□ カカシの日記 前編 −暗部にて−  




×月◆日

「もう死んでいるよ」
 声をかけても音はやまない。
 さく、さく、とリズムを伴って肉にささる音。やれやれとため息をついたカカシは機械的に動いている手をそっと押さえた。
「おしまい。もう休もうか」
 カカシが優しく諭せば、やっと動きが止まる。ゆっくりと振り向いたあどけない顔は血に濡れていた。
 ナルトよりも小さい。弾力のある柔らかな頬をそっと拭ってやる。笑いかければ、瞬きを何回か繰り返して、笑い返してきた。
「おなかすいた」
 殺して、切り刻んだ死体を前にして、子供は無邪気に笑った。



×月★日

「カカシは出来損ないなの?」
 火を囲んで食事をしていた時だ。内心むっとしたがその気持ちは顔にださずに微笑んだ。
「ゆっくり時間をかけて成長したんだーよ」
「しのび卵なのに?」
「それも個性のひとつだね」
「へんなの」
 ぷいと顔をそらせた少女、シイナもしのび卵生まれ。他の仲間にきいた話だが、育ててくれたのは中忍になりたての少女。その育ての親はシイナが暗部に配属されるのをよしとせず、シイナを伴って逃げようとして二人ともつかまった。離されるのを拒み、里で軟禁状態にあるという。
 しかしシイナの育ての親は大人でもなく経産婦でもなく、乳をもらって育ったわけではないだろう。カカシだけが特別ではなく、しのび卵はバリエーション豊富に生息しているようだ。
 カカシが所属する暗部の隊の小数精鋭部隊は4名。すべてしのび卵から孵った者。なかではカカシが一番年長で、他は皆子供、一番小さな者は6才だった。
「カカシの親ってどんな奴だったんだ?」
 笑った顔を見たことがない、いつもむっつりと不機嫌な顔をしたタスクが切れ長の目でカカシに話しかけてきた。膝の上には最年少のランを抱えていた。ランはうとうとしだしている。
「俺の親? イルカっていう中忍のオスだ〜よ」
 オス。男。
 タスクもシイナも軽く驚いた。
「男? あまり聞いたことないね」
「俺のとこは女だけど五十代のおばちゃんだぜ。イルカって若いのか?」
「今の俺と同じくらいかな〜?」
 それからは互いがそれぞれの親のことを語り出した。
 タスクの親は太めの元くの一。子供は独立して旦那に先立たれたあと、定食屋を開いて暮らしているという。仕入れ先に出向いた際の帰り道、たまごを渡された。
 シイナの親にあたる少女は任務に赴いた先で渡されたという。
「僕はね」
 眠ったとばかり思っていたランが舌っ足らずな声をあげた。
「僕は、おかあさんの子供にそっくりなんだって。そっくりだからすごく優しかったけど、でもそっくりすぎて、もう嫌だって言ってた。でも僕ね、お母さんのことろに帰ってあけるんだ」
 笑うランは幸せそうだった。
 自らを拒否した親の元にそれでも戻るという言葉に、タスクは忌々しそうに顔をそらすが、カカシはランの柔らかな頬に触れて伝えてやった。
「嫌だって言ったのは本気じゃないから、ランが戻ってやればおかあさん喜ぶからな」



