あの夏の日の・・・









「メロンが食べたい」
 イルカがぽつりと口にした。





 もう8月も終わりに近いというのに、溶けそうな暑さにカカシはお昼寝ルームの床でへばっていた。まわりにはすやすやと穏やかな寝息。まわりの子供達は腹巻きをまいた他はパンツくらいしか身につけていない。たいしてカカシはなんといっても口布をしたままだ。下半身はパンツ一丁だが上半身はアンダーを着て鼻の上を覆うくらいに布を引き上げている。
 チビでもガキでも中忍なのだ。カカシなりの矜持でこのスタイルははずせなかった。
 だがプライドで暑さをしのげるほど熟練ではないカカシは、いっそ水遁でもしかけてこの部屋に水でもまいてやろうかと考えていた。そんなおり。
 眠っていると思った傍らのイルカがいきなりむくりと起きあがった。
 奔放な親にほっとかれすぎてすっかりすれているイルカの目つきは今日も悪い。物心つくかつかないかでアカデミーに隣接する施設の常連なのだ。親が長期任務に赴いた際に子供を預ける施設。イルカはそこでの主のような存在になっていた。
 カカシは物心ついた時から親はいない。だが先生が肉親のようにいつもそばにいてくれる。6才で中忍になってしまったカカシの情操面の発達を危惧して、任務が終わると施設にあずけて世代の同じ子供たちの間でなじませようとしてくれていた。
 だからカカシにとっても施設はなじみ深いもので、気づけばイルカと施設でのツートップのような存在になっていた。
「イルカちゃん、メロンはここのおやつにあるの?」
 昼寝が終われば3時のおやつだ。メロンなんて高そうなものがお昼寝ルームとは名ばかりのただのプレイルームにござを敷いただけの部屋しか用意できないアカデミーにあるとは思えない。
 妙に大人びた仕草で顎に手をあてたイルカはにやりと笑った。
「昨日、見つけた」
「えー? 冷蔵庫に?」
 言った途端イルカにぎろりと睨まれていた。
 中忍の自分がアカデミーに入学したばかりの子供の眼光に一瞬びびってしまう。
「カカシはせけん知らずだな。こんなとこにあるわけないだろ」
「じゃあ、どこ?」
 カカシがおっかなびっくり問いかければ、イルカの笑みはますます深くなった。
「畑だ」





