カカシ先生が家にやって来た。
 カカシ先生とはナルトたちを介して知り合ってから数年経つ。
 二人きりで飲みに行っても会話に困らなくて、時には無言のままの時も心地よく感じられるほどには親密だ。こうして自宅に招いて飲むこともあった。
 遅くなりまして、と恐縮するカカシ先生に上がってもらって、俺はキッチンに向かう。
 冷蔵庫から刺身と冷奴と枝豆を取り出して戸棚から乾き物をだす。
 青色の涼しげなガラスの銚子と猪口と一緒に盆に載せて六畳間のちゃぶ台に置いた。
 ありがとうございます、と口布をとって微笑むカカシ先生はいつ見ても男前だ。
 結構大柄な男二人には手狭な部屋ではあるが、実は俺にとっては嬉しいことなのだ。
 なぜって?
 だって俺はカカシ先生に惚れているから。
 好きな人と同じ空気を近い場で吸えるなんて幸せなことだ。
 決してそっち系ではなかった俺にとって、カカシ先生を好きになったことは青天の霹靂だった。
 最初は信じたくなかった。
 嘘だろ、気の迷いだと何度言い聞かせたことだろう。
 だがそれがすべて徒労に終わって腹を据えた。
 惚れてしまったものは仕方ないと諦めた。もちろん、両想いになりたいなんて大それたことは考えていない。
 カカシ先生は男から見ても格好いいし、わかりづらいところがあるが性格だっていい。
 そして、稼ぎもいい。
 こんなにいい物件を女たちが放っておくわけないではないか。実際何回か、美女を連れて歩くカカシ先生を見かけたことがある。
 せつないなあとは思ったが、仕方ないではないか。
 男が惚れるほどの人なのだから、と自分を慰めた。そもそも俺は諦めがいいのだ。自分には中忍までの実力しかないと見極めるのも早かった。
 かといって卑屈になるわけではない。自分に合ったポジションで自分にできることを模索して頑張ればいいだけのことだ。
 分相応、それが俺の信条だから。
 そんな俺が大それたことにカカシ先生に惚れてしまった。
 カカシ先生と近しい関係であることはとても喜ばしいことだ。それで充分、満足だ。
 明日が俺の誕生日なんてカカシ先生は知らないだろうけど、いい誕生日プレゼントだなあと俺は心の中でひっそりと感謝する。
 なんてことのない日常の出来事を途切れることなく話しているうちにあっという間に時間は過ぎていく。
 あと少しで次の日になるという時間になってしまった。
 そろそろカカシ先生は帰るだろうと少し寂しい気持ちがしたが、そんな感情おくびにもださずにカカシ先生の猪口に残りの酒を注ぎ足した。
 酒を取りに行く必要もないだろうと思っていたら、ちゃぶ台に置いていた俺の手に、カカシ先生の手が重ねられた。
 手甲をとった手は白くてきれいだ。直接の体温が俺に触れている。顔をあげればカカシ先生は張りつめたような顔をして俺のことを見ていた。
 その真剣すぎるまなざしに俺の喉はごくりと鳴っていた。
「あの、カカシ先生……」
「好きなんです」
「へ?」
「イルカ先生のことが好きなんです。俺、ゲイじゃないです。イルカ先生だから好きなんです。俺のこと、考えてもらえませんか?」
 重ねられた手に力がこもる。ぐっと握られる。
 一体、カカシ先生は何を言っているのだろう?
 俺の聞き違いでなければ好きだと聞こえた。好き、だと……。
「……」
「イルカ先生?」
 顔をのぞきこまれて間近にきれいなカカシ先生の顔を見て、いきなり俺の中に現実感が溢れた。
「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜!? な、ななな、なーに言っちゃってるんですかあ!」
 夜も遅いと言うのに大声を上げてしまった。どもりつつ笑って誤魔化したが、カカシ先生の真剣な顔に変化は起きない。
 冗談ですよ、とも言ってくれない。
「ほ、本気ですか? だって俺、男ですけど」
「もちろん本気です。男でもなんでもイルカ先生がいいんです。好きなんです」
 熱意のこもった眼差しに俺の頬には血が上る。頭の中はぐちゃぐちゃで考えが何もまとまらない。
 とにかく少し落ち着かねばと思い俺は逃げるように台所に向かう。
 なんだ? なんだなんだなんだ?
