■木曜日前日






「イルカせ〜んせ」
 背後からかかった暢気な声に、イルカの肩は体はぴくりと震えた。
「カカシ先生。俺忙しいんで」
「え〜? そ〜んなつれないこと言わずにいれてくださいよう」
 はあとわざと大きめなため息をついたイルカはくるりとカカシを振り返った。
「すでに入ってるじゃないですか! しかも窓から!」
 そうなのだ。カカシはイルカの家、アパートの2階の窓枠にしっかり足をつけてしゃがんでいた。
「まだ入ってませんよ〜」
「その足はなんですか! 充分入っているでしょうが!」
「それより入れてくださいよ〜。俺今日は上忍の任務だったんです。いっそいで帰ってきたんですよ〜。ほら、お土産もありますから」
 そういってカカシはお菓子の包みをとりだした。それは火の国でも老舗の銘菓、日に30ほどの限定販売で手に入れることはなかなかに難しい有名な和菓子だった。
 窓に近づいたイルカはにっこり笑って包みを押し頂く。そしてカカシには玄関を指さした。
「ちゃんと玄関から入って下さいね」



 ※※※



「ちょっと! 待ってよ!」
 アカデミーの敷地をでるあたりでカカシはイルカに追いついた。けれどイルカは振り返らない。舌打ちをしてカカシはイルカの二の腕をとった。途端に、イルカの体が強ばる。はっとなってカカシは手を離した。
 きっと見えないところにも多くの傷を負っているのだろう。そうなった原因のいったんは自分にあることがわかっているからカカシは小さな声で謝っていた。
「ごめん」
 足をとめていたイルカは、やっと顔を向けてくれた。
 真っ直ぐに、射すくめるようにカカシのことを見る。まるで、カカシのことを憎んでいるような強い目の光に胸のあたりがつきりと痛む。いや、憎んでいるような、ではなく、憎んでいるだろう。
「さっきの、ほんと? いくさ忍をやめて、アカデミーの教師になるって」
 気弱な声で確認すれば、イルカは頷いた。
「ええ。もともとわたしは教師になりたかったんです。今回のことでつくづくいくさ忍には向いていないとわかりました」
「そんなことない。あんたは、よくやってくれた」
 それはカカシの正直な気持ちだったが、イルカは口元を歪めた。
「そうですね。確かにあなたの役には充分たったと思いますよ。俺の体はそんなによかったですか? くの一たちが目じゃないくらいに、こんな、俺みたいな平凡な男のなにがよかったんですかね。もともとそういうご趣味ではなかったんですよね。いくさ場でのきまぐれですか? それにしては趣味が悪い」
 イルカの声は棘のように容赦なく刺さる。
 イルカの怒りは当然だ。いくさ場での上忍の権限をふりかざして、イルカを抱いた。卑怯な手段だとわかっていてもおさえられなかった。後悔はない。だが、イルカの心を深く傷つけてしまったことは……。




 ※※※



「っていう感じなんですよ。どうですか?」
 カカシに差し出された紙にはそこまでプリントアウトされていた。
 にこにこと満面のしまりのない笑顔でイルカの感想を待っている。イルカは無言で紙を戻すと、書き物の続きに戻った。
「ちょっとイルカ先生〜。感想は?」
 カカシがしつこくイルカの前に紙をだしてくる。
 イルカはこめかみのあたりをひきつらせながら、笑顔を作った。
「駄作」
 切って捨てればカカシはがくりと畳に両手をつく。
 これ幸いとイルカは再びペンをとった。
 そのまま帰ってくれればいいのに、カカシは勝手に台所でごそごそとお茶の準備を整えて戻ってきた。お盆に載せられた皿には木の葉の銘菓『しぐれ』と、緑茶がほこりと湯気をたてていた。
「あ〜あ。結構いけると思うんだけどなあ。先週のアニメから考えたんです。記憶喪失ものもいいと思ったけど、いくさ場無理矢理系もおさえておきたいかなあって」
 カカシが本気で落ちているようだから、基本的にひとのいいイルカはついフォローするように話しだす。
「いや、まあその、ありがちですが、カカイルはそのありがちな部分がみそというか大事なところではあるのでそんなに悪くはないんですけど」
「ほんとっ!?」
 カカシは素早く浮上する。そしてなぜかもう一枚紙をとりだしてイルカの眼前につきつけた。



