◇月☆日
「頭の中もわもわするにゃー」
と言ったらそれは春のせいだとイルカに言われた。
それが事実かどうかはわからないが、そうなのかもしれないと頷いた。
◇月♪日
春に咲く花々も少しずつ散りゆき、空気に緑の香が混じり始める頃になってもカカシのもわもわ病は収まらない。逆に重くなっている気がする。
特に、イルカと一緒にいるとだんだんと苦しくなるのだ。
今もイルカに爪を切ってもらっているがイルカの顔から目が離せない。うつむくイルカ。睫毛が思ったよりも長い。頬もつるんとしていて、健康的な色をしている。
ぱちん、ぱちん、と規則的に切られる音と、イルカの体温が心地いい。ときたま力がはいって、肉球もどきをぐっともまれると、あ、と声をあげそうになる。
ん? とイルカが顔をあげるが、なんでもないと首を振る。するとイルカはにこりと笑ってまた爪を切る仕事に没頭する。
腹の底のあたりがどくどくと熱くなって、カカシはたまらなくなる。
「なあなあイルカ! 俺、俺やっぱりおかしいにゃ。病気にゃ」
「病気?」
ぷっとイルカは吹き出した。
「今日だって三杯飯食べたくせによく言うよ。カカシが病気なわけないだろ」
「でも、俺もわもわするにゃー」
「だから、それは、春……」
「もう春じゃないにゃん! それに、イルカとずっと一緒にいるともやもや病が激しくなるにゃ〜」
きゅーとカカシはうなだれる。
イルカはちょうどすべて切り終わったのか、カカシの手を離す。無言のまま広げていた新聞紙を片づける。そして立ち上がると身支度を調え始めた。
「ど、どこ行くにゃ?」
「ちょっと、飲んでくる。先に寝てろ」
「いやにゃ。一人になりたくないにゃ。俺もイルカと行くにゃー」
玄関ですがりつけば、イルカはくるりと振り向いてカカシと目線を合わせた。
「俺が一緒にいるともわもわ病がひどくなるって言ったじゃねーか。だからちょっと出かけてくる。今日は朝からずっと一緒だったし、カカシゆっくりできないだろ」
「でも、イルカといたいにゃー」
「だからちょっと飲んでくるだけだって。すぐに帰ってくるから」
「本当ニャ?」
「本当だ」
イルカが優しく頷いてくれるから、それ以上わがままを言うこともできずにカカシはきゅっとイルカに抱きついた。耳元で、いってらっしゃいと送り出した。
◇月▼日
とうに深夜をまわって日が変わったというのにイルカは帰ってこない。
最初は眠ろうと試みたカカシだったが、結局起きあがって玄関をしばしうろうろして、今はちょこんとご主人の帰りを待つ猫のように玄関先で座り込んでいた。
イルカの存在が遠くなると確かにもわもわ病は幾分すっきりとするのだが、代わりに、体中が寒くなる。部屋の中は寒くないのに、体の中から、寒い。とても寒いのだ。
「やっぱり、俺、病気だにゃ〜……」
落ち込んだカカシは涙目になって玄関で丸くなる。
たとえもわもわ病でもイルカがいてくれたら暖かい。だからイルカに早く帰ってきて欲しい。
「たっだいま〜」
突然、ドアの開閉とともにご機嫌な声が響いた。
「お、お帰りにゃ〜」
ほっとしたカカシは立ち上がって慌てて目元を拭った。
イルカは酒臭いがご機嫌で、いつだったか首輪を買ってきてくれた時のようだ。
「カーカーシー。寝てろって言っただろ? ったく」
「おかえりにゃん。イルカにおかえりって言いたかったにゃ」
「おかえりか……」
イルカはふうと息をつくと、玄関に座り込んで、そのままぱたりと靴も脱がずに寝ころんでしまった。
「イルカ。風邪ひくと悪いから、布団で寝るニャ」
「いっちょ前の口きくなよな〜」
イルカはおかしそうに笑っているが、カカシは本気で心配なのだ。イルカの腕をとれば、逆に、イルカに手をとられた。
「なあカカシ」
「んにゃ?」
イルカは、カカシの手のひらにある肉球もどきをむに、むにゅ、と押しつぶしてきた。途端、かーっとなるカカシの体、なにやら下肢にぎゅーんと熱がたまる。
「や、やめるにゃイルカ。にやぁ……ん」
びっくりするくらいの甘い声が出てしまった。慌てて口をおさえる。
だが酔っぱらっているイルカにはその声は届かなかったようで、イルカは熱心に肉球もどきを押している。
「気持ちいいなーカカシの肉球」
