おとぎばなし 11
アスマはどういう意味をこめて、似ているだなどと言ったのだろう。
あれから十日ほどが経つが、任務の間もずっと頭の隅にアスマの言葉があった。
任務からの帰り、里の結界に守られている範囲に入った途端に周囲への緊張も忘れ、今度こそカカシと会えるだろうかと焦燥めいたい気持ちが湧く。
一人の人間のことばかり考えて、これではまるで、恋のようではないか。
ため息をついてぷるりと頭を振った。馬鹿みたいだと己を嗤う。
思いわずらっていても仕方ない。
イルカは真っ直ぐに里まで走りだそうと力をためたが、視界の端に、淡い色合いが入ってきた。
思わず足を止める。その方向、月明かりの夜空をうすく染める色に、イルカは森の中へ、里への道を逸れて足を向けた。
鬱蒼とした地帯を抜けて飛び込んだ先には、櫻が、咲いていた。
一本の大木を白に近い色合いの花びらがびっしりと覆い、泰然としてそこにあった。
狂い咲きとはこういうことをいうのだろうか。
美しい光景に喉が鳴るが、同時に不可解な気持ちも沸いてくる。
なぜなら、今は櫻が咲く季節ではないから。それが満開の花を咲かせているのだ。
地を踏みしめるように根元までゆっくりと近づいて、真上を見上げた。
「カカシ先生。やっと会えましたね」
見上げた先の、腰かけるのにちょうどいい位置にカカシがいた。片足を宙にぶらりと垂らし、気怠い風情で座っていた。
イルカの声に上を向いていた顔を向けると、にこりと無邪気に笑った。
「こんばんはイルカ先生。いい夜ですね」
いつも通りのカカシにイルカはどっと疲れを覚えた。
思い返せばカカシと出会って交流するようになってから、いつもいつもイルカだけが気持ちを揺すぶられている気がする。はたけ・カカシという人間は自然体でひょうひょうとしていた。ゆらゆらと流れに任せて漂うもののように。
カカシに許可を得ずにイルカは木に手をかけた。身軽に登ってカカシに場所をつめさせて横に座る。狭い場所で寄り添うような形になった。隣のカカシに目を向ければ、ふと閃いたことがあった。
「カカシ先生も、大蛇丸の実験の犠牲者なんですか?」
そうかもしれないと思った。それなら、イルカとカカシを似ているといったアスマの言葉にも頷ける。
くすぐったそうに笑ったカカシは首を振った。
「違いますよ」
「でも、アスマ先生が言ってました。俺とカカシ先生は似ているって」
「まあったく、あのヒゲは何考えているんですかねえ」
カカシが笑う。かすかな振動が体に届く。すぐ隣、二人の間には距離はない。
カカシの顔色はあまりよくなかった。任務続きのせいだろうか。
「ずっと、任務だったんですか? 俺カカシ先生のこと探してました。たまに里に戻っていたようですけど、見つけられませんでした」
「ええ。ずっと任務に行ってました。里には寝に帰ってくるようなものだったんです。たくさん任務こなして、俺は大丈夫だってとこみせておきませんとね」
軽口をたたくカカシの口布をそっと下ろした。
いつにもましてシャープな印象の顔だ。日に焼けたことがないような透明で真っ白な肌、そして青い瞳に夜目にも美しい銀色の髪。
見た目麗しく、忍としての才能に溢れ、性格もいい。完璧ではないか。
こんな男に愛されたなら、幸せなことだろうか。
目を閉じていた。吸い寄せられるように、唇を寄せていた。一瞬の接触ですぐに離れる。目を開ければカカシは目覚めたばかりのようなぼんやりとした表情を見せた。
「どうしたのイルカ先生」
「さあ。なんとなく。慰めたいとでも思ったんですかね。申し訳ありません」
肩を竦めたイルカは頭上を見上げた。夜に灯る花の光は確かにここにあるのに、幻のようにも映った。
「すごいですね。こんな時期に」
傍らのカカシも上を見上げる。ふっと吐息を漏らした。
「ええ。以前の俺はこれくらいいくらでも出来たんですよ。どうかなって思ってやってみたら、できました。ちゃんと、覚えているものですね」
感慨深げなつぶやきにイルカは心の中で首をかしげる。
カカシの属性は土、なのだろうか。さすがに自然の流れに逆らってここまでのことをするにはまずは属性が適していないと無理なはずだ。
「あの、カカシ先生の属性は」
「土じゃありませんよ」
イルカの気持ちを見越したような言い方にイルカは鼻白む。イルカよりカカシのほうがよほどわからない。わからないことだらけだ。
どうでもいいと思っている相手ならわからなくてもわからないままでいいだろう。
