まぐろ先生    後編







「これが性の不一致ってやつなんですかねえ」
「あら、男同士だから一致してるじゃない」
 マグロ屋の攻防から一週間たっていた。
 カカシはあれだけイルカを怒らせておきながら、図々しくも任務を終えた遅くにイルカの家にやってくる。曰く、食費を折半しているのだから、夕飯も食べる権利があると。その言葉に乾いた笑いを漏らしたイルカはそれから毎日食卓にマグロをのせている。
 マグロのおろしどんぶり、マグロのサラダどんぶり、マグロのたたきどんぶり、マグロの焼きづけどんぶり、マグロの茶漬け。たった一週間でずいぶんとマグロに詳しくなったものだとちょっと悲しい。ごはんを食べるとカカシは帰っていく。泊まりたいようなそぶりをみせるが、イルカは頑として頷かない。
 なあなあにされたらたまったものじゃない。ここではっきりさせておかないと、後々ろくなことにならない。
「ホントにめんどくさいわねえ、あんたたち」
 夕日紅は猿飛アスマと同じようなことを言う。
 アカデミーの昼間の食堂で向かい合い、紅は鉄火丼、イルカは、山菜蕎麦とおいなり二つの昼食だった。
「紅さんマグロが好きなんですか? よければ今度俺の得意なマグロ料理ごちそうしますよ。アスマ先生とでもいらしてください」
 疲れたように呟くイルカに紅は吹き出した。
「ちょっとやめてよイルカ先生、自虐的じゃないの?」
「カカシ先生のおかげで俺はすっかりマグロ先生ですよ。あの人がところかまわず呼ぶものだから、生徒たちまで言いだす始末です」
 はははとイルカは力無く笑う。
 演習の最中に偶然任務を終えたカカシが通りがかり、マグロ先生〜、と大きな声で呼んできた。もちろんイルカは無視した。するとしつこくマグロマグロとイルカの耳元で呼び続け、それでも無視していたら、木の葉丸が「マグロ先生はイルカ先生のことなのかコレ?」とずばり聞いてしまい、カカシはにんまり笑って、「そうだぞ〜、イルカ先生はマグロ先生って名前なんだぞ〜」と言ったものだから、すぐに調子にのる小さな子供たちは何も考えずにマグロ先生〜! と言い出すようになった。注意はしたが、イルカが嫌がるそぶりをみせるからますますマグロと言うのだ。もう面倒くさいから返事をしている。職員仲間の中にも、悪気はないのだろうが、つい、マグロ〜、と呼んでくるものもいて、イルカ自身、俺はマグロって名前だったのかもしれないとふと考える自分がいる。しかしマグロと呼ばれることよりも、なにゆえマグロなのかを同僚たちは悟っているようなのが気にくわない。勿論、今目の前にいる紅もわかっていることだろう。だから思い切って相談してみることにした。カカシとの冷戦にも疲れてきた。
「紅先生、恥をしのんで聞きます。本当は女性のかたに聞くようなことではないのかもしれませんが、俺はカカシ先生との夜のことでは女性の役割を担っていると思いますので」
「ようはつっこまれているんでしょ。はっきり言いなさいよ」
「・・・そうですね」
 余計な気遣いだったとイルカは項垂れた、紅は上忍のくの一なのだ。閨のことなど、イルカは足下にも及ばないことだろう。
 鉄火丼を食す姿もどことなく優雅だ。紅に限らず、くの一たちは美しい者が多い。そんな者たちに囲まれていながら、何故カカシはイルカと付き合っているのだろう。
「俺がセックスの時にマグロだということが、カカシ先生は気に入らないようで、触ったり舐めたりして欲しいそうです。俺が頷かなかったから喧嘩になりました。口にして改めて思いましたが、くだらない理由ですね」
「だから痴話喧嘩って言うんじゃないの」
 紅は緑茶を飲んで一息ついた。
「ねえイルカ先生、一体どれくらいのマグロっぷりなの?」