イルカはカカシの手のひらを自らの頬に当てて、うっとりと目をつむる。赤らんだ顔が、カカシの目にぼんやりときれいに映る。誘われるようにカカシはイルカにのしかかっていった。イルカにぴったりと身を寄せて、イルカの頬をぞろりと舐める。
「ばっか! くすぐったいって〜」
カカシのことを払おうとしたイルカの手を逆に掴んで舐めてやった。酔っぱらいイルカは笑うが、カカシは必死だった。体の奥の欲求にせかされてイルカを舐める。
「あのなあ、カカシ。お前のもわもわ病は、多分、俺のせいだってのは間違いないぞ」
「ん……」
息が上がってくる。熱い。
「ごめんな〜。俺なんかがカカシのこともらっちゃってさ〜。ちゃんとした人がカカシを孵化させてくれてたら、お前とっくに立派な忍びになってたはずだよな」
ごめん、と小さく言われて、カカシは顔を上げる。
イルカは、辛そうに見えた。黒々とした目が澄んで、そこにカカシが映っていた。
「俺といて、苦しいなら、火影さまのとこにでもいって、里親見つけてもらうか?」
「さとおや?」
「俺じゃなくて、お前のこときちんと育てることができる人に育ててもらうんだ。俺じゃない人にカカシの育ての親になってもらう」
「いやにゃ!」
イルカの口にした里親はよくわからないが、イルカ以外の人間に育ててほしくなんてない。イルカじゃなければ、一緒にいたくない。だからカカシは咄嗟に叫んでいた。
カカシの目からぶわりと涙が溢れた。
「ひ、ひどいこと言うにゃー。俺は、イルカに育てて貰って幸せにゃー。さとおやなんてひどいにゃー!」
にゃー! とカカシはイルカの胸に泣き伏した。
イルカと離れるなんて、冗談でも考えたくない。そんなことになったら、きっとカカシは辛くて辛くて、死んでしまう。
「泣くなよ、カカシ。ごめん。ごめんなー……」
イルカはぎゅっとカカシのことを抱きしめて、優しく、優しく、頭を撫でてくれる。
それがあまりに心地よくてカカシはうとうととし出す。ふと気づけば、イルカの手の動きが止まり、いびきが聞こえていた。
イルカは眠ってしまっていた。
半開きになっている口に引かれるように無理矢理舌を入れれば、イルカの熱い舌に触れる。酒臭さがいささか邪魔だが、夢中でイルカの口をむさぼれば、んん、とイルカがうめく。はっとなってカカシは身を起こした。
下肢に違和感があって、パジャマの腰のところを引っ張りのぞいてみれば、あそこが大きくなって天をむいていた。
どきどきとした。体中が熱をもって心臓はとうに早鐘だ。震える手をそっと下肢にもっていく。握り込んでみれば、何かが背中を駆け抜けた。
そこをつかんだまま、もう一度、イルカに倒れ込む。
首筋に鼻先をあてて、イルカの匂いをかぐ。時たまぞろりと首すじを舐めて、無意識に、下肢を掴む手を動かしていた。
「ん……。好き。好きにゃーイルカァ」
興奮のあまりイルカの首筋にかるく歯をたててしまえば、くぐもったイルカの声が届き、カカシの手の中に握られたものは弾けた。
「ん、にゃん!」
ぎゅっと目をつむって、カカシはびくびくとけいれんをおこす体の波をやり過ごした。ぬるつく下肢が気持ち悪い。だがイルカから離れたくない。苦しいのに、イルカと一緒にいたいのだ。
「イルカ。イルカ。俺、俺、わかんないにゃー。苦しいにゃー」
熱の開放で体は幾分落ち着いた。だが心は苦しいまま、カカシはぎゅっと目をつむった。
翌朝。イルカより先に起きて、何喰わぬ顔でイルカを起こした。
今日は仕事のはずだ。
「あー頭いてええ。よく帰れたよな。すげえな人間の帰巣本能って」
イルカはぶつぶつ言いながらもカカシが用意したパンにかじりついている。ホットミルクを手にしたカカシはちらちらとイルカをうかがっていた。
「なんだよカカシ。顔が赤いぞ」
「なななな、なんでもないにゃ!」
「そうかあ?」
どうやら昨晩のことをイルカは覚えていないらしい。カカシ自身、イルカの上でしてしまったこと、その衝動がよくわからないのだが、イルカに知れたらまずいような予感はあった。
「イルカ。俺、もわもわ病治った」
「は? まじか? なんだっていきなり」
「いい薬を見つけたニャ」
にこりと微笑む。
カカシにとっての特効薬はイルカ。
毒であり、薬であるイルカだった。