かっこいい先生






 カカシとイルカが暮らす木の葉の僻地に不意にナルトがやって来た。
 火影となり多忙な身であることに加え、昨年結婚したヒナタが近々子供を産むという。時間などいくらあっても足りないというのに、朝いちばん、夜も明けきらない頃に二人の家の戸は叩かれたのだ。

「まったく、朝っぱらから、お前ぇはよ」
 イルカはこめかみに青筋たてながらもナルトの前に朝食を並べた。
 カカシと二人で育てたレタスにトマトにきゅうりのみずみずしいサラダ。ほかほかの五穀米に豆腐とわかめの味噌汁。黄色の出し巻卵はふわっとして、オレンジ色の鮭はてらてらと輝き新鮮だ。
「だーって先生たちじいじいだから朝早いってばよ」
「だからってなあ、朝4時にひとんちの戸を叩くかあ? つうかじじいじゃねえよ。せめておっさんと言え」
「まあまあイルカさん、そのへんにして俺たちも食べましょうよ。怒りながら食べるなんて体に悪いで〜すよ」
 カカシは暢気に笑いながら茶碗を手に取った。
 少しばかり険しい顔をして小言を並べながらもイルカがナルトの来訪を喜んでいることがわかる。ナルトはいつまで経ってもイルカにとって特別な生徒なのだから。
「いただきます」
「いっただきまーす。おお! うまそう! ん、うまいっ! イルカ先生料理なんてできたんだなあ。ラーメンばっか食ってるかと思ってたってばよ」
「俺だって料理できるよ〜。今日はイルカさんの担当だからね。でもイルカさんに作ってもらった方がおいしいけど」
 ね、と笑いかければイルカも照れたように笑う。いくつになっても可愛らしい笑顔だなと内心だけで思っておく。色っぽいシチュエーションでない時にそんなことを口にすればイルカの機嫌を損ねてしまうことはさすがに学習済みだ。
 二人から手放しにおいしいと言われればもちろん悪い気はしないだろう。ほっと息をついてイルカもカカシの横に腰を下ろしナルトと向かい合った。
 去年、ナルトが無事に火影に就任してほどなく、カカシとイルカは木の葉の僻地に引っ越すことを決めた。
 無論余生を送るにはまだ早い。充分現役な二人だ。
 教員が足りていない僻地に赴任したいと願い出たのだ。ナルトは二つ返事で了承した。ちょうど学校を長らく率いていた校長が引退をする時期でもあり、カカシが校長でイルカは教員の一人として赴くことになった。
 二人は準備を整えると慌ただしく去った。
 ナルトに最後に会ったのは了解をもらった火影の執務室以来だ。一体どんな用件で訪れたのか全く想像がつかないが、カカシとてイルカ同様に嬉しいことに間違いはない。
 イルカはわざと仏頂面を作りながらもナルトに確認した。
「で、いつまでいられるんだ? まあ忙しいだろうからせいぜい一日か?」
「昼には帰るってばよ。今日はこのまま砂の国に行かなきゃならないってばよー」
 ほんと、忙しいんだよなーと一丁前にナルトはぼやくが、イルカは唖然となる。
「はあ? なんだそりゃ。お前ぇ火影なのに単独でか? そんなに忙しいなら、ほんと、何しに来たんだよ」
「そんな言い方ないってばよ」
 イルカが呆れるとナルトは膨れた。
「いや、でもなあ」
「イルカせ〜んせ。いいじゃないですか。ナルトに会えて嬉しいんでしょ? そんな小言ばっかりじゃ楽しくないですよ」
「カカシ先生いいこと言うってばよ」
「そりゃあね、元火影だから」
「なんなんですか、二人で仲良くしちゃって」
「じゃあイルカさんも仲良くしましょうよ」
 顔を覗き込んでにっこりと笑いかければイルカは口をへの字にしながらもこくりと頷いた。
 それからしばらくこの一年ほどの里での話を聞いて、和やかに食事はすすんだ。
 イルカはナルトを優しく見つめて、語ることに大きく頷いて、時おり頭を撫でてと忙しい。子ども扱いするなと言いながらもナルトはまんざらでもない顔をしている。火影となったナルトの頭を撫でて甘やかすような大人は他にはもういないだろう。