 今日は断じてエイプリルフールではない。それなら、カカシ先生の、こ、告白は、本気、ということか?
「うっそだろ……」
 思わず持ってきていた空の猪口にどぼどぼと酒を注ぎ足しながら呟く。
 呼吸を整えて、頬を思い切りつねってみたらめちゃくちゃ痛かった。
 こみ上げる喜びに、俺はガッツポーズを決める。
 やっぱ神様っているんだなあ。真面目にいきてたらこんなご褒美をくれるなんて!
 神様ありがとうと手を合わせて、いざ告白タイムとばかりに鼻息荒く勇んで今に戻ろうとした、が、目についた壁の時計に愕然となる。
 0時を過ぎて、日付は無情にも5月26日になっていた……。



 俺はなんて間抜けなんだ。
 いつだって肝心な時にタイミングの悪いことになる。そうだ、昔好きだったあのこに意を決して告白しようって時に限って長期任務を命じられて、帰ってきた時には他の男に獲られていたっけ。
 どうしようどうしようと数秒迷ったが、ええいままよとばかりに俺はカカシ先生の元に戻った。
 カカシ先生の不安げな顔ににっこりと笑いかける。元の位置に座って銚子を傾けた。
「イルカ先生、それで、俺のこと、考えてもらえるんでしょうか?」
 そっと問いかけてきたカカシ先生に大きく頷いてみせる。うわ、なんか偉そうだけど今は仕方ない。
「ほんとに!? よかったあ」
 あからさまにほっとして体の力を抜くカカシ先生に俺の胸はきゅんきゅんとときめく。
 うっわ、きゅんきゅんとか言って、少女漫画か! と思うが、事実、胸のあたりがそういっているのだ。
 こんなに素敵な人が俺のことを好きだなんて! 夢ならもちろん覚めてくれるな! 夢なら夢で、俺はこの夢の中に住みつきたい!
 ああ、早くカカシ先生に想いのたけをぶちまけたい。俺のほうこそずっとずーっと好きだったのだと告げたい。
「ねえイルカ先生、いつくらいまでに返事をもらえますか?」
 にこにことカカシ先生が邪気のない笑顔で聞いてくる。
 今すぐにでもOKなんですけど! と口を開きかけたが、慌ててチャックをかける。
「あ、すみません。さっき告白したばかりで俺図々しいですね」
 カカシ先生は照れたように頭をかく。その姿もまた素敵だ。
 全然! 全然図々しくなんてないです! もう今すぐにでもあなたの胸に飛び込むと言うかタックルかまして恋人同士になりたいんです!
 と、言いたいが忍の一字で俺はひたすら笑顔を向けて誤魔化す。ちらりと時計に目をやればまだ10分しか経っていない。玄関からはなんの気配も感じられない。
 間を持たせようと俺はテレビのスイッチをいれた。
「あ〜緊張した。今日こそ言うぞって気合入れてきたんですけどなかなか言い出せなくて、また次にしようかって思ったんですけど、そんなこと繰り返してちゃ駄目だと思って。言えてよかったです」
 うん。俺もめちゃくちゃ嬉しいです。でももう少し早い時間に言ってほしかったです。せめて5分早ければ!
「男同士だし、気持ち悪いとか言われたらどうしようかと思ってたんですけどね」
 そんなことないです。でも俺の方こそそう思ってましたよ。
「イルカ先生のこと好きだなんて気の迷いかなあって思って何人かの女性と付き合ってみたんですけど、でもやっぱりいつも頭に浮かぶのはイルカ先生のことで、腹をくくったんです。好きなものは好き。しょうがないって」
 そうそう、そうですよね! 俺たち同じような思考ですね。男同士だろうが好きになったものは仕方ない。お互いゲイじゃないのに好きになっちゃったなんて、普通の男女のレンアイよりも真剣味がありますよね! 俺はあなたとお付き合いできるなら心の狭い一部の世間様から後ろ指さされても後悔しません!