だがイルカはカカシのことを知りたいと思っている。そう思うように仕向けたのは他ならぬカカシだ。なのに当の本人は他人事のように距離をとる。
今更、突き放すつもりならそんなことは許さない。
「カカシ先生はずるい人ですね」
「ずるい? どうして?」
「俺のことを知りたがって暴いたくせに、自分の方こそ秘密ばっかりじゃないですか」
「秘密? どんな秘密があるっていうの?」
改めて聞かれて、イルカは挑むように応じた。
「ご意見番たちに何を言ったんです? 俺の力を使った任務は取り下げられました。カカシ先生は確かに凄い人ですけど、そこまでの権限があるとは思えない。それとも、俺の代わりってのがカカシ先生だったんですか」
「そんなに怒らないでよイルカ先生」
「それに、この間の店で言ったことはどこまで本当なんですか? 里の命令が本当だってことは確認しました。でも、感じないとか、射精したことないとか、からかわないでくださいよ。特別だなんて、そういうことを軽々しく言わないでください」
言い募れば、悔しい気持ちが沸き上がる。本当に、カカシのことを表面的なことしか知らないではないか。
俯いたイルカの横顔に春のような柔らかな風が吹き付けてきた。櫻の周りは季節まで変わっているというのだろうか。
頬にカカシの手がひやりと触れた。その冷たさにどきりとして顔を上げれば、今度はカカシの方から唇を寄せてきた。優しく触れた唇も冷たかった。一体どれくらいここにいたのだろう。ついばまれて、吸われて、イルカは目を閉じる。誘うようにそっと口を開ければ、ぬるりともぐりこんでくる舌。それは温かくて、からまる吐息と混じり合う唾液に心臓が高鳴る。
まるで、まるで好きな人間と交わす口づけのようだ。
名残惜しげに離れる唇。目を開ければ、カカシが優しく微笑んでいた。その顔を見た瞬間、考える間もなく、反射のように告げていた。
「好きです」
どうしてか泣きたくなるような衝動を感じる。
「カカシ先生のことが、好きです」
告白すれば、カカシのほうまでイルカの気持ちが乗り移ったかのような顔をした。
ふっと体の力を抜くような息を漏らして、
「ありがとうイルカ先生」
と口にした。
カカシの声は、ずっと思っていた相手に気持ちが通じたとは思えないくらい冷静だった。今更イルカへの気持ちが成就してもたいした感慨はわかないのかもしれない。誰かを思う熱病のような時期は過ぎて、カカシの中で思いは完成されたものになっているのかもしれない。
だがイルカは、カカシと育んでいきたいと思ってしまう。愛なんていう不確かなものを。いや、不確かだからこそ、育てたいと思うのか。
自分のようは存在が、と思う気持ちはある。カカシを破滅に追い込むかもしれない。カカシを力により操ることになるかもしれない。けれどそれは全て仮定の話だ。踏み出してみなければ、始まらない。動き出さなければ何も生み出すことはできない。
もう、たゆたってはいられない。たゆたっていたくなかった。
「あの、カカシ先生」
何を言いたいのかわからぬままに焦って声を上げたイルカだが、それをを制するようにカカシは声をかぶせてきた。
「ごめんねイルカ先生。俺、嬉しいんだよ。でも、同じくらい複雑でもある」
「複雑? それは俺の能力のせいですか?」
カカシは少し寂しげに唇を引き上げると、ゆるゆると首を振った。
「俺は、自分の中で賭をしていました。イルカ先生に愛されたならって条件でね」
カカシは立ちあがった。大木の幹に片手を当てると、そこからチャクラが迸った。
一瞬にして、花びらが落ちる。空気が変わる。ざん、と降り積もった花びらを、竜巻のような風が舞い散らす。
「カカシ先生!」
薄桃色の風の中、目の前にいるはずのカカシを見失いそうになる。手を伸ばせば、カカシの体がイルカに落ちてくる。
受け止めた体ごと、地面に落ちる。櫻の嵐の中、着地してカカシを確かめれば、生気のない白い顔で、ふわりと、夢のような笑顔をみせた。
「ご意見番のところに俺を連れて行ってください。そこで、話しますよ」
目を伏せたカカシが、イルカにもたれかかる。かすれた声で囁いた。
「俺の、秘密ってやつを……」
「カカシ先生!?」
眠るように自然に目を閉じたカカシ。命を感じさせない様子にイルカの背を嫌な汗が伝う。
震える手で触れた首筋の動脈。
そこから鼓動は届かなかった。
寄り添う二つの体を覆い隠すかのように、花びらはいつまでもいつまでも舞い続けた。
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