○月×日
朝起きたら耳としっぽが生えていた。
引っ張ってもとれなかった。別に困らないし、このままでいいや。
○月△日
「成長したのにイルカは文句ばっかりにゃー」
「仕方ないにゃ〜。イルカは真面目な男だからにゃ〜」
カカシはたまご猫と仲良く縁側に座ってひなたぼっこをしていた。
猫の住む家は里のはずれの一軒家で、主のおじさんが留守がちのため、庭は自然のままにまかされ、緑豊かに茂っていた。
「俺は別にいいと思うけど早く人間に成長しろってうるさいにゃ」
ため息をついたカカシは体を丸めてぺたりと身を伏せる。そんなカカシの鼻先をモンシロチョウがふよふよとからかうように飛んでいる。丸めた手でちょいちょいと手出しする。ふわりふわりとそれをかわしてチョウは飛ぶ。
「そりゃあ俺だってちょっとは驚いたけど、そのうちになくなるにゃ。だから気長に待つにゃ」
泣いて起きた翌日、体をしめつけられるような感覚に不機嫌に起きあがれば、パジャマはぎりぎりつぱつぱで成長していた。びりびりと服を脱いで素っ裸になって喜びにくるくる回れば、お尻に違和感を感じた。くるりと首を回せば、ふさふさとしたひもが目に入る。くいっと力を入れれば、ふわんと動く。しっぽだ。
風呂場の鏡の所に行けば、頭に角があった。手を伸ばせて触れれば、柔らかかった。ひぱってみた。耳だった。顔の横にはきちんと耳があるのに。
「……」
しばし腕を組んで考えてみた。だが何も浮かばないのだからすぐにやめた。
とにかく成長した。それでいいではないか。
だからカカシは浮き立つ気持ちのままに猫とステップを踏んで踊った。
そんな喜びの朝に猫の飼い主が迎えに来て、カカシは喜びいさんでイルカを起こしたのだ。
幸せだった朝。けれどイルカの反応は思ったものと違っていた。てっきり成長を一緒に喜んでくれると思ったのに、頭を抱えてしまったのだ。
「イルカは俺が成長しても嬉しくないんだにゃ」
「そんなことはないにゃ〜」
「ある! 俺のこと相変わらずあんまりかわいがってくれないにゃ!」
ふーっと毛を逆立てるようにしたカカシはぶーっと頬を膨らませた。
「ナルトのほうが好きって言ったにゃ!」
そう。そして、その言葉が苦しくて苦しくて、あの夜カカシはぼろぼろと泣いたのだ。
イルカは必死で謝罪してカカシのことを抱きしめてくれたが、本当に欲しいのはそんなものじゃない。謝らなくていい。ただ、イルカの一番になりたい。
ぶちぶちと呟くカカシの膨れた頬を猫は慰めるようにしてぞろりと舐めてくれる。
「元気だすにゃー。おいらが見る限りイルカはカカシのことをそれなりに大事にしてるにゃー」
「それなりなんて嫌にゃー……」
慰めにもならない猫の言葉にカカシはしゅんと目を閉じた。
春を感じる日差しは暖かく、それでなくても眠いのに更に眠気を誘われる。もわんとした質感のある空気の中でまどろむと、記憶が浮遊しだす。
最初は何も感じなかった。ただそこにいた。そのうちに暖かくなり、それが心地よくて目を開ければ、暗いとばかり思っていた世界が思いがけず明るくて、心浮き立つような感覚に身を任せた。
カカシのことを包む何かは泣きたいくらいに優しくて、カカシは体がとろけそうな感覚に酔った。その何かは、カカシに出てこいと言っていた。だからカカシは必死に手を伸ばして、己を閉じこめる固いものを突き破ることができたのに。
なのに。
飛び出た世界に待っていた男はカカシを拒絶した。
イルカは勝手だ。自分がカカシに愛情を注いで、たまごから孵らせた自覚がない。イルカの働きかけがなければカカシがたまごから孵ることはなかったのに。あの何も感じない世界にずっと居続けてもよかったのだ。
そうしたら何も感じず、ただそこにいればよかったのに。
だが今更あそこには戻れない。戻れると言われても戻りたくはない。カカシの居場所はここだ。イルカがいてくれるこの世界だ。
「カカシ。おいら、今度は親分と一緒に任務に行くにゃー」
いきなり猫が言い出したことにカカシはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「大丈夫なのかにゃん?」
猫はほりほりと前足で頬のあたりをかく。
「今回はあまり危険じゃない護衛任務なのにゃー。その大名家にはちびっこがいるしおいらがいるほうが逆にいいってことなのにゃ」
