9.




 午後からの保護者の方がやってきて、イル村さんはぎゅわっと飛び上がった。
「忘れてたーーーー!」
「なんだ? どうしたイル村さん?」
「ぼっちゃま待たせてましたあ! アスマ先生、では、明日紅さんと一緒にクリスマス会にいらしてください。待ってますから!」
「お、おう。邪魔するぜ」
 びゅわっと風を起こしてイル村さんは退場した。
「ぼっちゃまあ! 申し訳ございませんーーーーー!」
 しばかれる覚悟でずさあっと図書館に滑りこもうとしたイル村さんは入口の戸にばいんと弾かれた。
「きゅわっ」
 口先を押さえながら涙目で立ちあがる。無情にも図書館は閉まっていた。
 きゅわきゅわと慌てたイル村さんは右往左往。終業式の今日、図書館は午前で終了していた。となるとぼっちゃまはいずこ?
 イル村さんは閃いた。
 飼育委員だから、動物の小屋にいるかもしれないと。
「カカシぼっちゃまー!」
 イル村さんは猛スピードで校内を駆ける。校内の案内板を見て、校舎の端のほうに設置されているヤギたちが飼われている小屋に向かった。
 小屋の中に人影があり、イル村さんは喜び勇んで小屋の中に飛び込むと、その背に飛びついた。
「ぼっちゃまー、お待たせしましたあ」
「うわあっ」
 べちゃりとつぶれた生徒から上がった声はぼっちゃまのものではなかった。
「イル村さん?」
「ヤマト君!?」
 ぼっちゃまの後輩のヤマト少年が黒目がちの目をぱちぱちと瞬かせた。
「あれ〜、カカシぼっちゃまはどこですか?」
「あの、イル村さん、まずはどいてくれませんか。重いです。ものすごく」
 心からの嫌そうな顔で言われてイル村さんはむうと膨れつつもすごすごとどいた。
「あのー、カカシぼっちゃまを見ませんでしたか? 一緒に買いものして帰る予定で図書館で待っててもらったんですけど、閉まってましてえ」
「俺も探してたんですよ」
 イル村さんの言葉にヤマト少年は身を乗り出した。
「俺も、先輩のこと探してたんです。冬休みの動物たちの世話について聞きたいことがあって」
「そうなんですかあ。どこ行っちゃったんですかね? おなかもぺこぺこでしょうに」
 イル村さんが首をかしげると、つられてヤマト少年も首をかしげた。
「あの、そもそもイル村さんはどうして学校にいるんですか」
「ああ、今日は二者面談で、ぼっちゃまの保護者代わりとして参上したんです」
 イル村さんは誇らしげに胸を張った。
「二者面談って、確か終業式後から始めるんですよね。イル村さんは午前だったんですか?」
「そーなんです! 午前の最後だったんですけど、うっかりアスマ先生と話しこんじゃいまして、気づけばぼっちゃまのことものすごーく待たせてしまいましてねえ」
 イル村さんは悪びれずに答えたが、ヤマト少年はため息を落とした。
「それ、絶対先輩を怒らせるパターンじゃないですか。怒って帰っちゃったんですよ」
 ヤマト少年に言わずもがなのことを断言されて、イル村さんはしょぼんと項垂れる。
「ですよね〜それしかありませんよね〜」
 きゅわーとイル村さんも腹の底からの息を漏らしたが、落ち込んでいても仕方ない。ぼっちゃまの好きなメニューを作ってご機嫌をとろうと、買い物をして帰ることにした。
「では失礼いたします。あ、ヤマト君、明日クリスマスパーティーをしますので、是非いらしてください。5時くらいから始めますから」
「え? ほんとですか?」
「ごちそうたくさん作りますよー」
「それは楽しみだなあ。プレゼント持って行きますね」
「是非是非!」
 きゅわっと一声鳴いて、イル村さんは学校を後にした。

 一体どれだけの人が集まるのだと呆れ返るほどの食材を買ったイル村さんは、大きな大きな風呂敷包みを背に負って、夕方近くに帰宅した。
「ただいま戻りましたー」
 二階に届くようにと大きな声で言ったのに、カカシぼっちゃまからのレスポンスはない。
 これはよほど怒っているのかと、背びれがぶるりと震えたイル村さんだが、気を取り直してまずはぼっちゃまの機嫌をとるための夕飯を作ることにした。
 とはいってもぼっちゃまの好物はサンマ。季節が若干過ぎてしまっているが、まずまずのものを手に入れることができたから、香ばしく焼いて、カボスを添える。サンマの刺身にサンマをすりつぶした団子をいれたお味噌汁。ごはんはサンマを炊きこんでみた。
 シンプルながらも力作を作り上げて、イル村さんはほっと一息。ぼっちゃまの胃袋を掴んでいる自信はちょっぴりだが、ある。平謝りで許してもらうのだと、イル村さんはどどどどと二階に駆け上がった。
「ぼっちゃまー、ごはんですよー」
 ばいーんといつものごとくノックもせずにドアを開けたのだが、そこはもぬけの殻。
「ぼっちゃま?」
 ぼっちゃまは不在だった。




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