 いい師弟だと心から思う。
 ナルトは火影となり、イルカには及ばない実力を身に着けたが、それでも生涯ナルトはイルカには勝てないのだろうなと思う。
 まあ、イルカ先生に頭があがらないのは俺もだけど、とカカシはうっそりと笑った。
「あー、カカシ先生今エロこと考えてるってばよ」
「考えてません」
「カカシ先生口布とっても胡散臭いってばよ」
「ナルト、お前ね……」
 わけのわからないことを喚くナルトに力が抜ける。
 食事を終えてお茶を飲み始めた頃にイルカが言いだした。
「ナルト、子供生まれるんだろ? おめでとう。なんかお前ぇが親父になるなんて不思議な感じだなあ。お祝いはなにがいい? そこそこ貯めこんでるから何でも買ってやるぞ。今度こそちゃんとしたやつをな」
 火影の就任祝いの際にナルトがイルカに求めたのはイルカの額当てだった。将来、自分の子供が忍者になった時にあげたいのだと言って。
 欲がないんですよ、と苦笑したイルカがものすごく嬉しそうだったことは記憶に新しい。
「なんでもって言ってもさあ、俺ってば火影じゃん。いろいろもらえちゃうんだよな〜」
「そりゃあそうだけどよ、でもなんかやりたいんだよ」
 ぐっと言葉に詰まったイルカに助け舟をと思ったカカシだったが、口を開く前にナルトがくるりとカカシを見た。
「実はさあ、今日来たのって子供が生まれることに関係してるんだってばよ」
 にしし、と子供のように笑うナルトは何故か真っ直ぐにカカシを見るのだ。
「子供の名前、男だったらボルトにしようと思ってるってばよ。ヒナタとちゃーんと相談した。いいだろカカシ先生」
「は? 俺?」
「うん。だから、ボルトだから、一応許可をもらっておこうと思って」
「だからなんで」
 わけがわからずに問い返すカカシにナルトは肩を落とした。
「カカシ先生、隠居して鈍ったってばよ」
「こら、俺たち隠居してねえぞ。現役だ」
 イルカが頭を小突くと、ナルトは背筋を正した。
「最初はカカシ先生につけてもらうのもいいかなって思ったってばよ。そんでサスケに相談したら、ちゃんと自分でつけたほうがいいって言われて、しゃあなんかカカシ先生にちなんだものがいいかなあって思ってさ。カカシ先生の得意技の『雷切』からとったってばよ。ボルトって、その、そういう意味もあるって、サスケから聞いたんだってばよ。俺はよくわかんねーんだけど、そうなんだろ?」
 ナルトは無邪気な顔で言った。
 恩師である二人は、ぽかんと黙り込む。
「え? 違うの?」
 何も言われないことをいぶかしんだナルトが慌てて身を乗り出してきた。
「いや、その……」
 カカシは無意識にイルカのほうを見たが、イルカも同時にカカシを見ていた。二人目が合った瞬間、一瞬で沸騰するように顔が熱く赤くなった。
 思わず口元をおさえて、目線を下に向けてしまう。
 さまざまな感情が渦巻く。
 まさか自分にちなんでナルトが息子の名前をつけるなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。
 もちろん、嬉しくないわけがない。
 だが、四代目の遺児、自来也の弟子、そして今は里の、いや忍五大国救世の火影と言われているナルトの息子に見合う名となるのだろうか。
「なあなあ先生たち、どうしたってばよー。俺間違ってるのか?」
「いや、違うんだナルト」
 まだ何も言えないカカシにかわって、イルカがそっとナルトの肩に手をおいた。
「意味は、そういうふうに解釈してもいいと思う。間違ってないと思うぞ」
「なんだよー、じゃあなんで黙ってるってばよカカシ先生」
「なあナルト、どうして最初俺に頼もうって思ったんだよ」
 照れ隠しに頭をかきながらナルトに問えば、ナルトはブイサインを作って笑った。
「だって、カカシ先生ってば俺にとって一番かっこいい先生だからだってばよ!」
 ナルトの真っ直ぐな言葉にカカシはくしゃりと表情を歪めた。

