には何をどう言おうが、最後にはどうしたって疲労感が募るだけだ。
「もう、勝手にしてください。俺には関係ないことですから」
「うーん。そんな冷たい言葉もいいね」
 本気で、頭痛がしてきそうになったイルカにカカシは追い打ちをかけた。
「イルカ先生が信じるまで誰とも寝ないよ。今度こそ本当に貞操を守ります。でも、健康上の問題があるんで、たまにはイルカ先生をおかずにすることは許してね」
 小さく首をかしげたカカシ。その首をへし折ってやりたいイルカだった。