おとぎばなし 21    






 裸で横たわるカカシには白い布が胸元までかけれらていた。
 目を閉じた安らかな顔。顔色は悪くない。死んでいることが嘘のようだ。でも、死んでいる。そう思うとイルカはつい小さく笑っていた。
「海野中忍?」
「なんか、現実感がないと思いまして。すぐにでも起きだしそうじゃないですか」
 アキハはイルカの言葉に同じように笑んだ。
「そうですね。嘘みたいです。でも、嘘ではないんです」
 そっと事実を確認するように告げた。アキハがカカシを検分したのだから間違いはない。
 イルカが眠っている間にカカシは任務に赴き、命を落とすことになった。
 体を重ねてすぐのことではない。
 カカシと愛し合った翌日、イルカは普通に目を覚ますことができた。

 見慣れない風景が映り瞬きを繰り返し、傍らのぬくもりに顔を向ければ、優しい顔で微笑むカカシがいた。
「カカシ、さん……」
「おはようイルカ先生。気分はどう? 大丈夫?」
 額にキスをされ甘ったるい声で聞かれた。
「イルカさん?」
 ぼうっとしたままカカシを見つめていれば、心配そうな声を出された。
「俺、大丈夫だったんですか?」
 訊ねれば、カカシは大きく頷いた。
「夜中に発作でも起きたらどうしようって心配してたんですけど、ぐっすり眠ってましたよ。だから俺も寝ちゃいました」
「そう、ですか」
 まどろむまでの間に頭痛を感じた覚えはある。ただいつの間にか意識が遠のき、穏やかで安らかな眠りへと入り込むことができた。
「ねえイルカ先生、やっぱり愛なんだと思いませんか?」
「え? 何がですか?」
「だから、イルカ先生の体調に変化がなかったこと。どうしてって聞かれたら、愛があるからですよって言うしかないでしょう?」
 カカシは茶化す口調でいて、目は真面目だった。
「俺たちが一方通行ではなくてお互いに愛し合っているから、奇跡が起きたんですよ」
「カカシさん、言ってて恥ずかしくないですか?」
「ぜ〜んぜん。だってただの事実ですから」
 カカシからかもしだされる甘ったるい空気は間違いなく恋人同士のもので、聞いてる方が恥ずかしくなる。
「起きれますか?」
「ええ、大丈夫です」
 それでもカカシは手を貸して、念のためゆっくりと慎重に体を起こしたイルカの体に巻きついていた毛布がはらりと落ちる。
 明るい日の光の元でさらされたイルカの裸体には、カカシから受けた愛の証が赤くちりばめられていた。腹のあたりには乾いてしまったが欲望の証。意識すれば尻の奥にはまだカカシがいるような気がする。いや、間違いなくいるのだ。かきだされた覚えはない。
 思考がそこまで至ったところでイルカはかっと頬に血を上らせた。
「カカシさん! もうっ!」
「ふふ、照れないでくださいよ。かわいいですね」
 カカシも同じように裸で、今はまだベットの上にいて、なんとなく空気にはまだ情事の匂いが残っている気がして、イルカは慌てて毛布を拾い上げようとしたがカカシに阻まれる。
 そのまませっかく起き上ったベットにまた沈み込まされた。
 上から両肩を押さえつけられて、イルカの喉はごくりと鳴る。
「カカシさん?」
「昨日のあなたはあんなに大胆に俺のこと搾り取ったのに、今日はなんにも知りませんって顔をするんですね」
 ひどいな、と言ってくすくすと笑ったカカシはイルカの耳元に口を寄せた。
「ねえ、あなたの中にぶちまけたもの、残っているのわかるでしょう? イルカさんの中は本当に気持ちよくて、あなたの中になら何度でも出せるよ……」
 低音で囁かれ、ぞろりと耳を舐められて、イルカは反応してしまう。
「んん……」
 ゆるく立ち上がったものはすぐにカカシに気付かれて、カカシの指先がかすめるだけで、だらしなく先端を濡らしていた。
「すごい、イルカさん。俺の声で感じたの?」
 尖った乳首に口を寄せながらカカシがからかうように言うが、イルカは負けじと睨み返した。
「そんなの、当然です。あなたに夢中なんですから! あなたに何度でも抱かれたいって思って当然でしょう?」
 真っ直ぐに告げれば、何故かカカシは動きを止めて呆然と見返してきた。
「カカシさん?」
 身を引いたカカシを追うようにイルカも体を起こせば、カカシは口元に手を当てて、真っ赤になっていた。
 それを見て今度はイルカが笑ってしまう。
「どうしたんですか? あんな恥ずかしいこと言ったくせに」
「だって、イルカさんが、嬉しいこと言ってくれるから」
 カカシは腕をのばし、強い力でイルカをかき抱いた。
「愛してます。あなたと、生きていきたい」
 その言葉はイルカの深い場所にすとんと落ちてきた。
 呪われた体であることを知って、他者を傷つけてしまってからは封じた思い。
 誰かに深く愛されたい、愛し合いたいと思ってきた。叶えられるわけなどないから、願ったことさえ忘れていた。
 その願いを、手放した気持ちを、もう一度、掴んでもいいのだろうか? 取り戻せるのだろうか?
「俺、も…」
 声がかすれる。鼓動が高鳴って、息が苦しい。
「イルカさん。言って。あなたの言葉で、聞かせて欲しい」
 カカシが色違いの目で真っ直ぐに見てくれる。イルカを映し出してくれる。嘘偽りのないイルカを。
「俺も、あなたと、生きたい」
「うん。一緒に生きていこう」
 穏やかなカカシの表情を覚えている。
 うっとりとその笑顔に包まれて、イルカは目を閉じ、そこで意識がなくなり、そこまでが夢の続きだった―。



