おとぎばなし 1    








 ところは火の国木の葉の里。
 告げられたのは中の忍び。告げたのは上の忍び。
 実る季節の花の香がそこら中に満ちていた。風のないゆうべ。空には星。



 1年。
 1年待って欲しい。そしてその間ずっと思っていて欲しい。それができたならあなたを認めます。
 そう告げた中の者に、上の者は鷹揚に頷いた。
 待ちましょう。待てますよ。
 そう言って優しく笑った上の者が不実な者であることは知っていた。だから中の者はそう告げたのだ。1年、誰とも交わらず、ずっと待つようにと。
 その男が待てるわけがないことを知っていた。




 1年も経たないうちに、男が女と腕を組んで歩いている姿を何度も見かけた。それも、三代目の使いで出向いた花街で。それとわかる筋の女だったこともあり、一般の女だったこともあった。やはりと思っただけだった。きっと男もあんな約束など忘れていることだろう。
 それでいい。そんなものだ。
 だから約束の1年が経った時に呼び出された時は正直面食らった。
 男はぬけぬけと約束の1年ですと言ったから。
 中の者は微笑むとそっと首を振って、約束を破ったことを知っていると告げた。
 そんな、と男は苦笑した。
 そんな約束、守れるわけないでしょう。俺は健康な男なんですから。
 さも当然だとばかりに言われて、中の者はふと笑みを深くした。
 守れない約束を請うほど俺は人でなしでないです。守ろうと思えば、守れる約束です。それをあなたは最初から無理だという。それならこのお話は成立しません。
 背を向け歩き出したが、そこに声がかかる。
 じゃあもう1年。チャンスをもらえませんか。
 振り向けば、男はすがすがしいくらいの笑顔だった。さすがに中の者は言葉を失う。
 ね、いいでしょう。今度こそ守ってみますよ。
 頷くことも拒否することも忘れて、ひとつ頭を下げると中の者はその場を後にした。
 おかしな上忍だ。守れもしない約束をなぜ交わしたがるのだろう。はたけ・カカシ。写輪眼なんてものを移植された天才忍者の考えていることなんてわかるわけがない。うみの・イルカはふっとかるく吐息を落とす。
 どうせ、守れるわけがない。