「ほんとにナルトの奴、慌ただしかったですね」
 電気を消したイルカがベッドにもぐりこんできた。
 抱き寄せて額にひとつキスを落とすのは毎晩の儀式のようなものだ。
 なじんだぬくもりにカカシはほっと息を落とす。
「あいつはいくつになっても俺たちのこと驚かす名人ですね」
 カカシを見つめたイルカは目尻の皺を深めて笑むと、そっとカカシの目元に触れた。
「涙もろくなったのは、年をとった証拠ですかね、カカシさん」
「それ、そっくりそのままあなたに返しますよ」
 カカシが口を尖らせるとそこにちょんとイルカがキスをする。
「嬉しいですねカカシさん」
 そうだ。とにかく嬉しかったのだ。
 ナルトにとって一番かっこいい先生だと言われたことが本当に嬉しくて、思わずほろりと泣いてしまっていた。
「ねえカカシさん。今更ですが、子供、欲しいですか?」
 カカシは本日二度目、固まることになった。
 腕の中のイルカを見る目が見開かれる。
「ええと〜、それは、どういうことですか」
「言葉通りの意味ですよ」
 イルカはにこにことしている。質問に何かの意図を探ることなんてできない。だからカカシは思うままをこたえた。
「あなたとの子供なら、いてもいいかなと思いますよ」
「なんですかそれ。俺、男ですよ。まあ、夜は、女側の役目をこなしてますけどね」
 照れるなら言わなければいいのだが、そんなイルカは可愛らしい。中年、おじさんと言われる年齢になっても可愛いものは可愛いのだなと思う。
「俺はね、カカシさん。一度も自分の子供が欲しいと思ったことはないんですよ。なにもわからない子供の頃に漠然と考えたことはありますけど、本気で欲しいと思ったことはないんです」
 イルカの言葉はカカシにとって正直意外だった。
 教師を天職として一筋にまい進してきたイルカのことだから、きっと自分の子供が欲しかったのではと自然に思っていた。思っていても、深く考えないようにはしてきた。決して叶えてあげられない願いだから。
「意外だって顔してますねカカシさん」
「そりゃあてっきり、ね」
 イルカは小さく笑った後、体を起こしてベッドボードにもたれた。
「もう時効だと思うから言いますけど、カカシさんとの仲が公認みたいになった時に、何人かの人から言われたんですよ。カカシさんの、白い牙の血を残さなくていいのかって」
 イルカはふっと体の力を抜いて、黒々とした目をカカシに向けた。
「それがね、あなたのことが好きで嫉妬にかられたような女の人たちからでしたら相手にもしなかったんですけど、良識のある人たちから言われたんですよ。ああでも、お年寄りというか、おじさんおばさんたちが多かったかな」
「あ、俺も、そういう感じの人たちから言われました」
 ぽろっと漏らしてしまった言葉にイルカはでしょうね、と頷いた。
「俺が言われているんだからカカシさんも言われてるんだろうなあとは思ってました」
 二人、苦笑する。
「その人たちが心配というか、決して悪意でなく言っていることはよくわかったんですけど、でも、頭固いというか、常識的すぎる人たちなんだなあって、思ったんです。その人たちが繋いでいくことを大事に思っていることはわかるんですけど、誰かを好きになることの結果はそれが全てじゃないし、繋いだとしても、それはあなたの子供であって、あなたではない。俺は、カカシさんという絶対的な個人がいてくれればそれでいいって腹くくってたんですよ。まあ大人なので殊勝なフリでいましたけど、内心ではなにが白い牙の血だくっだらねえふざけんなって舌出してました」
 イルカはその時のことでも思い出したのか、憤ってふんと鼻から息を吐く。
 カカシはそんなイルカを呆然と見つめた。
 カカシがカカシというだけで全きものであることはそんなの、当然だ。だが、幼い昔、父を亡くしてから何年かは心無い者たちにいつだって父の名を出された。比べられた。それが発奮材料になったことは確かだが、自分の存在があやふやになったこともあった。傷ついたのだ。
 忘れていた記憶、刻みつけられた記憶が、脳裏をよぎった。だがイルカの言葉でそんな昏い記憶が消えていく。
「だいたい、俺たちが繋がなくたって、ナルトたちがみーんな繋いでるじゃないですか。あいつらの世代ベビーラッシュですよ。同じ年に何人生まれるんだよって、ちょっと笑っちゃいますよ」
 ねえ、と同意を求められ、カカシはイルカの腕をとって、額を合わせて至近で見つめた。
「イルカさんて、俺のこと大好きなんですね」
 締りのない顔で当然のことを確認する。肯定以外の答えなどないのだから。
「ええ、めちゃくちゃ好きですよ。骨の髄まで愛しちゃってますよ。こんなおっさんになっても、毎日好きだなあって思ってますよ」
 早口で照れながらもイルカはきっぱりと言ってくれた。
「俺もです。俺も、イルカさんのこと大好きです。最後の時にあなたがいればそれでいいって思うくらい、好きです」
 黒の目と、色違いの目が、見つめあう。
 互いの目の中に見出すのは互いだけで、そこだけで美しく世界は完結している。広い世界にはとうに別れを告げている。あとは小さくても温かな愛しい世界で生きていくのだ。
「寝ますか。明日も早いですからね」
 ごそごそと布団の中にもぐりこみ、キスをした。少しだけ深いキスを。
 離れた時に息を乱すイルカの唇を拭って、そっと耳元で伺いをたてる。
「ね、一回だけ、いいですか?」
 イルカはなにも言わずにカカシに抱きついてきた。
 ナルトはカカシのことをかっこいい先生と言ってくれた。
 カカシにとってはイルカが誰よりもかっこよくて、男前の先生だ。
 この先の生涯、ずっと。






                    

おしまい