猫は嬉しげに喉をごろごろと鳴らす。
「どれくらい行ってるにゃ」
「多分、半年くらいにゃ」
「そっか……」
カカシはふうとため息を落とした。正直寂しい。猫はカカシが見つけた唯一の仲間で相談相手でもあり遊び相手でもあったから。
猫はカカシに寄り添ってきて前足で頭を撫でてくれた。
「遠くに居てもカカシの幸せを願ってるにゃん。何かあったら呼ぶにゃん。駆けつけるにゃー」
猫の優しい言葉にカカシはほろりとなる。頷いて、力いっぱい猫を抱きしめた。
「俺、頑張るにゃん」
○月□日
飼い主のおじさんがと一緒にいることで食欲が更に増したという猫は出発が間近いというのに体重は増していた。
座っている姿は置物のよう。一度座ったら起きあがれるのか心配なくらいに重量級だ。
別れを惜しむカカシが今日も遊びにやってきたら、猫は誇らしげに胸を張ってどすこいと座布団に座っていた。
「カカシー。どうにゃー」
冷蔵庫から勝手にミルクを出してパックから飲んでいたカカシに猫が自慢げな声で話しかけてきた。
「どうにゃーって何がにゃー?」
「首輪にゃん」
「くびわ?」
「そうにゃー。おじさんが買ってくれたにゃんー」
くいっっと猫は顔を仰向けるが、カカシにはよくわからない。近づいて首のあたりを検分する。もこりとした毛の奥に、なにやら隠れているものがある。
指先をつっこんで探れば、肉と毛でうまった猫の首に、赤い首輪がはまっていた。
「今度の任務の時にって買ってくれたにゃん。かっこいいにゃー」
猫はごろごろと喉を鳴らしてにゃーと少し高めの声で鳴いた。
首輪には小さな金の鈴がついていた。じっと見つめるカカシに猫は首を振ってみた。ちりりりんとかろやかな音がした。
その美しい音色に、カカシはぶるぶるっと震えた。
「……か、かわいいにゃー。俺も欲しいにゃー」
素直に感動したカカシに、猫は更に誇らしげにひっくり返りそうなほど胸を張った。
「カカシもイルカに買ってもらうにゃん。おそろいで銀の鈴があったにゃん。カカシに似合うにゃん」
鈴つきの首輪をつけた自分を想像して、カカシは久しぶりに気持ちが浮き立つのを感じた。首輪をイルカにつけて貰ったらとても幸せな気持ちになれそうだ。イルカはそうしたらほおずりして、かわいいな、カカシ、と言ってくれるかもしれない。
イルカは最近忙しいのか帰宅時間が遅く、それにくわえて猫になったカカシにたいして複雑なものがあるのか以前にも増して冷たいの気がするのだ。カカシは隙を見てはイルカにまとわりつきにゃーごとじゃれつくがイルカは目くじらたてて怒る。
人間なんだから人間らしくしろ、と。イルカが本気で怒るからカカシもうなだれて部屋の隅で丸くなる。
最近、イルカに怒られるととても寂しくて、泣きたいくらいに落ち込む。なんでイルカが優しくしてくれないのかとても不思議だ。昼間商店街やらをうろうろするカカシに里の人たちは優しい。笑顔でカカシを甘やかしてくれる。かわいね、と撫でてくれる。
イルカだけがカカシに冷たい。
どうしたらイルカにかわいがってもらえるのか、カカシはそんなことばかり考えている。
「俺、首輪が欲しいにゃん」
その夜の食卓で、カカシは口にしてみた。
みそ汁をがぶりと飲んでいたイルカはお椀を置いて、首を振った。
「必要ない。カカシは人間なんだからな」
案の定イルカは反対した。しかしカカシは引き下がらない。
「欲しいにゃん。かわいいの欲しいにゃん」
「駄目だ」
「けちー!」
カカシはちゃぶ台にばんばんと手を打ち付けた。
「欲しいにゃん欲しいにゃん。かわいいの欲しいにゃん。鈴がついたのがいい。欲しい欲しいほし……」
「いい加減にしろっ」
頭の上からイルカのかみなりが落ちた。
びくっと身をすくませたカカシのことをイルカは怖い目をして見ていた。
「何度言ったらわかるんだ。しのび卵から生まれたって、カカシは人間だ。人間は首輪なんてつけない」
「でも、欲しいにゃん……」
頭をおさえながらカカシが小さく呟くとイルカは無言で片づけを始めてしまった。
「イルカー……、怒ったのか?」
「……」
台所では激しく音をたてて乱暴に皿を洗う音しかしない。どうしたらいいかわからなくてとりあずカカシはイルカのそばによって服のすそを引っ張った。
「イルカ。お、怒ったのか? なあ」