 ※※※



「やっぱり俺、火影さまがいいです。火影さまじゃないと駄目なんです」
 無邪気に告げたイルカに火影は苦笑しつつも相好を崩した。
「まったく、困った奴じゃ。これで最後でいいな、イルカよ」
「は〜い。俺今度こそ大人しく教師になります」
 そう言ってイルカは火影の腕に腕を絡めた。
 火影のしわしわの手が、イルカの丸い頬を撫でる。まるで恋人同士のような光景を見せつけられて、カカシは思わず二人に割って入っていた。
「ちょっと、ねえ、どういうこと?」
 カカシのことを二人が同じ目で見返す。邪魔者を見るような冷たい視線だ。
「どういうって、別に」
「別にじゃないでしょう。離れなさい。なんで火影さまといちゃついているんですか」
「そんなの好きだからですよ」
「そうじゃ。イルカはわしの愛人じゃ」
 ねえ〜と顔を見合わせた二人はまるでうぶな子供のように頬を染める。
 ぱかりと口が開いたのはカカシだ。
 よみがえるのはいくさ場での記憶。
 イルカは自分からカカシのテントにやってきた。イルカのほうから、カカシを押し倒して、抱いてくれとすがりついてきたのだ。長いいくさ場でイルカはずっとカカシの情人だった。最初は性欲処理程度にしか思っていなかったカカシだが、イルカの見かけとは違って結構やらしい体と優しい心に溺れていった。体から始めてしまったが、いくさが終わる頃にはすっかりイルカにまいっていた。恋人として付き合ってもらおうと思っていたのだ。
 それが……。
「う、嘘でしょ、ねえ。あんた、さんざん俺に抱かれてたじゃない。好きだって言ってたじゃない」
 すがりつくような声がでていた。イルカはカカシの動揺など意に介さずかわいらしく小首をかしげた。
「好きですよ。カカシ隊長の体が好き。あとセックス。でも個人としてのカカシ隊長は好きじゃないです。あ、だからこれからもセフレとしてなら付き合ってあげてもいいですよ?」
 イルカは悪意のかけらもない笑顔で言い切った。そしてさらにだめ押しするように続けた。
「俺、子供の頃から火影さまに片思いしてたんです。でも相手にしてもらえなくていろんな男と付き合ったけどやっぱり諦められなくて、やっと、やーっと、愛人にしてもらえたんです」
 弾けるような笑顔。カカシが心を射抜かれた笑顔が、火影に向けられた。
 その瞬間、不覚にもカカシはじわりと涙腺が熱くなった。




