13.




 イル村さんはざんぶと海に飛び込んだ。
「ぼっちゃまああああ! 待っててくださいー! イル村がただいま参りますうううう!」
 ざばざばざばーと波をかき分け、ぐんと潜る。
 たとえ地の果てまででも追いかけてカカシぼっちゃまを奪取するつもりだ。
 イル村さんは丸い体に似合わず意外とスピード自慢なのだ。誰にも負けない自信があった。イルカセンサーのおかげで目指す方向に間違いはない。
 ぼっちゃまをさらったのは周りの目をくらますためにデコレーションされた船なのだ。高速ジェットでもない限り、追いつける自信があった。なんと言ってもイル村さんは海洋生物なのだ。地の利は圧倒的にイル村さんにある。
 無心に、ガムシャラに突き進んでいくうちに、かなりの沖合にでた。水面からきょろきょろと見渡せば、ひたすらに暗い海と、月明かりが輝く空があるばかり。陸は見えない。随分と遠くまで来たことに間違いはないが、出発の時点で二時間半ほどのビハインドがある。まだか、まだなのかとイル村さんはぎりぎりと歯ぎしりをする。
 しかしそこでイル村さんの目は遠くに去りゆく船をとらえた。
 じーっと目をこらして、ガン見する。
 夜の中、月明かりに照らされて、かすかに赤い装飾が見えるではないか!
「そこかああああ!」
 イル村さんは再び泳ぎだす。
 ここでとらえなければと死に物狂いで泳ぐのだ。
 イル村さんの爆走はあっという間に船をとらえて、並ぶまでに近づいた。
 中型客船とでもいうくらいか、そこそこ大きいが、どこにも停泊せずに一気に遠くの国まで行くのは無理だろう。きっと一度近くの国の港によってそこからまた逃亡をはかるに違いないと思えた。
「ぼっちゃまあ、ぼっちゃまあ」
 並んで泳ぎながら船の側面にはしごでも設置されていないかと探すが見つからない。ぐるっと一周してからすぐにイル村さんは深く潜り込む。ごごごごとスピードを上げて綺麗に垂直にジャンプをかました。ぎりぎり、船の上へとばいんと落ちることができた。すぐに起き上りそばのドアを開けて、船の中へと入りこんだ。ジャンプはなるべく音もたてずにきれいにできたが、船の上に落ちた音を聞きつけて船首のほうにいた見張りの人間がやってくるかもしれない。
 イル村さんはそろりそろりと階段を降りた。最下層まで降りた。大切なものを隠すのなら、一番深いところではないかと野生の勘が告げるのだ。
 なにも計画があったわけではない。どちらかといえば行き当たりばったりなのだが、とにかくぼっちゃまを奪い返しさえすればいいとイル村さんの頭の中はその考えしかなかったし、それは間違いなく正しい事だった。
 階段を降り切って顔を出せば、結構長い廊下の左右にはいくつかの部屋がある。人の気配はない。装着したままだったナルト坊ちゃんのエプロンをお守りとばかりにきゅっと頭に巻いて、おそるおそると足を踏み出して右に左にとドアを見る。
「ぼっちゃまー、イル村が来ましたよー。呼んでくださいよー」
 小さな声をかけながらふんふんと鼻をうごめかしてみるが、パックンたちのように匂いを拾うことはできない。どうしようどうしようとひたすら考えていたイル村さんだが、ふと、艦内案内板に目を止めた。じーっと見ること数秒。
 イル村さんはぴんと閃いた。

 抜き足差し足忍び足、イル村さんは注意を払いつつ、船の更なる最下層に移動した。スタッフオンリーの看板など、ぽーいと投げ捨てる。
 イル村さんは船の動力部まで移動した。ごうんごうんと元気に動いている横になった巨大な円柱のようなものじーっと目を細めてみればみるほど、それが親玉のような気がしてくるのだ。
 きゅわっと一声鳴いたイル村さんは、きょろきょろとあたりを見回し、消火器を四つ抱えた。
 それをぽいぽいと無造作に投げれば、勢いに跳ね返されて予測のつかない方へ弾かれた。イル村さんの顔のすぐ横にも飛んできて、イル村さんはきゅわっと飛び跳ねた。
「び、びっくりしたあああ」
 直撃したらイル村さんのキュートな顔が大惨事になるところだ。
 心臓のどきどきを収めつつ、イル村さんは視線をあっちにこっちに走らせてなんとかなりそうな小物を見つけた。
 円柱のようなものではなくて整然と並んだ小ぶりなドラム缶のような装置に目をつける。再び消火器を手に取っていざ投球と、思ったのだが、さすがにイル村さんは考える。いくら巨大円柱よりも小さいとはいえ、いい感じで高速回転している。跳ね返されるのは予測できた。そこでイル村さんは考えた。
 目を付けたのは破壊され飛び散った消火器の残骸たち。
 それを急いでかき集めると、ドラム缶とドラム缶の間にばらばらと落としてみた。
 ばきばき、と音をたてて粉砕されてしまう。ムキになったイル村さんは他の残骸もとにかくかき集めて、放り込む。それでもドラム缶は止まらない。
「きゅわわわっきゅわあああ!」
 イル村さんの目は血走り、はあはあと息は荒くなる。こうなったら、自分が飛び込むしかないのかと思うが、だがここでイル村さんが倒れたら、誰がカカシぼっちゃまを救うというのか。
 どうしよう、どうしたら、と究極の二者択一にイル村さんが苦脳していると、突然、ドラム缶が動きを止めた。
「きゅわ?」
 首をかしげるイル村さんの前で、爆音と共に火柱が立ち上った。





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