 それにしても、俺のこと忘れるために女性と付き合っただなんて。
 もう! カカシ先生ってばかわいい人ですね! 凄腕の上忍なのに! ああ、早くあなたの胸に飛び込みたい! これで俺は生涯の運を使い果たしたのかもしれないが、上等だ。俺は今を生きる!
 カカシ先生の甘い告白を心地よく聞きながら酒を注いで乾き物に噛みついて、と俺の機嫌は最高潮で、ふわふわと雲の上でも漂っている気分だった。
 だからカカシ先生の口数が少なくなり、しまいには無言になったことに気付くのが遅れた。
 あれ、と思って雲の上から戻って来ればカカシ先生の顔は沈んでいた。
「……イルカ先生、どうしてなにも喋らないんですか? さっきまで喋ってましたよね」
 どきーん! やばい、気づかれた。時計を見ればいつの間にか30分は経っていた。うわ〜、こんなに長い時間喋らなければそりゃあ不審に思うよな〜。
 冷や汗が背を伝うが、しかし外に気配なし。
 誤魔化すために俺はわざとらしくにかにかと笑う。だが気持ちが焦っているため、ひきつった笑顔になっているのがわかる。
「イルカ先生……本当は、嫌なんじゃないですか?」
 俺はぶんぶんと首を振る。振り過ぎて頭がくらくらするくらい勢いよく振った。
「じゃあなんで、いきなり喋らなくなるんですか? 俺が告白してから喋ってませんよね」
 そんなことないと首を振り続ける。
「それなら、どうして喋ってくれないんですか?」
 それは、だから……!
 目からビームでもでそうなくらいに必死になって見つめたが、カカシ先生はしばしさぐるような視線を俺に注いだ後、ふう、とため息を落とした。
「やっぱり、迷惑だったんですね。俺が上忍だからって気を遣った?」
 だから違うって! あんたが上忍だろうがなんだろうが意に添わなけりゃあ速攻で断ってるって。俺ってそういう直情傾向な奴だろ! それくらいあんた知ってるよな!
「帰りますね」
 ちょっと待てごらあああああああと言いたいのを堪えて、立ち上がったカカシ先生の手をがっしと掴んだ。
「イルカ先生?」
 このままカカシ先生を帰らせてなるものかと必死の気迫をこめる。
 これでややこしいことになったらたまらない。
 もうさっきまでの諦めのいい俺とは違う。カカシ先生を手に入れたい。一緒に幸せになりたい。
 でも、でもでもでも! 約束がっ!
 その時―。
「イルカ先生ー! 誕生日おめでとうってばよー!」
 窓から飛び込んできた小さな塊は、背中から俺に飛びついてきた。
「ナルト! おせえよ!」
 よかった! ギリで間に合った! ほんとおおおおおに! よかった!
 俺は泣きそうな気持ちでナルトの頭をわしわしと撫で回した。
「しょうがないじゃんよー。任務長引いちゃったんだからさー」
 口を尖らせるナルトは確かに埃っぽくて、任務後に直行してくれたのだろう。
「そっか。悪ぃ悪ぃ。ありがとなナルト」
 ナルトははにかんだように笑った後でポケットから小さな包みを取り出した。
「先生、これプレゼント。いろんなのが入っているってばよ」
「ありがとな」
 ナルトからの定番のプレゼントは入浴剤だ。毎年吟味していくつかの種類のものを詰めて贈ってくれる。
 俺はじんと胸が熱くなった。ナルトの優しい気持ちに俺の心も温まるってもんだ。
「あれ? なんでカカシ先生いるんだってばよ」
「ああ、ちょっと飲んでたんだ」
 俺の言葉にナルトは少し不安そうな顔になる。俺は笑顔で大きく頷いた。
「大丈夫だって。約束は破ってねえよ。歴代の火影様に誓う」
 くしゃりともう一度頭を撫でれば、ナルトは笑う。その笑顔ですべてが報われる。約束を守ってよかった。
「そっか。じゃあ俺、帰って寝る。明日も早いから」
 先生たちおやすみーと言って慌ただしくナルトは去って行った。



「お騒がせしましたカカシ先生」
 やっと、やっと口がきけることに俺は安堵する。
 カカシ先生は固まって立ちっぱなしだったが、呪縛が解けたようにその場にすとんと腰を下ろした。
「あの、イルカ先生」
「俺、今日が誕生日なんです。それで」
「誕生日なのは知ってます」
「え? なんでですか?」
「なんでって」
 カカシ先生はあらぬほうを向く。
「好きな人のことはリサーチするに決まってるじゃないですか」
「あ、そう、ですか。そう、ですよね」
 やばい。照れる。好きな人って! 誰だよ。俺だよ。俺のことだよ!