×月▲日

「殺しすぎだ」
「はあ……」
 カカシは気のない返事をして後頭部をかいた。
 部隊の隊長にあたる男は暗部の面のむこうで渋面を作っていることだろう。
「捕らえて、聞き出したいこともあった。だがお前らが皆殺しにしてくれたおかげで無駄な手間が増えた」
「じゃあ俺たちでなんとかしますよ」
「馬鹿野郎。そしてまた殺さなくていい者まで殺す気か」
「じゃあどうしろって言うんですか」
 カカシはため息をついた。
 隊長の男は大きないかつい手をカカシの肩に置いた。
「お前らが特殊な存在だってのは知っている。血を、求めることも。だがそれでも命令として言うからな。必要最低限の犠牲ですませるようにしろ。死者をいたぶるようなまねもさせるな。いいか、命令だ」
「あの〜、俺だってたまご産まれなんですけどね」
「お前は安定している。奴らよりも血を求める衝動はないだろう」
「だといいんですけどね」
 隊長は豪快に笑うと、頼むと言い置いて行ってしまった。
 晴れ渡った空を見上げて、ふと崖下に視線を落とせば、あたりはえぐれた大地の中、死体がごろごろと散らばっていた。形があるのはいいほうだろう。赤く染まった地上。制止の声が間に合わずに術を発動させてしまったのはシイナだった。
「確かに、派手にやってくれちゃったよね」
 シイナの術で敵の大半は死んだ。全滅だと喜々として笑ったタスクはランを連れて駆けていった。
 その間カカシが何をしていたかといえば、放出された気に正気を失いかけたシイナの面倒を見ていた。
 カカシはあたりの惨状を見つめながら、静かに印を結んだ。
 発動された術によって血を吸った地面が燃え上がる。供養なんてものではないが、せめて、と思い焼き払う。
 人であった形が徐々に崩れていくさまを見ていると、身のうちに宿る黒く暗いモノが歓喜の声をあげるのがわかる。
 確かにカカシは他のたまご生まれの者たちに比べてゆっくりと成長した。仲間である3人に比べてずいぶんと安定している。だがそれでも言いしれぬ凶暴な何かが心を、体を食らいつくそうとすることがあるのだ。
 本当はあのままイルカの元にいたかった。
 だがあそこに居続けたら、とんでもないことをしでかしそうな、確信があった。
 目の前に広がる光景にそっとブラインドをおろす。
 完全に成長したあの時、抱きしめたイルカの思いがけない頼りなさに脳が焼き切れた。愛しいなんて、柔らかな言葉ではない。
 ただイルカのことをむさぼり尽くしたかった。
 嫌がるイルカを何度も貫いて、止まることを知らない欲望のままにつながった。あの時、イルカとカカシは心からひとつのものだと信じることができた。
 意識を手放したイルカと離れがたかった。
 ずっと、永遠にそばにいたい、一時も離れたくない。抱きしめたまま、イルカの泣き濡れた顔に口づけていた。いっそイルカを連れて行ったなら、と思った。
 だがカカシは己の中の獣が舌なめずりしてイルカを待っていることがわかっていた。
 獣を飼い慣らすことができないままにイルカのそばにいれば、きっとイルカのことを・・・。
「イルカ」
 鮮明な記憶が苦しい。
 カカシはその場にしゃがみこんで、口を噛む。
 イルカの笑顔、頭を撫でてくれた大きな優しい手。抱き上げてくれた腕。
「イルカ、イルカ」
 友達の猫はイルカのことを慰めてくれただろうか。
 本当は今すぐに、イルカの元に、飛んで帰りたい。
 カカシはその場にずっとうずくまっていた。