 真っ暗な夜空。星はぴかぴかと輝いている。夜になっても暑さはたいして緩和されずに、ただゆるく吹く風がときたま気持ちいい。
 虫の声と自棄になったような蝉の声が互いの存在を主張している。
 なんとなく立ち止まったカカシはぼんやりと聞き入っていた。
 このまま気配を絶って、消えるのもいいかもと思えるのだが、くるりと振り向いたイルカにシャーと威嚇された。
 きっと、ぐず! さっさと来い! とでも言っているのだろうな、とカカシはがくりと項垂れた。
 昼間は驚いた。眠る仲間たちから離れて部屋の端のほうにイルカに引っ張られた。温かな少し甘い息で囁かれたことに、カカシは大きな声をあげそうになった。
「イルカちゃん、それはドロボウだよ!」
 と言ったところで頭を容赦なくぱかりとたたかれた。
 いたいなあと頭を押さえて顔を上げれば、イルカの目はますます凶悪に細められていた。
「ばーか。ひとならドロボウだけど、どうぶつならどろぼうじゃない」
 と、悪知恵はなかなか発達しているイルカが提案したのは、変化して、メロンを盗りに行く、という、まあ単純な提案だった。先日アカデミーの野外演習(ピクニック)に出向いた際、その途中に小振りだが丸々としてうまそうなメロンを作っている畑を見つけたと言う。とても沢山なっていたから、1,2個もらっても問題ないと胸をはる。
 しかし問題はそんなことではない。
「でも、動物でも、ドロボウだよ? それはしちゃ駄目なんだよ。先生が言っていたよ」
 唇を尖らせて小さく反論したら、イルカはぷい、と横を向いた。
「いいよ。じゃああいつを連れてく」
 そうしてもうカカシになんて興味を失った態度でさっさと子分の一人の元に行こうとする。子分のそいつはイルカにまとわりつくいつも鼻の下がかぴかぴな小汚いガキだ。イルカと自分がツートップだと自負しているカカシにとって、代わりなど、許しがたいことだ。
「行く! 行くよイルカちゃん!」
 カカシがこぶしを作って承諾すると、イルカはにんまりとした。
 しまった、はめられた! と気づいてもあとの祭りだった。
 結局係の先生の見回りが済んでから抜け出した。
 中庭の茂みで、イルカは覚えたての変化を披露した。見守るカカシの前で、ぼふんと煙があがり、現れたのは、目つきの悪い、真っ黒の、たぬき、みたいなものだった。しっぽがやけに重たげで、まるでしゃもじのような形でしましまだ。
 そしてそのたぬきは、イルカの普段着、“一番”とロゴ入りのシャツを着ていた。
「イルカちゃん、動物は、服、着てないよね?…」
 カカシが控えめに指摘すると、イルカたぬきはぴょんと飛び上がって、わたわたと自らの体を検分して、頭に両手をもっていって苦悩のポーズを決めると、再びどろんと煙に包まれた。
 人間に戻ったイルカの息はあがっていた。丸くすべすべの頬が赤くなっている。らしくない表情になんとなくカカシの胸はぬくくなる。そんなカカシの前でイルカはおもむろに服を脱ぎ始めた。
 さっさっさーと裸になった。カカシは目の前でぷるりとしているイルカの急所になぜか目が奪われる。そっと顔をあげれば、まだ幼児体型から抜けきっていない、少し腹部が膨れたイルカのつるりとした体がある。ごくりと、喉が鳴る、乾く。思わず心臓に手を持って行けば、ドキドキしていた。
「変化!」
 なんだ、なんだ? と動揺するカカシを置いて、イルカは今度こそ服を着ていないたぬき(と言うことにしておこう)になった。慣れていないくせにふらふらで無理に二足で立ち、腰に手を当てて、丸く太い尻尾を得意げに振り回して、しゃしゃしゃ、と呼気のような音で笑う。勢いに負けて仰向けにすっころんだ。
 ばたばたと暴れるイルカを起こしてやって無理のない四つ足歩行ができるようにさせてからカカシは溜息とともに変化した。
 勿論、中忍のカカシは服を着たままでも、きちんと変化した。
 髪に合わせた銀の仔狐。きらきらと輝いているようで、我ながらカカシは鼻高々だ。だがイルカは、さっさと歩き出してしまっていた。



 先生ごめんなさいごめんなさい。僕はいま狐だから、けっしてドロボウじゃないです。イルカちゃんのことほっておけないし、わかってくれるよね? と銀狐カカシはそんなことを心中で念仏のように唱えながら、たぬきの後に従っていた。前方のイルカは暢気なもので、まっすぐに歩けばいいのに、草むらのなか、あっちへフラフラと虫を追いかけ、こっちへフラフラと夜に咲いている花の匂いをふんふんと嗅いでいる。
 無邪気なもんだなあと中忍カカシは思う。確かに根性がすこーし曲がっているかもしれないイルカだが、根は単純だし、馬鹿ないたずらをしてしょっちゅう先生たちに叱られている姿などかわいいものだ。イルカみたいな無邪気な暴君のおかげできっとカカシはあの場所でうまくやっていけるのだなあと思ったりもする。
 さらさらと風が毛並みを撫でて、不意に秋を感じた。夏が終わればまた少し長めの任務に行くことになる。そのことに少しの寂しさを感じた。
 イルカが急に駆けだした。
 慌てて追えば、動物からの防護用の網で覆われたメロン畑にたどり着いた。丸々としたたぬきは喜々としてものすごいスピードで土を掘り始めた。それはもう一心不乱に脇目もふらずにカカシに土がかかることなど全く気づかずに掘る。手伝わないと、と思った時にはイルカは穴に潜り込んでいた。
 少し太めの体を無理にねじこんで網の向こうに行ってしまった。
 イルカが体を使って掘ってくれたおかげでスマート仔狐は楽々と通り抜けられた。
 顔を上げれば確かにうまそうなメロンがたわわに実っている。カカシもごくりとつい喉を鳴らしてしまった。
 丸い体をたたっと動かして、イルカは木の側面を蹴り、斜めにジャンプしてメロンに飛びついた、と思ったがおしいところでもぐことができずに宙をかいた手をぶんぶん動かして、そのままうつぶせに落下した。めりっと土に埋まる音が聞こえそうなほど見事な落下だった。
 動物らしからぬ溜息をついたカカシは、めりこんだイルカはとりあえず放っておいて、イルカと同じようにジャンプして、見事メロンを口にくわえて着地した。
「はい、イルカちゃん」
 カカシは変化しても言葉を操れる。カカシが渡すと、イルカは喜々として両手で持ってガプリと食らいついた。
 咀嚼して数秒。イルカの口元が固まる。
 つぎの瞬間には顔を横に向いてぺっと吐き出していた。言葉が喋れなくともその表情が雄弁に物語る。
 まずいのだ。見た目は極上のメロン。けれど味は最悪。確かに、カカシももいだときの口に広がる一瞬で感じた。
 イルカは悔しいのかうーうー呻いている。投げつけた罪のないメロンをばんばん足で踏みつけている。これぞまさに逆ギレと言うのかと、妙に落ち着いた頭でカカシは考えた、その時、「誰だ!」とおきまりの誰何の声がした。
 途端に農家の母屋のほうにともる明かり。こりゃあ撤収だ、とカカシはさっさと網の外側に戻る。くるりと振り向けば、イルカは興奮して周りが見えなくなっているのか、未だにメロンを踏みつけていた。
「イルカちゃん!」
 落ち着いて考えてみれば、カカシはそこで声をかけるべきではなかったのだ。普段は聞き慣れないカカシの鋭い声にイルカはびくりとしてカカシの声がしたほうを伺い、近づく人影に気づくのが遅れた。
 黒い影に覆われた時になってやっとピンチに気づいたイルカは慌てて穴に潜り込む。焦れば焦るほど通り抜けられずに引っかかる。
「イルカちゃん、早く!」
 カカシが声をあげるのと、イルカのお尻にバットが打ち付けられたのは同時だった。ピギャー!、と、まるで子豚のような声が上がる。痛みにパニックを起こしたのか、焦ってもがくイルカのお尻には二回目のバットが打ち付けられて、イルカはぽーんと宙に飛び出ていた。落下地点に移動したカカシはイルカを背中にキャッチして脱兎の如く駆けだした。
「イルカちゃん、つかまっていてね」
 みゅ〜みゅ〜とイルカは呻いている。それでもカカシの声は届いたのか、背中にしがみつく感触にほっとする。いつもは威張っているイルカに頼られているようでカカシは勇者のような気持ちになり風のように駆け去った。





