5.




 帰ってきたイル村さんは、翌朝、以前と同じようにカカシの部屋に突入してたたき起こそうと思っていたが、カカシは自分からキッチンに現れた。
 目をこすりつつ欠伸をして非常に眠そうではあるが、すでに制服に着替えて、すとんと椅子に腰を下ろした。
 驚いたのはイル村さんばかりではない。床で朝食にありついていたパックンたちもぽかんとなる。
 なんといってもまだ六時半。冬の朝は寒いというのに寝汚いカカシが起きてくるなんて。
 イル村さんはパックンに耳打ちしていた。
「わたしがいない間にぼっちゃまは健康人間になったんですか?」
「いや。昨日まではぎりぎり寝ておったな。わしが足にかじりついて起こしたくらいだ」
「たった一日でなにが……もしやっ」
 イル村さんはぎゅわっと飛び上がり、いそいそとカカシに近づいた。
「おはよーございますう。ぼっちゃまー、そんなに楽しみにしてくれたんですか?」
「……は?」
 カカシは怪訝な顔になる。
「だからあ」
 イル村さんは何故かもじもじしつつ、カカシの前に手際よく朝食を並べる。かりっと焼けた鮭に小松菜のおひたしに納豆に海苔に、そしてこんもりと盛られた五穀米のご飯にわかめと豆腐のお味噌汁だ。イル村さんお得意の基本の食卓である。
 どーんという効果音が聞こえてきそうな立派な食卓である。
 イル村さんは意気揚々として、前ビレで自らの胸をどんと叩いた。
「わたくし、イル村の食事が楽しみすぎて、早起きしたんですね!」
 得意げなイル村さんにカカシはしかめっ面になった。
「俺、小食って言ったことあるよね。こんなに、食べれるわけないでしょうが」
「遠慮なさらずに、さあ、どうぞどうぞ。あ、その前におはよーといただきますは言いましょうね。挨拶は人間関係の基本ですからね!」
「相変わらず人の話を聞かない海豚だね……」
「ささ、ぼっちゃま、たんと召し上がれ〜」
 イル村さんは呆れ顔のカカシに気付くことなく満面の笑顔である。
 そんなイル村さんをしばし見つめて、カカシはため息をひとつ。
「ぉはよ。いただきます」
「はいいただきまーす」
 カカシは無言のままもそもそと、あまりおいしそうな食べ方ではなかったが、とりあえず完食した。ごちそうさまをして二階に上がったカカシを見送り、イル村さんは鼻歌で洗いものだ。
「いやあ、さすがに育ち盛りですねえ。いい食べっぷりでした」
「わしには無理無理に食べたように見えたがな」
「ぼっちゃま細すぎだからもっと太らないと。わたしくらいのむっちりボディになるくらいでいいんですよ。今はぽっちゃりさんが受ける時代ですからね!」
「確かに人の話を聞かない海豚だな」
「え? なにか言いました?」
 そこにカカシがひょっこりと顔をだした。肩から鞄を下げていた。
「じゃあ、行ってくるから」
「え? えええ? ぼっちゃま、早くないですか? 学校八時半からですよね」
 時刻はちょうど七時半。学校までは徒歩二十分ほど。イル村さんはエプロンで手を拭いつつカカシの後を追う。
「俺日直なの。一時間目で使う機材を運ぶの手伝えって担任に言われてるからさ」
 面倒くさそうにカカシは告げてさっさと出て行こうとするが、イル村さんは思わず体当たりをくらわすようにカカシに抱きついていた。
 カカシがよろけはしたが踏ん張ったのは偉いだろう。イル村さんはそこそこ巨体だ。
「ちょっと、なに」
「ぼっちゃまあ! 成長されたんですね! イル村、嬉しゅうございますうううう」
 イル村さんは感涙にむせび泣くが、カカシに突っぱねられた。
「鼻水つけないでよ。汚いなあ」
「でも、嬉しくて!」
「日直くらいやってるよ。委員会にも出てるから」
「そうだったんですね! てっきりもっとぐれてしまっているのかと思ってました!」
「ぐれるって、なにそれ」
 カカシの呆れた声もイル村さんの耳には入ってこないようだ。
「とにかく安心しましたあ」
 一人で盛り上がるイル村さんにため息を落として、カカシは行ってしまった。
 おうおうと泣きながらイル村さんは、行ってらっさいませ〜と鼻声で前ビレを振った。
 ひとしきり泣いて、イル村さんは脱いだエプロンで顔を拭うと、腹の底からふうと息を吐く。
 残りの洗いものをすませると、サングラスをかけて頭をすっぽりとショールで覆った。
「ではではパックン、行ってきます!」
「ちょっと待てイル村さん!」
「なんですか。急がないと」
「おまえさん、どこに行く気じゃ」
「どこって、ぼっちゃまをお守りするために尾行するんですよ〜」
「尾行じゃと?」
「そうです。つかず離れずでぼっちゃまの後をつけて変態おじさんの魔の手からお守りするのです」
 そうだ。ぼっちゃまを変態おじさんの手から守る、その為にイル村さんは戻ってきたのだ。
「ぼっちゃま、イル村が必ずお守りしますからね〜」
 ふんふんと鼻息も荒く出て行こうとするイル村さんの背びれにパックンは噛みついた。
「……ぎゅわわっ。イタイっ」
 飛び上がったイル村さんは離れたパックンを睨みつけた。
「何するんですか痛いじゃないですか!」
「イル村さん、あんた、その巨体をどうやって隠してカカシを尾行する気じゃ」
「きょ、巨体!? 失礼な! セクハラ! セクハラ反対!」
「いいから、どうやって隠すのじゃ」
「それは、ほら、電信柱に隠れますよ」
「最近の電信柱はおまえさんの体を隠せるほど太いのか?」
「そんなわけないじゃないですかー。電信柱の規格なんてそうそう変わりませんって」
 ぷぷっと馬鹿にしたような笑みにパックンはもう一度噛みついてやろうかと思ったが、話が進まなくなるからなんとか堪える。
 パックンはくるりと体の向きを変えると、玄関を出た。
「パックン?」
「わしがカカシの無事を見届けてくるわい」
 イル村さんよりは確実にうまく尾行できると確信しているパックンだった。



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