×月●日

「どうしたら殺さなくてすむんだよ。知ってたら教えてくれよ」
 タスクが真剣な面持ちでカカシに相談してきた。
 その区域での戦闘は終わりが近かった。
 主力部隊は壊滅した。あとは依頼主から生きて捕らえろといわれた奴らを捕らえて、引き渡せばすむ。だが通達もでたというのにタスクが数人殺してしまい、隊長から謹慎処分を言い渡されていた。
 シイナとランは比較的落ち着き始めていた。
「どうしたらって、言われてもね〜」
 カカシはこった肩をほぐつつタスクを手招いた。タスクは素直にカカシの隣に腰を下ろした。タスクの足には隊長による特殊な戒めが施されており、岩場のこの一画よりは動けないようになっていた。見張りは必要ないがカカシは見舞いがてらタスクの元にやってきた。
「タスクのこと育ててくれたおばちゃんてどんな人?」
「はあ? ばばあのことなんて今はどうでもいいんだよ。それより」
「ええ〜? 聞きたい聞きたい。なんかすごそうなんだもん」
「じゃあカカシのこと育てたイルカはどんな奴なんだよ」
「イルカ? すっごいかわいい人だ〜よ」
「かわいいって。カカシの同じくらいの男なんだろ?」
「男でもかわいいもんはかわいい。勝手なとことがあって、俺のことも大事にしてくれたか微妙なとこがあったけど、でも、根っこが優しくて、すっごい一生懸命でさ。俺のことちゃんと育ててくれた」
 カカシが笑うとタスクは怪訝な顔をして首をかしげる。
「ちゃんとって言うけどさ、カカシの成長って俺らと比べて遅いじゃん。それ、ちゃんと育ててくれたって言えるのか?」
「う〜ん。なかなか鋭いつっこみだ〜ね。まあいろいろあってさ、そのおかげで俺たちの愛は深まったというか」
 タスクはカカシが頬を染めて愛などと口にしたからか、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「愛? 今愛って言ったか?」
「言ったよ。俺イルカのこと愛しちゃってんの。あ、もちろん恋人の意味でね。きっとイルカも同じ気持ちのはず。うん、間違いないね」
 タスクはがっくりと肩を落とす。
「やっぱカカシはたまごの中でも更に特殊だよな」
 そうか? とカカシが首をひねっていると、タスクがいきなり吹きだした。
 今度はカカシが目を見開く番だった。
「俺んとこのばばあもさ、超厳しくて、躾と称してがんがん殴られたぜ。まあ今思えば間違ったことをした時に容赦ない鉄拳が飛んできたんだけどさ、そん時はわかんないだろ? 俺家出したんだよな」
「家出?」
「ああ。カカシは家出したことなかったのか?」
「ない。思いつきもしなかった」
 カカシはイルカに憤って、憎らしく思うことはしょっちゅうだったが、家出したいとは、イルカの元から離れたいと考えたことは一度も思わなかった。
 今更だが、もしカカシが家出したら、きっとイルカは血相代えて里中を探してくれたに違いない。猫耳を生やしていた頃、カカシが変な女に襲われそうになった時、助けてくれたイルカはめちゃくちゃ優しかった。
「なんだよ、鼻の下伸ばして。気持ち悪い奴」
「なんでもないニャー」
「カカシ……」
 うっとりと過去の思い出に酔っていたらタスクが身を引いていた。
 気づいたカカシはとりつくろうように真面目な表情を作ったが思わず頭部に耳が生えていないかを確認しておいた。
「イルカのことはいいから、家出して、それで?」
「ん? ああ、大げんかして出てったんだよな。行くとこっていったら限られてるだろ? 火影さまのところでくつろいでたら、ずぶぬれの母ちゃんがやってきてさ」
 タスクの表情が不意に優しくなる。
「てっきり殴られるって思って目つむったんだよ。でも次には母ちゃん俺のこと抱きしめてた。太ってるから、苦しくて。でもあったかくて、柔らかかった」
「そっか。ちゃんとかわいがられてたんだ」
「ばっか。その後鬼のような顔でケツをばんばん叩かれたんだからな。とんでもねえ暴力親だよ」
 口を尖らせて怒りながらもタスクの目は穏やかだった。
 タスクは気づいていないだろうが、チャクラが落ち着いたものに変わっている。ついさっきまでの張りつめた気配はなかった。
「ええと、それで、殺さなくていい方法だっけ?」
 カカシがとぼけて答えると、タスクはもういい、と手を振った。
「わかったよ。ばばあの顔浮かべりゃいいんだ」
 すっきりと何かを吹っ切ったようないい笑顔だった。