 だが次の1年は少し違った。上の者、はたけ・カカシは頻繁にイルカのもとを訪れた。あからさまに好意を口にして、イルカがカカシの思い人だと周りにも認識させる。高名な上忍から熱心に請われるイルカをうらやむ輩までいた。
 それに加えてイルカがアカデミーで担当したナルトがカカシ班の配属となり、嫌がうえにもカカシとは接する機会が増えたのだ。
 カカシから頻繁に声をかけられるようになって半年は経っていた頃のあるゆうべ。イルカは受付の夜勤当番を仰せつかり一人ぼんやりとパイプイスに座っていた。窓から入る風は秋の気配に満ちていた。
 そこにカカシが不意に訪れてきた。昼間のうちにカカシ班の任務の報告は出ている。カカシは小さなリュックを背負って、これから任務です、と口にした。
「上忍師の任務なので、少し長くかかるかもしれないんです。だからイルカ先生の顔を見てから出発したくてね」
 リュックを受付所のソファに放り投げたカカシはイルカのそばにきて、机の上に腰かけた。
「そろそろ信じてくれてもいいでしょう」
 振り向いて、口の端をきれいにつり上げる。イルカのことを見下ろす視線には熱がこもっているように見えた。
「俺ね、正直に言いますけど、もてるんです。女たちが放っておかないって感じかな」
 まあ、時には男からもね、とカカシはかるく口にする。
「イルカ先生にアプローチしているから丁重にお断りしてますけど、それでもねえ」
 カカシの手が伸びてくる。机の上に置いてあったイルカの手の甲にすっと触れてくる。
「今回の任務ね、フォーマンセルで現地集合なんですけど、俺以外はみんなくの一なの。俺、貞操の危機なんですよ」
 そこでとうとうイルカは吹きだした。
「なんですかイルカ先生。ひとが真面目に話してるのに」
 カカシは心外だ、とばかりに不機嫌な声をあげる。
「ごめんなさい。でも、貞操の危機だなんておっしゃるから」
 くすくすと笑えば、子供のように口を尖らせていたカカシもふっとやわらかく微笑む。
「イルカ先生はやっぱり笑顔がいいね」
 そういうカカシのほうこそが男も女も魅了するきれいな顔で笑って、さりげなくイルカの頬に触れてきた。
「もっといろんなイルカ先生が見たい」
 カカシが息がかかるほどの近さにいる。イルカは目を逸らさずに、片方のぞいている青い目を真っ直ぐに見返した。陰りのある青い目を。
「なぜ俺なんですか」
「人に恋する気持ちに理由がいるの?」
 甘い台詞。とろけそうな声。けれどカカシの言葉からは真実が感じられなかった。
「時と場合によっては理由がいると思います」
「ふうん。どんな時と場合?」
 からかうように面白そうにカカシは言葉を重ねる。イルカは笑うことをやめて、真剣に見返した。
「あなたは高名な上忍で、俺は平凡な中忍です。あなたは容姿も実力も秀でている。おっしゃるようにあなたのことを愛する方はたくさんいるでしょう。たくさんの方々のなかには見た目も心根もすばらしい方がいるはずです。それなのに、あえて俺をというのは、理由がなけれがありえません」
「どうして? イルカ先生だって素敵だよ」
 イルカはほうと息を漏らして、かすかに首を振った。
「カカシ先生。そろそろ出かけられたほうがよろしいですよ」
 カカシから身を引いて、笑顔でねぎらう。形だけの、笑顔で。カカシはしばしの間イルカのことを見つめていたが、苦笑して、降参、とばかりに肩をすくめた。
「あーあ。キスくらいもらおうと思ったんだけど、イルカ先生ガードが上忍なみだね」
 リュックを背にしたカカシは、もう一度イルカの前に立つ。
「まあ無事ぐらいは祈っていてくださいね」
「貞操の危機からの無事ですか」
「どっちかと言えば、そっちかな」
 軽口の応酬。深い意味のない上っ面だけの会話。それで充分なのに、カカシはそれ以上の何を求めようというのか。
 じゃあ、と一言を残して戸を開けたカカシにイルカは思わず声をかけていた。
「カカシ先生、1年の約束なんて、守ったって意味ないですよ。俺があなたのことを認めたって、それがなんだっていうんです」
 少し、挑戦的な口調になってしまったかもしれない。振り返ったカカシは首をかしげてあらぬほうに視線を送った。
「意味、なくはないかな? だって認めるってことは少しは俺の言葉を信じるってことでしょう」
「そんなこと、それこそ意味なんてない」
「まあそんなにムキにならないで。俺はこう見えてやるときはやる男です」
 おやすみなさい、と言い置いて、カカシは行ってしまった。
 他者の気配が去った受付所は、急に寒々しい空間になる。パイプ椅子の上でイルカはずるずるとだらしなく背中を反らして天井にため息を吐いた。
 正直、カカシのことなど本気で考えていなかった。きっとカカシなりの訳があったとしても、一過性のことですぐにイルカのことなど忘れ去ると思っていた。ナルトがカカシの班に所属したことは思いがけない出来事だったが、それも互いの関係に影響を与えることとは思えなかったのに。
 きっと何か理由がある。そこをはっきりさせて、進む方向を決めた方がいいのかもしれない。
 けれどどうやって理由を探りあてればいいのか。上忍を出し抜いてひそかに調べることができるとは思えない。
 まあ、おいおいと、とそれでもイルカは流れの中で探りあてようと思っていたのだが、当の本人から、その理由をあっさりと打ち明けられることになった。





「俺ね、考えたんですよ」
 カカシは十日の任務が終わるとすぐにイルカの元を訪れた。休みの日の早朝。まだ日は昇らずに外は薄暗い。玄関先で寝ぼけ眼のイルカを前に、埃っぽいカカシが突っ立っていた。
 まあお上がりくださいと言うべきなのかもしれないが、早朝にたたき起こされて気分がいいわけがない。社交辞令を発動する気力もおきなかった。
「へたにヒミツめいたことはイルカ先生を警戒させるだけなんですよね」
 うん、と頷いたカカシはいきなり目の覚めることを言ってくれた。
「イルカ先生。あなたに恋いこがれて死んだ男がいるんですよ」