12.




「……遅い」
 時間をさかのぼること昼間の学園、カカシは図書館を出て思い切り顔をしかめていた。
 ぐうぐうと気持ちよく寝ていた。肩を叩かれて、司書の先生に申し訳ない顔で、閉館ですよ、と言われた。図書館はとっくに人が去り、カカシ一人しかいなかった。
 メリークリスマス、よいお年を、と挨拶を交わして廊下に出たが、もちろんそこに家政夫の姿はない。
 勝手に約束をとりつけておきながら時間オーバーで待たせるとはなにごとか。
「あんのお調子者海豚」
 このまま帰ってしまおうと思いつつ、一瞬くらい教室を覗いてやってもいいかと、制服のポケットに手をつっこんで猫背でずんずん歩いていたカカシは、渡り廊下のところで声をかけられた。
「カカシ君、どこに行くんですか」
 中庭の植え込みの奥からカブトが歩いてきた。人をくったような油断のならない笑みを顔にはりつけたまま。
 返事をするのも億劫で無視して歩みを再開しようとしたカカシだが、カブトはカカシの前面に立った。
「僕だってね、用がなければ君になんて会いに来ませんよ。君みたいに暇じゃないんでね」
 仕方なく、カカシは対峙した。
「で、お忙しいカブトさんは何の用事で来たんですかあ? ああ、家の権利のことを返事してなかったね。渡さないから、大蛇丸に言っておいてよ」
 あの家から離れたほうがいいのかもしれないとほんの少し思ったことは本当だ。悲しいことがたくさんあった。だがそれでも思い出深い育った家だ。嫌なことばかりではない。楽しかったことも思い出せるのだから。
 カブトはカカシのことを見たまま吹き出した。
「なに?」
「いえ、失礼。やはり君はまだまだ子供だと思ってね」
 カカシは目線を鋭くして睨み付けたが、カブトは笑いを収めると本性を表したかのような酷薄な顔つきになった。
「穏便にすませられたらと思っていたんだよ。だってそのほうが楽だろう? けど、楽なことばかり選べないね。君も学んだほうがいい。楽にばかりは生きて行けないんだよ」
 かっとなったカカシがカブトにくってかかろうとしたところで、暗転。首筋に一瞬感じた痛み。カカシの視界は暗くなり、意識は沈んだのだった。


 徐々に開いてきた視界はまだぼやけている。一度ぎゅっと目をつむってから見開いた。視界と同時に意識も覚醒した途端、カカシは咳込んでいた。体が異様に熱い。はっはっと呼吸を繰り返していれば、ドアの開く音がして、入ってきたのは最悪なことに大蛇丸とカブトだった。
「お目覚めのようね、カカシくん」
 長い舌を出す大蛇丸の縦に割れた目は冷たく光っていた。
 カカシは簡易ベッドの上に寝かされていた。腹の上におかれた両手は拘束され、体はロープでベッドに縛られていた。
「ちょっと苦しいかもしれないけど我慢してね。処置を施したら普通に寝かせてあげられるわ」
「処置?」
 かすれた声で問えば、大蛇丸はパイプ椅子に腰を下ろして、優雅に足を組んだ。
「カカシくん、あなたは行方不明になるのよ。そうするとあの家は不要でしょう? 後見人のあたしがきちんと後始末するから安心して。あなたは海外に行って素敵なおじさまたちのペットになるの。意外と素敵な一生じゃないかしら? あなたのことすごく気に入ってくれて、大切にするって言ってるわよ……ペットとしてね」
 大蛇丸の声は珍しく浮き立っていた。
「相変わらず気持ち悪い男だなあんたは。反吐が出る」
 睨み付けてやれば大蛇丸は嬉しそうに笑った。
「こんな状況でも強がれるんだから、カカシくんはサクモよりよっぽど強くていい男よね。でも、ペットになるんだから、従順って言葉を学んだ方がいいわね」
 ぐっと顔を近づけた大蛇丸に唾を吐きかけたが、大蛇丸は気にした風もなく、取り出したハンカチでぬぐっただけだった。
「最後だから教えてあげましょうか」
 大蛇丸は背後に立つカブトを振り返る。カブトは心得たように頷くと、書類封筒から数枚の紙を取り出すと、カカシに見えるように近づけた。
 一体なんだと思いながら目を走らせれば、そこここに父の名前が父の筆跡で記入されていた。いくつかの箇所に捺印もされて、それが契約書であることがカカシにもわかった。
「サクモさんは、知人の方々の保証人になっていたんですよ。十名ほどのね、その方々全員、サクモさんを裏切って逃げて、サクモさんが全て負債を引き受けました。まあね、資産はくさるほどあったから金銭的には何の問題もなかった。でもねえ、さすがに信じて保証人になった方々全員に裏切られたら、落ち込みますよね。ああ、落ち込むなんて軽い言葉で言ってはいけませんね。心の弱い方なら、ぽきっと折れてしまうかもしれないですね」
 カブトの意味深な言葉に、カカシの体はぶるりと震えた。
「おまえら、まさか……っ」
「真実は、藪の中ってね」
 誰もが好青年と信じて疑わないようなカブトの笑顔だったが、カカシには暗く邪悪なものに見えた。
「弱いからよ」
 大蛇丸は吐き捨てた。
「もしもカカシくん、あなただったらどうだったかしら? それくらいで心を病んだかしら。傷ついてもあなたなら這い上がったでしょうね。サクモははたけ家の資産を増やすビジネスチャンスを掴むことには長けていたわ。でも、それにしては心が弱かったんじゃないかしらね。そんな人間はいずれ駄目になるのよ。遅かれ早かれ、ね」
 辛辣な言葉を投げつけながらも大蛇丸の声音はどこか憐れみに満ちていた。
「カブト」
 大蛇丸の指示でカブトは小ぶりなスーツケースの中から注射針を取り出した。
「やめろっ」
 カカシは精いっぱいの力で暴れるが、縛り付けられた体はがたがたとベッドごと揺らすばかりだった。
 カカシの抵抗も虚しく腕にちくりと痛みがさし、すぐにカカシの瞼は重くなる。
「眠りなさい。目覚めた時にはあなたは別の人生を生きるのよ」
 眠りたくなんてないのに、カカシの思考は拡散を始め、黒に染まった。





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