「怒ってない。呆れているだけだ」
冷たい声だった。とりつくしまもない。
身をよじったイルカは服をつかんでいたカカシを振り払う。
よろりとなったカカシはかたくななイルカの背を見ているうちに、鼻の奥がつーんとしてきた。
どうしてこうなってしまうんだろう。
前は、こんなんじゃなかった。イルカに邪険にされてもこんなにしぼられるような苦しさはなかった。憎まれ口をたたいて、からかって、ぞんざいな扱いをされてもたいして気にならなかった。セーエキセーエキと喚いて、嫌がるイルカの顔を見ておもしろがってもいた。
イルカに嫌われたらと思うと、足下が真っ暗になって、どん底に突き落とされるような感覚に体が震える。気持ち悪い。恐ろしいほどの寒気がおそう。思っただけなのに。
「ごめ、ごめんにゃ。イルカ。首輪、いらないにゃん……」
声がとぎれそうになるのを必死になって謝る。目の奥が熱くなって、イルカの背中がぼやける。
ひいっくと嗚咽が漏れた途端、イルカがものすごい勢いで振り向いた。
「カ、カカシ!」
イルカは泣いているカカシを見て狼狽した声を上げた。慌ててカカシに手を回して、その手が洗剤で濡れているのに気づくと無造作に服で拭って膝をついた。冷たい手が頬に触れてきた。
「ごめん、俺が悪かった。怒ってない。ごめん。ごめんな」
おろおろとイルカはどうしていいかわからないのかせわしなく視線をさまよわせる。
イルカは必死になってカカシのことをなだめようとしている。カカシは泣きたくはないのに涙は止まらずほろほろと流れ続ける。
「お、怒って、ない?」
「怒ってないって!」
「でも怖い顔したにゃー……」
「これは自顔だ」
「怒ってないならちゅーして欲しいにゃー……」
「なんだよちゅうくらいしてやるよ」
ほっと明らかに安堵したイルカはカカシの頬を両手で包み込むとわずかに顔を傾けて、ちゅっと口を付けてきた。
「……」
「な。怒ってないだろ? だから泣くなよ。な?」
イルカはカカシのことを抱きしめて、頭を優しく優しく撫でてくれた。
ちゅうをされた時のハレーション。
頭の奥が白くなって、ファンファーレが鳴り響いた。
イルカの胸の中にすっぽりと包まれて、大きな手で撫でられる感触に、体中が熱をもってかーっとなる。
「イルカ。イルカ。好き! イルカのこと好きにゃー。大好きにゃー」
イルカにすがりついて溢れる思いをほとばしらせた。
「俺だって、カカシのこと、好きだぞ」
「好き。好き。大好き!」
しっぽが興奮ゆえかぴんと立つ。
久しぶりにイルカのぬくもりに包まれて、カカシは幸福に目を閉じた。
○月■日
「た〜らいま〜。帰ったにゃー」
ぴんとカカシの耳はたった。
うとうととまどろんでいた。とうに深夜を回っている。カカシはそれでも眠い目をこすって玄関に出た。
「おかえりにゃー」
「おーう。よい子は寝てたようだな」
イルカは酒臭い。気分は上々なのか少し赤くなった顔で満面の笑顔だ。こしこしと目をこすりながらカカシはあくびをひとつ。
「カカシ」
「にゃ?」
差し出されたイルカの手は、赤い首輪をつかんでいた。
猫と同じものだ。銀の鈴がついている。小さなネームプレートには、カカシと書かれている。
「イルカ、これ……」
「言っておくけどな」
イルカはわざとらしいくらいの大きな咳払いをした。
「これは、外ではつけるなよ。家限定だからな」
ぐいっと押しつけられたが、カカシはぼんやりと見つめたまま動けないでいた。
「カカシ?」
不審に思ったのかイルカに顔をのぞかれた。
途端。
カカシは玄関に転がった。
仰向けになって、両手は丸めて肘を曲げて顎のあたりにもってきた。体をくねらせて喜びを体いっぱいで現した。
「つけて欲しいニャー。イルカにつけて欲しいニャー」
「こら、やめろ! 転がるな」
「つけてくれにゃー。お願いにゃー」
「ああ、もう! わかったわかった」
しゃがんだイルカは呆れながらも首輪をつけてくれた。
ぴょんと立ち上がったカカシは風呂場にかけこむ。
鏡の中には、赤い首輪に銀の鈴が映えたカカシがいた。むくむくと沸いてくる幸福感にぽーっとなる。
「どうだ。気に入ったか?」
後ろにイルカがいる。照れたように苦笑している。
くるりと振り向いて、カカシはイルカに抱きついた。
「大好きニャー」
ヲハリ。