◇月☆日
食後にごろごろと喉をならしてテレビの猫番組を見ていたカカシにイルカが声をかけてきた。
「カカシ。しばらくの間、外出禁止だ」
「んにゃ?」
ちゃぶ台にアカデミーから持ち帰ったらしい書類を広げつつ、イルカはむすっと告げた。
「なんでにゃ」
カカシは当然の疑問を口にした。イルカは持とうとしたペンをおいて、しばしなにやら考えていたが、カカシのほうにきちんと向き直った。
「最近な、里に不審な人物が横行してるんだ」
「ふしん? おうこう?」
「ああ。ごめんごめん。要するに、悪い人間が、うろうろしてるんだ。被害報告も出てる」
「怖いにゃー」
よくわからないが、イルカの真面目な顔で、事件だということがわかる。カカシはぷるぷるとしっぽを震わせた。
「それでな、カカシ。その悪い奴ってのが、アカデミーに通っているような、子供を狙う奴なんだ。カカシも、そんな姿でかわいいから気をつけないとな」
イルカは至極真面目な顔で、カカシの肩に重々しく手をおいた。
だがカカシはそれどころじゃない。
イルカは今、「かわいい」と言った。カカシのことを、かわいいと……。
カカシは感極まって、イルカにひしっと抱きついた。
「こにょこにょしてにゃー! こここにょこにょしてにゃー」
カカシは興奮して首輪がとりつけられた首を仰向かせてイルカの手をがしと掴みそこにもってきた。つい今しがた見ていた猫番組で、飼い主に喉のあたりをこにょこにょしてもらっていた猫が幸せそうに目を閉じてぐるぐるしていたのだ。
「な、なんで俺が、そんなこと……」
「こにょこにょーこにょこにょー」
きちんと正座してカカシが喚き続けると、イルカはため息をつきつつ苦笑して、カカシの顎をこにょこにょしてくれた。
「にゃー」
カカシの脳裏には花畑が広がる。そこではちょうちょがふよふよと飛び、旅だった猫がむしゃむしゃと草をはむ。その傍らでナルトが修行している。カカシはイルカにじゃれついて身をすり寄せ、イルカもにこにこと笑ってカカシのことを撫でてくれていた。
「気持ちいいにゃーん」
うっとりとなったカカシは体中がぽかぽかとなって、そのまま目を閉じた。
◇月◎日
イルカが優しい。
悪い人間が里を徘徊しており、とらえる為にアカデミー教員は緊急体勢をしいて何かと忙しいのだが、遅くに帰宅したイルカをカカシが迎えにでると、必ず笑顔で頭を撫でてくれる。カカシが無事でいることにほっとするのだ。
らったった〜とスキップを踏みながらカカシはナルトの家からの帰路についていた。ナルトが商店街のくじ引きで当てたというテレビゲームとやらに夢中になってしまって日は暮れてしまった。だがまだそれでも早い時間だ。静かな住宅街には夕餉の空気が漂っている。
今夜の夕飯は何かなーと鼻をうごめかせてカカシの足は速まった。
「すみません」
いきなり声をかけられてぴたりと止まれば、道の端にうずくまっている女の人がいた。
カカシを見上げた顔は紙のように真っ白で具合が悪そうだ。
「どうしたにゃー。気分悪いのかにゃー」
とことこと近づいたカカシはしゃがんで女の人をのぞきこんだ。
その途端。香った甘い匂い。
くらりとなったカカシの四肢から力が抜ける。具合が悪そうだった女の人がにたりと笑う。伸ばされた腕はカカシのことを抱き留めた。
「かーわいい。ここでしちゃおうかなあ」
耳元でささやかれた声。力が入らないカカシの頬を舐めあげる。ぬるりとした感覚が気持ち悪い。
「前に見かけた時から、欲しいなあって思ってたんだ」
楽しげな声が不快だ。
自分に何が起こっているのかわからないが、この腕は気持ち悪い。気持ち悪いことは嫌いだ。だからカカシは必死で体をよじる。
「こらこら。暴れるな」
女はカカシの短パンのチャックを下ろすと、手をつっこんできた。
「っ……」
「小さくてかわいいなあ。ほんとにかわいい」
むにゅりと揉み込まれて、全身が総毛立つ。腹の底から吐き気がこみ上げる。そして実際生理現象に逆らえずにカカシはえづいて、吐いてしまった。
「ちょ……っと。汚いわねえ」
胃の中に少し残っていたものが女の胸にかかる。眉をひそめて女がひるんだ時。二人を明かりが包んだ。
「そこまでだ! 現行犯で逮捕する!」
「……!」
女の行動は早かった。カカシを突き飛ばすと、ジャンプして住宅街の屋根に飛んだ。追え! と声がかかる。ばたばたと人々が動き回る音がする。
道路にうずくまったカカシにはどこかぼんやりとした音に聞こえた。ぷるぷると首を振って気を整える努力をしていた。
その時。
「カカシ!」
イルカの、声がした。
イルカ。イルカ。大好きなイルカ。
カカシは力強い腕に抱きしめられていた。
「カカシ! よかった。なんともないか?」
カカシの顔をのぞきこんだイルカこそ心配になるくらい泣きそうな顔をしていた。
「少し……怖かったにゃー……」
「ごめんな、遅くなって」
イルカの無骨な指先がカカシの汚れた口元をためらいなく拭ってくれる。じっとカカシの無事を確かめるように見つめて、イルカは笑った。
「こんな、首輪つけて。家の中だけだって約束だったろ?」
「ごめん、にゃー。イルカがくれたから大好きなのにゃ。お気に入りなのにゃ」
「ったく……」
呆れているようだが、怒ってはいない。柔らかいイルカの気配からそれがわかる。カカシは自分からイルカに抱きついた。
「助けにきてくれてありがとにゃー」
イルカは仲間たちに許しを得て、カカシを連れてそのまま帰宅することになった。
捕り物騒ぎに騒然となった住宅街を抜けて、並んで歩く。イルカはカカシの手をとって、握りしめてくれた。大きな手がカカシの手を包み込む。暖かな固い感触にカカシはうっとりとなる。イルカの横顔をじっと見つめる。つながれた手からカカシの体の中に満ちてくるものに身をゆだねる。
「イルカ。抱っこしてほしいにゃ」
思わず呟いていた。しまったと思ったがもう遅い。イルカはぴたりと止まる。甘ったれるな、と言われるかもしれない。なんとなく猫耳をおさえてカカシはうつむいた。
だが、予測とは違って、カカシの体はふわりと浮いた。
「今日は、特別だからな」
イルカは怒ったようにぶっきらぼうに告げたが、カカシのことを抱き上げてくれていた。
「イルカ……」
ぽーっとなったカカシは、目の前にあるイルカの頬に、にゅ、と口を押し当てた。
「大好きにゃー」
夜空にはぽかりと満月。
二人を煌々と照らしていた。
ヲハリ。