 ひ〜んひ〜んとイルカは泣いている。
 出発地点のアカデミーの植え込みに戻って、変化がとっくに解けていたイルカは素っ裸のまま体を丸めてお尻を上げて泣いていた。真っ赤に腫れ上がった小さなお尻が痛々しい。
「イルカちゃん…泣かないでよ」
 イルカが泣いていると自分まで悲しい気持ちになって、まだ狐のままのカカシは、ふんふんと鼻面をイルカの顔のほうに押しつける。けれどイルカはひたすら泣いている。役立たずな自分が嫌で、カカシなりに考えた。
 ようするにイルカはお尻が痛いのだからそれが痛くなくなればいい。動物たちは傷を舐めて癒すくらい知っている。
 イルカの後ろにまわったカカシはぺろぺろと熱心にイルカのお尻を舐めだした。イルカが痛くなくなるように、と懸命にそれだけを考えて舐めていたから、いつの間にかカカシの変化も解けて、裸のイルカのお尻をがっちりと掴み、お尻を舐めまわしていることに全く気づかなかった。
 ひんひん泣く声と、ぺろぺろと舐める音が虫の音とあいまって聞こえる植え込みにいきなり陽気な声が響いた。
「み〜つけたカカシ。こ〜んなところで夜遊びしちゃだめだぞ〜」
 先生の声に一瞬で我に返ったカカシが振り向くと、ばっちりと目が合ってしまった。
 くわっと目を見開いた先生と。
 あ〜久しぶりだ〜先生だあ〜とぼんやりとカカシが思っていたのに、わなわなと拳をふるわせた先生は、叫んだ。
「俺は、俺は! お前をそんな破廉恥モンに育てた覚えはなーい!!!」
 ぶっ飛ばされてカカシはきらりと星になった。





 あれから10年。
 思えばあの夏の日がイルカのお尻が大好物になった発端だったのだなあと、時折イルカのお尻にセクハラを加えながらカカシは感慨深く思う。
 イルカは今でも隣にいて、相変わらず腹黒いことを考えては悦に入っている。
 ちなみに大好物のイルカのお尻をカカシはまだ味わっていない。

「しどろ」のしどろさんとこの夏企画に投稿したら書いてくださった絵です。でもってもらっちゃいました。
ありがとうございますーv