「どれくらい?」
 判断基準がわからないまでもイルカははたと考える。
 初めての時は、自分から男らしく脱いで、部屋は暗くして、よしこい! とベッドの上に仰向けになった。行為を重ねてそのうちカカシが電気を付けたいとかせめて薄明かりでも、と言い出して、薄明かりで妥協した。脱がせたい、との希望も妥協した。行為が始まると、とろけそうにうっとりしているカカシの顔を見ていられなくて、目をつむってしまう。わき上がる何かに流されたくないから、歯を食いしばり、両手はぐっとシーツを握る。一度カカシがイルカの手をいざなってカカシの首にまわさせたが、気づけば首を絞めており、カカシを殺しそうになったことも。
 紅はイルカの告白にだんだんと目が座ってきた。
「イルカ先生、あなた本当にカカシが好きなの? カカシとしたいの?」
「好きにきまっているじゃないですか。好きだから、男同士だけど、付き合っているんですよ。まあ、セックスは、そんなに積極的ではないですけど」
「好きなら腹をくくりなさいよ。カカシが色事にたけた奴だってわかっていて、それでも付き合うこと決めたんでしょ? あたしに言わせたら、カカシがえらいわよ。よく耐えているわよ。あいつにとったらイルカ先生とのセックスなんてまあ子供のお遊びみたいなもので満足なんてしていないんじゃないの? 触れだの舐めろだの、お願いする時点でイルカ先生には十分妥協してるわね。あいつが本気になればイルカ先生からおねだりさせちゃうくらい朝飯まえよ」
「紅先生、カカシ先生と、付き合ってらしたんですか?」
「友達のなかで居たのよ、カカシと付き合っていたのが。そのこ、うっとりした顔でよく惚気ていたわよ。すごーくイイって。イルカ先生も気持ちよくしてもらっているんでしょ?」
「気持ち、悪くはないと思いますが、とにかく、恥ずかしいんです」
「別にセックスは恥ずかしくないわよ。楽しみなさいよ」
「恥ずかしいのは行為ではなくて・・・」
 口をぎゅっと引き結んで、イルカはがばっとテーブルに伏せた。
「だって、カカシ先生、俺のことすごく好きだとか、あ、愛しているとか、言うんです。普通の時はまだいいんですけど、行為の時なんて俺のこと愛しそうに見つめて体中にキスしてきて、カワイイとかも言うです。こんなむさ苦しい俺がカワイイわけないのに、俺は本気であのひとの忍としての資質を疑います。おかしいですよ。俺の・・・」
「イルカ先生、あなたそれって、惚気? やっぱり痴話喧嘩じゃないのよ。あほらし」
 紅は脱力するがイルカにとっては本気で悩むことなのだ。訴えかけるように紅を見た。
「カワイイとか、言わないでくださいって頼んだことありますよ。でもカカシ先生ますます俺のことぎゅーっとしてきて、だってカワイイんだもんとか、言うんですよ? おかしいでしょ?」
「おかしいのは二人ともね・・・」
 頭痛でも覚えたのか、紅はきれいな指先を額にあてる。
「イルカ先生不感症ってわけでもないんでしょ? カカシとして感じるでしょ? それに健康な男なら自分からしたいなあとか思うことないの? まさか、恋人がいるのに一人でやっちゃってるとか?」
「カカシ先生との一回で十分過ぎるほどなんです・・・」
「そんなにイイの?」
 ごくっと紅の喉がなる。
「くの一として一度手合わせ願いたい気もするけど・・・」
「それは、駄目です。俺の恋人なんですから」
「冗談よ〜。なんだやっぱりカカシのことは好きなのね」
 おいなりをもそもそと食べながら、イルカはこくんと頷いた。
「好きですよ、そりゃあ。でも、俺この先もカカシさんを満足させてあげられないかもしれないんです」
「そんなことないわよ。もっと回数こなせばそのうちイルカ先生からのっかってるって。カカシが少し急ぎすぎね」