 ※※※



 腕を組んでイルカは読み切った。そしてうむ、とカカシに重々しく頷く。
「これはまあいいと思います。意外と斬新です。火影さまとのナニは考えられないので是非プラトニックでお願いしたいところですが」
「それは勿論です。カカイルですから! カカシはイルカを手に入れるために頑張っちゃうわけなんですよ〜」
 イルカの及第点にカカシは嬉しそうだ。
「じゃあどっちかは本にして、どっちはかサイトにアップしようっと。イルカ先生はどっちがいいと思います?」
「それは、カカシ先生が好きな方にすればいいと思いますけど」
「でもこれ火の国冬の陣で受かったら出す予定ですから。売り子として、どう思います?」
 夏コミでオタク活動を了承してからカカシは作品についてイルカにお伺いをたてることが多くなった。しかしイルカはやはり早まったかと思い始めている。だから心なし後ろ暗い気持ちがある。今日も今日とて……。
「そういえばイルカ先生、さっきからなにを書いてたんですか?」
 カカシはイルカの手元をのぞき込んだ。イルカは意を決して話し出す。
「アニメのスタッフに抗議文書いてたんですよ」
「抗議文?」
「だって! おかしいじゃないですかあの展開は! まるで同人を地でいくような展開はやめてくれって! 子供たちに悪影響です。そもそも親たちはなんとも思わないんですか!」
 イルカは鼻息荒く言い切ったが、カカシはにんまりとなる。
「親が見てればいいですけど子供と一緒にアニメを熱心に見たりしないんじゃないですか〜。まあ見たとしてもあの展開になにか思うようなら間違いなくオタクとしてのお仲間です。カカイルですね」
「お仲間? へ? 親が?」
「言ったでしょ〜。同人ってのは年齢層が幅広いって。既婚者やおかあさんがたもた〜くさんいますよ〜」
 カカシはのほほんと口にするがイルカはくらくらと眩暈を覚えた。もしや保護者たちの頭の中でイルカは裸に剥かれてカカシとくんずほぐれつやらされているのだろうか。
 ぶるぶるっと震えが走る。
 今度アカデミーで保護者の懇親会があるときにさりげなくリサーチをとってみるかとイルカはひそかに決意した。
「まあイルカ先生。そんな無駄なことはやめて、お菓子食べましょ」
 カカシはそう言ってさっさとイルカの抗議文を脇によけてしまう。確かにもう書く気力は失せた。
 イルカは観念して楊枝をつまんだ。
 ひとくち含んだ途端に口の中に広がる上品な甘さ。もちっとした食感。イルカうっとりとため息をつく。
「お〜いし〜い。幸せだ〜。カカシ先生ありがとう〜」
 機嫌良くカカシを見れば、カカシは、優しい顔をしてイルカのことを見ていた。
「な、なんですか?」
 なんとなく焦って早口で訊けば、カカシの手が、すっと伸びてきた。イルカの頬に触れる指。撫でられて、イルカはぴきんと固まった。
「ねえイルカ先生。俺たち、本当にカカイルにならない?」
「へ?」
「俺カカイルを書いてるでしょ? なんかねえ、現実でもイルカ先生のことがかわいく思えてきちゃって」
「……」
 イルカは、なにもいえずにだらだらと冷や汗をかく。
 なんということだ。これでは腐るほど読まされた同人のような展開になってしまうではないか!
 しかし腐女子たちはわかっていない。男同士、現実がそううまくいくわけがないではないか。いろいろと、いろいろと! 大変なはずだ。だいたい同性同士のやりかたを普通知っているわけがないだろう。しょっぱなからすぐに気持ちよくなったり男を喜ばせる体のわけがないだろう!
 イルカの中ではぐるぐると思考が回る。ついでに緊張のあまり視界も回る。
「イルカ先生……」
 顔が、カカシの顔が近づいてくる。
 かっと目を見開いたイルカだったが、次には鼻をつままれていた。
「んが?」
「なーんちゃって。うっそだよ〜ん」
 カカシは満足げに笑う。
「さっき駄目だしされたお返しでーす。驚いた?」
「……」
 カカシは喜んでいるがイルカは緊張のあまり酸欠を起こしそうになった。少しぬるくなったお茶をごくごくと飲んで、ぎりぎりとカカシを睨む。
「お引き取りください! やっぱり抗議文書きますから! 断固書きますよ!」
 イルカは本気だがカカシは無理無理と首を振る。
「無理じゃなーい!」
「はいはいわかりました。じゃあ帰りますよ〜」
 立ちあがったカカシは玄関からひらひらと手を振る。
「明日の『Naruto』一緒に見ましょうよ。明日また来まーす」
「来るなー!」
 イルカの叫びを聞き流すカカシだった。









あれ? 明日仲良く二人で鑑賞?