×月■日

 ランが重傷を負った。
 三日三晩生死の境をさまよって一命は取り留めたものの、片腕を失った。
 闇の中、敵を追う。なぶるようにして追いつめる。ランが受けた苦しみを思えば、切り刻んで、もう生きていたくないと思うような目に遭わせてそれでも生かしてやる。
 そんな暗い思考にあえて心をゆだねてカカシは木々を移動していた。
「もうおしまい?」
 恐怖ゆえか尻餅をついて後ずさる敵は無様だった。男の股間は濡れて、顔からはよだれを垂らし、目の焦点は合っていなかった。
 幻術で恐怖を見せた。その者が一番恐怖に感じる映像を。
「来るなっ。ばけもの!」
 男は土をつかんで投げつけてくる。
 ランだけではなく、この男には木の葉の忍はずいぶん痛めつけられた。隊長は生けどりを命じてきたが、殺してもいいだろう。
 いや、この男が血の海でのたうつさまを見たい。カカシは舌なめずりするような気持ちで男に近づくと、顔を思い切り蹴り上げた。
 骨がひしゃげるような音をさせて血を吹いた男は倒れる。ぴくり、ぴくりと痙攣する体。白目をむく顔に正気はない。その姿を見ていると、カカシの顔は自然とゆるむ。楽しくて、嬉しくて、もっともっとと体が血を、悲鳴を要求する。
「ねえ。つまんないからさ、もっと声あげなよ」
 いいながらカカシのクナイはつかまえた男の指の先端をさす。爪をえぐる。
「!」
 言葉にならない悲鳴。男がのたうつ。
 カカシは男の無様な姿がおかしくて、体をおって笑い出した。
 カカシに向かって男がなにかわめいているが、それでさえ心地いい音にしか聞こえない。
「ああ。楽しかった。あんたもう死んでいいよ」
 瞳術をもって男を地に縫い止める。
「目から、つっこもうか」
 カカシはクナイをわざとゆっくりと男の右目に近づける。血走った汚らしい目。血を吹きだして赤く染まれば少しは綺麗になるだろう。
 数ミリの距離。ほんの少し押せば、眼球をえぐることができる。
 だがその瞬間、カカシの脳裏にはイルカが浮かんだ。
「っ……」
 びくりと震えたカカシは飛び退く。
 なぜこんな時にイルカが浮かぶのだろう。だがイルカの木訥な笑顔が浮かぶとカカシから狂気の衝動は一気に失せる。心臓が怖いくらいに鼓動を刻む。クナイを持つ手が震える。
 クナイを投げ捨て、すでに気絶している男を置いてその場から逃げた。



 その後、追ってきた他の暗部が男を連れて行き、カカシは隊長に呼び出された。
 俯いて天幕に入ってきたカカシのことを、面をとった隊長は腕を組んでいかつい顔を更に不機嫌にして睨み付けていた。
 しばしの沈黙のあと、大きなため息が聞こえた。
「なんとか一命を取り留めたが、危なかったぞ。あの男を依頼主に生きて渡さなければ任務は失敗となるところだった。わかっていると思うが俺たち忍は依頼主の要望を最優先させなければならない」
 そんなこと、知るか、と内心カカシは思ったがさすがに声には出さずにただふて腐れたまま横を向く。
「カカシ。返事をしろ」
「……なんですか」
「よく、堪えたな」
 意外な言葉にカカシは思わず顔を上げていた。
 隊長のいかつい顔は苦笑していた。
「まあ、仲間をあんな目に遭わされて、半殺し、というよりほとんど殺していたようなものだったが、でもまあしのび卵産まれのお前がよく耐えた。俺は結構たまご出身の奴らの世話をしたことがあるが、快挙だぞ。今までの奴らだったら絶対に殺していたな」
「殺そうと、思ったんだけど……」
 イルカが、優しく、笑っていたから。
 隊長の手がカカシの頭をぽんと叩く。
「もう大丈夫だな。春になったら里に戻れ」
 カカシは反応できずに、隊長のことをじっと見つめた。
「どうした。里に戻りたくないのか」
「だって、俺たち、まだ一年しか経っていないのに」
「そうだな。通常しのび卵生まれは短くても三年は暗部に在籍しているな」
「だから」
「それは必要だったからだ。お前らはもう安定している。だから、もう里に戻れ。ちゃんと、自分の道を見つけろ」
 里に、戻れる。
 イルカの元に、戻れる。
 じわり、じわりとカカシの体の奥から熱いものがこみあげてくる。思い出す里でのイルカとの日々。いっときも忘れたことがない。大好きなイルカの元に、帰れるのだ。
「カカシ……」
 隊長の驚いたような呆れたような声に、カカシは背筋を伸ばす。隊長はぽかんとカカシのことを見つめ、そして吹きだした。
「お前、そんなとろけそうな顔ができるんだな。里には女でもいるのか? ったく、見てる方が恥ずかしいってのは今のお前みたいな顔を言うんだろうな」
 もういけ、と苦笑する隊長に天幕を追い出された。



 晴れ渡った空に向かって、カカシは手を伸ばす。こみ上げる歓喜に押されて、叫んだ。
 愛しい者の名を。大切な、宝物の名前を。








ヲハリ。