「いえ、俺の中にデン! と居座る鉄の理性が邪魔するんです」
 イルカの深刻そうな声のトーンに紅は首を傾げた。ここまでぶちまけてしまったのだから、とイルカは語り出した。
「俺ガキの頃、半端じゃなくイタズラ小僧だったんですよ。ナルトなんてカワイイもんです。アカデミー内では毎日イタズラのネタ探しで忙しく、火影岩の頭上でふんばったこともあります。アカデミーではそれでも大目に見てくれていたんですが、里の一般民の方々にやってしまったんです」
「なにを?」
「・・・土遁で首から上を出して、顔には血のりをつけて、通りがかる人たちに生首のふりをして仰天させて喜んでたんですよ。驚いたおばあさんがぎっくり腰で入院して、とうとうその親族に怒鳴り込まれて、両親はブチ切れました。ブチ切れた両親により俺は寺にほおりこまれました。8歳から2年間、寺暮らしです」
「それと今回のことと何が関係あるの?」
 はああ、と魂が抜けでてきそうなため息をついたイルカは無表情に続きを語った。
「2年間毎日、3時起床、夜は9時就寝。寺中の掃除、座禅、説法、修行は毎日。すべての欲は禁、です。アカデミーには通っていましたが、行状は必ず報告されて、寺とアカデミーの往復の日々。さすがに逃げ出したこともありましたが、さらにブチ切れた親に火影岩のところに3日ほど吊されました。そんなこんなで、俺の中には欲に対する枷ができあがってしまったんですよ〜! 今まで付き合った女性もわずか2人です。カ、カカシ先生と付き合うなんて、俺にとっては火影岩のてっぺんから飛び降りるくらいの勇気がいったんです」
「火影岩ごときじゃ軽く着地できるからたいした勇気じゃないわね」
 せつせつと訴えるイルカに紅は辛辣だ。けれどイルカには聞こえちゃいない。
「付き合ってセックスするってことでいっぱいいっぱいなんです。今は亡き師匠の声が、説法が聞こえてきそうな気がして内心ビクついているんです。カカシ先生に舐めまわされている間俺の頭の中にはお経がまわっているんですよー! 悪霊退散、なんて考えちゃってるんですよー! そんな俺が、触ったり、舐めたり、できるわけないじゃないですかあああ!!!」
 感極まったイルカはわっと沈んだ。なにごとかと、昼時から少しずれた食堂にいた数人の教員たちにも注目されてしまっている。
 えぐえぐと鼻をすするイルカがさすがに紅も哀れになってきた。三つ子の魂百までもとはこのことか。
「イルカ先生。そのこと、カカシに言いなさいよ」
「カカシ先生に?」
「そ。正直に言ったほうがいいわ。カカシだってわかってくれるわよ」
「そうでしょうか・・・」
 肩をおとすイルカはトレードマークの結んだ髪までが項垂れているようで庇護欲をそそる。紅は安心させるようににっこりと微笑んだ。
「カカシだって普通なら絶対女がいいのよ? それが自分からイルカ先生のこと好きになって付き合ってもらったんだもの。イルカ先生の事情を聞けば、わかってくれるわ」
「そうですかね。俺のこと、もの珍しかっただけじゃないですかね?」
 紅は咄嗟に返す言葉を失う。イルカはなかなか鋭い。確かに、興味本位で女を替えていたカカシだ。イルカと付き合いだした時もカカシを知る連中はどうせすぐ終わると踏んでいた。だがおおかたの予想に反して二人は続いている。カカシの本気を皆がそろそろ信じ始めている。
 紅はぶんぶんと頭を振った。
「男らしくない、イルカ先生! ぐじぐじ言うな! とにかく今日、カカシに話しなさい!」
 ぎろりと睨まれて、イルカに頷く以外のなにができただろう。


 紅に押し切られてしまったが、確かにこのままカカシと冷戦を続けていても仕方がない。夕方、帰りの準備を整えたイルカは上忍控え室に足を向けた。