 おっと、照れてる場合じゃない。早くことの顛末を伝えなければ。
「それで、ですね。ナルトがアカデミーにいた頃からの約束で、誕生日には最初にナルトと話すんです。だから日付が変わってからは無言でした。すみませんでした!」
 頭を下げれば、カカシ先生はため息を落とした。
「それならそうと、筆談でもいいから言ってくれればよかったじゃないですか」
「筆談?」
「そうですよ。紙に書いてくれればよかったのに。俺心の中で半泣きでしたよ。嫌われたって」
 筆談なんて……まったく思い至らなかった。
 そうだよな、事情を伝えれば大人しくナルトが来るのを待っているだけですんだのに。俺ってやつは……。
 俺はがくりと肩を落とす。
「ま、いいですよ。それでイルカ先生、もしかして、答えはすぐにくれるんですか?」
「答え?」
「そう。俺の告白に対する答え」
 いたずらめいたカカシ先生の顔に俺は背筋を伸ばした。
「好きです! 俺の方こそずっとカカシ先生のこと好きだったんです! お付き合いしてください!}
 思いのたけを、ぶつけた。口にした途端、心臓がばくばくと破裂しそうになる。顔が熱い。頭はくらくらする。
 カカシ先生はふわりと微笑むと、二人の間にあるちゃぶ台を横にどかした。
「抱きしめても、いいですか?」
 こくこくと頷けば、カカシ先生にそっと引き寄せられた。
 柔らかくだきしめられて、ほっと息をつく。嬉しい嬉しいと俺の鼓動が弾んでいる。
「気持ちが通じるっていいものですねイルカ先生」
「俺の人生で最高に幸せな瞬間です!」
 勢い込んで言えば、カカシ先生はくすくすと笑う。
「そんなこと言わないでよイルカ先生。もっともっとこの先幸せな瞬間がいっぱいくるんだから。ずーっと続くんだから」
 カカシ先生の背に腕をまわせば幸せな気持ちが一層膨れ上がる。
 真面目な話、今死んでも悔いはないかも。
「ところでイルカ先生。ナルトとの約束ですが」
「はい」
「今年で終了だよね? 来年からは俺が最初だよね?」
「……」
 はい、とは簡単に頷けない。
 だって、ナルトはカカシ先生とは違う意味で俺にとって特別なのだ。ナルトとの約束は破れない。もし任務で里にいられない時は術を使ってでも言葉を届けると言ってくれてるのだ。
「あ〜、そうですね〜、ナルトが、うんと言えばいいです」
 すまんナルト。でもお前に預けるしかない。
「言わなかったら?」
「来年以降もナルトが最初です」
 きっぱりと告げればカカシ先生は深いため息を落とした。
「……わかりました。ナルトに直接交渉します」
「すみません。そうしてください」
「もう、手ごわいなあ、イルカ先生は」
 うっ。
 俺ってやつはどうしこう融通がきかないんだか。
 今更帰るのも難しい己の性格に嘆きたくなるが、カカシ先生はそっと囁いてくれた。
「でもそんなイルカ先生が好きですよ。誕生日おめでとう」



 その後。
 ナルトとカカシ先生の間で交渉が決裂して争いが勃発することになるとは、この時の俺は夢にも思っていなかったのだった。