18. 「いやあ、よかったよかった。終わりよければ全てよしってのはこういうことを言うんですねえ」 イル村さんは上機嫌で見舞いのガトーショコラをがつがつと食べていた。 アスマの彼女である美人の紅さんがチーズケーキのお返しをかねてと見舞いに焼いてきてくれたのだ。 イル村さんに負けず劣らず料理上手なようだ。 「イル村さん、そんなに食べてばかりいたら太るよ」 「いいんですよー。ダイエットなんてつまらないことしておいしいものを食べる機会を逃したくないですから。きゅわっ」 ついさきほど病院の昼食を食べたばかりなのだが、イル村さんの旺盛な食欲は止まらない。見舞いの食料のほとんどはイル村さんの腹の中に消えている。それを横で見ているだけでカカシの食欲は失せると言うものだ。 イル村さんは体中火傷して頭部には銃弾がかすめてそれなりに傷を負ったというのに元気だった。 「ぼっちゃまもたーんと食べて早く治さないと。モー、いつの間にか頭に怪我なんかして、骨も折ってるし。油断大敵ですよ」 イル村さんはけしからんとばかりに説教口調だ。 「こりゃイル村さん、カカシの怪我は」 呆れたパックンが言おうとしたことをカカシは遮った。 カカシの頭に巻かれた包帯と右手首の骨折。無事に陸に戻って病院に運ばれてやっと負傷に気付く始末だった。カカシのほうこそよほどアドレナリンがでまくっていたらしい。 しかし怪我の原因はイル村さんにある。イル村さんがドアを吹っ飛ばした時に飛んできた木端でカカシは頭を切って体当たりされて転んだベッドのせいで骨を折った。 すべてイル村さんがしでかしたことなのだが、そんなこと今更言っても意味のないことだ。そんなわけでカカシはパックンに向けて人差し指をたてて黙っているように促した。 パックンは呆れた眼差しで苦笑すると、カカシのベッドの足元に身を伏せた。 あの夜、カカシとイル村さんを救ったのは年配サーファーの会の人たちだった。 血相変えたイル村さんが飛び出した後、的確に警察に連絡して、亀の甲より年の功、さまざまな方面に手配して、あれよあれよという間に救出するための高速船が向かったのだ。 アスマは海上保安庁に勤めている元生徒のシカマル君とやらを使って情報を得て、いち早くどさくさに紛れてお上のボートに乗り込んだという。呆れたカカシに対して、コネっていうのは使うべき時に使えばいいんだよ、使うべき時をきちんと心得ていればいい、とうそぶいた。 陸に戻れば騒然としていた。 静かな港町にかつてなかった騒動が持ち上がったのだ。やじうまはもちろん大勢いたが、見知った顔がたくさんあった。 ヤマトも、他にもクラスメイトやら学園のみんながカカシの身を案じて皆砂浜で待っていてくれた。 せっかくのクリスマスだというのに、すでに真夜中で、それでも寒い空の下、待っていてくれたのだ。 皆が悲壮な顔をして、泣いている生徒までいた。カカシの姿を認めると警察の制止を振り切って駆け寄ってきた。 囲まれて、よかったと口々に言われて、わんわん泣かれて、胸が苦しくなった。 きちんとお礼を言いたかったが、胸の奥が熱くなって、口元がわなないて、結局なんとか笑顔を作るのが精いっぱいで、そのままカカシも気を失ったのだった。 あれから五日。年の瀬も差し迫っているが、カカシはイル村さんと同室で入院中だ。病院長の綱手さんが父であるサクモの大先輩ということで、事情も知っており優遇してもらっている。これも一種のコネということなのだろう。 大蛇丸とカブトが乗っていた船は大破して、半分くらい海に沈んだ。雇われていたその場限りの手下は全て捕まったが、肝心の大蛇丸とカブトの行方は知れないままだ。 まあきっと、どこか海外にでも行ったのだろう。あの二人のことだ。間違いなく生きている。虎視眈々と再起の時を狙っているに違いない。 「あ、ぼっちゃま、雪ですよ、雪」 ガトーショコラを食べきったイル村さんがナプキンで口を拭きつつベッドから出て窓による。 