 人通りの途絶えたアカデミーの廊下。扉の前で深呼吸をする。気配を探ればカカシと他に一人。くつろいで談笑しているようだ。なんとなく気配を消して近づいたイルカは邪魔をしないほうがいいかと、少し待つために手近な教室に入ろうとしたが。
「で、どうなったんだよマグロちゃんとは」
「どうもしないよ。喧嘩中。おまえがマグロ言うな」
 イルカは自分の話題を聞きつけて思わず聞き耳を立ててしまう。
「あの先生に期待しすぎじゃねえの? お前とセックスしてるってのが未だに信じられねえよ」
「してるうちにはいるのかねえ。あんなのが」
「そんーなに、つまんねえのか?」
「もの足りないねえ。俺にまかせっぱなし」
 ため息まじりに応えるカカシの声が、ずん、とイルカの心に落ちてくる。
「半年でたった10回だよ? ああ、この間は最後までできなかったから9回か、今のところ」
「はー、お前がよくそれで耐えてるな。もしかして商売女とやってんのか?」
「それはしてないよ。あの人潔癖だから、そんなことしたら面倒くさいことになるの目にみえてるし」
「ぐだぐだ言ってきたらお前が悪いって言ってやりゃあいいだろ? そしたら少しはマグロじゃなくなるだろ」
「そうかねえ」
 相手の提案に、カカシは乗り気な声音だ。
 気配を絶ったまま、イルカはその場をあとにした。


「バカヤロー! てめえから俺を口説いて口説いて口説き落としたくせに、たかがセックスで、なんでそこまで侮辱されなきゃならないんだ! そんなに乗って欲しいなら、俺がつっこんでやろうか? 俺が一体どれくらいの羞恥を振り切ってあんたに抱かれていると思っているんだ! 人の気も知らないで・・・。廓でもなんでも行けばいいだろうが! そしたら別れられるから・・・」
 アカデミーの演習場の裏手。小高い丘の木の上でイルカは叫んでいた。
 別れる、と自分で言った言葉で力が抜ける。そのまま太い枝に座り込んで背を丸める。
 確かにカカシに口説かれた。カカシの人となりを知って、それで好きになったから、付き合うことにして、抱かれたのだ。好きに、なったから・・・。じわりと目頭が熱くなり、泣きたくないのに、涙が盛り上がる。両手でごしごしと拭って、嗚咽は堪えた。
 紅にはきちんと話せと言われたが、今更、話す気力はない。正直に話して、じゃあ別れましょうとあっさり言われたら、所詮、体だけだったのかと情けなさで大打撃をくらうだろう。イルカにだって、プライドはあるのだ。
「別れよう・・・」
 改めて口にすると、とうとうイルカは堪えきれずにどーっと涙を流していた。同時に鼻水も垂れ、呼吸困難に陥りながらそこでしばらくイルカは涙にくれた。


 その夜カカシはやってこなかった。きっと、廓にでも行ったのだろう。


「カカシさん、所詮俺はマグロにしかなれないんです」
 翌日、イルカは自宅の玄関で正座してカカシを迎えた。堅い表情のままマグロの刺身を差しだすイルカに、カカシは目を丸くする。
「どうしたのイルカ先生? 目が真っ赤だよ? 誰かにいじめられたの?」
 目は赤いしまぶたは腫れているし、鼻の下はかぴかぴだ。さすがのカカシも脚絆を脱ぐ手を止めて、イルカの頬に手を伸ばしてきた。
「触らないでください」
 言葉と同時にイルカはカカシの手を払いのけた。カカシはわけがわからないと目を瞬かせるが、イルカは後ろに置いていた風呂敷包みを差し出した。
「この中にカカシ先生のもの全部詰めました。これを持ってさっさと帰ってください。別れましょう」
「別れる? 何言ってるのマグロちゃん、俺は別れる気なんてこれっぽっちもないよ」
「俺は別れたいんです。カカシ先生のご希望に添うことはできないんで!」