「意識を失った海野中忍をはたけ上忍が連れてきました。どんな刺激を与えても起きないって、半狂乱で、落ち着かせるのに苦労しました」
 アキハはその時のことを思い出したのか、おかしそうでいて寂しそうに口にする。
「そうですか」
 あの幸せな一瞬ともいえる時間のあとで、イルカは眠りについてしまった。傷ついた獣がひたすら体を休めることで回復を目指すように、深い眠りについたのだ。
 夢を、見ていた。
 うっすらと浮上した時にカカシが任務に行きますと告げてきたのはおそらく現実だろう。
 すぐに帰って来ると頬笑んでいた。
 そっと口づけられた。
「綱手さまが予定よりも早く帰還されて、はたけ上忍に任務を命じたんです。海野中忍から離れたくないと最初は断ったんですよ。でも綱手さまが絶対に起こしてみせると請け負ったので、はたけ上忍はそれを信じて旅立ちました」
 聞けばこの度の任務は車輪眼が必要であるとはいえ、さほど難しいものではないものだった。少し手こずったとしてもカカシであれば必ずこなすことができる種類のものだった。
 だが、予想だにしないことが起こるのが任務ではよくあること。
 不測の事態に対応できてこそ一流の忍びと言えるのだ。カカシはもちろん一流の忍だ。ビンゴブックに載るほどの実力を持っている。
 そんなカカシがちょっとした油断で死んでしまったのはやはり、イルカのことがあったからだろう。
「野盗のリーダーの子供が、飛び出してきたそうです。五歳くらいの女の子で、はたけ上忍は一瞬術の発動をためらってしまい、その一瞬に術を発動したのはその子供だったんです。子供は、優秀な忍でした。父を凌ぐ以上の力をすでに持っていたんです」
 カカシはそれでも任務は完了したのだ。
 子供を取り押さえ、命乞いをする抜け忍で野盗となった首領の男は殺した。
 子供がかけた術こそがカカシがコピーを命じられたものだった。
「はたけ上忍は、里までたどり着いたんです。報告をされてから海野中忍に会いに行こうとして倒れられたんです」
 そのままカカシは三日三晩の昏睡のあとに、今朝、亡くなった。
 カカシが亡くなりほどなくしてイルカが目覚めた時、すべては終わっていたのだ。
 イルカはそっとカカシの顔に触れた。
 ひやりとして、明らかに死んでいるとわかる弾力のない感触に、思わず手を引いていた。
 抱き合った時の熱さを覚えている。幸せに包まれた感覚はイルカの細胞の隅々にまで宿っているというのに。
 イルカにとっては繋がっている昨日の話だ。なのに、すでにカカシがこの世にいないだなんて。
「……嘘ですよねアキハさん。カカシさん、死んでませんよね? だってカカシさんは、永遠を生きる人じゃないですか。ねえ? ほら、だって、カカシさんの脳はあの部屋にある。あそこで、生きているじゃないですか」
 思わず言っていた。
 そうだ、カカシには永遠がある。望めば手に入るのだ。カカシは永遠であって欲しいと、今になって思う。たとえ姿を変えても、カカシを見つけることができる。だからカカシという意識が誰かの体へと移るのならばイルカはそのことを認める。いや、率先して望むくらいだ。
 イルカが請うようにアキハを見れば、アキハはゆるゆると首を振った。
「はたけ上忍は、最期に言われました。このままで、と」
 イルカは、目をつむっていた。
 カカシはやはり選んだのだ。
 はたけ・カカシとして生をまっとうすることを。
「綱手さまは、はたけ上忍の選択を尊重すると言われました。ですから、ここに眠っているはたけ上忍の本体の脳はそのままで何も施していません。この体が動かなくなってから、脳も死んでしまったようになっています。おそらくこの体と深くリンクできていたからだと。だから、ここにいるのは、偽りなく、はたけ・カカシ上忍です」
「嘘、とか、本当とか……っ」
 イルカはかっとなって声を荒げていた。
「そんなこと、どうでもいい。カカシさんがここにいてくれたら、なんだってよかったのに! たとえどんな姿でもっ」
 イルカはぐっとこぶしを握りしめた。そして行き場を無くした感情をぶつけるように、そのこぶしをカカシが横たわる寝台にぶつけていた。
「起きろっ。起きろよ! あんた、俺と一緒に生きるんだろう!? 生きたいって言ったじゃないか! 俺のこと愛してんだろ!? 俺のことあんなふうに抱いて、責任とれよ! ふざけんなよ何勝手に死んでんだよ! バカ野郎! 許さねえぞ!」
 口汚くののしる言葉が溢れてくる。
 それは悔しいからだ。これから、という時に、どうしていなくなってしまうのだ。
 希望を見出していなければよかった。それなら暗闇のままでも歩いていけた。けれど明かりが灯ることを知ってしまった今、その明るさを知ってしまったから、もう闇の中で生きていくなんて、できない。
 できないのに、カカシはいないのだ。
 イルカはその場にくずおれていた。

 しばらくの間、霊安室にはイルカの号泣が響いた。





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