2.




 はたけ邸の広大な敷地の庭の一角からかぐわしい匂いが立ち上っている。
 くんくんくんくん。
 その匂いのほうへとパックンは進む。
 お屋敷の裏手の、プールに近いあたり、物置があるところだ。
 角を曲がれば案の定、丸い後ろ姿があった。
 パックンの肩ががっくりと落ちる。顔が地面につきそうだ。
 ふんふんふんふんふーんと下手な鼻歌を歌いながら、パタパタパタパタとせわしなく団扇をはためかして魚を焼くことに余念がない真ん丸とした見覚えのある姿。
 ため息をついたパックンは丸い物体に近付いて、背中のあたりに噛みついてみた。
「ぎゅあわわあわああぁぁわあわわぁぁ……!」
 びょーんと飛び上がったイル村さんは目をつり上げて振り返った。
「なにするんじゃゴラアアアアア!」
「あんたこそなにをしているんじゃい。ひとの家の庭で。立派な不法侵入じゃ」
「パックン!」
 パックンの姿をみとめるとイル村さんは満開の笑顔で前ビレを広げてきた。そこをすり抜けてパックンはかるく威嚇する。
「近所の子供らから相談を受けたぞ。お屋敷になにかいる。遊べないから何とかしてほしいとな」
「なんですかそれ。勝手にお屋敷に入っちゃだめですよ。不法侵入です!」
 けしからんと憤慨するイル村さんにパックンは冷たい言葉を浴びせる。
「おまえさんがそれを言うか」
「ぼっちゃまは無防備すぎます。だからわたしが直々にナマハゲのコスプレしてガキ共を追い出したんですよ」
 ひとの話を全く聞かずにえへへと得意げに笑ったイル村さんは、背を向けるとテントの中からがさこそと取り出したものであっという間にナマハゲ海豚に変身。
 頭部には海藻らしきものをかぶせて顔には下手くそな鬼の顔のお面。前ビレには子供が遊びで使うようなおもちゃの刀を手にしている。
 パックンは唖然としてその姿を見上げた。
「なぐごはいねがあ〜はたけていにはいりこむへびはいねがああああああ」
 イル村さんは調子に乗って前ビレを振り上げてわめく。鬼気迫る様にパックンは目を奪われてしまうが、鼻に届いた異臭にぶるぶると頭を振る。
「イル村さん……」
「は? なんですか!? 邪魔しないでください! どうですかこの迫真のナマハゲコスプレ!」
 自家発電しているイル村さんにパックンは重々しく告げてやった。
「サンマが焦げておる」
「きゅわわっ!」
 コスプレの衣装を投げ捨ててイル村さんは慌ててサンマを救出する。しかし無残にも片面はこげこげになってしまっていた。
「きゅわあああ。せっかくぼっちゃまに食べてもらおうと思ったのにぃ」
 不法侵入している身でどうやってカカシに食べさせるというのかという突っ込みは横におき、しゅんとなるイル村さんにパックンは聞くべきことは聞かねばと気持ちを引きしめた。
「イル村さん、何しに戻ってきおった」
 真剣に問いかければ、イル村さんはごほんとわざとらしい咳払いひとつ、胸を張って最敬礼した。
「不肖イル村、カカシぼっちゃまをお守りするために戻ってまいりましたあ」
 パックンはがっくりと脱力した。
「イル村さん、おまえさんはクビになったはずではなかったかな。しかもたった1週間前のことであったはずじゃが」
「そーですよ。だから忍び込んでこんなところでキャンプ生活してるんですよーだ」
 イル村さんは完全に開き直った。なぜかドヤ顔を決めてどうだと言わんばかりにちゃっかり準備されているテントを指さした。
 パックンは呆れかえって言葉もなくイル村さんをじっと見た。さすがにイル村さんも無言の責めに感じるものがあったのかその場に膝をつき、パックンに頭を下げた。
「不法侵入に関してはもーしわけなく思ってます! でも俺も最初からこんなことしたかったわけじゃなくて、最初はちゃんと正攻法でチャレンジしたんです。でもでもプレゼント攻撃も捨て海豚攻撃も置物攻撃もぜーんぶぼっちゃまにはきかなかったんです。だからだから仕方なくこんなことしてるんですよお! もうこうするしかなかったんですよおおおお。どうかどうか俺を不憫だと思ってくださるならあ、ここにいることはぼっちゃまには内緒にしてくださいいいい!」
 イル村さんのとった作戦はどう考えても最初から最後まで正攻法とは思えないが、イル村さん的には違うらしい。
 正攻法が通じないから忍び込んで住む。
 なんという暴挙。しかもカカシにばれていないと思っているとは、どれだけ暢気ものなのだ。
 しかし本気で叱りつける気にもなれず、パックンはひたすら脱力するしかなく、とうとうその場に身を伏せた。
「イル村さん、不法侵入している者がなぜ食事の用意をするのだ?」
「食材が俺を呼んでいるからです!」
「不法侵入している者がなぜプールで泳ぐ」
「水が俺を呼んでいるからです!」
 パックンは顔を上げるとにっこりと笑う。前足でちょいちょいとイル村さんを手招く。いそいそと近づいてきたイル村さんの頭をとりあえず引っぱたくのだった。





→3