「ああ、そんなこと。別に、かまわないよ。マグロのままで」
 なんでもないことのように口にしたカカシは風呂敷を掴むと、ぽーんと部屋のほうへ投げ入れてしまう。唖然とするイルカをよそに、マグロをつまむとぱくりと食べる。
「ん。うまい。いいのだねこれ。俺マグロ大好き。最近イルカ先生マグロ料理のバラエティが広がったし、ごはん楽しみなんだよね。今日は何?」
「よ、用意してるわけないでしょう。言っておきますけど、食費もきとんと戻しましたから、俺はもうあなたと別れたいって・・・」
「だ〜か〜ら、俺は別れる気はないの。イルカ先生のこと愛しちゃってるから」
「あ、あなたが言うようなセックスはできないんです。あなたにふさわしい方のところに行けばいいでしょう?」
「俺にふさわしい人はイルカ先生です〜」
 ひとの話をのらりくらりと交わすカカシにイルカは風呂敷を持ってくるとたたきつけた。
「俺は、昨日、上忍控え室での話を聞いたんだ。俺は物足りないし、面倒くさいんだろ?」
「あれ? もしかして、それで泣いたの? なんだ、俺と別れたくないんじゃないやっぱり」
 カカシは鼻の下を伸ばしている。
「昨日まではそう思ってましたけど、今は本気で別れたいです」
「またまた。無理しちゃって〜」
 イルカは無言でカカシをドアの向こうに押しだして鍵をかけた。すかさずチャクラで施錠の印を結ぶ。
「ちょっと、イルカ先生? 開けてよ」
「開けまっせん。ついでにこれからトラップもしかけます」
「イルカ先生。あんた昨日、俺たちの話、最後まで聞いてないでしょう? 俺、イルカ先生の気配気づいてましたよ?」
 あのあと・・・。
 イルカの本気を感じ取ったのか、カカシは必死に言い募った。

「でもねえ、イルカ先生はマグロだからいいのよ」
「はあ? 言っていることがめちゃくちゃだぞカカシ?」
「少し困らせたかっただけ。イルカ先生俺とする時さ、必死になって感じるの耐えようとしちゃってさ、ぷるぷる震えてんの。イク時は朦朧としてるからわかってないんだろうけど、俺の肩のあたりに手をまわしてきてさ、爪たててカカシさん、て掠れた声だして、たまには好きって言ってくれたりもするわけ。もーうその瞬間やばいやばい。たいして動いていないのにたいがいもってかれちゃうね。でも俺の息子イルカ先生相手だと今までの倍速ぐらいで元気になっちゃうから抜かずの2発目〜なんて当たり前。イルカ先生半分気絶しちゃってるから気づいていないけどね。一回と思わせつつ3回は平均してやっているかな? もしイルカ先生が自分から色々してくれちゃったら、俺がやばい。イルカ先生に今以上にはまちゃって、里外の長期任務なんて受けられなくなっちゃうよ」
 わずかにのぞく目元を染めて、ほおっておけば永遠に続きそうなカカシの惚気は相手の拳骨で止められたのだった。

「ほらあ、好きなこほどいじめたくなるって言うじゃないですか。イルカ先生の本気で怒った様子が結構新鮮で、ついつい調子に乗っちゃって〜。ごめんなさい」
「あんた毎回そんなに回数こなしていたのか? どうりで、疲れるはずだよ・・・」
「てへ。イルカ先生可愛いすぎるんですよ」
「可愛くない! 好きとか、名前なんてやってる時呼んでない!」
「呼んでくれるんですよ〜だ」
 証拠に肩の爪跡は絆創膏を貼って大事にしてる、と気持ち悪いことまで言う。
 イルカがカカシを結局部屋に入れたのは、ドアの向こうでせつせつとイルカへの愛を語るカカシに耐えられなかったからだ。好きなんですー、イルカ先生がいないと夜も昼も明けないんですー、もう意地悪しませんー、イルカ先生と別れたら泣いちゃいますー、と情けなくも言い続けていたのだ。