もともと雪があまり降らない地方だが、年内に降るなんて一体何年ぶりのことだろう。 少なくともカカシの記憶にはなかった。 はらはらと儚く舞い落ちてくる雪にしばらく見入った。 「懐かしいなあ」 呟くイル村さんの声は少しだけ寂しそうだった。そういえば、イル村さんは北の海の出身だと言っていた。海豚は温かい場所で生息するものだと思っていたが、実際はどうなのだろう。 カカシは、イル村さんのことも、それ以外のことも、何も知らなかったし、知ろうとしなかった。突っ張って、ひねて生きていた己を今更ながら知る。恥ずかしくは思うが、その時はそうするしか生きられなかったということだろう。 「パックン、イル村さん、俺さ、いつかあの家はでようと思う」 カカシが告げたことにイル村さんとパックンは顔を見合わせて、イル村さんはずいっとカカシのベッドに詰め寄ってきた。 「大蛇丸が盗もうとしたあの家の権利は無事だったって、弁護士さん言ってたじゃないですかあ」 慌てるイル村さんをパックンが制した。 「待て待てイル村さん。カカシはいつか出ると言ったじゃろうが」 「ふえ?」 落ち着いたパックンに宥められてイル村さんは椅子に腰かけた。 「まだガキだから無理だけど、この先自分のやりたいこと見つけて就職して独り立ちできたら、あの屋敷ごと土地を手放して、必要な人に役立ててもらおうと思う」 入院して暇な時間になんとなく考えたことだが、それが正しいと思えた。 確かに思い出の詰まった場所ではあるが、そんなものにすがって生きるのではなくて、前を向いて、強く生きていきたいと思うのだ。思い出なら心の中にきちんとあるのだから。 「そうですかあ。じゃあそれまでにプールでたくさん泳いでおかないとですね」 イル村さんはしゅんとなった。海の生きもののくせに、イル村さんはプールがお気に入りだった。 「まだ先の話だ〜よ。勉強したいことがあるから、多分大学は行くだろうし。イル村さんはそれまではずっと俺んちで働いて、たーくさん泳いでおきなよ」 「そうですねえ……って、え? いまなんと?」 「だから、俺が独り立ちするまでずっとうちで働いていいよって言った」 カカシは少しぶっきらぼうに告げた。 ずっと、だなんて、なんだかそれはまるで、まるで……。 イル村さんはきらきらと目を輝かせて、カカシの手をぎゅっと握った。 「ぼっちゃま、じゃあわたしは、契約延長ですね!? 今月いっぱいの契約じゃないんですね! ね!」 「そういうことだ〜ね」 「嘘じゃないですよね? 今更な〜んちゃってとか言ったらわたしグレますよ? グレ海豚になっちゃいますよ!」 「疑り深いなあ。うそなんて言わないよ」 カカシが呆れながらも念を押してやれば、イル村さんは途端に天井につきそうなくらい飛び上がった。 「やったああ。やったどー!」 自分も頭に包帯を巻いたけが人のくせにびょんびょん跳ねるイル村さんがおかしくて、カカシは口元がゆるむのを感じた。 「よかったあ。今日って大晦日じゃないですかあ。今日までの契約かあって内心びくびくして、やけガトーショコラでばくばく食べてたんですよ。あ〜こんなことなら少し残しておくんだったあ」 真剣に残念がっているイル村さんの目はうっすらと潤んでいた。 「急に元気でてきました。これから超豪華なおせち料理作れそうなくらいですよ!」 「おせちは明日病院でふるまわれるって。今夜も年越しそばが出るらしいよ〜」 「なんとっ! 素晴らしい!」 イル村さんは上機嫌で小さな子供の用に跳ね回る。 見ているだけで元気がでるなあとぼんやりと思う。 この先、まだまだ続く人生だ。やっと始まったばかりともいえる。 いつまでだろう。いつまでこうしていられるだろう。 できることならば、ずっと。 叶う限りずっと。 過ぎる季節を共に過ごしていきたいと思うカカシだった。
第三部完 |