 部屋に入った途端にハウス! と叫んだイルカにカカシは見えない尻尾をぴん、と緊張させて仁王立ちのイルカの前で居間に正座した。
「結局、なんですか、俺はカカシ先生のいじめにあっていただけなんですか?」
「いじめっていうか、愛ゆえですよー」
「愛? どの面さげて言うかな〜」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいー」
 カカシはへこへこと頭を下げる。時折イルカを伺う目には涙がうるうると浮かんでいる。
 この男、どうしてくれよう。俺の決意と涙はなんだったんだ? ぎりぎりとイルカが睨み付けるとカカシはしゅんとさらにへこむ。天を仰いで、イルカはカカシのものをすべて払拭した部屋をぐるりと見回す。自分一人だけの簡素な部屋。これが日常だった。まだ今なら戻れる。カカシといることで楽しいこと、嬉しいことも沢山もらったが、それが大きいから辛いことや悲しいことも倍になる。そんなものないほうが・・・。と思って風呂敷包みに目をとめたイルカの様子にカカシは敏感に反応した。風呂敷を抱え込む。
「持ち帰りませんよ。俺はこれからもこの家に来ますからね」
「ここは俺の家です」
「そうですよ。だから俺は来たいんです!」
 一歩も引くものかとカカシはぎゅっと風呂敷を抱きしめている。
「でもカカシさん、俺たちやっぱり別れたほうが・・・」
「わ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
 カカシは叫びとともに耳をふさいだ。
「聞きませんよ! 絶対俺はイルカ先生と別れませんから!」
「でも。今はよくても、きっとカカシさんは俺のこと物足りなくなりますよ。その時また色々言われたら、俺・・・」
「ごめんなさい!」
 いきなり、カカシがイルカの腰にすがってきた。
「本当に反省してます。もう絶対イルカ先生のことマグロなんて言いません。今後一切マグロも食べません! 誓約書書いたっていいです。書きます。書かせてください! 火影様にたちあってもらいます! い、今すぐ行きましょう!」
 必死で言葉を重ねるカカシがイルカを見上げる。子供のように、泣きじゃくっているではないか。イルカがなんと言っていいか迷って、固い表情のままでいると、カカシはわーんと声を上げる。
「ちょ、ちょっと、カカシさん!」
「別れないですよね? 別れないって言ってくださいー」
「イヤ、マグロは食べてもいいですよ」
「じゃあ、じゃあ! 許してくれるんですね?」
 カカシの目がきらりと輝く。
 じっと、見つめ合うこと数秒。カカシの必死な様子から、イルカへの愛とやらをひしひしと感じる。いっちょまえの男が、すがってくるなんて。
「カカシの、ばーか・・・」
 低く告げると、カカシの口元が歪む。
「カカシのとんま、オタンコナス、スキモノ、ケダモノ・・・」
 カカシの口元がわなわなと震える。
「最低男。ばかばかばか」
 吐き捨てるように口にしたら、カカシは盛大に涙を溢れさせる。紅潮している頬を両側からイルカがつまむと、鼻水がてろん、と垂れる。イルカを見つめる目はそれでも許しを請うように逸らさない。
「ばーか。でも好き」
 ほだされてやるか。
 体の力をぬいたイルカは笑ってカカシを抱きしめて、思い切って自分から初めて口づけてみた。ガツンと歯がぶつかり、衝撃に二人は沈む。
「イルカへぇんへぇ〜」
 流血したまま、鼻水を垂らしたまま、それでも健気に顔をあげたカカシは、えへへ、と泣き笑いだ。よしよしとカカシの頭をイルカは撫でてやった。
「カカシへぇんへぇ、実は俺ね・・・」

 イルカの言葉はカカシのしょっぱい口づけでふさがれた。
 仲直りした二人の少し痛くて甘い夜はふけていった。